こしがや能楽堂

越谷市はさいたま市の隣接市で、そのさいたま市の隣接市が上尾市なので、それほど距離的には離れているわけでもないのですが、約1時間ほど車でもかかる距離です。
最もナビ任せですから最短なのかどうか判りませんが、午後からと言うこともあり渋滞も無くスムースに到着できました。
車中はエアコンで快適なのですが、一歩降車すれば地獄の猛暑でした。
萎える気持ちを抑えて、今回は散策から始めます。

宮内庁埼玉鴨場

まずは「花田苑」という市立の綺麗な庭園があるとのことで寄ってみる事にしてナビをセットしていたところ、地図の中に「宮内庁埼玉鴨場」なる興味深そうな場所を見つけたので、とりあえず行ってみることにしました。
埼玉県の、しかも越谷に宮内庁の施設があるとは今まで全く知りませんでしたので、ちょっとした驚きでした。ナビをセットして向かうと遠くからでもそれとなく判るようなこんもりした杜が見えます。

その季節には訪れてみたい「梅林公園」を過ぎてしばらく進んだ右手に突如、舗装のされていない大きな道路が現れます。
宮内庁埼玉鴨場 ここが鴨場への入口のようです。

真直ぐ進むと突き当たりに大きな門が立っています。写真では判りにくいのですが、かなり重厚感のある門です。
宮内庁埼玉鴨場宮内庁埼玉鴨場
門には「宮内庁埼玉鴨場」とたしかに掲げられています。当然入れるわけも無いのですが、せめてもと宮内庁のサイトで調べてみました。

埼玉鴨場・新浜鴨場
現在,宮内庁が管理している鴨場は,埼玉県越谷市の「埼玉鴨場」と千葉県市川市の「新浜鴨場」の2か所があり,両鴨場のそれぞれ約13,000平方メートルの元溜(もとだまり)と呼ばれる池には,毎年1万羽を超える野鴨などの渡り鳥が越冬のため飛来しています。
鴨場は,鴨の狩猟期間(11月中旬から翌年2月中旬)に,天皇陛下の思召しにより内外の賓客の接待の場として使用されています。
鴨の捕獲・鴨場の接遇
埼玉鴨場(埼玉県越谷市)及び新浜鴨場(千葉県市川市)では,野生の鴨を無傷のままで捕獲する独特の技法が維持保存されています。
我が国では,古くから網や鷹を使って鴨を捕獲していました。一方,鴨場で行われている技法は,元溜(もとだまり)と呼ばれる13,000平方メートル(約4千坪)の池に集まった野生の鴨を訓練されたアヒルを使い引堀に誘導し,絹糸で作られた叉手網(さであみ)と呼ばれる手持ちの網を用いて鴨が飛びたつところを捕獲するものです。この技法は,江戸時代に将軍家や大名家に伝わっていたものを明治以降,皇室が継承して今日に至っています。
鴨場は,内外の賓客接遇の場としても用いており,毎年11月15日から翌年2月15日までの狩猟期間に招かれた閣僚,国会議員,最高裁判所判事や各国の外交使節団の長等がこの独特の技法で自ら鴨を捕獲します。
なお,捕獲した鴨は,国際鳥類標識調査に協力して種類,性別などを記録し,標識(足環)をつけ,すべて放鳥しています。猟期外には地元住民の施設見学会を行うなど,鴨場は市民の自然保護観察の場としても貴重なものとなっています。』(宮内庁オフィシャルサイトより)

所謂、接待の場として、ある意味伝統技法の披露でエンターテイメントな接待を意味しているのでしょうか。
実際に使用する際にはきっとこの辺りは警備がかなり厳重になるのでしょうね。
いずれにしても越谷にこのような施設があったとは一つ物知りになった気分です。

こしがや能楽堂

次に向かったのが「花田苑」です。
こしがや能楽堂 駐車場に止めて向かった門には「越谷市日本文化伝承の館 こしがや能楽堂」と記載されています。

ここは平成2年度から4年度まで文化庁の「地域文化振興特別推進事業」の指定により、「こしがや能楽まちづくり推進事業」の一環として建設された能楽堂で平成5年5月にオープンしたものです。
こしがや能楽堂
毎年8月にはこしがや薪能が開催され、そのほかにも様々な企画イベントが行なわれ、市民のコミュニティ施設としても活用されているようです。

中に入って受付を済ませて見学します。その際隣の庭園を見るための料金¥100を支払います。
広いロビーの先には中庭があり、その中庭に能楽堂が建っています。ちょうど能楽堂を左側から見る格好です。
こしがや能楽堂
こしがや能楽堂から見た花田苑 館内を右手の順路どおりに進むと、隣接する庭園「花田苑」を見ることができます。
実に綺麗で穏やかな景色です。

順路を進むと「大広間・練習室」と書かれた広い和室に行き当たります。
実に48畳の広さの和室で、普段は練習場として、そして能舞台があるときには観客席として機能するそうです。
こしがや能楽堂大広間 こしがや能楽堂大広間

こしがや能楽堂 この部屋からみる能楽堂が正面となりますが、後で知った能舞台についての説明です。

このこしがや能楽堂の場合は野外ですから当然ですが、室内にある能楽堂でも屋根があるのは、明治以前の能舞台が屋外で屋根付だったことからの名残だそうです。
能舞台の中心はその屋根の下の三方吹き抜けの一辺約5.5メートルの舞台です。
この舞台と屋根をつなぐ柱にはそれぞれ名前が付けられていて、正面から見て手前右が脇柱で、左側が目付柱です。奥の右側が笛柱で、左がシテ柱と呼ばれています。
こしがや能楽堂 特に重要なのは目付柱で、面を付けた能楽師は極端に視界が狭くなるために、この柱を目印に自分の位置を把握するためのものだそうです。

ちなみにこの目付柱とシテ柱の間を脇正面といって、こちらからも見えるように観客席が設置されるようです。

そして舞台の奥の壁は鏡板とよばれ、かならず松の絵が描かれているのだそうです。
こしがや能楽堂 この松は単なる舞台背景ではなく、その昔、春日神社の影向の松の前で能が演じられた名残りなのです。

舞台から左斜め後方にのびた渡り廊下のようなものは橋掛りと呼ばれていて、勿論演者の通路ではあるのですが、舞台の延長として使われる能舞台特有の演技空間なのだそうです。
こしがや能楽堂
例えば、ここをゆっくり歩くことで長い旅の行程を表したり、神や鬼神などが異次元から表れるといった象徴的空間にもなるそうです。
その橋掛りの前にある松も単なる飾りではなく、舞台に近い順に一の松、二の松、三の松で、その順に松の大きさは小さくなっていて、遠近感を表しているのだそうです。
こしがや能楽堂
一つ一つに意味のある設備が施されているのですが、まだまだあるようです。

舞台をぐるっと囲っている小石の敷き詰められたところが白州といわれています。
江戸時代では能舞台から隔てたところにある別棟の建物かに観客席があったことから、この白州の石に太陽の光を反射させて舞台の照明となる効果を狙うためのものだったそうです。その名残から現在でも白州が残されているのです。
また、能舞台の前にある階段もそれなりの意味があります。
これは階と書いてキザハシと読むそうですが、能が武家の式楽だった頃、能役者に与える褒美を託された使者がここから舞台に上がるために設置されたもので、現在、この階が使われることはないようです。
このようにやはり歴史ある伝統文化、芸能なるがゆえに、その装置にも由来と伝統が息づいているということです。こういったところにこないと中々知る機会がありませんね。

ここから一旦ロビーまで戻り、そこから先に進むと小さいながらも展示・資料室があります。
こしがや能楽堂 左側の展示台には面と着物が展示されています。

<装束> 唐織
唐織は女役が上衣に用いる小袖型の装束で、能装束の中でも最も華麗なもの。綾地にさまざまな色の給緯糸を縫い取り風に浮かせて文様が織り出されている。地を絣風に締め切って二色又は三色の段になっているものもある。江戸中期以降のものには金糸を織り込んだ豪華なものが多い。「紅入」と「無紅」(紅無し)があり、前者は紅色の入ったもので女役が用い、後者は紅色の入らぬもので中年から老女の役柄に用いられる。
裏地の色にも紅入りは紅、無紅は紫・茶などで年齢差が表されている。
出典 観世文庫設立記念展「観世宗家-幽玄の華」』(現地展示室キャプションより)

そうしてみるとこれは「無紅」でしょうか、それともこの何となく落ち着いた色が「紅入」なのでしょうか。意外と判らないものですが、きっと「無紅」だと個人的に思います。

<面>般若
耳元まで避けた口と、日本の角を持つ鬼女の面で、女性の激しい嫉妬や怒り、悲しみを巧みに造形化している。
「道成寺」、「黒塚(安達原)」などの後シテに用いられるが、「葵上」用の般若は高貴な女性を表現するため、やや白く品位を持たせて作られている。
般若の名は室町中期の面工、般若坊に由来するといわれているが、定かではない。
また、さらに凶悪な表情をした能面に「蛇」、「真蛇」がある。
<面>若女
女面は年齢の若い順に「小面」、「孫次郎」、「若女」、「増」、「曲見」、「深井」、「姥」、「老女」などと年齢に応じた面があり、純真さを表すもの、艶っぽさを表すものなど、それぞれに造形に工夫がある。「若女」は可憐な処女の「小面」よりやや年上の若い女性の面である。』(現地展示室キャプションより)

現在、能面の種類は約250種といわれているようですが、そのうち基本形となるものは約60種類で、室町時代から安土桃山時代に打たれた面を本面と呼ぶそうです。
大きく分類すると、翁(猿楽面)、尉(老人系面)、女面、男面、鬼神(超自然系面)、怨霊(死霊系面)の6分類で、この分類が先の説明にあった年齢や表情に強さなどによって分類され、さらに流派によっても違った表情のものがあるそうです。
一般的にはミステリーなどで使われるケースが多いのも、一種独特のネガティブな雰囲気があるからといえるでしょうが、実際にはアートなのだと思います。そういった意味では、さまざまな種類の能面を実際に見てみたい気持ちも逸ります。

こしがや能楽堂 右側の展示台には、この能楽堂の資材の木についての説明と、展示がされています。

越谷市日本文化伝承の館 こしがや能楽堂建設資材
日本文化伝承の館 こしがや能楽堂は、二種類の桧を主材料として建設しています。
能舞台については、樹齢400年物の木曽桧で、すべて芯を外した(芯去材)節のないものです。堂本体については、樹齢50から100年物の東濃桧を使用しています。』(現地展示室キャプションより)

ということは何よりも非常に高価な木材ということが言えるのでしょう。
能舞台の床面は、摺り足による歩みや舞の演技に適するように、滑らかに削った桧の厚板を用いて弾力を持たせて作られているそうです。それだけ材質は重要だということでしょう。
ちょっとした能に関する情報を得て能楽堂を後に、隣の「花田苑」を散策します。

「花田苑」は能楽堂のできる2年前の平成3年に完成した廻遊式の日本庭園です。
説明によれば2.1haの広さを持ち、池を中心に木橋、茶室、築山などなど実に趣のある庭園だそうです。早速庭園を廻遊してみます。

花田苑 いきなり息を呑むとはまさに、といえるような光景です。

これほど美しい竹林はそう無いでしょう、きっと。夏の昼下がりといえども、何となく凛とした、それでいて涼しげな光景は見事です。
竹林の小道を途中で右に曲がると、右手に「景石六石」と刻まれた石碑があります。
花田苑
きっと眺めの良い六つの石(そのまま・・・)という意味でしょうか、こんな光景を見ることができます。本来は水が流れているのかもしれませんが・・・。
その反対側が池と木橋などです。
花田苑 花田苑
中々の風景ではないでしょうか。まだ気温が高いということもありますが、春や秋は絶景ではないでしょうかね。

その後ろの築山があるので上がってみました。築山から見た景色もまた趣のある光景です。
花田苑
本来ならゆっくり園内を廻りたいところですが、さすがに気温が高いため殆ど半周も出来ずに庭園を出ることにしました。
庭園の本来の入口がこちらの長屋門のようです。
花田苑
この長屋門は江戸時代に名主を務めた宇田家の長屋門を復元したものだそうです。これもまた風情の良い眺めでした。

10月17日には「こしがや能楽堂特選落語会」が開かれるそうです。出演は林家木久扇、木久蔵親子と三遊亭好楽の笑点メンバー、そして桂米助・古今亭菊六という結構豪華なメンバーのようです。
秋の花田苑を眺めながらも悪くないかもしれませんね。

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