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金鑚神社秋季例大祭「本庄まつり」

本庄に到着してまずは、駐車場を探さねばならない。たまたま交通整理をしていた警備関係の人に尋ねると、市役所の駐車場が今日は解放されているとのこと。「味なマネを」、と思いながら市役所の駐車場に停めさせていただいた。好感度アップ!
市役所からメインストリートである旧中山道・駅前通り方面への沿道には”切り下げ”がずっと張られていて、祭りというより大祭(祭礼)の雰囲気です。 ちょうど12時からが山車パレードの開始で、現在AM11:30過ぎなので駅前通り交差点からブラブラと金鑚神社へ旧中山道を歩きました。
旧中山道では屋台などが出ていますが、若干曇り空の肌寒い日ともあってか、それ程多くの人出ではありませんでした。ちょっと寂しい気分ですが、これから徐々に増えてくるのでしょう。
中央三丁目交差点を過ぎると屋台はなくなり、一層寂しさが募るのですが、金鑚神社に近づくとあって沿道の見物人も増えています。また、アマチュアカメラマン(多分)が多いのも特徴かもしれません。やはり伝統があるからでしょう。

pm12:00になると神幸祭が始まります。旧中山道を金鑚神社に向かう途中で、この神幸祭行列を迎えました。
幟の次に太鼓が露払いにやってきて、先導役の猿田彦(サルタヒコ)が続きます。神幸祭では良く見る猿田彦ですが、何の謂れか調べたところ、日本神話に登場する神だそうです。古事記とか日本書紀に表わされていて、「鼻長八咫、背長七尺」という記述から、天狗の原形と言われたり、「天地を照らす神」ということから、天照大神以前に伊勢で信仰されていた太陽神であったとする説もあるそうです。 三重県鈴鹿市の椿大神社、三重県伊勢市宇治浦田の猿田彦神社が猿田彦を祀る神社として有名だそうです。
太鼓と猿田彦 太鼓と猿田彦 【神幸祭、太鼓と猿田彦】
そして、御輿がやってきました。台車に乗せられており、かなり綺麗な状態の御輿でした。何が、といわれても漠然としたイメージしかないのですが、神幸祭渡行列を見ると、何か身の引き締まる思いを感じるのですが。
神輿 【神幸祭、神輿】
そして、ぐっと砕けて御輿のあとに本庄PRレディ5名が続いています。ちょっと華やいだ雰囲気に曇りがちな天気を一瞬忘れさせられました。とりあえず写真は撮っておきました、当然。
本庄市PRレディ 【神幸祭、本庄市PRレディ】

さて、いよいよ山車の巡行です。
今年の参加山車は10基だそうです。10基の内8基は市指定文化財で、明治5年~大正13年までに建造されたものだそうです。形式は4輪台車の上に囃子座と人形座をのせる江戸型山車の形式で、川越の山車と同じです。
特色としては、やはり川越同様、人形座と、その内部に置かれた人形が迫り出すカラクリを持っていて、精巧な彫刻や漆塗り、金箔や彫金、華麗な文様の幕類で飾られています。

山車パレードの順に紹介します。

1.諏訪町(人形:太田道灌) 1.諏訪町(人形:太田道灌)
製作者:日光兼光・纏屋義郎
制作年月日:平成5年
囃子 「大麻」「篭丸」「屋台囃子」「ヒョットコ囃子」「通り囃子」

2.南本町  (人形:連獅子) 2.南本町  (人形:連獅子)
製作者:日光兼光・纏屋義郎
制作年月日:平成3年
囃子 「通り囃子」「篭丸」「ヒョットコ囃子」「数え唄」「四丁目」「大間」「屋台囃子」

3.台町  (人形:素盞鳴尊) 3.台町  (人形:素盞鳴尊)
製作者:浪花屋七郎兵衛
制作年月日:明治18年
囃子 「大間」「神田丸」「屋台囃子」「貴船」「ヒョットコ囃子」

4.本町  (人形:石橋) 4.本町  (人形:石橋)
製作者:浪花屋七郎兵衛(石橋)
制作年月日:明治28年
囃子 「大間」「篭丸」「屋台囃子」「数え唄」「通り囃子」「ヒョットコ囃子」

5.仲町  (人形:神武天皇) 5.仲町  (人形:神武天皇)
製作者:原 舟月
制作年月日:明治5年
囃子 「大麻」「篭丸」「屋台囃子」「ヒョットコ囃子」「通り囃子」
【(c)本庄市観光協会】

6.七軒町(人形:加藤清正) 6.七軒町(人形:加藤清正)
製作者:町内の人達
制作年月日:大正13年
囃子 「大間」「新道」「屋台囃子」「貴船」「通り囃子」「かご丸」

7.照若町(人形:桃太郎) 7.照若町(人形:桃太郎)
製作者:浪花屋七郎兵衛
制作年月日:明治33年
囃子 「大馬」「屋台囃子」
【(c)本庄市観光協会】

8.上町  (人形:神功皇后) 8.上町  (人形:神功皇后)
製作者:横山友治郎(朝之)
制作年月日:明治35年
囃子 「大間」「屋台囃子」「通り囃子」
【(c)本庄市観光協会】

9.泉町  (人形:武内宿禰) 9.泉町  (人形:武内宿禰)
製作者:横山友治郎(朝之)
制作年月日:明治28年ごろ
囃子 「さんてこ囃子」「かわりめ」
【(c)本庄市観光協会】

10.宮本町(人形:日本武尊) 10.宮本町(人形:日本武尊)
製作者:原 舟月
制作年月日:明治15年
囃子 「逢魔囃子」「屋台囃子」「神田囃子」「神楽囃子」
宮本町(供車)
製作者 不詳
制作年月日 幕末~明治初年

秋になると祭りも多く、ここのところ川越、飯能、本庄とお祭り&山車を見てきましたが、ここで少し気になった人形について調べてみました。人形といっても人形そのものではなく、それを作製した人形師についてです。
宮本町山車人形の作者札 川越、飯能、本庄と共通していた人形師が”原舟月”です。一例として作品をあげてみます。
【宮本町山車人形の作者札】

●川越まつり
小鍛冶の山車(幸町):二代目晩年の作。
1835(天保6)年に修復の記録あり、三代目が塗りなおしと毛の植え替えの修理を行ったそうである。

●飯能まつり
神武天皇の山車(原町):明治15年建造の江戸型山車。
当初御幣を飾ったが、三代目の作で明治24年より神武天皇像を乗せている。

●本庄まつり
日本武尊の山車(宮本町):明治15年の三代目作。

この”原舟月”なる人形師ですが、江戸期から明治期にかけて3代続いた人形師です。

初代(金五郎)は最初、通い職人でしたが新しい雛人形を創作し古今雛と称して繁昌しましたた。また、絵師(画家)、根付師(作家)としても名匠だったそうです。しかし、仲間の妬みなどから江戸追放となり京都へ移りました。
二代目(金太郎)は先代の弟子で、江戸の初代の店で修行していましたが、初代が京都で没した後、遺骨を谷中妙運寺に葬り店を引き継ぎ銘を古今斎を名乗り活躍しました。
二代目の一人息子(徳太郎)が三代目となり、三代目も先々代、先代に劣らぬ名匠で、銘を古今亭、号を法橋と名乗り、帝国芸術院にも属し、当時は日本を代表する人形師と言われていた名匠だったそうです。
十軒店に雛屋を開き、3月の雛人形、5月の兜人形、6月の山王祭と9月の神田明神の祭礼の山車人形を手掛け、「舟月式」と呼ばれる山車構造を考案しているそうです。明治32年、67歳で逝去しました。
現在も関東に残る三代目の作品(山車・人形)は、数多く現存し名品揃いといわれています。
また、この本庄・宮本町の舟月作の日本武尊の山車は、日本で茨城県石岡市中町と栃木県栃木市万町二丁目に3体現存しているだけで、大変貴重なものだそうです。
因みに”原舟月”に関しては「人形師 原舟月三代の記」(絵守すみよし著)という本が出ているそうです。

更にもう一人注目したいのが”浪花屋七郎兵衛”です。

江戸型山車職人の『浪花屋』は東京都浅草区茅町(現在の浅草橋JR駅付近)に店を構えて、庄田七郎兵衛氏は元治元年(1864~1956)生まれで親子三代にわたって山車の製作に携わっていました。
山車人形師の多くは雛人形の製作をも兼業していましたが,『浪花屋』は山車専門で、修理,貸出し等も盛んに行なっていたそうです。
明治になってから、製作を請け負うと,当時の『浪花屋』では,人形の頭は鼠屋,胴殻は篭徳,ポーズは指定,手足は麹町の玉村,などと下請への分業で、請負人として人形の小道具作り,着せ付け,組み上げ等の総仕上げを担当していました。 特に『浪花屋』でロンドンの博覧会に桃太郎の山車を展示した時は,高い評価を受けたと言われています。
また、原舟月が東京日本橋の店を辞める時には資料を受け継いだそうですが、残念ながら関東大震災と空襲の折,焼失したそうです。
そうした中で大戦後、時流に合わず廃業しましたが、分家と思われる内田家が『浪花屋・内田武雄商店』として浅草橋で紐を商っているそうです。
現存する山車としては、本庄市では台町の「素戔鳴命」(明治18年製作)、照若町の「桃太郎」(明治33年製作)、本町の「石橋」(昭和3年製作)、飯能市では河原町の「素戔鳴命」(明治10年製作)、深谷市では本住町の「神武天皇」(明治36年製作) などに残っているようです。
人形師の角度から山車、人形、そして祭りを考察していくのも興味深いことです。いずれもう少し詳しく調べたいと考えます。

山車の巡行は若干停止しながら徐々に進んでいますが、余りの亀サン状態にこちらが動くことにしました。

金鑚神社に近づくと、神社前では4基の山車が一斉にお囃子を奏でています。
どこのお祭りでも数基山車が集まると、華麗、荘厳、そんなものを感じます。更に江戸型山車は、迫力を加味します。かつての天下祭は、勇壮・華麗の言葉が似合うお祭りだったのでしょう。
それを受け継いだ関東近郊のお祭りは、それを堪能できる貴重な文化だと、改めて認識いたしました。
山車の囃子競演 【山車の囃子競演】

山車巡行は最後尾の宮本町の出発を残すのみとなりました。
宮本町の山車は金鑚神社前でお囃子と踊りが続けられています。特に踊りが興味深かったです。

”おかめ”と”ヒョットコ”の面を被った子供が二人舞っています。囃子台の上ではなく、前輪梶取り棒の上に渡した板に乗って踊っていて、コミカルでそれで居て何か迫力を感じるという、大層面白い舞い方(説明しにくい)でした。こうゆうのも何か一つのパフォーマンスとして現代風なアレンジがあっても結構なのかなと思いました。
宮本町踊り 【宮本町踊り】
宮本町はサービス満載で、お囃子、踊りのほか、駅前でしか上げない人形を最上部まで上げてくれています。さらにその前で写真撮影まで待ってくれています。
進行係りの方がしきりに巡行を催促している言葉が耳に入りました。 「人形を下げるのにも時間かかるから、もう準備を始めて」と言っていますが、どこ吹く風。盛んな撮影会は終わりそうもありません。
皆で撮影 【皆で撮影】

初めて見たので、これまでの経緯はわかりませんが、川越まつりなどの大きな祭りは別として、地域住民型のお祭りは子供が結構参加しているところが特徴なのでしょうか。それとも、これは昔からのことなのでしょうか。私自身が余りお祭りとかに参加するのは嫌いで全く出たことが無かったので、こういう印象を持つのかもしれませんが。大人も子供も晴れ姿を残しておこうとするのも当然でしょう。まあ、撮影しているのは、アマチュアおじさんカメラマンとPTAカメラマンが圧倒的のような気がしますが、これも当然ですかね。

最後の宮本町の山車がスタートして巡行が全て始まりました。

関係者の方の話を聞いていると、今までは大口の寄付がかなりあったのだけれど、最近ではめっきり少なくなったそうです。
景気の関係もしかりでしょうが、やはり、地元意識とか故郷創生とかが薄れてきているのでしょう。山車一基を保管管理していくにも結構な予算が必要なそうです。たまたま、山車を保管する倉庫がありましたが、ミニクレーンなどが装備されていて結構本格的なのかもしれません。
山車保管庫 【山車保管庫】
その様な意味で、神幸祭はともかくとして、祭り自体を維持していくのも今後厳しい課題があるのではないでしょうか。 でも、祭りはそんなことには関係なく、これからクライマックスを迎えるのです。
私のほうは例によって祭りは終了し(本当に辛抱が足りない、と自分自身思うのですが)、これから、金鑚神社を散策(実はこれが一番楽しみであったりして)します。歴史ある神社に興味深深です。

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