秩父荒川を散策

荒川歴史民俗資料館をでましたが時刻はまだ11:30前ですので、昼食にも早すぎるので途中寄り道をしました。
国道140号線を進むと途中に「道の駅あらかわ」という案内があったので、とりあえず道の駅へ行くと「水芭蕉園」という案内看板がありましたのでいってみることにしました。
「道の駅あらかわ」からは歩いていけそうなので、駐車場に止めさせていただき歩いて行ってみました。
「水芭蕉園」に向かって歩いていくと反対側から多くの方とすれ違いました。この辺は秩父34ヵ所巡礼の地でもあるし、はたまた駅からハイキングなども北本市でもあったように盛んに行われているので、こういった方々なのかなあと推測します。今日は非常に天気にも恵まれ少し汗ばむ位ですから、ハイキングなども気持ちがいいでしょうね。
「道の駅あらかわ」からすぐのところに枝垂桜があります。若干花落ちし始めてはいますが、まだまだ見頃です。この枝垂桜は「浄光寺」というお寺の境内にあります。
また、境内には「日野学校跡」という碑が立っていますが、浄光寺の由緒とともに全く何も判りませんでした。「日野学校」とは何か謂れのある学校なのでしょうかね。
秩父荒川を散策 【今年も見納め、浄光寺のしだれ桜】


5.6分ブラブラと歩くと「花ハス園」があります。当然ハスの花は咲いてはいませんが、何人かの方が色々調査をしておりました。7.8月ころになるとハスの花が咲くのでしょう。古代ハスに関して色々見聞きはしているのですが、実際に花を見たことが無いという現状。今年は必ず見に行きたいと思っています。
秩父荒川を散策 【自然一杯の中の花ハス園】


ここから2.3分で「水芭蕉園」に到着です。一応水芭蕉に相応しい木道となっているようです。 奥に進むと小さな小屋がありそこで水芭蕉に関する本などが販売されていますが、特に入場料は要らないようです。そのかわり保全協力の募金箱が設置されているので気持ちだけ・・・
秩父荒川を散策 【水芭蕉園入り口】


そこからは段々畑のように区画ごとに水芭蕉が咲いています。残念なことにはかなり見頃は過ぎているようで、葉もかなり伸びていて花は半分以上落ち始めていました。今年も見納めの時期なのでしょうが、最後の一花を見ることが出来たということですね。
秩父荒川を散策 【水芭蕉園全景】


最後までわからなかったのが、ここは一体何処が運営管理しているのだろうかということです。
少し調べてみて断片的な情報をまとめると、以下の通りのようです。
正式名称はどうやら「荒川花ハス園・水芭蕉園」というようです。秩父市、或いは荒川村が運営母体のようです。
「花ハス園」は約6,000㎡に11種類の花ハスが植栽されています。大賀ハスのような貴重な種類も植栽されているようで一見の価値ありのようです。6月中旬ころから咲き始め、開花期間中はライトアップもされるそうです。
一方、水芭蕉園は2,500㎡の広さで、1,500株の水芭蕉が植えられているそうです。
この水芭蕉は平成14年春、群馬県片品村から、ここ荒川日野地区に約1,000株が移植されたのが始まりだそうです。水芭蕉はサトイモ科の植物で温帯から寒帯にかけて分布していて、山中の湿地や湿原に群生する多年草の植物です。
「夏の思い出♪」の歌詞のように水芭蕉は初夏の花と思われがちですが、実際は雪解け後に咲く春の花なのです。そういわれると確かにそのように思っていましたね。
秩父荒川を散策 【どう見てもチンゲン菜に見える水芭蕉】
そして、花ハス園も水芭蕉園も6月下旬~7月上旬にかけて自然発生のヘイケボタルが観賞できるそうです。ホタルとハスの饗宴ですね。 以上が概要ですが、荒川商工会議所関連のブログにこのようなことが記載されていました。


秩父市荒川/日野地区にある水芭蕉園…
葉が伸びてしまいました! 4月26日(日)をもって閉園となります。
開花期間中にはご来園賜り ありがとうございました !!
ザゼンソウ セツブンソウ しだれ桜 カタクリや水芭蕉…
当地区の花は一段落しました!
6月中旬頃になると 花ハス園がオープンします。
例年 ミセススローカムが最初に花開きます。白く気品のある11種類ハスを観に来てくださいネ!
皆さまのお越しを 心からお待ち申し上げます』

ということで春の花の里はひとまず終わり、季節が変わってまた夏も楽しめる秩父、というところでしょうか。

花ハス園・水芭蕉園から戻るともうお昼ですので、昼食に向かいます。
昼食だけはいつものように決めてありますので一気に向かいます。秩父市荒川は蕎麦の里でもあるので、当然蕎麦を食しに行きます。
この「道の駅あらかわ」からほんの車で5.6分の140号線沿いの「ちちぶ路」です。

ちょうど大きな赤い鳥居の隣に「ちちぶ路」があります。 綺麗な建物で日本庭園をイメージした造りです。
秩父荒川を散策 秩父荒川を散策 【蕎麦処「ちちぶ路」店舗と看板】


入口を入ってすぐ左手には手打ちをするスペースがありガラス張りで中が見れるようになっています。今日はもう打ち終えたのでしょう。
秩父荒川を散策 【ここで手打ちが見られるようです】


中に入ると結構広いです。中央にテーブル掛けで15.6人くらい座れるでしょうか。窓際には2人掛けの小上がりが4卓くらいあり、奥には座敷があって12.3人は座れるでしょうかね。 座敷はすでに予約が入っており、小上がりには2.3人お客がいましたが、他はまだ空いていたのでテーブル席につきました。
秩父荒川を散策 【蕎麦処「ちちぶ路」店舗内】


くるみ蕎麦が売りなので、私は「くるみ天ざるそば」、家内は「天ざるそば」を注文しました。
10分ほどして蕎麦が出てきました。
秩父荒川を散策 【蕎麦処「ちちぶ路」くるみそば】
まずは家内のそばつゆで一口。汁は比較的辛口ですが、甘口好みの私でも十分美味さを感じます。辛いというよりよりコクがあるといったほうが良いでしょうか。
蕎麦はシコシコです。結構なコシの強さとそば粉の香りが高い感じです。
くるみ汁で一口いただきました。香ばしいかおりが広がります。 確かにそば粉の香りが消される帰来はありますが、それとして食せば違った蕎麦としても楽しめそうです。
サクサクッとして私好みではありますが、天ぷら自体は取り立ててどうということもありませんで、可もなく不可もなくといったところでしょうか。ただ、こちらの天ぷらの野菜は主人自らが山草や野草を摘んでくるそうで「野草天ぷら」というそうです。 てっきりそれかと思っていたのですが、「くるみ天ざるそば」は海老のついた天ぷらだそうです。「野草天ぷら」の場合は「ざる蕎麦」と「野草天ぷら」を別々に注文しなければならないそうです。
因みに春はフキノトウ・ツクシ・タラの芽・カタクリ。夏はドクダミ・ギボウシ・ホタルブクロ・イワタバコなどだそうです。
ですが、勿論、海老天ぷらの方にも野菜天プラはついており、タラの芽などは殆どスーパーのパックモノしか食べたことがないので、本来のほろ苦さとかやわらかさなど堪能できた気がします。

見た目にもちょっとした工夫がありました。ざるの上に盛られた蕎麦の周りをグルッと囲むように極々太い(というか、平べったい)蕎麦を飾ってあります。
秩父荒川を散策 【極太麺】
勿論、食べられるものですのでいただきますと、シコシコ蕎麦に輪をかけたようなシコシコ、というよりゴムに近い感じ。これもコシの強さと手打ち蕎麦をよりデフォルメした演出でしょう。実に小憎らしい演出ですね。
見た目はそれ程ではないのですが、食べ終わると結構お腹には充実感があります。味・喉越し・量と3拍子といっても良いかもしれませんね。やはり秩父の蕎麦は美味いのでしょうね。
気分は上々で「ちちぶ路」を後にしました。

腹は満腹、気分は上々で時間が若干あるとすればここは腹ごなし。ということで隣に鳥居のある神社に向かいました。
境内が見えないので、車で鳥居を潜って進みますと1.2分で境内に到着です。崖の上に境内があるようで、階段の横に社名が立っています。「小野原稲荷神社」と書いてあります。
その反対側には由来書があります。
秩父荒川を散策 【小野原稲荷神社参道】


小野原稲荷神社
昔、孝徳天皇の大化四年(およそ千三百年ほど前)日照りが続いたので農作物が枯れてしまいそうになりました。
困り果てた里の人々は、高根山の中腹に集まり、大きな岩を神座として雨乞いをしました。するとたちまち雨が降って作物が行きかえり、秋には豊年満作となりました。
人々は神の恵みをありがたく思い、社をたてつつしんで神々を祭りました。それが当社のはじまりです。現社殿は昭和五十年に再建されました。
一、御祭神
宇迦之御魂命(うかのみたまノミコト)農作物の守り神
神武天皇(じんむてんのう)第一代の天皇
大宮売神(おおみやのめノカミ)宮居の平安を守る女神
外七柱
一、御祭礼
祈年祭 二月二十八日
例大祭 三月二十八日
新穀感謝祭 十一月二十八日』

まずもってびっくりドッキリの縁起ですね。大化ですよあの大化の改新の・・・
日本で最初の元号ができた時代で、学校の日本史で最初に暗記しなければならない年号、"むしころろし”の645年です。 大化の改新から遅れること4年後の大化4年です。
確かに古いことだけを考えれば大宮の氷川神社などは、創建が紀元前500年ころですから太刀打ちできないにしても、並みの神社(って、一体どんな神社?)が足元にも及ばない縁起があるのです。
現在の社殿は昭和50年の再建ですから、ほぼ1,300年建て替えられもせず・・・ありえないですよね。ま、そこのところが伝承なのでしょうが。 しかも今まで様々な神社を廻りましたが、宇迦之御魂命、大宮売神という祭神は始めて聞く名ですね。
それと外七柱とは何? そして例祭がすべて28日というのは意味があるの?
などなど、結構謎だらけの稲荷社です。

さて階段を上がってくと途中に解説板と石碑があります。

小野原稲荷神社の石垣 村指定有形文化財
稲荷神社の歴史は古く、七世紀半ばの由緒もあり、それによれば高根山中腹に祀られたという。十二世紀末には畠山重能、重忠の改営や参詣もあった。現今社地での社殿は、天正十八年(1590)鉢形北条の家臣横田築後が小野原に落ちのび、村民を勧誘して造営した。宝暦年間(十八世紀半ば)には、伏見稲荷を勧請、その後社運は隆盛を極めたという。 しかし惜しむらくは昭和三十六年一月、火災により旧社殿や奉納額は焼失してしまった。
稲荷神社の石垣は享保十八年(1733)に作られた。たまたま飢饉の最中だったので、窮民をすくおうとして米穀らを施したところ、御神徳に感じた人々の手によってまたたく間に築きあげられた。
この石垣は構築上稀な積み方である宮勾配が施されており、扇の勾配状に外形の輪郭が際立っているのが特徴である。
荒川村教育委員会』

これで先ほどの謎の半分は解けたようです。
それにしても奇妙な偶然。鉢形北条の家臣横田築後の件は、先週まさに【鉢形城跡・北条まつり】に寄居に行ったばかりです。
天正十八年(1590)の社殿であればたとえ現存していても可笑しくないですからね。
ということでこの解説板の前にある石垣の写真を結構撮りましたが、後でこの石垣ではなかったことを知る羽目になりました。フィルムだったら大層もったいないことをしたことになりますが。
秩父荒川を散策 【何の関係もない石垣】
そこで更に登って境内に出ました。そこにも案内板があります。


『荒川村指定有形民俗文化財 稲荷神社石垣 平成二年四月九日指定
この稲荷神社の石垣が築かれたのは、江戸時代後期八代将軍徳川吉宗が世を治めていた頃である。この時代には江戸の三大飢饉(享保・天明・天保)の中の一つ享保の飢饉が起こった。この飢饉は虫害(イナゴの大発生)が原因で享保十七年に始まり多数の農民は苦しみ、それによって各地でたびたび一揆を起こした。
翌年十八年、石垣及び石壇を作るにあたり、神社は米穀を出して窮民(生活に困っている人々)を救うことにつとめた。人々は神の功徳に感じそのため多くの人々が石垣及び石壇建築に集まりすぐに完成したという。
このように江戸時代の歴史を秘めて今もなお石垣は厳然とそびえ立っている。
この石垣の作りは宮勾配(扇ノ勾配)といわれるもので宮屋根の反りに似ていたからと言われている。
設立 平成四年十月吉日 荒川村教育委員会』

まるで出し惜しみをするような解説ですね。それにしても江戸の三大飢饉などとは久しぶりに聞く名称ですが、あの有名な飢饉に関わっていたのですね。
この解説板の前にある石垣がそのようです。確かに反っています。
秩父荒川を散策 【これがいわゆる・・・その石垣】


この勾配には宮勾配と寺勾配があるそうです。したがって寺はそのまま寺の屋根の形式から名付けられたのです。
宮勾配は武者返しと呼ばれる防御力の高い石垣であるとともに、石の重量が増大すると、その重さを逃がすために下部をゆるい傾斜として上部で傾斜をあげるという役割も果たしているそうです。
一方の寺勾配は角度に変化がないため防御力が低いといわれています。その分、コストや作業期間などにメリットがあるのでしょう。

この石垣の前に妙なものがあります。立て札があるので何か意味があるのでしょうが、全く読めないので判りません。
丸い石が何かを語っているのでしょうがね。
秩父荒川を散策 【意味がわからない謎の石】


境内にある鳥居は随分綺麗な彫刻が施された鳥居です。そして、この鳥居から更に急勾配の階段を上がったところが社殿です。さすがに昭和50年の再建ですのでまだまだ新しい部類です。何はさておき参拝です。
秩父荒川を散策 秩父荒川を散策 【鳥居の彫刻と社殿】


参拝をすまして辺りを眺めると、またまた左手に鳥居があり解説板もありました。
秩父荒川を散策 【奥社の鳥居】


奥社(三社合殿)
高根社 天神地祇 八百萬神
孝徳天皇の大化四年(1350年前)日照り続きで作物が枯れそうになったとき雨乞いをしたら、たちまち雨に恵まれたので神恩に感謝して高根山の中腹に祭ったという当社発祥の社。
山の神社:大山祇神
天狗社:タカオカミの神 クラオカミの神
奥社まで登り徒歩約五分です。』

先を見ると「奥宮参拝道」という道標が倒れ掛かってあり、その道を見ると急な坂の上に獣道のようなところ。五分といえどもさすがに腹ごなしにはハードかもしれないので、ここはご辞退申し上げました。
秩父荒川を散策 【ちょっと気の進まない奥宮参拝道】


更にこの道標の左手に社があります。ここにも解説板があります。
秩父荒川を散策 【金毘羅宮】


金毘羅宮
金毘羅社 大物主神 他五柱
福徳をお授けになる神様です。
塩釜社 塩土稚命 他三柱
安産の神様として名高く、また漁業の守り神様でもあります。秩父地方の方言では,産泰様とも呼ばれ妊婦が安産を祈願するときには底のない柄杓に
奉納 塩釜神社(奉所 大願成就) 住所 氏名 年月日
等を書いて奉納する習わしがある。』

よほど当時の土地の人から崇敬を受けていたのでしょうね。
それにしても確かに山中の中腹に色々作られていますね。正にサンダーバードの秘密基地のようです。子供だったらまずは探検と称して奥社にも行ったでしょうね。
その頃の情熱や興味が年齢とともに・・・というのとは根本的に意味が違いますね。また罰が当たる。

サンダーバードの・・・否、小野原稲荷神社を参拝して腹ごなしも終わり、いよいよ白くの串人形芝居に向かいます。
12:30を多少過ぎた頃ですので良いころあいです。

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