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浅草寺

元旦とは比べ物にならないとは言うものの、さすがに正月3日、やはり多くの人手で賑わっていました。
それほど回数は多くありませんが、浅草には仕事やプライベートで年に3~4回訪れていますが、正月に訪れるのは今回が初めてです。
浅草人力車地下鉄から地上にあがると目の前の通りは浅草通りで、通り沿いには多くの人力車が止まっており盛んに客引きが行われていました。

これも正月ならではの風情でしょう。 そうしているといよいよ「雷門」に到着です。

雷門と仲見世

初詣でにぎわう雷門浅草といえば「雷門」というほど、現在では浅草の代名詞というほど有名な門です。
写真をゆっくり撮る暇もないほど人であふれているのは、さすがに正月です。

雷門(風雷神門)
天慶5年(942)、平公雅によって創建されたのが始まり。
門の正面向かって右に「風神」、左に「雷神」を祀る。このことから「雷門(風雷神門)」と呼ばれる。ともに鬼面蓬髪、風袋を担いで天空を駆ける風神と、虎の皮の褌を締め連鼓を打つ雷神の姿は、お馴染みのものである。また、門の裏側には、向かって右に「金龍」、左に「天龍」の龍神像が祀られ、これら四神は、浅草寺の護法善神として、伽藍守護・天下泰平・五穀豊穣の守り神とされる。
現在の門は、慶応元年(1865)の浅草田原町の大火で炎上した門に替わり、昭和35年に松下幸之助氏のご寄進により復元された。
浅草寺参詣の入口にあたる「総門」として、また、東京・浅草の顔として全国的に有名。』(現地案内板説明文より)

はじめは駒形付近にあったそうで、鎌倉時代以降この地に移され、そのときに風神、雷神がおかれたようです。

雷門堤燈雷門堤燈裏側お馴染みの「雷門」と書かれた提灯と左右の「風雷神像」は何よりも有名ですが、裏側に「金龍」「天龍」の像があることは全く知りませんでした。
裏側に廻ってみると確かにこの2像があります。更によくよく見れば提灯の裏側には「風雷神門」と書かれているではないですか。これも今回初めて知りました。
松下氏寄進のことといい最初から興味引かれる浅草寺です。


仲見世「雷門」を抜けるとこれもおなじみの「仲見世」です。


家康が江戸幕府を開いてから急激に江戸の人口が増加し、それに伴って浅草寺への参拝客も増えてきましたが、そうなると当然境内や参道の掃除が必要となり、そのために近隣の住民に浅草寺境内の掃除の役を課せたそうです。
言ってみればボランティアですからあまり得にもなりません。そこでその掃除の役に携わる住民の特権として境内や参道に出店営業の許可が与えられたのが「仲見世」の始まりで、1690年~1735年の元禄・享保の頃といわれています。
因みに「仲見世」とは境内の”中”=”仲”にある”店”=店の語源である”見世る”が合わさって「仲見世」となったそうです。
現在は各店統一されたサインと造作で小奇麗な商店街をなしており、更に正月飾りが華やかな雰囲気を醸し出しています。おそらく普段は外国人パラダイス的なイメージかもしれませんが、正月や祭などのときはやはり日本人向けの(…妙!?)日本的情緒が味わえます。

参考:【仲見世】http://www.asakusa-nakamise.jp/index.html

「仲見世」も多くの人で賑わっていて歩くのにも往生しますが、気になった店に幾つか寄ってみました。

浅草きびだんご あずま最初の1ブロックの角にあった「浅草きびだんご あずま」です。


浅草きびだんご あずまきびだんごといえばあの桃太郎のきびだんごが有名ですが、こちらのきびだんごは一つ一つが小さく串にさしてあるものです。
きびだんごとはもともと「吉備団子」と書く岡山県の有名な餅菓子で、黍の粉を使ったことから黍団子⇒吉備団子となり、基本的に直接の関係はないが桃太郎伝説とリンクさせて販売したことが、現在の桃太郎ときびだんごの話となっているようです。したがってきびだんごのイメージは個人的には少し黒っぽい大福のイメージがありますので、少々イメージの違いにちょっと驚きました。


5串300円というかなりリーズナブルな価格です。
このお店は江戸時代に仲見世に実在した門前のきびだんごを再現し、実演販売しているお店で、新仲通りにある浅草に3代続く和風創作料理の老舗「浅草うまいもん あづま」が出店しているお店です。
実演販売というくらいなので出来たてのあたたかいきびだんごが味わえました。ほんのり甘いくらいで小腹がすいたときには良いかもしれません。

コマチヘア浅草第3店少し先に行って家内が興味を引かれてみていたのが「コマチヘア浅草第3店」です。


大正15年創業で80年の伝統を誇るウィッグ専門会社のお店です。今ではウィッグなどといっていますが、所謂かつら…
ただしこちらではヘアピースや地毛のヘヤピース加工やヘヤスタイルに合ったかんざしのコーディネートなどなど、多角的にビジネスをしているようです。
店の一角に「舞台化粧品、余興グッズ…などなど取り揃えてあります」と張り紙がありましたが、バカ殿とか…はないでしょうね。
相変わらず女性はこう言ったちまちましたものが好きなんですね。

木村屋本店木村屋本店仲見世の最後のブロックにあったのが「木村屋本店」です。
木村屋といっても”あんぱん”ではなくこちらは人形焼の木村屋です。
明治元年の創業で浅草で最も古い人形焼の元祖のお店だそうです。
お店の一角では実際に焼いているところも見ることができます。


人形焼・五重塔人形焼・雷様人形焼・堤燈人形焼・鳩特にお腹もすいていないので、少量入っているモノを買ってみました。この中の五重の塔・雷様・提灯・鳩の形の人形焼は初代が浅草の名所に因んで考案した伝統の人形焼で、100年以上前からある人形焼なのだそうです。

江戸の香りは私と家内の腹の中ですが… 暖かい人形焼きはここならではのものでしょう。

正月風景の仲見世普段の「仲見世」もそれなりに活気に満ちた楽しいものでしょうが、やはり正月は特別な賑わいに感じます。
ただし、ここ浅草でも晴れ着の女性は少ないようですが、これも時代の流れで仕方ないでしょうね。


正月風景の仲見世伝法院ちょうどこの反対側に「伝法院」がありますが、中には入れないようです。


伝法院 台東区浅草2丁目3番 浅草寺
伝法院は浅草寺の院号で、住職の居住する本坊の称号に用いられている。諸建物のうち、客殿・玄関・使者の間・大台所の一部は、安永6年(1777)の建造である。そのうち客殿には本尊阿弥陀如来像を安置し、6月の山家会(伝教大師の忌日法要)、11月の霜月会(天台大師の忌日法要)をはじめ、故人の追善供養、寺内僧侶の修行などが行われる。
建物の背後には、大泉池を中心とする廻遊式庭園があり、江戸時代初期の築造といわれ、池藩には、至徳4年(1387)在銘の梵鐘や京都表千家の不審案を模した茶室天佑庵がある(非公開である)。
平成8年3月 台東区教育委員会』(現地案内板説明文より)

本尊がこちらにあるということは、本堂には何もないのでしょうか。何もないところに参拝するっていうのも…
何はともあれこちらは立ち入り禁止のようですから先に進むことにします。

宝蔵門と本堂

「仲見世」を通り抜けるといよいよ浅草寺の本堂に近づきます。
ちょうど伝法院沿いに浅草寺の縁起書や由来絵が掲げられていましたが、残念ながら立ち止まってゆっくり読んでいる時間も、場所もないほど混雑していました。

宝蔵門正面には大きく立派な門が立っていますが、あれが「宝蔵門」ですね。


久米平内堂その「宝蔵門」への参道の手前の右手に何やらお堂があるので行って見ますと「久米平内堂」と書かれています。


久米平内堂  台東区浅草2丁目3番1号  浅草寺
久米平内は江戸時代前期の武士。「武江年表」によると、天和3年(1683)に没したとされるが、その生涯については諸説あり、実像は明らかではない。
平内堂には次のような伝承がある。平内は剣術に秀でており、多くの人をあやめてきた。後年、その供養のために、仁王坐禅の法を修行し、浅草寺内の金剛院に住んで禅に打ちこんだという。臨終にのぞみ自らの姿を石に刻ませ、多くの人々に踏んでもらうことによって、犯した罪を償うために、この像を人通りの多い仁王門付近に埋めたと伝える。
その後、石像はお堂に納められたという。「踏付け」が「文付け」に転じ、願文をお堂に納めると願い事が叶うとされ、江戸時代中期以降、とくに縁結びの神として庶民の信仰を集めた。
平内堂は、昭和20年3月の戦災で焼失した。現在のお堂は同53年10月に浅草寺開創1350年記念として再建されたものである。
平成18年3月 台東区教育委員会』(現地案内板説明文より)

実に壮絶な伝承ではあるが、伝言ゲームのように所謂”人切”が後世、縁結びの神となるのだから、世の中何があってもおかしいことはないとつくづく思わさせられます。
実にユニークな縁起のあるお堂です。

福島県三春 枝垂桜(滝桜)系参道を隔てた左側には「桜の木」が植えられています。それには「福島県三春 枝垂桜(滝桜)系」と掲示されています。


実際に見たことは無いのですが、三春の滝桜といえば天然記念物で日本三大桜として名高い、あの桜ですね。その系統ということであと何十年もすると、あのような枝垂桜として多くの人たちを楽しませてくれるのでしょうね。
それまで生きているかなあ…私。

浅草不動尊浅草不動尊「なで仏」桜の木の更に左側には少し大きな社があります。
こちらは「浅草不動尊」で正式には「宝光山大行院」という浅草寺とは別な寺のようです。詳しい縁起等はわかりませんが、本堂の横の「なで仏」は体の悪いところをなでるとたちどころに…というありがたい仏像だそうです。
とりあえず右目だけなでておきましたが。


三宝荒神堂隣は「三宝荒神堂」で、三宝荒神とは日本特有の仏教における信仰対象の1つで、仏法僧の三宝(仏・法・僧)を守り、不浄や災難を除去する神とされることから”かまど神”として祀られ、転じてかまど⇒台所⇒家計といわば家計の守護神ともなっているようです。
面白いのは礼拝方法で、一礼・三拍手・一礼で、お札は仏壇ではなく神棚に祀るのがそうです。意外ですね。
今回は正月ということもあっていたるところで参拝です。


宝蔵門と五重塔そして正面の「宝蔵門」へ戻ります。


「宝蔵門」も「雷門」と同じ942(天慶5)年に建立されたもので、何度かの火災によりその都度再建されたようですが、徳川家光の寄進建立したものが昭和20年の戦災に遭うまで「仁王門」として残っていたそうです。そして現在の門は山門としてホテルニューオータニ創始者の大谷米太郎が寄進したものです。
浅草寺のオフィシャルサイトに旧・仁王門と現・宝蔵門の比較がありますが、大きさなどはそれほど変わりは無いのですが、興味深いのは門の構造と外部塗装で、旧・仁王門が木造で漆塗り仕上げに対して、現・宝蔵門が鉄骨・鉄筋コンクリートで合成樹脂塗装という、現代の技術が使われているということです。因みに屋根瓦もチタン製瓦だそうです。隔月の年を感じさせます。
そしてこの「宝蔵門」の上層部には防災設備を施した収蔵室が設けられ、浅草寺の宝物を収蔵しているとのことです。
このことがかつて呼ばれていた「仁王門」から現在の「宝蔵門」という名称に変わった理由となっているようです。そのような意味では実に近代的な山門と言えるのです。

わらじその「宝蔵門」の裏側には何やら大きな「わらじ」が両脇に下げられています。
これも「雷門」と同様に知りませんでしたね。


大わらじ
この大わらじは、山形県村山市の奉讃会によって奉納されている。延べ人員800人、一ヶ月をかけて制作されたものである。藁2500キログラムを要し、大変な労力が必要で、まさに信心の結晶といえる。昭和16年(1941)の奉納を最初に、宝蔵門再建後は、約10年に一度作られている。全長は4.5メートル。
わらじは、仁王様のお力を表し、「このような大きなわらじを履くものがこの寺を守っているのか」と驚いて魔が去っていくといわれている。また、健脚を祈ってこのわらじに触れていく人もいる』(現地案内板説明文より)

びっくりするような大わらじで、確かに信心の賜物といえるでしょうが、素朴な疑問として何故山形県村山市なのでしょうか。
調べてみると、もともとこれは村山市楯岡出身の衆議院議員、松岡俊三氏が雪害問題解決のお礼と戦勝祈願を兼ね「護国の大わらじ」として提唱し、同氏が信仰していた浅草寺に奉納したのが始まりだそうです。
現代では物議をかもしそうな提唱ですが、現在では純粋な奉納として、或いは伝統行事として捉えられているのかもしれません。勝手な推測ですが。

本堂前さて「宝蔵門」を抜けるといよいよ本堂です。
ここからはさすがに正月の初詣とあってかなりの混雑振りです。

本堂前1~2時間待ちということは無いようですが、ここで10分ほど足止めです。
そこで浅草寺の縁起について調べてみました。


浅草寺縁起(由来)
時は飛鳥時代、推古天皇36年(628)3月18日の早朝、檜前浜成・竹成の兄弟が江戸浦(隅田川)に漁撈中、はからずも一躰の観音さまのご尊像を感得した。郷司土師中知はこれを拝し、聖観世音菩薩さまであることを知り深く帰依し、その後出家し、自宅を改めて寺となし、礼拝供養に生涯を捧げた。
大化元年(645)、勝海上人がこの地においでになり、観音堂を建立し、夢告によりご本尊をご秘仏と定められ、以来今日までこの伝法の掟は厳守されている。
広漠とした武蔵野の一画、東京湾の入江の一漁村にすぎなかった浅草は参拝の信徒が増すにつれ発展し、平安初期には、慈覚大師円仁さま(794~864、浅草寺中興開山・比叡山天台座主3世)が来山され、お前立のご本尊を謹刻された。
鎌倉時代に将軍の篤い帰依を受けた浅草寺は、次第に外護者として歴史上有名な武将らの信仰をも集め、伽藍の荘厳はいよいよ増した。江戸時代の初め、徳川家康公によって幕府の祈願所と定められてからは、堂塔の威容さらに整い、いわゆる江戸文化の中心として、大きく繁栄したのである。かくして都内最古の寺院である浅草寺は、「浅草観音」の名称で全国的にあらゆる階層の人達に親しまれ、年間約3000万人もの参詣者がおとずれる、民衆信仰の中心地となっている。』(浅草寺オフィシャルサイトより)

縁起絵なるほど縁起は隅田川から引き上げた観音像から始まっているのですね。
そういえば先ほどの伝法院の前に縁起書と由来絵があったのを幾つか写真に収められましたが、その中の一つにこれを意味する絵がありました。

そしてその本尊である「聖観世音菩薩」が秘仏として直接その姿を拝めないため、浅草寺においては慈覚大師が彫った像を前立の本尊として、秘仏の本尊の変わりに礼拝するようにしているのですね。
そして先ほどの伝法院の説明にもあったとおり、その秘仏の本尊は伝法院の客殿に安置されているということで、やっと理解できました。
とはいってもこの前立の本尊でさえ毎年12月13日しか公開されないようですから、なかなか拝顔するのは大変なようです。

本堂前さてそろそろと参拝の列は少しずつ進んでいますが、見上げれば本堂はすっぽりと幕に被われています。


本堂営繕現在は本堂の大営繕中で、昭和33年に再建されてから約50年が経過したことから屋根瓦の葺き替え、及び外壁塗装を行う工事が行われています。


昨年の2月から始まり今年11月末に完成予定ということで、今年の正月だけ本堂が拝めないといういつもながらのポジティブシンキングのラッキーな時期です。
そして工事用の覆いは昨年の11月までは白い幕で被われていたそうですが、11月末から「平成本堂大営繕美観プロジェクト」と題され金龍が描かれた幕が掛けられるようになったそうです。これもまたラッキーといわざるを得ないでしょう。
この金龍は堂外陣天井にある川端龍子画の「龍之図」 をモデルとしたデザインで、金龍は浅草寺の山号である「金龍山」にちなんだもので、この金龍幕をプロデュースしたのが、かの山本寛斎氏なのだそうです。寛斎氏らしい大胆な迫力ある天幕です。

向拝の聯大勢の行列とともに本堂に入ります。
柱についているのは「向拝の聯」というものだそうで、”真身絶表象雲霞画出補陀山”と書かれているそうです。


実はこれ左側にあるもので、右側には”実相非荘厳金碧装成安楽刹”というものがあり2つ合わせてひとつの意味をなすそうで、その意味は、

『真如(しんにょ)の世界はとても形などに表すことはできないが、見事に整えられた伽藍や自然の景観の妙は、それこそ仏の浄土「安楽刹」であり、観音さまの世界「補陀落(ふだらく)」である、という意味(浅草寺の堂塔伽藍・境内浄域のことを表す)。』(浅草寺オフィシャルサイトより)

だそうです。
この「向拝の聯」がなければまるで地下鉄の通路のような様子です。

本尊参拝本尊参拝多くの人が参拝していてなかなか前には進めませんが、暫くしてやっと前まで行き着くことができて参拝を済ませました。


本尊参拝著名な神社仏閣では初詣時にはあまりに多くの参拝があるので、特別に賽銭箱…賽銭スペースを広く取って比較的後ろからでも賽銭をい入れられる様工夫されていますが、ここでも同じように賽銭スペースが広く取られていました。
そしてその中では賽銭が溜まりすぎたのでしょうか、賽銭を掻きだして袋につめているようです。ここまで来るとまさに工事です。
元旦などは更に混雑していたものと容易に想像できます。


金龍天井には先ほどの工事用の天幕の「金龍」の絵が書かれています。かなりの混雑の中あまりじっとしていられない状況のなかで撮った奇跡の一枚です。
良く見れば確かに「金龍」です。


何はともあれこれにて初詣は終了です。
今年も一年無事に過ごせればそれで良しとしておきましょう。

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