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生涯学習見本市 #3

「ブランド」ゾーンはまだまだ続きますが、ちょっと休憩です。
ちょうど休憩スペースがあるので一休みしてみますと、前のブースがあのネズミで有名な「オリエンタルランド」のブースでした。やはり人気があるようで大勢人が集まっていましたね。
人ごみは余計疲れるので、なるべく近づかないようにしなければ…

「ブランド」ゾーン巡りの再開です。
手っ取り早く休憩スペースの前のブースからです。

生涯学習見本市:「ブランドゾーン」-3

No.C-21「小川町」先ほどの東秩父村に近いNo.C-21「小川町」のブースです。
小川町も地名は比企郡小川町です。


先ほど述べたとおり「小川町」も和紙の町です。
ブースのタイトルは≪和紙と七夕まつり、仙覚万葉のふるさと小川町≫と題されています。仙覚万葉とは仙覚という僧が万葉集の研究を本格的に始めた人と言われていて、おそらく生涯学習として万葉集、或いは俳句などの発表が展示されています。また、それにあわせて「小川の七夕まつり」をPRしながら折り紙やしおりなどの和紙工芸品もPRのため展示されていました。また、体験コーナーでは文字通り、紙漉き体験等も行われていたようです。
勿論、100選では「小川和紙」が選ばれていますが、3月の「カタクリ」の見ごろ時期に訪れようかと考えています。寒いときは非生産的になりますからね。

No.C-22「越生町」小川町の隣はNo.C-22「越生町」で、入間郡越生町です。
この町名は埼玉県では難読地名の一つだそうですが「おごせ」です。


越生町にはもう2度訪れました。
1度目は今年3月に【越生梅林】、2度目は7月の【越生まつり】です。
このブースのタイトルである≪越生は町ごと博物館!!≫とは正に的確です。実際に2度訪れてこれほど見所が多いとは思いませんでしたから。歴史の宝庫といっても過言ではないでしょうね。
3月のときに購入した梅の盆栽は大丈夫なのかどうか分からないまま、現在もベランダに置いてありますが、来年上手く咲くのでしょうかね。誰も盆栽の手入れ方法が分からないので右往左往しています。
とりあえず「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」のことわざ通り開花が終わってから枝葉は全部切ったのですが、どうでしょうかね。

越生にはもう一つ100選に選ばれた「黒山三滝」が残っています。
春、夏と行ったので秋にと思っていますが、行けるでしょうか。さすがに冬には行きたくないですからね。
まだまだ見所はたくさん残っているようで、次回訪れるのが非常に楽しみな越生町です。

No.C-23「飯能市」越生町の隣はNo.C-23「飯能市」です。


飯能はもうすでに昨年になるのですが、【飯能まつり】で2008年11月2日(日)、ちょうど丸一年前に訪れましたね。

木馬飯能市のブースは実にシンプルです。ブースの前に置かれた木馬がすべてのテーマを表しています。
つまりタイトルは≪人と緑かがやく「学び」のまち ~森林文化都市・飯能~≫です。


市自体が「森林文化都市宣言」と言う宣言をしているのですが、これは市が目指す理想や目標、街づくりへの決意を表しているものです。そして飯能市として歴史的背景や地域の特性を生かした結果が森林文化都市を目指すと言うことになったようです。
たしか、市役所かどこかに世界最大の木馬(ムーマ)があり、キャラクターとなっているのですが、実物を見る機会はなかったですね。
そして、その歴史的背景が「西川材」と言われる良質の木材のことで、これについては飯能市郷土館で学びました。 このようなバックボーンを知っているとシンプルなブースもそれなりの意味合いが見えてくるものです。
飯能市ではまだ「名栗湖と鳥居観音」が100選で残されているのですが、今月中には行く予定をしています。1年ぶりの飯能ですが都市部とはまた違った文化、風情を楽しめると思います。

No.C-24「東松山市」飯能市のとなりは2コマ使用した大きいブースで、No.C-24「東松山市」です。


「東松山市」では「箭弓稲荷神社社殿と牡丹園」と「東松山のミソだれやきとり」が100選ですが、どちらもまだクリアしていません。今日のグルメ大集合で「ミソだれやきとり」があったのですが、さすがにここで済ますわけにはいかないので、あえて食べませんでした。やはり地元で食べなければ面白みが無いでしょう。
そしてこのブースのタイトルは≪花とウォーキングのまち東松山≫です。花は牡丹でしょうが、意外とウォーキングも有名で、「日本スリーデーマーチ」という3日間歩くウォーキング大会が昭和53年から続けられているそうです。

弓を担ぐ人物埴輪しかし、このブースの目玉は牡丹園でもなければ焼鳥でもなくウォーキングでもなく、埴輪のようです。ちょっと覗いていたら係りの人が熱く語ってくれたので、思わずしばし聞いてしまいました。


「弓を担ぐ人物埴輪」発見! 東松山市松本町2丁目地内の上松本遺跡で検出された帆立貝形前方後円墳から、「弓を担ぐ人物埴輪」が出土しました。
この人物埴輪は、左肩に粘土板に粘土紐で表現された弓を担いでいる男子像です。大きさは全高約60cm、最大幅約25cmです。この男子埴輪は職官位をあらわす冠帽をつけていることから、身分の高い人と考えられます。
同様な人物埴輪としては、奈良県天理市荒蒔古墳で1体(S63年出土)が確認されているだけで、今回は全国2例目の発見です。
これまでこの左肩に担がれている部分については、楽器の琴と考えられてきましたが、今回この人物埴輪が出土し、その担ぎ方・持ち方の観察から「この部分は楽器(琴)ではなく」、古く朝鮮半島高句麗の安岳3号墳(4世紀代)壁画の進軍図に見られるような主人に従う弓を担ぐ人物を表現しているのではないかとの新しい見方がだされました。ここことは、この人物埴輪がその左肩に弓と何を一緒に担いでいるか、新たな問題提起となりました。
人物埴輪は、当時の人々の死生観に基づき、ある意図や物語性を持って計画的に作られ古墳に並べられました。しかし、その意味は未だはっきりしません。
今回の人物埴輪がどんな場面でどんな役割を持って並べられたか今後たくさんの意見が出されることでしょう。』(ブース内解説パネルより)

2例目なので世紀の大発見とは言えないですが、それなりに価値ある貴重な埴輪です。係りの人は「個人的には弓には見えないけれど…」といわれてましたが、まあ、ジョークでしょう。
一つの町興しともなりかねない埴輪ですから、大事に育てないといけないでしょうね。
おそらく東松山を訪れるのは来年になるでしょうから、そのときにはこの埴輪がどうなっているか興味津々出す。

No.C-30「伊奈町」ここからまた通路を隔てた反対側のブースに移るとそこにはNo.C-30「伊奈町」のブースがありました。
伊奈町は北足立郡で上尾市の隣接町で、私の通勤の最寄駅のある町です。


タイトルには≪学んで広がる夢空間 ~いきがいづくりなかまづくりまちづくり≫とありますが、なんと言っても伊奈町は「バラの町」です。「町制施行記念公園」のバラ園は結構見事で毎年とはいいませんが、もう数回見に行っています。
もともと江戸時代、関東郡代の伊奈忠次を輩出した伊奈氏の屋敷(小室藩)があったことから伊奈の名前がついているくらい、伊奈氏が有名で、その屋敷跡も発掘調査されています。
しかし、現在ではやはり町をあげて「バラの町」をアピールしていますので、そちらのイメージのほうが定着しつつあるのではないでしょうかね。

伊奈町ももともと上尾市とともにYou and I計画で現在のさいたま市と合併する予定でしたが、上尾市が住民投票で反対となったため、飛び地となる伊奈町も合併できなくなってしまったという因縁の町なのです。
そもそもこの北足立郡自体の遍歴がすさまじいのです。時系列に記述します。

もともとは武蔵国の足立郡に端を発します。
当時の足立郡は北は現在の北本市、南は現在の東京都板橋区、北区の一部と足立区にまたがる広大な広さでした。

●明治の大合併期
1878年:足立郡のうち、埼玉県に属する部分を北足立郡、当時の東京府の属する地域を南足立郡とする。
●明治後期~戦前
1896年:北足立郡と新座郡が合体し、新座郡の2町6村が編入。
1907年: 保谷村(のちの保谷市、現西東京市)が東京府北多摩郡に移行。
1926年:横曽根村大字浮間が東京府北豊島郡岩淵町に編入。
1933年:川口町と横曽根村、青木村、南平柳村が合併、川口市となり郡を離脱。
1934年:浦和町が市制施行、浦和市となり郡を離脱。
●「戦時合併」と終戦直後の分裂期
1940年:大宮町と日進村、三橋村、大砂土村、宮原村が合併、大宮市となり郡を離脱。
1950年:川口市から鳩ヶ谷町が再分離し、郡に復帰。
●「昭和の大合併」期
1954年:鴻巣町と常光村が合併、鴻巣市となり郡を離脱。
●高度成長と郊外化進展期
1958年:上尾町、与野町が市制施行、上尾市、与野市となり郡を離脱。草加町が市制施行、草加市となり郡を離脱。
1959年:蕨町が市制施行、蕨市となり郡を離脱。
1966年:戸田町が市制施行、戸田市となり郡を離脱。
1967年:鳩ヶ谷町が市制施行、鳩ヶ谷市となり郡を離脱。朝霞町が市制施行、朝霞市となり郡を離脱。
1970年:足立町が改称・市制施行、志木市となり郡を離脱。大和町が改称・市制施行、和光市となり郡を離脱。新座町が市制施行、新座市となり郡を離脱。
同日伊奈村が町制施行、伊奈町となる。桶川町が市制施行、桶川市となり郡を離脱。
1971年:北本町が市制施行、北本市となり郡を離脱。
●「平成の大合併」期
2005年:吹上町が鴻巣市に編入、郡を離脱。以後北足立郡は伊奈町1町となる。

ということで本来さいたま市との合併で北足立郡は消滅するはずだったのですが、気がつけば一人でした。

でも「バラの町」として最近はかなり住宅なども増え、順調に発展しているようですので、いずれ市制に移行するのではないでしょうかね。
ちょっと長くなってしまいましたが、「町制施行記念公園」のバラ園はへたなバラ園よりよっぽと見ごたえがありますよ。私からもお勧めします。

No.C-29「寄居町」伊奈町の隣がNo.C-29「寄居町」です。
大里郡寄居町ですが、ここも大里郡は寄居町1町です。


今年の4月【鉢形城跡/寄居北條まつり】で訪れました。時期もよい季節で玉淀などは実に綺麗で、更にそこで行われた祭りもなかなか見ごたえのある祭りだったのを思い出します。

ここのブースタイトルはなかなか面白く≪直江兼続も来た!? 鉢形城と奇跡のハーブ「エキナセア」≫です。
ブース展示でも「鉢形城跡」などの観光関連の紹介がされていますが、寄居北條まつりとあわせて鉢形城は前田利家、上杉景勝を中心とした豊臣軍に攻められたのですから、直江兼続が100%来なかったとは言いきれませんからね。
現在歴史資料館では、「北条安房守と真田安房守」という企画展が行われているようです。夏の玉淀の祭にも一度いってみたいものです。
タイトルのもう一つの「エキナセア」とは初めて聞きました。確かにブースには赤い花ビラの写真が掲出されていましたが。
この「エキナセア」にはウイルスや細菌に対する体の免疫力を高める効果があるそうで、北米のネイティブインディアンが風邪などの予防に使ってきたハーブだそうです。その根に、免疫機能を高める成分を含み、最新の研究で、抗ウイルス性,抗菌性,免疫強化性などが実証されているらしく、現在はやりのインフルエンザウィルスの負けない身体を作ることが出来るといわれているハーブなのだそうです。
そして寄居町ではこの「エキナセア」を特産品にしようと研究・開発が行われているそうです。
なかなかサプリメントの分野は難しいですからね。

No.C-27「川口市」一つ飛んだ先のブースがNo.C-27「川口市」で、我が生まれ故郷です。
タイトルは≪「ふれあって学ぶ生涯 人づくり」川口≫です。


「川口市」も「安行の植木」「川口グリーンセンター」「キューポラ祭り」がそれぞれ100選に選ばれていますが、まだ一つも訪れていません。
友人が川口に残っていますので、珠に川口や西川口あたりで酒を飲むことがあるのですが、随分と変貌したものです。 川口で生まれて30年在住し、川口を離れて20年以上経ちましたが印象は随分と健全な街になったものだなあ、と言う感じです。
まず、なんと言っても空気が綺麗になりましたね。「そんなこと判るかい?」といわれるかもしれませんが、キューポラがまだ多く残っていた頃は、ちょうど浦和方面からきて川口市の前川町あたりで急に空気に匂いがつきます。キューポラのフキのときのあの酸化鉄のような匂いです。
また、当然ながら駅前も随分と変わりました。「川口堂書店」も「ひまわり模型」もみんななくなっているようです。唯一子供の頃から残っているのは「甘太郎焼き」くらいでしょうかね。ま、変わるのは当然ではあるのですが…

かつて川口市は南部の「キューポラ(鋳物)」と北部の「植木」が二大産業で、休日は「オート」と「ボート」の二大ギャンブル、そして夜は「風俗」の一大ハーレムという摩訶不思議な街でした。
それが現在、「キューポラ(鋳物)」がほぼ消滅し、「風俗」は壊滅状態、ギャンブルは未だ盛んのようですが、基本的には他市のこと、となれば川口の誇るものは「植木」だけということになります。
そのような背景を反映しているのかこのブースも「植木」がテーマとなっていて、「寄せ植え」といった体験教室が行われています。
確かに居住している住民にとっては、綺麗な空気の中で品行方正な街に居住することが何よりの価値でしょう。そういった方向へ向かっている川口もまた正しい選択なのでしょうが、よそ者の戯言として、懐かしさも半減といったところでしょうか。
でも、安行の植木や川口グリーンセンターは変わらずあるというところに、川口の歴史を見出す必要があるのかもしれませんね。

No.C-34「坂戸市」ここから右手側のシマにNo.C-34「坂戸市」があります。
タイトルは≪ひと・まち・いきいき”坂戸市の活力を魅せます”≫です。


坂戸市は埼玉県の中央部にある町ですが、個人的には地味な町に感じます。「東坂戸団地の桜並木」や「坂戸毎日マラソン」、「 坂戸市民まつり(坂戸よさこい祭り) 」などが著名のようですが、残念ながら100選は選外となっています。
こちらのブースでは写真コンテストの発表がされていて、市主催のコンテストが大々的に行われたのでしょうかね。その他、町の紹介映像や、学習の取り組みなどが紹介されていました。

No.C-33「草加市」坂戸市の隣がNo.C-33「草加市」です。


「草加市」へは今年二月の寒い時期に【草加せんべい】を求めて訪れました。

大学が草加でしたので比較的馴染みがあったこっとと、ちょうど2月に訪れたときに殺人事件が起きたときだったことなどを、スタッフの方と話し込んでしまいましたが、ありがたいことに最後の一枚ですと「草加せんべい」をいただきました。
タイトルは以外にも≪皮革クラフト体験してみませんか≫です。確かに草加の皮革は特産品ではありますがね。
ブースは草加市の生涯学習についてのパネル展示がメインで、特に体験コーナーなどはやっていなかったような気がします(昼時だったからでしょうかね)。
少しスタッフの方と話をしてみると、「草加市」の場合は懐かしいものを上手く残しながら、新しい発展を目標としているそうですが、これなどは先の「川口市」とは違った様々な発展の方法があるものだと勉強させられました。是非論ではなく。

「さいたま市」「ブランド」ゾーンももう後わずかです。
ちょうどHONDAのブースの裏側に当たるところに「浦和レッズ」と「大宮アルディージャ」のコーナーが仲良く並んでいます。記念写真が取れるようになっているのですね。


No.C-2「さいたま市」このコーナーを含めた大きなスペースがNo.C-2「さいたま市」です。
タイトルは≪学べる・選べる・生かせる生涯学習環境をめざして≫で、まだ若い「さいたま市」ですから、主に各区の紹介などのパネル展示がされ、さいたま市の伝統産業として「岩槻の人形」「大宮の盆栽」「浦和のうなぎ」が実物を展示して紹介されています。


これらはそれぞれ、【岩槻のひな人形】で「まちかど雛めぐり」を、【大宮氷川神社】で盆栽村へ、そして【浦和のうなぎ 】でうなぎまつりに訪れました。 合併後、広大なエリアとなったので、100選では「見沼田んぼと見沼通船堀」などまだまだ幾つか残っています。特に浦和には10年住んでいましたので、レッズを含めて愛着もひとしおです。
ただ、「浦和のうなぎ」で訪れたときに大宮は若者の街、浦和は年配の街という感じでした。昔は逆だったのですがね。
まあ、場所的にも近いのでこれからもちょくちょく出没することになるでしょうね。
なんと言っても今や買い物は大宮で結構事足りますから。

No.C-1「川越市」そしてその隣が「ブランド」ゾーン最後の(最初のブースが最後になってしまいました)No.C-1「川越市」で、タイトルは≪来て!見て!知って!小江戸川越≫です。


川越市にはもうすでに1年前になりますか、【蔵造りの町並と時の鐘】と【川越まつり】に出かけました。
川越まつりはすでに全国区といって良いほどの人出で、ちょうど来年(現在では今年)にNHK朝の連ドラに決定したと、開会式で市長が話されていたのも今や懐かしい話です。肝心の川越氷川神社へ行けなかったので残っている100選「喜多院」に行く際に見てみたいと思っています。
今年の川越まつり相当にぎやかだったようですが、それと反比例するかのように、ここの川越市のブースはもうPRする必要も無いといってるかのような、大きさの割にはアッサリとした展示です。
体験コーナーでは「絵合わせパズル」などがありましたが、それ以外は特に見るべき物もないブースで、ちょっとがっかりした川越市のブースでした。

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