第21回加須市民平和祭 #1

今回はジャンボ鯉のぼりですが、何はさておいても「鯉のぼり」って何?、から理解しないといけないですね。

『鯉幟(こいのぼり)とは元来、江戸時代に武家で始まった、端午の節句である旧暦の5月5日までの梅雨の時期の雨の日に、男児の出世を願って家庭の庭先で飾られた紙・布・不織布などに鯉の絵柄を描き、風をはらませてなびかせる吹流しを鯉の形に模して作ったのぼり。皐幟(さつきのぼり)とも言う。
現在はグレゴリオ暦(新暦)5月5日まで飾られ、夏の季語として用いられる。飾られる季節も変わり、イメージは「晩春の晴天の日の青空にたなびくもの」となった。(ウィキペディア)』

何か難しくいうと大層なものに思えるのが実に不思議です。更に・・・

『発生過程
「江戸っ子は皐月の鯉の吹流し」と言われる様に、鯉幟は「幟」とは名づけられているものの形状は魚を模した吹流し形である。
そもそも、鯉幟は門松や雛人形と同じく、江戸時代中期の裕福な庶民の家庭で始まった習慣であった。
端午の節句には厄払いに菖蒲を用いることから、別名「菖蒲の節句」と呼ばれ、武家では菖蒲と「尚武」と結びつけて男児の立身出世・武運長久を祈る年中行事となった。 この日武士の家庭では、虫干しをかねて先祖伝来の鎧や兜を奥座敷に、玄関には旗指物(幟)を飾り、家長が子供達に訓示を垂れた。
一方、大きな経済力を身につけながらも社会的には低く見られていた商人の家庭では、武士に対抗して豪華な武具の模造品を作らせ、幟の代わりに黄表紙の挿絵などを見ると五色の吹流しを美々しく飾るようになっている。
さらに、吹流しを飾るだけでは芸がないと考えたのか一部の家庭で「竜門」の故事に因んで、吹流しに鯉の絵を描くようになった。
※「竜門」の故事:中国の正史、二十四史の一つである後漢書による故事で、黄河の急流にある竜門と呼ばれる滝を多くの魚が登ろうと試みたが鯉のみが登り切り、竜に成ることができたことに因んで鯉の滝登りが立身出世の象徴となった。
現在の魚型の鯉幟は、さらにそこから派生したものである。(ウィキペディア)』

商人らしい発想で煌びやかさを求めた結果の鯉幟なんでしょうね。
この当時は真鯉(黒い鯉)のみだったそうですが、明治時代から真鯉(まごい)と緋鯉(ひごい)の対で揚げるようになり、昭和になって家族を表す物として子鯉(青い鯉)を添えた物が主流となったそうです。 最近では更にカラフルになり、場所によっては女の子の分も含めて揚げる家もあるようです。
これが鯉のぼりの歴史ですが・・・全く知りませんでした。5月5日はこどもの日で鯉のぼりを揚げる日としか知りませんでしたから。
では何故鯉のぼりが加須なのか、は次に浮かぶ疑問です。本書の説明にも若干触れていますが、加須市のサイトに説明がありますので引用します。

『加須のこいのぼりは、明治の初め、提灯や傘の職人が副業として始めたもので、当時はお雛様なども手掛け、季節の際の物を扱うという意味で"際物屋"と呼ばれる店で造っていました。それがこいのぼりの専門店になったのは、大正12年の関東大震災の後、東京近郊の際物屋が激減し、浅草橋の問屋が加須の際物屋に仕入れに来てその品の良さに感心し、注文が殺到するようになってからだそうです。第二次世界大戦前には、生産量日本一となりました。
(中略)
スクリーン印刷技術の普及などにより大手メーカーが大量生産するようになった現在でも、加須市のこいのぼりの生産量は日本有数とされ、市民が誇る特産品となっています。 』

岩槻の雛人形】でもそうでしたが、大抵副業的に始められたものがいつしか主流になっていったというケースですね。 当然、雛人形・冑・鎧なども作られたのでしょうが、そちらは上手くいかなったようです。
さて、すっかり前置きが長くなりましたが、今回のジャンボ鯉のぼり会場にはAM10:00頃には到着しました。意外と渋滞も一般道ではありませんでしたね。

利根川河川敷ですので駐車スペースはかなりあるのですが、如何せん遠い。やっと一番大型のクレーンが遥か彼方にみえるくらいです。とりあえず車を駐車して会場方面に向かうとなにやら河川敷の歩道沿いに車が展示されています。
遥かかなたの鯉のぼり会場【遥か彼方の鯉のぼり会場】


近づいてみるとクラシックカーが展示されているではないですか。しかも国産が多い。
マニアではありませんが、男子にとっては車は一つの憧れであった時期が必ずあるもんです。ですから幾つになっても気は高ぶるのですね。

「加須クラシックカーフェスタ2009」とありました。どうやら同好の人たちが集まって観てもらおうという魂胆ですね。
クラシックカーフェスタ【こんなイベントがあるとは知りませんでした】


どっぷりその魂胆に漬かってみようではないですか。本当はすべて写真つきでアップしたいくらいですが、いくつか掻い摘んでみます。まあ、細かい仕様・形式などは判りませんのであくまでイメージで。

◆日産オースチン
日産オースチン1954年式だそうなので私の生まれる前のことですね。詳しくはよく知らないのですが、1952年からの3年間のライセンス契約で2000台が製造されたそうです。貴重な車ですね。因みにこの後継者がセドリックなんです。


◆日産セドリック
セドリックセドリック手動スターターオースチンの後継者のセドリックです。年式等は判りませんが随分とレトロ感がありますね。それにしてもよくよく見れば手回し式のスターターですね。これは始めてみました。


◆DATSUN
ダットサン詳しくは判りませんが日産初期の所謂ダットサンですね。未だに綺麗ですので大事に保存しているのでしょうね。
日の丸カラーが美しい。


◆DATSUNフェアレディ
ダットサンフェアレディDATSUNのエンブレムですね。確か青大将が乗っていたのじゃないかな・・・


◆日産フェアレディZ280
日産フェアレディ280Z240Zは憧れの的でしたが、海外仕様か何かですかね。私にはよくわかりませんでした


◆TOYOTA2000GT
TOYOTA2000GTTOYOTA2000GTエンブレムTOYOTA2000GT7連メーター幻の眼医者・・・じゃなくて名車。実物は始めて見ました。これはかなり感動もの。ボンド君が日本に来たときにアストン・マーチンの変わりに乗っていたボンドカーだったような気がする。
ついでに内装も。7連メーターは憧れの的だった。大事に持っている人がいるんですね。


◆トヨタスポーツ800
トヨタS800通称:ヨタハチ これも実物は始めて見ました。2000GTと言えヨタハチといえトヨタも実に面白い車を作っていた時期があったんですね。今や赤字ですが・・・


◆マツダコスモスポーツ
コスモスポーツこの形が実に個性的でした。
世界初の実用・量産ロータリーエンジン搭載車と言うよりは、帰ってきたウルトラマンで使われたMATの車!? MG5の団次郎が乗っていたような記憶が・・・


◆ISUZU117クーペ
ISUZU117クーペ一番個人的に憧れた車。ジウジアーロのデザインは今見ても美しい!


◆プリンス・スカイライン1500デラックス
プリンス・スカイライン1500デラックスこれは全く記憶は無いが2代目のスカイラインだそうです。この車の途中で日産とプリンスが合併したそうで、正式には日産プリンス・スカイラインと言うそうです。


◆日産スカイラインGT-R(3代目)
日産スカイラインGTR日産スカイラインGTRエンブレム通称:ハコスカってやつですね。式場のポルシェと生沢のスカイラインで「羊の皮をかぶった狼」と言われ、スカイライン伝説の始まりの車です。


◆日産スカイラインGT-R(4代目)
日産スカイラインGT-R通称:ケンメリ 何も説明することは無いでしょう、一言「族」御用達です。真っ赤な車体のGTRにオーバーフェンダーで、エマーソン・フィッティパルディのステッカーを貼っていた堅気の私の先輩は、夜中にタイヤ4本を盗まれまたように、堅気が乗るとゴキブリホイホイのように族が湧いて来る車でした。
昔、この車に夜中のWAXを掛けさせられた思い出があります(今思い出すと笑っちゃいますが・・・GTだった)。


◆日産スカイラインGT-R(5代目)
日産スカイラインGT-R通称:ジャパン そのまんま西部警察仕様。そして音楽まで鳴らしていた。見ているこっちが恥ずかしくなりました。
オーナーは悦に入っているようですが。


◆スバル360
スバル360ビートルを模した日本の大衆車。実によく見かけましたが今よくよく見ると狭い!(当たり前か)
軽が360ccの良き時代の産物でした。


◆ミゼット
ミゼット話にはよく聞く三輪車。実物は始めてみました。これにボードを積むと加勢大周になれるかもしれません。


◆ホンダS800
ホンダS800クラシックとなるとやはりホンダ車は少ないですね。何といっても世界のHONDAは二輪の話でしたから。
それにしてもHONDAは昔からレースが好きだったのですね。


◆ロールスロイス
ロールスロイス・・・ かなりの年代ものなのでしょうね。全く価値がわかりません。


◆もう一つロールスロイス
ロールスロイスこれは吉田茂元首相の愛車だそうです。麻生さんが持っているわけではないですよね。


◆W.O.B.・・・・(よく読めませんでした)
白洲次郎の愛した車1924年製で白州次郎の愛車だそうです。こうゆうのも残っているんですね、オークションとかそうゆう類ですかね。


まだまだ沢山のクラシックカーがありましたが限が無いのでこの辺で切り上げます。
かれこれ3.40分眺めていましたでしょうか。このままですと何をしに来たのかわからなくなりますので、ここで鯉のぼり会場へ向かいます。
クラシックカー展示場を出たところに、会場まで徒歩6分という看板がありました。6分とは律儀なことで、5分でも10分でもよさそうですがね。ま、とにかく6分歩くことになりました。

テクテクと歩いているうちに徐々に会場風景が見えてきました。クレーンのほかにはテントやら小さい鯉のぼりなどがはためいています。舗装道路には屋台も出ています。
会場付近【やっとたどり着いた会場付近】


そろそろPAの音も聞こえてきます。何か歌を歌っているようですね。

やっと会場の一端にたどり着くと、そこには奇怪な乗り物を待つ行列がありました。
奇怪なる乗り物【何所から寄せ集めてきたのか奇怪なる電車】


通常この手のイベントでは、ミニSLとかプラレールの化け物みたいな子供用の乗り物が使用されるのですが・・・ 何と表現したらよいのでしょうか。
先頭車両は新幹線風、2両目はSLの客者風、3両目はトロッコ風って何処から寄せ集めたのでしょうね。返ってそれが奇妙奇天烈で面白がられたりして。行列・・・あると思います。

先に進むと大会本部、及びメインステージが見えてきました。
平和祭メイン会場【平和祭のメイン会場】


メインステージ前の土手はすでにかなりの観客です。天気も良いので散歩がてらという地元の人も結構いるのでしょうね(殆どかも・・・)。
土手の観客【既に土手には多くの観衆が】


会場脇にはアトラクションとしてフワフワが設置されています。いつもイベントをするとき思うのですが、このフワフワ、何が楽しいのか結構子供に人気あるのですね。飛び跳ねるだけなんですが。
集合住宅の多い昨今、家で暴れられない分こういったところでが楽しいのでしょうかね。子供のストレス発散なんでしょう。
フワフワ【何故受けるのかフワフワ】


また、この辺には小さい鯉のぼりが泳いでいます。クレーンとクレーンでつったワイヤーに鯉のぼりが吊り下げられています。

ステージ上はまだ何もされていませんが、第21回加須市民平和祭と銘打たれていました。
平和祭メインステージ【平和祭メインステージ。現在は何も行われていませんね】


更に進むと立ち入り禁止となって「こいのぼり遊泳場」と書かれた看板があり、ジャンボ鯉のぼりと大型クレーンが静かに出番を待っているようです。
こいのぼり遊泳場【本来のメイン会場の「こいのぼり遊泳場」】


ジャンボ鯉のぼりは関係者の手で様々な準備・調整がされているようです。1年に1回の晴れ姿ですから準備も念入りのことでしょう。
それにしても遠くから見ても確かに大きいですね。全長100m位あるようですから。
大型クレーンクレーン下の鯉のぼり【最後の調整・準備のクレーンと鯉のぼり】


本書では(10年前に書かれた記事なので仕方ないですが)二世のジャンボ鯉のぼりと記載されていますが、現在ここにあるのは三世だそうです。加須市サイトにプロフィールがありますので比較してみましょう。

◆ジャンボ1世プロフィール
昭和63年、加須青年会議所の協力のもとに作られました。
全長100m、重さ約600kg、全国一のジャンボこいのぼりの誕生です。以後、平成7年までの8年間、春に行われる市民平和祭で、また、平成10年にはハワイで大空を遊泳しました。
1世データ 全長100m 重量600kg

◆ジャンボ2世プロフィール
平成8年2月に完成、その年の5月から利根川の河川敷の空を泳ぎました。
全長111m、重さ730kgと1世よりは大きかったのですが、平成14年5月の市民平和祭での遊泳中に破損し、修理不能となったため引退しました。
2世データ 全長111m 重量730kg

◆ジャンボ3世プロフィール
平成15年3月に完成、5月の市民平和祭のときに初遊泳しました。
全長100m、重さ約350kg、素材を従来の綿生地からポリエステルに変えたため、軽量化に成功しました。目玉と口の大きさは直径10mもあります。
平成18年5月には、サッカーワールドカップ(W杯)ドイツ大会の日本代表初戦の地、カイザースラウテルンの大空を雄大に泳ぎました。
3世データ 全長100m 重量350kg

長さもさることなが重量に驚かされますね。最大730Kgあるのですから、自重によって破損してしまったのでしょうね、悲しい結末です。
しかしその失敗によって、3世の軽量化が図られたのでしょう。当然1世の頃からポリエステルはあったでしょうが、地元の意地、主産地のプライド、そんなことが綿生地を使用し続けた理由ではないでしょうか、と穿った見方もできますね。
それにしても100m・350Kgの鯉のぼり、どんな泳ぎをしてくれるのでしょうかね。

まだ、鯉のぼり掲揚まで時間があるので、少し小腹も空いたことから屋台をひやかしてみました。
地元の方々の手づくりの品がいろいろ販売されていましたが、ちょっと目をひくものがあって購入しました。

「いがまんじゅう」です。
いがまんじゅう【摩訶不思議ないがまんじゅう】


見た目は赤飯の握り飯ですが、下部がふわふわのまんじゅうのようです。食べてみると中には餡が・・・ でも、「結構イケル」。
実に不可思議な食べ物ですが、赤飯とまんじゅう、こってりねっとり感で胸焼けを起こしそうな感じでしたが、以外や以外でした。 まんじゅうのパサツキ感を赤飯の水分が補って微妙な美味さを醸し出しています。どうやら地元のみで食されているようです。
それにしてもこれは食事? それともおやつ? どっちですかね。
この疑問に答えてくれたのが実に偶然ともいうべきTV番組です。ちょうどジャンボ鯉のぼりを見た4日後の5月7日の「秘密の県民SHOW」で北斗晶が加須市の「いがまんじゅう」を紹介していました。
どうやら3時のおやつ用ですね。まんじゅう全体を赤飯でくるむものと、まんじゅうの上半分に赤飯でくるむものと2種あるようですね、地元でも。
こんな偶然もあるもんですね。

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