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§4 本庄まつり

本庄市立歴史民俗資料館

金鑚神社をゆっくり散策した後、本庄市立歴史民俗資料館に向かいました。途中食事するところが無かったので、久しぶりに沿道の屋台を覗きました。
久しぶりに食べるので、前から気になっていた・・・名前を失念してしまったのですが、大きな肉の塊がぐるぐる回転していて、それを削ってパン・・・みたいなものに挟んで食べるもの、と言えばわかりますかね。 少なくても私が、子供の頃は絶対に無かった屋台。謎の外国人が売っています。チリソースを頼んだら、「辛いよーーー」と謎の外国人に言われ、「辛いのダメなら、ミックスもあるよ」と。
「てやんでえ、こちトラ江戸っ子だあい・・・」って、埼玉県人、間違いない。と、辛いチリソースを頼んだ。以外とサッパリしていて美味しい。でも、やっぱり辛かった。通常、辛いと言っても日本人向けにあんまり辛くしないでしょう、普通、カレーなんか。でもお構いなく辛い。だが、「こちトラ、江戸っ・・・」ではないが辛いもの好き。美味美味と食しました。
家内は謎の中国人・・・では無く日本人だった、餃子を大きくして丸くして焼いて・・・みたいな餅って言うかお焼きって言うか、そんな感じのもの。これも結構いける、美味美味。だが、後半段々塩っ辛くなる。塩、強すぎ。家内と半分ずつ味見したから、辛いのとしょっぱいのと、口から火とはこのこと。でも久々の屋台買い食い結構なもんでした。

さて、金鑚神社からは歩いてもそれ程かからない本庄市立歴史民俗資料館に到着しました。
まず、目に留まったのが門です。史跡でしょうが高札に案内があります。
田村本陣門 【田村本陣門】

『本庄市指定文化財 田村本陣門
この門は本庄宿の北本陣といわれた田村本陣の正門です。
本陣とは宿場を往来する大名や幕府役人などの公用旅館のことです。田村本陣があったのは現在の中央一丁目六の区域で寛永19年(1642)から宿泊記録が残されています。
本庄市教育委員会』

本庄宿は江戸から数えて10番目の宿場だったそうで、実際に小林一茶が宿泊しています。
一茶の『七番日記』(文化9年11月) によると、”十九 晴 本庄 本陳(陣)泊”とあり、これは1812(文化9)年11月19日、一茶が本庄宿の本陣に宿泊したことを表しています。 また、『七番日記』(文化14年6月) には、”[廿]八 晴 本庄 きくや”とあり、1817(文化14)年6月28日、一茶は上尾から本庄・きくやに宿泊した記録があります。
因みに『七番日記』(文化14年6月) には”[廿]七 晴 上尾 油や多左ヱ門”とあり、1817(文化14)年6月27日、上尾の油やに宿泊しています。つまり、上尾から本庄まで1日できたことになります。
余談ですが、単純に地図上で上尾市役所から本庄市役所まで国道17号線(バイパスではなく)を計ると約50Km。現在の一般人の平均的な歩く時速は4~5Kmと言われています。5Kmとしても単純に10時間。休憩・昼時間など考慮して12時間かかる推測です。
江戸時代当時は夜明けと共に出発して日暮れには宿に泊まりますので、6月と考えると遅くても朝5時には出発しているでしょう。それから12時間で夕方の5時着。当然夏は7時ごろ日没となりますので、夕方には到着していることになります。しかも当時の人は現代人より歩きが早かったでしょうから、上尾から本庄へは1日で十分移動できる範囲だと言うことが理解できます。

田村本陣門脇に例によって、本庄新八景と本庄かるたがあります。
新八景碑は”旧本庄警察署(歴史民俗資料館)と田村本陣の門”です。また、かるたは2枚あります。
新八景石碑 【新八景石碑】
「明治の香り歴史民族資料館」「皇女和宮涙を誘う田村門」と2枚のかるたがありました。皇女和宮が寄られた折に田村門を潜られたと説明がありました。
本庄かるた 本庄かるた 【本庄かるた】

そこからはすぐ「埼玉県本庄市立歴史民俗資料館」があります。明治の建築の良いとこ取りをしたような建造物です。建物は木造で洋風、門柱が煉瓦というコントラストです。
資料館全景とモダンなバルコニー 資料館全景とモダンなバルコニー 【資料館全景とモダンなバルコニー】

建物脇の案内板です。

『埼玉県指定有形文化財建造物 旧本庄警察署 一棟 (昭和47年3月28日指定)
この旧本庄警察署は、明治16年に建てられた洋風建造物として、県内に残る遺構の白眉であります。
木造二階建て、瓦葺、漆喰塗大壁造りの、この建物は、吹き抜けのベランダや、石造を模した木彫りの列柱、手摺金物、出入り口の半円形窓、左右対称の上下げ窓、壁面の隅飾りなどに、明治初期の洋風建築の特徴がみられ、たいへんモダンな警察署として、市民の間に長く親しまれてきました。
昭和54年、歴史民俗資料館として活用するため、国と県の補助をうけ、復元工事が行われ創建当時の外観に、よみがえりました。
埼玉県教育委員会
本庄市教育委員会
昭和57年3月25日
(付、間取図)』

また、パンフレットにはこのようなことが書かれています。

『・・・・・本館の周辺は、大正12年の関東大震災の時に、朝鮮人の人たちが殺害された、いたましい事件や、昭和23年に学生と市民が民主化を求めて立ち上がった本庄事件など、わすれてはならない歴史的現場となった場所でもあります。・・・・・(以下省略)』

これを調べると結構暗い話題となりますね。悲しいことに本庄には時代ごとに事件が起こっていたのです。
その一つが、”大正の本庄事件”です。

--関東大震災の数日後、東京の様子は避難民たちの口々から伝えられたが、この時東京でのデマがまだ生きており、埼玉県の本庄町(今の本庄市)では、朝鮮人が震災に乗じて東京を焼き払い、日本人を大量に殺害し、この中仙道をやってくるというデマが流れました。まったく事実無根のデマでしたが、町では郡役所の幹部などが県庁からの通達といって消防団等に事実として伝え、対策に乗り出すよう指示したとされています。
それから数日が経過した9月4日、警察が保護した朝鮮人たちを乗せたトラックが本庄町を通過し、群馬県に入ろうとしたのですが、足止めを受け、結局本庄に引き返し、夕方本庄署にたどり着きました。この時本庄署では地元住民達のデマを収拾するために警察官が動員されており、警察署はほぼ無人の状態であったそうです。
本庄署に着いたトラックを取り囲むように地元の住民達が集まり、一斉にトラックの上の朝鮮人達に襲い掛かり、リンチに発展しました。警察も人員不足から十分に阻止することができず、この事件で五十から百人程度の朝鮮人が殺されたとされています。また、このリンチに加わったものの多くは執行猶予付の騒擾罪を受けたとされています。----これが第一の事件です。

次の事件が”昭和の本庄事件”です。

----1948年、埼玉県本庄町(現在は本庄市)で起きたもので、一言でいうと、町政を牛耳るボスたちの腐敗を朝日新聞が告発してキャンペーン報道を行い、これに応じて住民が立ち上がり、町政民主化運動を展開した出来事ということです。
朝日新聞浦和支局が『ペン偽らず』という本をまとめ、これをもとに山本薩夫監督が「暴力の街」という映画を作ったほどですから如何に大事かが理解できるでしょう。
因みに本庄警察署(現在の本庄市立歴史民俗資料館)の署長役は志村喬だそうです。

一応、ここまでが旧警察署関連ですが、現在の警察署となっても大きな事件が起きています。
”平成の本庄事件”です。

-----埼玉県本庄市で平成7年と11年、男性計3人が保険金目的で殺傷された本庄保険金殺人事件。
判決によると、埼玉県警に逮捕された主犯格の金融業、八木茂被告(殺人罪などで二審・死刑判決、上告中)は7年、共犯の女3人を被害者の男性1人と偽装結婚させるなどし、トリカブト入りあんパンを食べさせて殺害。11年には、男性2人に大量の風邪薬と酒を長期間飲ませて1人を殺害、もう1人を一時重体に陥らせた。八木被告は風邪薬に含まれるアセトアミノフェンをアルコールと併用した場合、肝障害などの副作用を引き起こすことを利用し自然死を装おうとしていたとされる。
なお、11年の疑惑発覚から12年の逮捕まで、八木被告はマスコミに対して200回に上る有料記者会見を開き、潔白を主張するという報道で憶えていらっしゃる方も多いと思います。

何かの因果なのでしょうか、随分と暗い話題が豊富な本庄ですが、歴史民俗資料館には楽しい話題もあるんです。

どうですか、「笑う盾持ち人埴輪」です。
笑う盾持ち人埴輪 【笑う盾持ち人埴輪(c)自由日記帳】

小島前の山古墳(6世紀後半の直径30mの円墳・現在取り壊されて残っていない)から出土した3体の盾持人物埴輪。盾を持って古墳を守る立場の武人でありながらも満面の笑みを浮かべ、全国的にも珍しいと言われています。
他の地域の笑う埴輪と異なり、非常に特徴が多く、大きな福耳を有し、しゃくれ顎で、鼻が高く、石歯が埋め込まれていた痕跡もある(3分の1を頭部が占めている)らしいそうです。その為、笑う福耳盾持ち人埴輪とも言われるそうです。その個性の強さと印象深さから注目を集め、2007年には『日本美術が笑う』展で東京へ出展され、何気にNHKの深夜番組にも出演をはたしたそうです。


更に、こんなのもあります。
ペンシルロケット発射実験 【ペンシルロケット発射実験(c)宇宙開発事業団】

『高層気象台本庄出張所と糸川博士の実験 
国際地球観測年の昭和7年(1932)。日本では、気球をもちいた高層気象観測が行われました。その場所は、本庄市街地北の利根川にかかる坂東大橋でした。
 後に、継続的な観測こそ意義があることから、昭和12年に高層気象台本庄出張所の建設がはじまりました。翌年より業務が開始され、昭和24年までの間に388回もラジオゾンデ (気象観測気球)が定期的に打ち上げられました。 日本の気象学会に貢献した本庄の測候所は、昭和32年に熊谷地方気象台に統合され 、なくなりました。現在は本庄市水道課の庁舎が建っています。 
ところで今ひとつ重要な実験が昭和31年に行われています。それは、国際地球観測年に先立ち、東京大学の糸川英夫博士が試みたロックーン実験でした。
西小学校は敷地が広く、西側に隣接して国立気象台本庄出張所があることから、校庭が実験場となったのです。  「ロックーン」、それはロケットとアドバルーンの合成語で、名のとおり高度25000m まで気球を打ち上げ、そこからシグマロケットを発射するものでした。
 実験は大成功で、これを記念して、糸川博士より中島正一国立高層気象台本庄出張所長にある貴重な品が贈られ、さらに、中島所長は理科教育振興のため、西小学校に寄贈されたのです。
 そのある物とは、前年の昭和30年に、東京都国分寺市で行われた、日本初の超音速ロケット実験に使用したペンシルロケットでした。
 戦後、日本のロケット開発は、糸川博士がひきいる東京大学のチームによる、ペンシルロケットにはじまり、κ(カッパー)ロケット、λ(ラムダ)ロケット、μ(・ミュー)ロケットと次々に大型化の開発に成功しました。 後に、宇宙開発事業団のQロケット、Nロケットをへて、現在ではH2ロケットが開発されています、その原点となったペンシルロケットの一つが本庄市で保存されていることはあまり知られていません。』

ペンシルロケットって、知ってました? わたし、知りませんでした。瓢箪から駒のような(一体何が・・・)話題でちょっとうれしくないですか?
うれしくない・・・では、極めつけです。

本庄には”幻の本庄遷都”と言う嘘のような本当の話があったそうです。
それは、明治11年、元老院議員・佐野常民と言う人によって「本庄遷都意見書」と言うのがまとめられたのだそうです。佐野常民と言う人は後に、松方内閣の農商務大臣を務め、日本赤十字社の創立者でもある何気に立派な人のようです。
佐野常民 【佐野常民(c)近代デジタルライブラリー】

「本庄遷都意見書」
1.東京は箱根、碓氷峠を背後にして守りは堅いが、江戸湾から艦砲射撃を受けるともろい。
2.東京は低湿地で伝染病が蔓延しやすい。
3.消費都市として発達したため風俗が浮薄である。
以上の理由から、新首都は日本の中心である上州(群馬県)、武州(埼玉県)に求めるべきであるが、前橋は水利がよくなく、高崎は山が迫り、冬が寒い。
それに比べ本庄は、
1.本庄は相当の陸地の幅があり、武州、関東の中心にある。
2.本庄は土地が高く眺望に優れ、冬もさほど寒くない。
3.利根川の水運に恵まれ、飲料水も豊富
このような理由から本庄は新首都として相応しいと述べているのですが、意見書は審議されるに至らなかったそうです。

・・・という笑い話です。お後がよろしいようで。
郷土館、とか歴史観とか、資料館で楽しくなるって言うのはそう無いことでしょう。
是非、本庄の歴史民俗資料館を訪ねて、もっと詳細に見ていくともっと面白いものが見つかるかもしれませんね。

例によって、これで大散歩は終了です。
今日も見所満載で楽しかったですねえ。かなり小食なので、すぐお腹一杯になるという、素晴らしく怠惰な性格ですので仕方ないことです。と、言いながら無料で停めさせていただいた市役所の駐車場にもどりました。 車に載ってバックミラーを見ると、来た時には気がつかなかった、煉瓦色の石碑が見えます。もしやと思い出てみるとやはりそうでした。
本庄新八景石碑 【本庄新八景石碑】
これは、”本庄市街地と赤城の山容”と言う石碑でした。 ただ、残念なことに「本庄市街地」と「赤城山」はどこから見ればよいのだろうかと眺めると、市庁舎は随分と眺めがよさそうな建造物ですね。エレベーターで上がればと思いますが、今日は祝日、市役所は休みです。もう少し何か観光客の為に考えてくれてもよさそうなものでは無いかと、勝手三昧の思考回路でした。
本庄カルタ 当然、カルタもありました。
”平和と調和を表す本庄市章”、さすがに市役所前です。

ということで、最後まで楽しめた本庄まつりでしたが、駅を挟んだ旧市街と新市街のコントラストは、私自身居住している町と一緒で、歴史伝統のある市街地は川越のような観光地しなければ完全な活性化が難しいようなきがします。
「静かで良い町だ」と言えなくもないが、結局、何も無い街・・・にはなって欲しくないと勝手な御託を並べて帰ることにいたします。

2008.11.13

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