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浅草寺・伝法院周辺

弁天山前を南に向かって歩いていくと、途中比較的大きな道と交差します。
この交差した通りが「伝法院通り」であの浅草寺にあった「伝法院」の前の通りということです。折角なのでこの「伝法院通り」を歩いてみることにします。
ちょうど西に向かう方向です。

仲見世柳通り商店会と伝法院通

正月ということもあって随分と賑わっています。
弁天山からの通りと伝法院通りの交差点では怪しげな露天がありました。残念ながら写真を撮れなかったのですが、怪しげな操り人形なのですが、全く糸が無いのに動いているといった、若干そそられるものです。
随分人形を購入している人がいるのですが、おそらく”さくら”でしょう。ちょっと見ながら通りを進みました。

後になって気付いたのですが、「伝法院通」は仲見世との交差点から西の通りで、仲見世の交差点までは「仲見世柳通り商店会」というそうで、現在いるところはこの「仲見世柳通り商店会」ということです。

白波五人男通りの真ん中に人形と立て札と人形があります。


青砥稿花紅彩画
河村黙阿弥の代表作で通称「白波五人男」は鼠小僧と並ぶほど有名な盗賊達を描いた歌舞伎の演目として親しまれてきました。主役は五人の大盗賊。
用心棒となってこの通りを守っています。
注意深く探してください。
日本駄右衛門・弁天小僧菊之助・南郷力丸・赤星十三郎・忠信利平

河竹黙阿弥
江戸時代幕末から明治にかけて大活躍した歌舞伎作家。
黙阿弥は当時、この通りの一角に住んで作家活動を行っていました。生涯に約360編もの作品を残し、現在でも多くの作品が演じられております。
主な代表作は「三人吉三廓初買」「極付幡随長兵衛」「一心太助でお馴染みの「芽出柳翠緑松前」など。』(現地案内板説明文より)

埼玉県の秩父の【荒川のそば】で訪れたときにイベントで萩平歌舞伎の子供歌舞伎が「白波五人男」を演じていたり、その他TVなどでも演目は知ってはいたのですが、盗賊の話だったとは露ほども知りませんでした。
その大盗賊が町を守っているというのですから、洒落がきいています。

白波五人男白波五人男道の両側の屋根に二人見つけました。恐らくこれがそうでしょう、なかなか味な演出だと思います。


伝法院通仲見世との交差点まで来ると、この先が「伝法院通」となり大きなアーケードが目印となります。


ここも「仲見世柳通り商店会」と同様、様々な商店街活性化のための演出がなされているそうです。後になって知りましたが。

地口行灯偶々撮影した写真にもこのようなサインが写っています。「地口行灯」というそうです。


地口行灯
地口とは江戸時代に流行したいわば洒落ことばです。ことわざや成り句・芝居のせりふなどをもじって洒落をつくったもので、それを行灯に書いて祭礼などに競って飾る。というのが江戸の風習のひとつでした。
伝法院通りでは鎮護堂のご縁日に飾られていたのが始まりで、今では12本の街路灯(24面)に年間を通してこの地口行灯を飾るようになりました。』(伝法院通りオフィシャルサイトより)

※この浅草の地口行灯の写真情報をご提供いただきました。
22点の綺麗な地口行灯が見られます。そのほかにも素敵な写真が掲載されているサイトですので、是非一度見られてみては如何でしょう。

参考:【柿の木台から】 -浅草 伝法院通りの地口行灯- http://kakinokidai.web.fc2.com/JiguchiAndon/Denpo03.html

飯島様、情報のご提供ありがとうございました。
2010.12.24加筆

江戸風木製看板また、店舗の看板にも一工夫がされていました。


江戸風木製看板
正面看板にはその店の屋号を、袖看板には当時商家で流行した「商品を形どった看板」を。
さて、袖看板を見てどんな品を商っているお店なのか当ててみてください。』(伝法院通りオフィシャルサイトより)

このほかにもまだまだ楽しい演出がされているようです。ここもまた別の機会にお店も含めてゆっくり歩きたいものです。

参考:【伝法院通り】http://www.denbouin-dori.com/

伝法院と鎮護堂

伝法院「伝法院通」を西に向かうと「伝法院」の通用門があります。
何か行事が行われているのでしょうか、門は開いているものの関係者以外立ち入り禁止ということで守衛がチェックしています。まあ、基本的には非公開ですから仕方ありませんね。


巽門先に進むと朱色の門が右手にあります。門には「巽門」と扁額が掲出されており、門柱の左側に「鎮護堂」、そして右側には「水子地蔵尊」と掲げられています。


葵門門をくぐると更に朱色の門が正面にあります。


これは明治維新の際、寛永寺内に15代将軍徳川慶喜公が一時謹慎蟄居された際の建物の門で、「葵門」とも称された門だそうです。

鎮護堂境内に入って左手に「鎮護堂」があります。


鎮護堂
台東区浅草2丁目3番1号 浅草寺
鎮護堂は「おたぬきさま」の名で親しまれ、防火、盗難除け、商売繁盛の守護神として知られている。
明治5年(1872)、浅草寺境内に住みついた狸の乱交を鎮めるため、浅草寺の用人であった大橋亘が浅草寺貫首唯我韶舜と相談の上、自身の邸内に祀ったことがはじまりと伝える。数度の移転を経て、同16年伝法院内の当地に再建した。
現在の入母屋造りの本殿は、大正2年に再建されたものである。
祭礼は、毎年3月17・18日に行われている。
また境内には昭和38年に建てられた幇間塚がある。幇間のことを「たぬき」と呼んだことから、この地に建てられたもので、碑には幇間の由来と久保田万太郎の「またの名をたぬきづか春ふかきかな」の句が刻まれ、裏面には幇間一同の名が刻まれている。
平成18年3月  台東区教育委員会』(現地案内板説明文より)

元は狸との由来から創建された「鎮護堂」なので、当然ながら伝法院を火災から守るという鎮守として祀られたのですが、あまりに信者の参詣が多いため、ここだけは一般開放されたそうです。
鎮護堂の狸お堂の右側には大小の狸の置物が置かれています。結構記念撮影やらする人も多いようです。


鎮護堂の神木・公孫樹お堂の隣には大きな木があります。


鎮護堂の神木・公孫樹
推定樹齢四、五百年。
この公孫樹の木は、昭和20年の3月10日の東京大空襲の時、焼夷弾を浴びながらも、その猛火から鎮護堂を守ったという神木である。
今でも木には当時の焼け跡が残っている。
戦争がこの世からなくなることを願いたい。』(現地案内板説明文より)

公孫樹と書いて「イチョウ」です。これは”公”が祖父のことを言い、祖父が種をまいても実がなるのは孫の代になるという中国の由来からです。
「狸」と「公孫樹」で防火は万全といったところでしょうかね。

水子地蔵尊その右手には「水子地蔵尊」があります。


『昭和54年(1979)9月建立。毎月24日午前10時に水子供養法要が行われる〔雨天の際は伝法院客殿にて営まれる。また3・9月は、放生会を行う〕。
地蔵菩薩は、子どもたちを助ける仏さま。早く亡くなった子どもたちを浄土へ連れて行って下さる。』(浅草寺オフィシャルサイトより)

廻遊式庭園「地蔵尊」に後ろ側には柵によって庭園が仕切られていますが、この奥の日本庭園が「伝法院」の廻遊式庭園なのでしょう。
ホンの一端を見ることができます。


幇間塚そして「巽門」の右側には先の案内文にもあった「幇間塚」があります。


幇間塚碑
「幇」は、たすける意。幇間とは、客の宴席に侍し、座を取り持つなどして遊興を助ける者。
たいこもち、男芸者のこと。
幇間有志によって、幇間物故者供養のため、昭和38年に建立された。
碑には、浅草生まれで、大正・昭和期の小説家・劇作家・俳人、久保田万太郎氏の俳句がある。
「またの名の たぬきづか 春ふかきかな」』(現地案内板説明文より)

先日たまたまNHKだかどこの放送局だったかは忘れましたが、幇間のドキュメンタリー番組が放送されていました。
現在では数名しかいない絶滅危惧種の幇間に見習いとして女性の幇間がいるとのこと。そういった幇間の現状を踏まえながらの内容でしたが、この幇間塚にもお参りの映像がありました。
幇間の歴史は豊臣秀吉のお伽衆を務めたといわれる曽呂利新左衛門を祖とすると伝承されています。呼び名の語源は「太閤(秀吉)を持ち上げる」ということから転じて「太閤持ち⇒太鼓持ち」と呼ばれたという説などあるようです。
「男」→「芸者」→「男芸者」なのに「女」→「男芸者」とは→「芸者」ってことですか? それとも「ニューハーフ芸者」…とは違いますよね。実に訳のわからん話です。
といったところで、浅草寺の散策もこれにて終了です。

実に多くのものを見てきました。ある意味では浅草の、否、東京の歴史そのものといっても良いような歴史ある寺院でした。
一般的に社寺、史蹟、名所などでは文化財やメジャーな観光資源については、説明書きや案内パンフレットなどが用意されています。しかし、それ以外のものについてはその場で説明を聞かない限り、知るよしもない遺物が多くあります。
この浅草寺では、教育委員会などの説明板以外に独自で説明板が立てられいて、ふらっと訪ねても一応の意味が理解できるところがとっても親切なのです。
勿論、財政的に余裕があるといったことが前提でしょうが、このような細かい遺物も丹念に見られるような配慮が各地にあると大変うれしいでしょうね。
無理は承知で言っていますが…

浅草公会堂帰りがけに伝法院の門の前の角にある「浅草公会堂」のスターの手形を眺めて行きました。


スター達の手形アメリカのチャイニーズシアターのパクリでしょうが、新旧問わず様々な著名なスター達の手形がありました。


上が「中村吉右衛門」で下が「ビートたけし」ちょっと気になったのが浅草らしいスターで、上が「中村吉右衛門」で下が「ビートたけし」です。滅茶苦茶、浅草っぽいですね。


正月の一日、浅草初詣は中々楽しいもので、次は是非とも浅草寺周辺も散策したいものです。
浅草を後にして有楽町の「東京国際フォーラム」に向かいました。

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