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朝の湯畑

昨夜は疲れとアルコールによってグッスり寝たようです。年寄は朝早起きと揶揄していた自分がされる側になるとは、何とも悲しい定めですが、実際に早いのだから仕方がありません。
ということで、AM5:00には目覚めてしまいました。そして更に悲しいことには一度目が覚めると、もうしばらくは寝付けないということです。 折角早起きした朝ですからせめて有意義に使わなければと、これも悲しい貧乏性が垣間見えてくるのです。
何はさて置き朝風呂へ・・・
丁度朝は5:00から大浴場が開きますので早々と大浴場に向かいましたが、昨日の夕方より多いではないですか。結構皆さん早起きなんですね。 当然、朝も2種類の源泉を楽しんだのはいうまでもありません。やはり露天風呂の《源泉・万代鉱》はなにかシャキッとする感じですね。特に仕事に行くわけではないので、それ程シャキっとする必要もないのですが・・・
いつになっても朝風呂は気持ち良いですね。

早朝の湯畑風呂から上がって部屋で一休みしてから朝の散歩としゃれ込んでみました。丁度AM6:00ころです。 朝もまだ結構寒いですね。人もそれ程多くなく、湯畑の回りは結構静かです。
まづは昼と夜に向かった南西側へ向かいますと、昨日は気づかなかった石盤の案内がありました。


御汲上げの湯枠
湯畑の源泉の中に、四角に組まれた木の枠が沈んでいる。
この木枠の中の湯を「御汲上げの湯」と呼んでいる。八代将軍吉宗や十代将軍家治が、この湯枠の湯を樽詰めにして江戸城へ運ばせたことは有名である。慶長元年(1596)徳川家康が豊臣秀吉に勧められて草津の湯を、江戸城へ運ばせて入浴していたことも、近年、文献によって明らかになった。
豊臣秀次や、家康の正室旭姫、また、前田利家公なども草津温泉に入湯している。』

将軍汲み上げの湯の木枠この湯畑が「将軍・汲上げの湯」だと言うことは湯滝にある碑で知っていましたが、この木枠に意味があったとは驚きでした。昨日は何も感じることなく木枠をみていましたが、そういわれると妙に神々しく見えてくる・・・訳はないですね。


この御汲上げの湯ですが、件の草津町制施行100周年記念事業で「御湯御用行列」として実際に東京まで湯を運ぶイベントが開催されたそうです。
TOPページのみ残っていたサイトからの引用です。

草津町制施行100周年記念事業  御湯御用行列
時は慶長、徳川家康が豊臣秀吉の勧めで草津のお湯を江戸城まで運ばせ入浴した事に始まり、八代将軍吉宗、そして十代将軍家治も草津の湯を同様に入浴した事が文献に残されています。
草津町では町制施行100周年を迎え、ここで400年前に遡り、草津温泉の効能を全国に知らしめたこの史実を再現し、その由緒ある歴史から改めて草津温泉の素晴らしさを内外に承識していただくため、「御湯御用行列」を行います。
湯畑で行う「お汲み上げの儀」に始まり、「草津街道」「中仙道」をたどって東京へ入る延長四十七里(188km)、草津町民を代表する若衆達が桶を背負い、ひた歩きます。
道中、協賛をいただきます市町村においては、キャンペーンなども実施する予定ですので、是非最寄の会場へ足をお運び下さいます様、ご案内申し上げます。
● 期 間 平成12年11月5日~11月11日
● 主 催 草津町制施行100周年記念事業実行委員会』

ということで彼是8年前くらいに行われていたのですね。ルートを見ると上尾市も通過しているようで、大宮駅ではイベントも開催されていたようです。
全く知る余地もなかったですね。

白旗の湯昨日は気が付かないことがまたまたあり、「熱の湯」の先に共同浴場があったのですね。
これが「白旗の湯」のようです。


白旗の湯由来
源頼朝が、建久4年(1193)8月3日、浅間山麓で巻狩をせし時たまたま此処に湧き出ずる温泉を発見し入浴したと伝えられる。
当時は「御座の湯」と称していたが、明治30年に源氏の白旗に因んで「白旗の湯」と改称された。
草津温泉史に依る』

ここが先ほどもでた4つ目の源泉ですね。ホテルのすぐ横ですからこの源泉を使っているのも理解できますね。
ここに頼朝が座っていたと思うと身震いするくらい感動的ですね。

駒つなぎの杭また、湯畑に戻り「熱の湯」のあたりに戻ると、またまた昨日は気がつかなかった木の杭が並んでいます。例の湯畑をグルッと囲う石柵に沿って一回り外側に並んでいます。


駒つなぎの杭 「熱の湯」の反対側の店舗の前にも並んでいます。杭に説明がありました。


駒つなぎの杭
「草津千軒江戸構え」といわれた文化年間(1800年代)以降、草津温泉は年間20万人余りの湯治客でにぎわいました。その当時の輸送に主役は「馬」であり、この馬の疲れをいやす為にこの周辺に「馬の湯」がありこの湯に馬を入れる為、杭が多くつくられたものを古画図に基づき再現したのが、この「駒つなぎの杭」です。
平成7年3月 草津町』

現在ではガードレールの役割も果たしているようですが、細かいところにも手の込んだ演出がされていますね。
そして昨日同様ここから湯畑をグルッと回ると、昨日の「湯けむり亭」にも案内がありました。

湯けむり亭と松の湯
平成6年(1994年)「湯けむり亭」と言う四阿が建てられ、温泉が引き込まれました。
亭内には、手や足を入れて、お湯を膚で感じていただけるように、二つの湯だまりが設けられています。
この辺りには、天保年間(1830年代)に建てられた「松の湯」という共同浴場があって、昭和29年(1954年)に取り壊されるまで、多くの入湯客で賑わっておりました。
なお、「松の湯」の名の由来は「湯のいろみどりに見ゆる」から来たものと思われます。
また、草津節の一節には、次のような歌詞もあります。
主は白旗わしゃ熱の湯よ 千代の契りを松のお湯
平成8年6月 草津町』

所謂、四大共同浴場とでもいうのですかね。ますます草津の歴史を感じさせますね。

石つくりのコンパス石つくりのコンパス丁度、この「湯けむり亭」の先に石つくりのコンパスがあります。
台座には「平成改元記念・1989.12.18・草津温泉ライオンズクラブ」と刻まれ、もう一面には「ここの標高は1,156m」と刻まれています。やはり寒いわけですね。
盤上には各地の方角が示されていて、東京はちょうど東南の方向でした。


ロマンティッシェ シュトラーセ記念碑このコンパスの近くには「ロマンティッシェ シュトラーセ記念碑」と記載された碑と道標があります。


『「ロマンティッシェ シュトラーセ」 は、小諸・軽井沢・草津・日光の高原を結ぶルートです。
このルートの名称は 西ドイツのビュルツフルク ローテンフルク フュッセンフルクを結ぶ「ロマンティッシェ シュトラーセ」に由来して命名したものです。』

要するに昨日訪れた道の駅の日本ロマンチック街道のことですね。
そしてそのルートの両端である日光と小諸・軽井沢、そしてその途中にある草津をオブジェ的に配したのが上の道標というわけです。ちょっと古い草津と新しい草津の融合なのかもしれません。

朝の湯畑越のホテルその先から昨夜写した湯畑越しのホテルを撮ってみました。昨夜とはまた違った表情ですね。


朝の湯滝そしてまた湯滝の方に回ってみました。
ここでも昨日気が付かなかった石盤の案内があります。


湯畑
この湯畑は、草津温泉最大の源泉で温泉街は、湯畑を中心に発展してきた。
広さ約1,350平方メートル、湧出量毎分4,700リットル。温度60度(C)。
泉質は酸性-アルミニウム-硫酸塩温泉(硫化水素型)である。街並は江戸時代からほとんど変わっていない。湯畑の中に「将軍お汲上げの湯枠」が今も残っている。
また湯畑から滝をなして湯の落ちる「滝の湯」があって、薬師の湯十二本、不動滝三本、天狗の湯二本、桶で湯を引いて太い滝、細い滝、高い滝、低い滝の湯を落として、症状に応じて湯治に利用された。
湯畑の周囲には「松の湯」「熱の湯」という時間湯のほか「かっけの湯」「綿の湯」など特徴のある共同浴場があった。
湯畑に並ぶ大きな湯桶には、温泉に含まれるコロラド硫黄華(湯の花)を採集している。 』

朝の湯滝の燈篭さらにもう一つ案内があります。


湯滝の燈籠
湯畑源泉が湧き溢れて、湯桶を流れて落ち込む崖の上の古色蒼然としたこの石燈籠は、文政13年(1830)伊勢大々講中の人々によって寄進された。この源泉の脇にあった不動堂の常夜燈である。
日本画壇の巨匠川端龍子画伯が若い日に五月雨の湯煙の中の石燈籠に感動して「霊泉由来」と題する作品をのこして、当時、院展で樗牛賞を受け、画伯の出世作となった。』

朝の湯滝の燈篭なるほど昨日から見ていたこの燈籠も謂れがあったのですね。妙に古そうな感じはしていたのですが、それ故湯滝のグリーンとのコントラストが言い按配なのでしょうかね。
この川端龍子画伯の「霊泉由来」という作品は文京区目白台にある日本・東洋の古美術が中心の私立美術館である「永青文庫」が所蔵しているそうです。
そこにいけばみれるのでしょうか、ちょっと興味惹かれる思いです。


朝の湯滝こうしてまた湯畑を一周したのですが、今日は昨日よりも天気の悪い曇天模様。
恐らく朝日に輝く湯畑もまた違ったイメージなのでしょうか、凛とした空気の中の湯畑もまた一興でした。


ここから少し足を伸ばして散策を続けます。

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