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「川越まつり」序曲

秋晴れの天気も良い、まさにまつり日和の10月18日(土)に川越まつりを見物に川越に向かいました。
今回は電車で向かったので、大宮経由、JR川越駅に降り立ちました。すでに結構な人が集まっていて、川越駅のコンコースもかなりの人だかりでした。 まだ、12:00前少し早い時間で、さらにメインストリートから一番遠いJR川越駅ですら、この人ごみですから、実際のすごさが目に映るようです。
そこで川越駅をスタートする前に面白い記事を紹介します。2008年10月17日付の東京新聞・夕刊の記事です。

『「1日当たりの人出 川越まつりは京都祇園の倍? 市が“勘”で集計…膨らむ胸算用」
観光客誘致の目玉となる「祭り」の集客力は、地域の活性化を願う地元自治体にとって気になるところだ。年間一千万人誘致を目指す埼玉県川越市もそのひとつ。同市発表に基づく「川越まつり」の集客力は、全国ブランドを誇る京都の「祇園祭」の倍以上となる。今月一日に発足した観光庁は、2010年4月までに観光客数を集計する統一基準を策定する方針だ。 (さいたま支局・山口哲人)

川越市は昨年、川越まつりの人出を二日間で百十五万人と発表した。一日当たり五十八万人となるが、祇園祭は同二十六万人。ねぶた祭(青森県)が同五十三万人、阿波おどり(徳島県)が同三十三万人だった。だが、昨年に川越まつりの警備に当たった埼玉県警幹部は「二日間で六十万人がいいところでは」とみる。
市の発表によると、1998年の人出は四十万人。この十年間で三倍に迫るほど急増している。
十八日から始まる今年のまつりについて、舟橋功一市長は「(来春から放送される、川越が舞台のNHK連続テレビ小説)つばさが話題になっており五万や十万は増えると思う」とさらなる人出増に自信を見せる・・・(以下、省略)』 (全文掲載)

とまあ、こうゆう事です。
東京新聞としては「適当な統計で発表されてはいるが、いくらなんでも祇園まつりたねぶたまつりより多いわけが無いだろう」と言うことで半分噛み付いたようです。

そもそも昨年2007年の動員数の発表に疑問をもった東京新聞が噛み付いたところから始まっています。
昨年の記事によると。

川越まつりに115万人 京都『祇園祭』上回る!? 『人出』算出どのように・・・
観光客年間1000万人誘致を目指す川越市は、20、21の両日に開催された「川越まつり」の人出を115万人と発表した。数字の上では日本の総 人口の100人に1人が同市を訪れたことになる。一方、日本三大祭りの一つと称され、全国的に知名度が高い京都の「祇園祭」は今年、最も人が繰り出した宵 山前後の3日間で100万人(同府警発表)。入場券の必要のないイベントや祭りなどで発表される「人出」は、どのように算出されているのか。 (山口哲人)

百十五万人という数に川越市観光課の宮根信夫課長は「裏付けがある」と強調する。
同課は今年から集計方法を変更、主要八交差点にそれぞれ四人を配 置、交差点を通過する人数を一日三回、各五分間計測した。単純総計した結果は計約百八十万人。昨年の約百十万人から大幅増に宮根課長は「最初に聞いた時は 正直困ったと思った」と明かす。
「一回カウントした人を別の交差点で重複して数えた可能性もある」として同課は総計の65%を入り込み人数とし、百十五万人をはじき出した。ただ 「65%の根拠は、観光客を数える際にいつも重複分を除外するため70%を掛けており、今回は人出が減った朝晩を踏まえてさらに5%引いた」というあいま いな回答。・・・(以下省略)
2007年10月28日 東京新聞 (全文掲載)

昨年を踏まえて、「今年はいい加減な数字を出すなよ」とでも言いたげな東京新聞ですが、どうでも良い事に近い話でしょう。
川越を責めるつもりも贔屓するするつもりもありませんが、楽しければそれで良いし、いくら人が来ようが来まいが、楽しくなければ行かなくなるだけです。決して数字で踊らされて行くわけではない故、どうでもいいでしょう、となるのではないでしょうか。

閑話休題
いよいよJR川越駅をスタートしてクレアモールを歩きます。モール内では両側に屋台が並べられ、まさに準備中でした。昼時だったので既に販売を始めている屋台もあり、まつりの雰囲気が徐々に上がってきます。更にクレアモール商店街の店舗も”まつり特価”とか”まつり期間中20%オフ”とか様々なPOP、プロモーションで集客を図っています。
クレアモールを抜けるのも一苦労で途中わき道にそれて、やっとのことで本川越駅前までたどり着きました。
「どこから沸いてくるの、この人たち」と思うほどの人、人、人。更に駅前では、そのまま座ってランチを食べている人が大勢。あまり美しくない光景ですが良しとしますか。
しばらく人の観察のような光景が続いて連雀町にたどり着くと開催本部がありました。まだ、関係者は殆どおりませんでしたが、恐らく昼食後に集合するのでしょう。その後、何件かお店をひやかしながら川越一番街を目指します。

一番街の幸町会所

一番街の幸町会所

アッチコッチを見ながら歩いていると所々に会所が開かれています。「会所」は地区毎の詰め所のことで、川越まつりの場合は町会単位で山車がありますので、その町会(地区)に会所が作られます。
これは後から知ったのですが、会所の定義、設営の仕方は決まっているそうです。

会所とは・・・
まつり宿を会所または神酒所と呼び、文字通り、神と人、人と人が会う所です。昔も今も、祭礼の都度、町内に設けられます。
会所の設営方法・・・
まず、町屋造りの家を選び、床を広げ、金屏風を立てて、祭壇を設けます。
山車の御祭神といわれている人形を飾り、神霊を迎えて夕の御膳、朝の御膳を供し、お祀りする仕きたりとなっています。
会所の入り口には町紋入りの水引幕を張り、青竹囲の前庭をつくります。これは祭礼の時に神が天降る目標となる山を現した飾りで、祭りの原点を示すものであるといわれています。
会所の軒には町名入りの高張提灯をさげ、屋根には飾りの町紋入丸提灯、造花のの紅葉をつけて飾りたてます。』

このようなな決まり毎も伝統なのでしょう。
まだ、準備段階のところもありましたが、一部お囃子を奏でる会所もあり、お祭りムードは嫌が上にも盛り上がります。

一番街の幸町の山車と説明板

一番街の幸町の山車と説明板

ちょうどりそな銀行を過ぎた辺りに山車が置かれていました。ちょうど幸町の会所前なので幸町の山車でしょう。
説明にはこうありました。

川越まつり 氷川神社参詣 -山車神楽- 幸町自治会 幸町囃子会
幸町囃子会では師匠囃子の堤崎囃子連(上尾市)より堤崎流の祭囃子とともに、山車神楽も受け継いでおります。
この山車神楽は大宮の氷川神社例大祭に起源があると考えられます。氷川神社の主祭神は素盞嗚尊(スサノヲノミコト)です。大宮御祭禮では神社に向かう際に各山車のお囃子は「住吉三神」を、山車が境内に引きそろえられると、いっせいに、素盞嗚尊が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治する、「八雲神詠」というお神楽を上演します。・・・(中略)・・・
-幸町のお囃子について-
川越のお囃子の三大流派といわれているのが「堤崎流」「王蔵流」「芝金杉流」です。
幸町囃子会が上尾の堤崎連より継承している堤崎流祭囃子の主な曲目と踊りについて簡単にご説明いたします。・・・(以下、省略)』 (全文掲載)

ここで興味を引かれたのが「堤崎囃子連(上尾市)」と記載されている我が地元との関係です。
幸町囃子会オフィシャルサイトの説明。

『・・・現在、幸町にて手作り豆腐店を営む「近長(きんちょう)」の先々代 “細田長兵衛(ほそだちょうべい、青果商)” は当時の南町の顔役でした。
長兵衛が東京神田の市場に仕入れに行った時、ちょうど神田祭の最中でした。 長兵衛はその中の一台の山車の囃子の調子に聞き惚れ、どこの囃子かとたずねてみると、偶然にも上尾在堤崎連中との返事。 これが縁で堤崎連中は長兵衛に招かれ南町の“翁の山車” に乗ることになり、川越に迎えられることとなりました。(中略)
40年に町名変更により南町は鍛冶町と多賀町の一部を合併し、幸町となりました。
この頃になると農村部の人口が減り、堤崎連中も例外ではなく、後継者がなくなり囃子の存続が困難になってきました。多くのファンに惜しまれつつ堤崎連中は“翁の山車”を降りました。 足踊りで有名な旧鍛冶町の“小狐丸の山車”に乗っていた南田嶋囃子連が代わって翁の山車に乗ることになりました。
そこで、昭和43年に旧南町の産土神である“雪塚稲荷神社”の氏子によって“雪塚会囃子連”が結成され、堤崎の囃子を継承しようということになりました。 後に雪塚会囃子連は旧鍛冶町、旧多賀町の人々も迎え“幸町囃子連”と改称されます(後に幸町囃子会に改称)。
このとき囃子を教えたのは故安藤儀作師でした。 また、初代囃子会長の落合正夫氏(屋号:中市、乾物商)は毎週末堤崎まで出向き安藤師を送迎し、町内の若い者に呼びかけ堤崎囃子を絶やさんと継承に尽力しました。
この甲斐あり、昭和47年の川越市制50周年記念の大祭には“翁の山車”から幸町囃子連の演奏する堤崎囃子が数年振りに響き渡りました。
これからしばらく幸町囃子連は堤崎連中の長老たちの指導を受けながら合同で山車に乗りこんでおりましたが、数年後、安藤師から一人立ちとお墨付きを頂き、現在では幸町囃子会が単独で山車に乗り堤崎連中に代わり囃子を務めております。
その後、堤崎では一旦は囃子が途絶えましたが、安藤師の尽力により堤崎連中が復活し、現在では“堤崎の祭り囃子”として上尾市の無形文化財に指定されました。
幸町囃子会は堤崎連中から山車の囃子を譲られましたが師弟関係が何ら変わるものではありません。
また、真に残念なことに、安藤儀作師は平成14年12月に逝去されました。
しかし,幸町囃子会はいつまでも安藤師を心の師として、堤崎連中を師匠囃子として尊敬し、往年の堤崎連中に追いつかんと日々稽古しております。』

興味深いエピソードです。川越まつりの一端を担っていたと思えば、急にこのまつり、や幸町山車などが身近に見えてくる思いです。
それにしても“堤崎の祭り囃子”知らなかったですね。その囃子が存在していることも、さらに無形文化財であったなどとは。こうゆう事も中々楽しい発見ですし、改めて我が地元を探求してみたくなりました。

参考:《埼玉県川越市》幸町囃子会のホームページ【まだまだだなぁ・・・!】 http://www.geocities.jp/saiwaicho_hayashikai/

この後、蔵造りの町並みを散策しながら、蔵造り資料館を見学しているときに、ちょうど氷川神社・御神幸の行列が通るところでした。いよいよ川越まつりの始まりです。

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