猪俣小平六

電車でゆられながら着いたのが用土駅です。
美里町の猪俣地区は寄居町との町境にあるので、町の」中心である役場の最寄り駅松久駅の一つ手前の用土駅で降りたほうが、圧倒的に(というかウォーキングでもないなら松久駅はありえない)用土駅のほうが近いということです。
ちょうどPM5:00少し前です。

完全な無人駅ですが、それ程小さい駅でもなく、それなりの陣容はあるようです。
意外と浴衣を着たカップルなどが多く、この日の花火大会の為にわざわざやってきたのでしょうかね。「待ち人来る」的な安堵感と、高揚感で道々ブラブラと歩くカップルはいいでしょうが、訳の判らんオッサン一人、夕方とは言え熱いさなかを歩いていくの図は、余りかっこいいモノではありませんな。これなら駅からハイキングに混じって歩いたほうが何ぼ・・・
用土駅【中央の入り口は待合室用で、駅入場は右の青いバラックの部分から出入りする、という変わった駅】


などと思いつつぽちぽちと歩くとやがて国道に突き当たり、国道沿いに北上すると間もなく花火大会の本部のあるメイン会場となります。 車はかなり渋滞しているようで、駐車場へに進入で混雑しているようです。
メイン会場の手前に左側を指した「猪俣小平六」の墓と書かれた道標があるので行こうと思ったのですが、そこは通行止めとなっていて係りの人から、この先は行けないとの指示でした。折角でしたが花火の関係で消防署による警備がされているようでした。
仕方が無いので、まっすぐ進みまずは一旦メイン会場らしき場所へ向かいました。

花火大会メイン会場「武蔵野市場」と書かれた店舗でしょうか、その前にある敷地がメイン会場のようです。
もう5:00を過ぎているので場所取りもほとんど余すところのない状況です。しかし今日は花火を見に来たのではないので特に場所取りの必要も無いでしょうね、たぶん。


堂前山先にある小高い山(・・・これが堂前山と言うのでしょう、多分)に「みさと」という文字が浮かび上がっています。


百八基の塚よく見るとその小高い山の稜線伝いに塚が並んでいるのが見えます。あれが「猪俣の百八燈」塚なのでしょうか。出来れば近くにいってみたいのですが、立ち入り禁止らしいので見ることは出来ないようです。
折角来たのですが残念です、間近で見れ無くても雰囲気だけ味わえれば良しとしなければなりませんね、これだけの人が集まっているのですから。


花火大会ポスター「猪俣の百八燈」は400年以上つづけられているらしいですが、花火大会は今回で第6回目のようです。段々伝統だけでは人は集まらなくなり、注目もされなくなるのは時代の趨勢として仕方が無いことかもしれませんね。手っ取り早く集客しPRするには花火大会はうってつけの手段でしょうから。ただ本末転倒にだけはならないようにしないと伝統が消え去らねばならないこともありますからね。


そんなことを思いつつ周辺を散策してみましたが、いつものように露天の屋台は相変わらず盛況で細い路地を歩くスペースも無いほどです。
ちょうど「猪俣の百八燈」の方がいらしたので、高台院に行けるのかお聞きしたら行けるとのことでしたので、とにもかくにも高台院に向かいました。
歩いて10分くらいでしょうか、途中高台院に向かう道が通行止めとなっており、係りの方が関係者以外は入れませんというので、「お盆なので高台院に行くんです」と訳の判らないことを言ったらすんなり通していただけました。形だけのことなのでしょうね。

高台院それ程大きな寺社ではないのですが、かなり新しいです。
境内にはすでに(保存会的な)関係者が集まっていました。ちょうど時刻はPM6:00ころで、あと小一時間で始まるとのことです。


猪俣小平六の墓近くに猪俣小平六の墓があるので行ってみました。こちらからだといけるようですね。
かなり小さいお墓なんですね。それでも歴史ある墓ですから侮ってはいけないでしょう。


猪俣小平六の墓
県指定文化財(昭和38年8月27日)
小平六は、小野篁の子孫で時資の代に猪俣村に住んで以来猪俣氏と称し、武蔵武士の猪俣党として勇名を馳せた。
時資四代の子孫が小平六範綱であり、かつて源義朝に従って軍功を立て、当時義朝の十六騎の雄将として知られている。
また、頼朝に仕え、しばしば戦場において功績があった。
建久三年(一一九二)十一月に死去した。
毎年、盆の十五日の夜、この墓前と前方の山に百八燈がともされ、小平六とその一族の霊を慰める行事が行なわれている。
美里町教育委員会』(現地案内板より)

埼玉県を巡ると当然ながら様々なところでこの武蔵武士に行き当たります。正式には「武蔵七党」といわれる勢力のことらしいです。そしてそのうちの一つがこの「猪俣党」と呼ばれる勢力です。

そもそも平安時代の末期は“貴族”から“武士”への権力交代の時期で、源氏と平家に代表される武士が台頭してきた時代です。
その時流の中で、武蔵国(現在の埼玉県と東京都)でも中小の武士団が結成され、それが「武蔵七党」と呼ばれる武士団の登場です。比較的有名な武士団は児玉党、横山党、猪俣党、村山党、野与党、丹党、西党、綴党、私市党などがあるそうですが、7党をどれにするかは文献によって違うそうですので、日本三大・・・と同じような意味でしょう。
これ等の党(この漢字の読み方には”なかま”という読み方があると昨日のTVで放映していました)は、京の都から「武蔵守」として赴任してきて、その土地に土着して住み着いた地名を姓名としたそうで、その中の猪俣に住み着いたのが猪俣党となったということでしょう。

さてこの「猪俣党」は、小野孝泰という人物が勅旨牧(天皇の勅旨により開発された牧場)「小野牧」の別当(長官)兼武蔵守として、武蔵国に下向、赴任したことから始まります。そして小野孝泰の子の一人、武蔵介”時資”が「猪俣」(現在の児玉郡美里町)に館を構え「猪俣」と称し、更にその子”時範”が「猪俣党」を創設したそうです。
また、小野孝泰のもう一人の子供である武蔵権守”義孝”は、「横山」(現在の東京都八王子市)に館を構え「横山」と称し、そして「横山党」を創設したそうで、こうして「猪俣党」と「横山党」が誕生したのです。
ちなみに案内板にある「小野篁」は所謂先祖で遣唐使、更にその先祖がかの有名な遣隋使「小野妹子」となるそうです。また「小野道風」 「小野小町」は「小野篁」の孫だと言われています。

このようにして誕生した武蔵七党や「猪俣党」は当初から源氏と協力関係にあり、「前九年の役」、「後三年の役」や「源平合戦」に従軍しています。このあたりはちょうど【いわき里帰り旅行】での源義家の記述があります。
そしてこの「猪俣党」のなかではっきりと名前をとどめているのが猪俣時範の五代の孫の「猪俣小平六範綱」なのです。
「保元物語」には猪俣党の岡部六弥太忠隆、酒匂三郎らとともに源義朝に従ったという記述があり、これが義朝の十六騎の雄将の記述となり、さらに平治の乱でも源義平の十七騎のなかに「猪俣小平六範綱」の名前が見受けられるそうです。
そして源頼朝の挙兵にも従い、「一ノ谷の合戦」で源義経配下で平盛俊を討ち取り武勲を挙げ、鎌倉幕府では御家人となったそうです。
時代は下って戦国時代、「猪俣党」は小田原の北条勢力下に組み入れられ、北条の家臣として「猪俣党」の末裔「猪俣邦憲」が登場します。「猪俣邦憲」は上州「沼田城代」として、近くに位置する真田側の「名胡桃城」を奪取して、豊臣秀吉の小田原征伐の口実を作った人物です。このことは【鉢形城跡と寄居北條まつり】に記載されています。美里と寄居とは隣り合わせですからね。
その後「猪俣党」は上杉家の家臣となったとも言われているそうですが、真偽の程は定かでは無いようです。
このように「猪俣党」はまさにこの猪俣の地で生まれ、育って名を馳せたということです。そしてこれら猪俣一族の霊を慰める為に行なわれたのが「猪俣の百八燈」ということで、この地ならではの由緒ある伝統行事なのは間違い無いようです。

子供たちの演奏そろそろ笛や太鼓の音が響いてきます。高台院のまえで子供たちが笛を吹き、その前で小さな子供が一人太鼓を叩いています。
一曲終了すると世話役の方から説明がありました。


子供たちおよそ15.6人でしょうか、一番小さい子供は小学生の1年生で、一番大きい子供は高校生だそうです。まだ笛は1曲しか出来ないそうですが、太鼓はそれぞれの腕を競い合っているようです。ですから先ほど吹いていた笛は現在出来る唯一の曲ですからある意味貴重ですね。

ギャラリー残念ながら集まった人たちは3~40人でほとんどが、家族とかの関係者が多い用ですから、折角のお披露目が少し寂しくも感じますが、それなりに子供達は照れながらも、しっかり演奏していました。


子供たちの太鼓演奏子供たちの太鼓演奏その後は、大人の方が笛を吹き、子供たちが2人一組で太鼓を順番に叩いていきます。低学年はかわいらしく、高学年はかなりの迫力で太鼓を叩いていますが、どちらもそれなりに見るべき、聞くべきものがあるようですね。兎に角一所懸命演奏しているのが好感持てますね。


高台院から見た花火会場途中、高台院の境内から花火会場を見渡すとかなりぎっしり来場しているのが見て取れます。地元の人は毎年のことですから、ごく当たり前のこととして受け止めているでしょうが、地元外に人には是非ともこういった演奏を聞いてもらいたいですね、せめて1回くらいは。
無理なことでしょうが、会場内にモニターを設置してLIVE放映するといった方法も、何とか協賛で行なうことも考えてもいいかもしれませんね。
申し訳ないですが演歌歌っているよりはよろしいのではないかなとも思いますが・・・


祖父と孫の競演演奏の最後のトリは祖父と孫の太鼓の競演です。孫と言ってももう年長の高校生くらいですから、それを考えるとおじいさんはお若いですね。恐らく楽しくてしょうがないのではないでしょうか、おじいさんとしては。


これで演奏がひとしきり終了して、時刻もPM6:50少し前で、百八燈行事の準備にかかるようです。どんなイベントが見られるのか楽しみです。

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