南越谷阿波踊り

今回の主目的である「南越谷阿波踊り」の開催されている南越谷駅付近に到着すると、時刻はもうPM6:00近くとなっており、かなり大勢の人手です。
南越谷駅前
何はともあれ夕方とはいえまだまだ気温はかなり高めです。
ここは定番のうちわとカキ氷です。
南越谷阿波踊り公式うちわ マンゴー・カルピスかき氷
うちわは当然オフィシャルうちわをゲットし(今年はこれで3つ目のオフィシャルうちわです)、マンゴーとカルピスのダブルシロップカキ氷で喉を潤します。カキ氷は何と100円でシロップはかけ放題と、何となく得した気分のカキ氷です。(こんなことで単純に喜ぶアホ夫婦です)
一息ついてまずは駅前ロータリーに向いますが、その前にこのイベントの由来を調べて見ます。

南越谷阿波踊り由来碑
阿波踊りは、元来四国の徳島が発祥の地で、その起源は諸説ありますが、一説には、天正15年(1587年)に阿波一国(現徳島県)を与えられた蜂須賀家政公が徳島城を築城した際、その落成祝賀行事に城下の人々が踊ったのが始まりと言われています。
その阿波踊りを南越谷にと提唱したのが、徳島県出身で越谷市に本社を置く事業家の中内俊三氏でした。昭和58年(1983年)、事業を営む者として地元への恩返しを常に考えていた中内氏は、地域の人々にふるさと意識を呼び起こし、地元越谷が誇る文化としていきたいと、郷土徳島の誇る文化、正調阿波踊りの開催に着目したのです。
中内氏の呼びかけは、様々な関係者のご賛同、ご尽力を頂くことになりました。まず、地元南越谷商店会・自治会・婦人会の方々の多大なご助力が、地域の人々のご理解とご協力を得ることとなり、越谷市・警察の開催承認へと繋がっていきました。そして、本場徳島の阿波おどり振興協会の方々による開催の全面的なご指導は、実現を大きく前進させることになりました。更に、中内氏が営む事業の協力会を始めとする取引会社の方々のご支援により、運営は可能なものとなっていきました。
そうした多くの関係者のご尽力により、提唱から二年後の昭和60年(1985年)8月24日、第1回南越谷阿波踊りが3万人の人出の中、熱い産声をあげたのです。踊る楽しさと喜びは多くの人々の共感を呼び、祭りの輪は回を重ねる毎に大きく広がっていきました。そして今では、延べ1万人に及ぶ開催全般のご協力者のもと、本場徳島・東京高円寺と併せて日本三大阿波踊りと言われる地元の祭りに発展し、夏の越谷に欠かせない風物詩となりました。
南越谷阿波踊りが今後益々地域の多くの人々を巻き込んで盛大となり、郷土越谷が誇る文化として永続していくことを願いつつ、平成16年(2004年)の第20回開催記念として本由来をここに刻みます。
平成16年8月吉日』(南越谷阿波踊りオフィシャルサイトより)

どこかにこの由来碑があるようですが、とても探す余裕はありませんでした。
この中内俊三氏の企業は現在のポラスグループで住宅関連企業です。会を重ねること今年は第26回ということで26年目となります。
昭和60(1985)年の第1回では30,000人の来場者だったようですが、今回は約600,000人の来場者を誇り、現在は徳島、高円寺とともに日本三大阿波踊りとして挙げられるほどだそうです。
なお、本書の説明にあったように約10年前の平成11(1999)年の参加連は68連の対して、今年は67連と殆ど参加連の数は変わっていないようで、これは阿波踊りの連が増えていないのか、それとも参加連の数を規制しているのかは分かりませんが、先日の朝霞市の【彩夏祭】にもあったように、現在は徐々にYOSAKOIが地域イベントとして増加しているようで、今後の動向が注目されるところです。

それではまず南越谷駅のロータリーに向います。
ここには特設のステージが組上げられ、ステージ上で阿波踊りが踊られています。
南越谷阿波踊り、組踊り 南越谷阿波踊り、組踊り 南越谷阿波踊り、組踊り


この南越谷阿波踊りの踊りに関しては3パターンあるそうです。
1つ目は本場四国で行われている流し踊りで道路上で行われる踊りで、間近に見られることで一体感を味わえるのが特徴で、一般的にイメージする阿波踊りの形態でしょう。越谷では4本の通りを使用して展開されています。
2つ目が舞台踊りで文字通り常設ステージ上で行われる阿波踊りで、踊り自体をじっくり堪能することができます。越谷市のコミュニティセンターを使用しているようです。
3つ目が組踊りで南越谷駅前特設舞台とダイエー南越谷店前特設会場及び店内で行われています。仮設といえどもステージ上で踊られているので舞台踊りと同じ様に思えますが、本来の組踊りは大規模の阿波踊りの意味で、舞台で踊る少人数のメインの踊りと、その周りで多数の踊り手が踊ることを表していて、所謂、盆踊りの形態と考えると分かり易いでしょう。
したがってこのステージはあくまで盆踊りで言うところのやぐらにあたるというわけです。「YOSAKOI」とは違い阿波踊りはそもそも盆踊りの一つの通称である宗教的行事ですから、これが元来の踊りだったのかも知れません。

特設ステージの組踊りを見てから、流し踊りに向います。
沿道はすでに一杯の観客で埋め尽くされていて、やっと本部から少し先の所に観覧する場所を確保できました。 すでに流し踊りも始まっていて、ちょうど最初の連の踊りから見ることができました。
最初の連は「あすなろ連」です。正式には「工匠会あすなろ連」というそうで、ポラスグループ関連の連のようです。
ポラスグループ関連とあって出場は26回目、ということで第1回から全て出場している連で、南越谷阿波踊りの歴史そのものといってもよいかもしれません。

先頭を行くのが連の名称の入った提灯です。
連提灯
徳島の阿波踊りではおおよそ1000組の連が出場するそうで、協会に加盟している連や、企業・団体、サークルなど有名無実の連が無数存在しているそうです。

その次に踊っているのが女踊りといわれる女性の踊り手です。
南越谷阿波踊り、女踊り
女物の浴衣に網笠を深くかぶり、草履ではなく下駄を履くのが特徴だそうで、艶っぽく上品に踊るのがよいとされているそうです。
現在では性同一性障害、性別変更可能などにより男女関係無く女踊りを踊ることが可能になっています。

その後に続くのが男踊りで、半天を着て踊る半天踊りと、男物の浴衣をしりからげに着て踊る浴衣踊りがあるそうです。
南越谷阿波踊り、男踊り
踊りの形態は振りを大きく勇猛煮踊り、時には滑稽に踊ります。男踊りは女性や少女でもかまわないようです。

そして最後に鳴り物といわれる演奏者が続きます。
南越谷阿波踊り、鳴り物
主な編成は、笛・三味線・締太鼓・大太鼓・鼓・鉦があります。この「あすなろ連」では先頭から鉦・笛・三味線・締太鼓・大太鼓となっていて締太鼓のなかに竹筒のような楽器がありますが、何という楽器なのでしょうかね。
最近の大学のサークル連や人数の少ない連では、難易度の高い笛や三味線などのメロディ楽器を抜かし、リズムのみの演奏も多くなっているそうです。
早い遅いがありにしても基本的にリズムは2拍子で、農耕民族の日本では騎馬民族型のリズムの踊りは比較的珍しいといわれているそうです。

しばし、各連の踊りを堪能してみることにします。
南越谷阿波踊り 南越谷阿波踊り 南越谷阿波踊り


女踊りのない連もあるようです。
南越谷阿波踊り 南越谷阿波踊り 女性もいるのですが、全員が男踊りです。それもまた一興でしょう。


南越谷阿波踊り 南越谷阿波踊り こちらはかなり激しい踊りを踊っています。阿波踊りでも意外なパワフルさです。


中には議員のスタッフや後援会が集まった連もありました。
南越谷阿波踊り 大いに楽しむ分は結構ですが、こういったセンセの癖でしょうか、誰彼構わず握手しだすのは胡散臭い光景です。


楽しい踊りが続きます。
南越谷阿波踊り 南越谷阿波踊り南越谷阿波踊り

南越谷阿波踊り こんなカラフルな浴衣もなかなか夏らしい雰囲気です。

南越谷阿波踊り やはり最終的に目立つのはいつのときも子供です。

まだまだ、連は続くのですが少々疲れてきたので別の会場へ移動します。
南越谷阿波踊り こちらは先ほど踊った連の方たちが、別の会場での出番を待っています。

流し踊りの会場は沿道沿いに照明が設置され真昼のような明るさで、沿道の人の数を見ると相当な人でなのが分かります。
南越谷阿波踊り 南越谷阿波踊り
こちらでもしばらく踊りをみて本日は終了です。
南越谷阿波踊り 帰り道の屋台通りは混雑の一言で、殆ど歩けない状態でした。

意外と地味かな、などと考えていた阿波踊りでしたが、流石に三大阿波踊りとあって、参加者も観客も熱気で一杯でした。
越谷の夏の風物詩「南越谷阿波踊り」はこれからも歴史を重ねながら、多くの人たちを楽しませてくれるのでしょう。
初めて見た阿波踊りでしたが、盛大で楽しい祭りでした。

2010.9.7記

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