西の河原公園

西の川原通り入口西の川原通り入口湯畑を一巡りした後は「西の河原公園」を散策します。
丁度、「ホテル一井」の横の道が公園に向かう道で、「西の河原通り」という標柱が道の両脇に立っています。


セブンイレブンその横にセブンイレブンがあるのですが、どうも様子が違います。
よくよくみるとセブンイレブンのマークがおなじみの「オレンジ」「レッド」「グリーン」のコーポレイトカラーではなくダークブラウン一色使いです。
これはこのあたりの老舗旅館が黒・茶色を基調カラーとして落ち着いた佇まいで統一感を図っていることから、これにあわせた仕様ということなのでしょう。ちょっと珍しいものを見ましたが、POP関係はいつもどおり賑わっていますね。


「西の河原通り」を進みます。結構細い路地のような道ですが、しばらく行くと道の両側に店舗が並び温泉街の風情がにじみ出てきます。

手作り箸工房「遊膳」手作り箸工房「遊膳」店内最初にふらっと立ち寄ったのが”草津のお箸やさん”手作り箸工房「遊膳」です。
ちょっとレトロなつくりの店舗で箸を中心に販売しているお店です。
何故箸なのかがオジサンには余り理解できませんが、女性には受けるらしくてじっくり品定めを始めてしまいました。


道標暇な私はしょうがないので店の反対側にある、しょうもない道標の写真などを撮って暇をつぶしていました。


しばらくすると娘二人が色違いの箸、そして母が名入れの箸を購入したそうです。名入れは今日の夕方以降受け取れるそうなので、また後で寄ることにして先に進みました。
途中、小腹が減ったので、もち焼きせんべい「寺子屋本舗」でつまみ食いをしてみました。美味かったです。

温泉まんじゅうサンプリングそして更に進むと蒸しあがったばかりの温泉まんじゅうを通りかかった人に配っているではありませんか。なるほどこれがホテルの仲居さんが「温泉まんじゅうが嫌と言うほど食べられますよ」と言っていた真相ですか。更にお茶まで用意してあって、実に至れり尽くせりのサンプリングです。


この流に乗って温泉まんじゅうを戴いてみると、あっという間に4ケ食べてしまいました。味は特に言うこともなく・・・確かに温泉まんじゅうですという感想ですね。実はこのすぐ先の店でも配っていて、後のほうが若干美味しかったです。ただ、ここまで来る途中にあった温泉まんじゅうの「松むら饅頭」というお店が、なぜか売り切れで本日は終了との案内があったので、そちらの店の方に心惹かれるものがあり、とりあえず時間があれば明日寄ってみようかと、ここで買うことはせずに公園へ向かいました。

公園入口看板と鶴太郎美術館この先をしばらく行くと「西の河原公園 入口」の道標が立っていて、その先に「片岡鶴太郎美術館」が見えます。


西の川原公園特に「片岡鶴太郎美術館」には興味が無いので素通りし、いよいよ公園内に入りました。
確かに河原が続いていますが、其処かしこから温泉が沸きだしているようです。なかなか面白い光景です。


鬼の茶釜しばらく行くと左側に「鬼の茶釜」とかかれた温泉の湧き出し口があり、そのそばに碑と案内板があります。


鬼の茶釜碑
読人知らずの狂歌、西の河原公園を昔は鬼の泉水といい、訪れる人も稀であったという。河原一帯から温泉が湧き出しており、「鬼の茶釜」は代表的名温泉湧口であった。湧口は茶釜が沸騰するように異様な音をたてて湯を噴き出し、その湧口へ人が近づくと、足もとから音がぴたりと止まる。離れるとまた音が鳴りだす不思議な湧口として怖がられ、誰いうとなく「鬼の茶釜」の名がつけれてた。この付近には他に「鬼の盥」もあったという。』

鬼の茶釜碑そして「鬼の茶釜碑」にはこう刻まれています。


鬼の茶釜
わき出る湯口は、われもおそろしや、鬼の茶がまの湯土産噺』

今は音はしないようですが、夜などは不気味だったのでしょうね。

草津穴守稲荷神社「鬼の茶釜」の少し先には朱の鳥居が見えます。「草津穴守稲荷神社」です。


草津穴守稲荷神社の由来
明治40年ころ、東京の山崎染物店の主人が、草津へ湯治に通い病気平癒の記念に、常々信仰していた穴守稲荷をこの場所に分霊し勧請した。
本社の穴守稲荷社は、東京都大田区羽田5丁目に鎮座し、ご祭神は豊受姫命である。
奉斎分霊この方幾星霜、この度町内有志により、ご神徳を仰ぎ改築した。
平成13年6月吉日』

縁結び地蔵さらにその先には縁結び地蔵とやらが立っています。良い事あるんでしょうかねえ。


そしてその少し先が公園のメインとなるところでしょうか、案内板がありました。

西の河原公園
草津温泉街の西方にあるので「西の河原」と呼んでいます。昔は「鬼の泉水」といい、今も鬼の茶釜、鬼の相撲場などの名勝があります。
河原の至るところから摂氏50度以上の温泉が湧き出し、その量は毎分1万5千リットルに及んでおり、湯の川となって流れています。公園内には町営の大露天風呂や自然資料館(ビジターセンター)のほかに、日本近代医学の恩人ベルツ、スクリバ両博士の胸像や歌人斉藤茂吉の歌碑などが建っています。
四季の風光が素晴らしい温泉公園です。
草津町 草津町教育委員会』

ここが2つ目の主たる《源泉・西の河原》ですが、草津ホテルなどの内湯や凪の湯に使われているそうですが、何故か、この先にある「西の河原露天風呂」では、この源泉を使用していないのは何故でしょうか。
ただ、温泉の湧き出ている河原を公園化しているところは、やはり温泉街ならではの施設といえるでしょうね。

西の川原先ほどからずっと歩いてくるとあちこちで小石を積み上げているのが目に付くのですが、一体どういう意味があるのでしょうか。


今まで、意味が判らなかったのですが「西の河原」をパソコンで打ち込んでいて理由が(恐らく・・・ですが)判った気がします。
「西の河原・・・」と書いて正式には”さいのかわら”で、これを変換すると「賽の河原」となります。
で、この「賽の河原」は三途の川の河原の事を呼ばれ、親に先立って死亡した子供がその親不孝の報いで苦を受ける場と言われているところで、そのような子供たちが賽の河原で、親の供養のために積み石による塔を完成させると供養になると言われています。
この読みが同じことによって「西の河原」が「賽の河原」となり、積み石が行なわれるようになったのではないかなと推測でき、余り意味のあることではないような気がしますが、「賽の河原」では最終的にその子供達は地蔵菩薩によって救済されるということなので、信じるものはすくわれるのかもしれませんね。
ちなみに、この「賽の河原」の積み石は完成する前に鬼が来て塔を破壊し、再度、再々度塔を築いてもその繰り返しになるという 俗信があって、そのことから「賽の河原」の言葉は「報われない努力」とか「徒労」の意味で使われることもあるそうです。
鬼が出てくるところも確かにあっていますね。

ベルツ・スクリバ両博士胸像案内板のすぐ先には2体の胸像が建てられています。「ベルツ記念館」で見たベルツ博士とスクリバ博士の胸像です。
ここのも案内板があります。


ベルツ・スクリバ両博士胸像
明治時代、東京帝国大学(現在の東京大学)に、「内科にベルツ、外科にスクリバあり」といわれて日本近代医学の基礎を築いたのが両博士です。両博士とも無二の親友で、共に草津温泉を科学的に研究し、その医学的効能を世界に知らしめ、またスクリバ博士は、町民に無料で診察を施し、町民から深く親しまれました。
この胸像は、東京大学構内の両博士の胸像が、戦時中、供出されるときコンクリートでコピー(ベルツ記念館に展示)したもので、戦後草津町に贈られたものを、1992年(平成4年)5月に姉妹都市締結記念事業にて立て替えられたものです。
草津町 草津町教育委員会』

ベルツ記念館は2000年に建てられたので、現在ベルツ記念館にあるコピーが最初ここに置かれ、1992年に建て替えられ、古いコピーは一旦保管されたのでしょう、2000年に記念館に設置されたと言うことですね。まあ、それだけ草津にとっては恩人だったのでしょうね。

ベルツ先生記念碑また、胸像の右側には大きな碑があり、これにも案内板があります。


ベルツ先生記念碑
草津町指定文化財 エルウィン フォン ベルツ(1849~1913)
ベルツ博士の顕彰碑。ベルツ博士はドイツ人医学者で、東京帝国大学(現在の東京大学)医学部教授として、明治9年(1876)に来日。滞日30年に及び、我が国近代医学の基礎を築かれた人です。
明治11年に草津温泉を訪れてから、草津温泉の優れた効能と環境に魅せられ、草津を愛し、特に高温入浴法の「時間湯」は博士の温泉研究の貴重なテーマとなりました。博士は国内外の学会に驚くべき「時間湯」の治療効果を発表されました。この碑は昭和10年に建てられました。
草津町 草津町教育委員会』

記念の写真の現在記念の写真そういえばこの碑が建てられたときの記念の写真が「ベルツ記念館」にありました。
大勢の関係者が写っていますので、やはり草津町上げてのセレモニーだったのでしょう。現在では文化財ですからね。


水原秋桜子碑そして碑の更に右手には別の石碑があり、案内板もあります。


水原秋桜子碑
ベルツ博士胸像の傍らに建つこの句碑は、俳人水原秋桜子が、胸像にそそぐ秋日和のすがすがしさは、ベルツの心にふれているようだと、草津町の恩人ベルツ博士の遺徳をたたえて詠んだものである。句碑は秋桜子の友人であり、ベルツ博士に特に縁の深い石橋長英日本国際医学協会名誉会長より寄贈されたもので、昭和57年10月21日、ベルツ博士の生誕地であるビューティッヒハイム・ビッシンゲン市と草津町の姉妹都市締結20周年祭の折、序幕建立された。
草津町 草津町教育委員会』

「胸像は永久(永く・・・かもしれない)日本の秋日和」と刻まれています。

東屋風の休憩所この先には東屋風の休憩所があります。


斉藤茂吉碑東屋を抜けて河原の近くには斉藤茂吉の碑があります。


斉藤茂吉碑
山形県金瓶村(現在上山市)に生まれる。(1882~1953)精神医学者。ドイツに学び長崎医専教授。東京・青山脳医院長。アララギ派の歌人。最初の歌集「赤光」は近代短歌に衝撃的な影響を与えた。現代歌人の最高峰と評価され、文化勲章受賞。
戦後、山形県にこもったが、晩年の歌集「白き山」はその頂点に聳える作品といわれている。草津には昭和8年9月16日に輝子夫人と共に訪れ、望雲館に二泊した。その時の日記には、宿から白根山を見たスケッチが残されている。
草津町 草津町教育委員会』

「いづこにも湯が噴きいでて流れゐる 谷間を行けば身はあたたかし」と記されています。
「草津に歩みし百人」では訪れた文化人も多いようなので、ここだけに限らず句碑なども結構あるのでしょうね。
そのような意味でも「温泉と文化」なんでしょうかね。

西の河原露天風呂色々見物をしながら一応一番奥まったところにある「西の河原露天風呂」に到着しました。
ここは前述した様に”西の河原”の源泉ではなく、”万代の湯”を源泉にしています。


この主たる3つめの源泉”万代の湯”は正式には《源泉・万代鉱》と言うらしく、1970年に硫黄鉱山の坑道から噴出した新しい源泉で、温泉街から少し離れた高台にあり、摂氏90度以上の高温で草津一の湯量を誇り、ここをはじめ「ベルツ温泉センター」や多くの旅館の内湯に引かれているそうです。
西の河原露天風呂は500㎡の浴槽の大きな露天風呂だそうで、是非一度とは思うのですが、今回はパスすることにしました。着替えも何も持ってきていないので、女性としてはパッと入るわけにもいかないでしょうし。
時間もPM5:30も過ぎていますので、7時からの夕食前に一風呂浴びようとホテルに戻ることにしました。

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