歴史を尋ねる散策記。歴史の必然、偶然を楽しんでいます!!!!
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小さな神社に詰め込まれた歴史
『当佐四郎稲荷神社は地域の人々に鎮守の神として尊ばれ親しまれてきましたが東北上越新幹線建設に伴い移転を余儀なくされることになりました。
当原市下町々内にはその対応について種々の議論がありましたが町内全員による辛抱強い協議を重ねた結果全員一致で社殿を移転改築することに決しました。
社殿は本殿をそのまま移転し附随部分を新たに改築することとして昭和五十六年一月に着工、同年五月に完成することができました。
この社殿移転改築にあたり当町内の人々を始め国鉄当局など各方面の絶大な御支援ご協力を賜わり立派に完成することができました。
よってここに碑を建立して永く記念するものであります。』(移転記念碑より)
◆佐四良稲荷神社 : 上尾市原市2314
【左から正面・右側・背後の各鳥居】
移転してきた為、時代ごとの鳥居があったのかもしれませんが、なぜこんなに小さな境内に4本もあるのかは謎。
【社殿:拝殿(左)・社殿全景(中)・本殿(右)】
社殿は拝殿と本殿を繋ぐ幣殿を備えている。
本殿は流れ造りのようです。
【左:昭和11年の碑、右:昭和56年の碑】
昭和56年碑は概要の通り移転・改築記念の碑で、東北新幹線開通による移転であることから、恐らく比較的近くにあったものと推測されます。
一方、昭和11年の碑は老朽化による改築記念のようで、全文が判読できていないが分かる範囲で言うと、創建は江戸時代の慶長年間であるようです。
四郎べいどんと佐吉どん伝説
今から二百年ほど前のことです。原市村に四郎べいどんと佐吉どんという人が住んでいました。
二人は幼いころから、お伊勢参りに一緒にでかけるのが夢でした。
夏のある日、とうとう夢かない、夜明けとともにでかけました。まるで弥次さん喜多さんのような胸おどる道中で、二週間ほどかけて伊勢参りもすませました。帰り道、豊川稲荷で拝んでいると、不思議なことに、白ぎつねが二人にのりうつりました。
暮れかかる道々、宿をさがして足早に歩いていると、追いはぎにおいかけられてしまいました。二人は、あわてて逃げようとして、トウモロコシ畑の頑丈な根っこにつまずいてしまったのです。
もはやこれまで、という時に、のりうつっていた二匹の白ぎつねが目の前にぱっと現れました。そのきつねにおどろいた追いはぎは、一目散に逃げていきました。その後も、白ぎつねが守っていてくれたのか、四郎べいどんと佐吉どんは、無事原市村へたどりついたそうです。
どんなにか、ありがたかったのでしょう。二人は、お金を出し合い、佐吉どんの“佐”と四郎べいどんの“四郎”をとって、佐吉どんの家の裏手に「佐四郎稲荷」と名づけ、お社をたてました。
現在は社額にあるとおり、「佐四良稲荷神社」と書かれています。
境内左手に昭和11年の碑と並んである。
正面「青面金剛像、邪鬼、鶏、三猿」、左側「武州足立之群原市村 ここからさってみち」右側「正徳ニ壬辰天十月吉日 これからいわつきみち」とあり、幸手と岩槻の基点に置かれていたと考えられます。
これも移転されてきたものと思われますが、もとは何所にあったかは不明ですが、いずれにしてもすぐ近くでしょう。
上尾市指定有形文化財の【原市山車彫刻五基】のうち”その四”とされた4基目の山車が境内に保管されています。
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埼玉県上尾市在住で、埼玉県を中心に散策してみつけた歴史を楽しんでいます。
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