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猪俣百八燈行事

祖父と孫の競演一旦止んでいた大人たちの笛、太鼓が行事の開始を報せる様な音を鳴り響かせます。
笛・太鼓が終わると提灯に灯を入れます。
これは高台院の火を各提灯につけますが、一般の参加者で提灯に前もって火をつけた方は一旦それを消して、この高台院の火で改めて提灯に灯を入れるのがしきたりのようです。


猪俣の百八燈
猪俣の百八燈は、400年以上続く盆祭りの行事で、8月15日にむらはずれの堂前山の尾根に築かれた百八基の塚に火をともす幻想的な行事です。地元:猪俣地区では、平安から鎌倉時代にかけて武蔵国で勢力をはせた武蔵七党のひとつ猪俣党の頭領:猪俣小平六範綱及びその一族の霊を慰めるためと伝えられています。範綱は猪俣党の宗家で、始祖:時範から数えて5代目の子孫にあたり、小平六と称して剛勇無双とうたわれました。早くから源氏に仕え、保元の乱、平治の乱で勇壮華麗な戦いで活躍し、一ノ谷では源義経のもとで激闘の末、平家の猛将:越中前司盛俊を討ち取り勇名をはせ、更に壇ノ浦に転戦して手柄を立てた人物です。
行事は、猪俣地区内の満6歳から満18歳までの青少年が、親方・次親方・後見・若衆組・子供組に分かれて行事の一切を取りしきり、大人の介入がないのが特色です。準備も、道こさえ・草刈り・塚築き・人別集めなどがあり、いずれも親方の指示に従って子供たちが行います。行事当日の夕刻、高台院から力強い寄せ太鼓の音が鳴り響くと関係者一同が集合してきます。空が暗闇に変わった頃、いよいよ百八燈行事の本番が始まります。猪俣氏の霊に拝礼後、笛・太鼓の拍子に合わせた提灯行列が塚のある堂前山へと向かい、百八の塚に火を灯すと行事のクライマックスを迎えます。
猪俣の百八燈は、各地で行われる盆の百八燈行事の中でも百八の塚を築いたその上で火を焚く点が異色であり、亡魂を慰めるという趣意と相まって塚信仰の様相をよく示しています。【昭和62年1月8日:国の重要無形民俗文化財に指定】』(美里町サイトより)

この説明でちょっと興味を引いたのが各地の百八燈行事です。「猪俣の百八燈」すら知りませんでしたから当然他の地域のことなどは知りようもありませんし、友人・知人・親戚一同の地域でそのような行事があるといった話も聞いたことがありませんので。
そこでどのような百八燈行事があるのか洗い出してみました。
一般的なお盆行事としての百八燈行事例です。

三ッ堂の百八灯(群馬県吾妻郡長野原町)
由来:200年以上続くといわれる送り盆の伝統行事
行事:毎年8月16日、盆棚に使った竹の先に立てられた百八本のろうそくに灯がともされ、三ッ堂周辺の暗闇にろうそくの火が揺れ、幻想的な雰囲気が味わえる。

小川の百八燈(埼玉県秩父市上吉田)
由来:天正18年鉢形城が豊臣軍に攻められて落ちた時、山口上総守が一門の霊を慰めるために始めたといわれる。
行事:8月16日、親方と称する中学3年の男子が中心となり、小学生・中学生が13日から準備を進め、青竹3本で大ウシ、カズガラ棒3本で小ウシを作る。これを道路の両側に300基ほど並べて篝り台とする火祭り行事。
文化財:県選択無形民俗文化財(市指定有形民俗文化財)

百八灯(静岡県賀茂郡西伊豆町一色)
由来:安永年間(1772年)より受け継がれている疫病退散祈願の祭り。
行事:毎年8月15日、橋のたもとの土手で松明108束をほぼ等間隔に立て並べ順次火をつけて燃やす炎が仁科川の清流に映える情景は壮観。
文化財:西伊豆町無形文化財

戸塚百八灯祭(福島県東白川郡矢祭町)
由来:江戸中頃より続いている行事で、水害に苦しんだ農民やお盆に訪れる精霊を供養するため
行事:毎年8月15日に行われ、久慈川の堤防に108個のお灯りをたて、そこへおはやし太鼓にあわせて小・中学生が向かう。

こういったところが伝統的に送り盆行事としてつづけられている百八燈行事ですが、迎え盆として行なわれている地域もあるようです。

荒神畷の百八灯(岡山県高梁市宇治)
由来:地域住民が大正期ごろまで、お盆に荒神様まで行く田のあぜ道に迎え火を108カ所たいていた行事。宇治地域まちづくり推進委員会が古里の歴史を見直そうと、2007年から試験的に復活させた。
行事:8月13.14日、県道宇治下原線の約500メートル区間沿いに、かがり火の台(高さ約1・5メートル)7基、松割り木を置いた同地区特産の塩田瓦計108枚を設置。日暮れとともに点火する。

特にこの「荒神畷の百八灯」は故郷再生の意味も込めて復元された珍しいケースかも知れません。
次に社寺関連の行事として行なわれるもの。

所島草薙神社の百八燈(新潟県新潟市江南区)
由来:草薙神社は、火を取り扱う職業の人々の火の神様として江戸時代から続く伝統行事。
行事:毎年8月8日に行われ、参加者が5本ずつろうそくを灯して約1000本のろうそくの明かりが境内を照らす幻想的な百八燈行事。

南部神社百八灯(新潟県長岡市森上)
由来:新田義貞の万灯供養祭として、古くから伝えられている伝統行事
行事:毎年5月8日の夜に行われる百八灯で神社へ通じる石段の両側に一人、百八本の蝋燭を奉納するもので、数千本の蝋燭の灯が揺れる美しさは想像を絶する美しさ。

百八灯(東京都八王子市下恩方町)
由来:御岳神社の例祭
行事:毎年4月中旬、境内の30cmほどの木の先に約2000本のロウソクを立てて点火し、煩悩を拭い去るとともに豊作・家内安全を祈願する。

白山神社百八灯祭(新潟県新潟市中央区一番堀通町)
由来:春の白山まつりにろうそくを神前に奉納する明治以前より300年以上続く神事。
行事:春祭の期間中、名前を記したろうそくを神前に飾り、春の宵、4月17日にいっせいに火を灯す。

社寺の例祭などで行なわれる為、特に8月という指定は無いのですが、やはり基本的に108つの煩悩を拭い去るという意味で百八燈行事とされているケースです。
そして以上のケースにあてはまらない行事です。

百八灯流し(栃木県栃木市湊町)
由来:日光修験行事「船禅頂」(ふなぜんじょう) になぞらえ明治初頭に御大院の星覚全という修験者が始めたもの。
行事:8月上旬、巴波川を、山伏姿の行者や神官を乗せた御神船が上り、その御神船108の炎が揺れ、ホラの音と笙の奏でる雅楽が暗闇に響く。巴波川の両岸には、御神船を見守る市民の列。その列にろうそくが投げ込まれ、お産の時にそのろうそくを燃やすと、燃えつきるまでに出産すると伝えられる。
文化財:栃木市無形民俗文化財

吉久の百八灯(愛媛県東温市吉久)
由来:古くから吉久地区に伝わる行事
行事:毎年8月24日、百八の煩悩を去り、水難事故で亡くなった人の霊を慰め、餓鬼仏の供養を行うための行事として伝承されている
文化財:東温市市指定無形文化財[民俗]

湯の里雪まつり・百八灯(新潟県魚沼市折立)
由来:無病息災や五穀豊穣を祈願して寛永年間(1624年~1643年)に始められた。
行事:毎年3月第1日曜に行なわれる豊年満作を祈願する前夜祭で、山麓に鎮座する稲荷神社から山頂に向けて108の稲藁を配置し夜を待って点火される。

その土地ごとの伝統・伝承などで実施されるものです。
このような中でもいくつか県や市や町などの文化財として指定されているものもありますが、さすがに国指定となる「猪俣百八燈行事」はそれなりな伝統と重さを持っているということでしょうかね。

行事開始の宣言さて行事のほうは提灯への火入が終わると、子供たちの中の年長者3人が前に立って提灯行列開始の宣言をします。


提灯行列の先頭それにともない長い松明2本に火がともされます。この松明が百八基の塚への火となるようで、先頭をきって提灯行列が開始です。
松明の後に大きな提灯が2本掲げられ、その後ろには太鼓、笛が続き、更にその後に手に手に提灯を持った子供たちや家族、などなどが続き、最後に見学者やカメラマンが続いて歩きます。総勢100名くらいでしょうかね。
道中は笛、太鼓を鳴らして先導しているようです。


真っ暗な細い道を提灯や懐中電灯の明かりを頼りに進みます。多少ぬかるんでいる所もあり足場に気をつけながら行列をします。
途中、途中で先頭(恐らく)の年長者が「提灯上げ」の号令が掛かり、それに合わせて提灯を持つ人たちが天に向かって提灯を上げています。途中には花火大会用の花火がセッティングされているのですが、間近で見るのも滅多に無い体験です。

提灯行列5~6分歩くと堂前山の麓あたりに到着します。ちょうど水辺のようで提灯が水面に映って幻想的です。
ここから百八基の塚のある堂前山へのぼります。九十九折の坂道を登ります。それ程の距離、高さではないのですが結構急坂なのでお年寄り達が辞退した理由がわかりました。


百八灯火文字ちょうど塚の前には「百八灯」という火文字が赤々とともされています。


堂前山到着の掛け声堂前山の上に付くと一列に並び、提灯を掲げながら時の声を揚げます。


堂前山での太鼓、笛の演奏この声と呼応するかのように笛、太鼓のお囃子が始まります。


百八燈百八燈そして松明を持った年長者二人によって百八基の塚に点灯されていきます。ちょうど中央あたりに大きな塚が2基あり、それを中心として左右に小さい塚がズラッと並んでいて、それらに火が入った光景は絶景です。
おそらく花火会場から見ても壮観な光景に映るのでしょうね。


堂前山での太鼓、笛の演奏灯が盛りを迎えると一旦止んでいた笛、太鼓の音がまた鳴り出します。


百八燈の急須撮影の為に塚に近づいて撮影していると、火が灯っているのは何と急須(・・・そう、あの日本茶を入れる)ではないですか。
蓋の縁は粘土のようなもので密封されていて、注ぎ口から火が灯っています。中にオイルでも入っているのでしょうね。
それにしても何故急須なのかを聞いたところ、はっきりとした由来はわからないそうですが、昔から使い古しの急須を住民よりもらって使っているらしいとの事だそうです。


百八燈のティーポットよくよく見ればティーポットもあるようで、特に和風で無ければならないということも無いようですね。ま、合理的といえば合理的でしょうが。


百八燈件の2つの大きい塚だけは白木が積まれているようです。巨大急須ってのも余り無いでしょうからね。
炎の競演をしばらく見続けていましたが、いよいよ「猪俣百八燈行事」も終了です。


百八燈帰りも行きと同じように笛、太鼓を先導に提灯行列の一団が山を下っていきます。
この一団が高台寺に戻るといよいよ花火大会の開始となります。正式名称は「第6回美里夏まつり花火大会」でが、下から見ると百八燈のスケールが伺えます


恐らく年々「猪俣の百八燈」は注目されることも無く、参加される方も少ないのでもう少し「猪俣の百八燈」を盛り上げようと考えられた花火大会ではないのかなと推測します。
特に悪いことではないですので地元住民にとっては、非常に楽しみなイベントなのでしょうね。
「猪俣の百八燈」ともども発展していくといいですね。

駅前からの花火件の電車の時間の為、横目で花火を見ながら駅に向かいます。駅までの道々で花火を見ることが出来るので、結構遠いところから見物している人も多いようです。 やっと「用土駅」に到着するとPM8:05で20:17の電車までまだ10分くらいの余裕があります。 駅前のロータリーでもテーブルと椅子をセットして花火見物をしている方もいました。何たるのどかなことでしょうか。暫し駅から花火を眺めていました。


無人の用土駅さすがに単線の無人駅、この時間はひっそりと誰も居ませんでした。こうゆう光景も滅多に見られない貴重なものかも知れませんね。


なにかとってもバタバタした感じでしたが、何とかしっかり伝統の味は味わえたような気がします。
「猪俣党」の精霊達が堂前山で喜んでいるのでしょうか、それとも・・・。 実に興味深い行事でした。

2009.08.21記

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