旧三笠ホテル

旧三笠ホテルエントランス軽井沢中心地へ行く前にちょうど白糸ハイランドウェイの終点辺りに「旧三笠ホテル」があるので寄ってみました。
ちょっと手前にある専用駐車場に車をとめて向かいます。 遠くからでも格調高く見える建造物です。


旧三笠ホテルチケット門を通ってまずは400円の入場料を払って入場です。


旧三笠ホテル外観旧三笠ホテルエントランス建物の左側の部分とエントランス部分ですが、案内板があります。


『重要文化財 旧三笠ホテル
明治以降の近代日本の著名な建物が消えつつある中にあって、明治38年(1905年)に建築された三笠ホテルは、木造純西洋式ホテルとしてはわが国唯一のものとして高く評価され、昭和55年(1980年)5月31日に国の重要文化財に指定されました。
この建物の特徴は、設計・監督・棟梁が全て日本人で、施工は地元の人が当たりました。更に、デザイン的にも優れた技巧が随所に見られます。
例えば、湾曲したブランケット(腕木)で支えられた軒、太い縁取りの窓枠、階段の手すり、木製のカーテンボックスなどが代表的なものと言えます。
三笠ホテルは、実業家山本直良によって明治37年(1904年)の夏の着工、二年後の明治39年(1906年)5月に営業が始められました。以来、幾多の変遷を経て、昭和45年(1970年)10月の廃業まで、軽井沢高原の瀟洒なホテルとして、明治・大正・昭和を通じて多くの政財界人・文人墨客などが宿泊、会合等に利用し、現在は当地への来訪者に歴史的、建築学的に価値ある建物として脚光を浴びています。
昭和49年(1974年)に南側から現在地へ約70メートル移転し、昭和55年3月に㈱日本長期信用銀行から軽井沢町に贈与され、文化庁及び長野県の補助を得て町が保存修理工事を施工して保全にあたっております。
軽井沢町・軽井沢町教育委員会』

詳細な説明はサイトの方が詳しいです。
参考:【軽井沢観光ガイド】 http://kazeno.info/karuizawa/4-kyuu/meisyo/mikasa/mikasa.htm

ここは少し違った角度で、ホテルの歴史から捕らえた三笠ホテルをみて見ます。

日本の最初のホテルは1863(文久2)年「横浜クラブ」というホテルだそうです。勿論現存していませんが、明治ではなく江戸時代ですからちょっと驚きです。
日本人が建てた最初のホテルは「築地ホテル」で1868(明治元)年、清水喜助という人が施工したそうですが、後の清水建設の創始者だそうです。設計はJ・H・ブルジスというアメリカ人でした。
その後、今でも現存する有名ホテルが誕生していきます。
1870(明治3)年:「オリエンタルホテル」開業
1871(明治4)年:東京築地に「精養軒ホテル」、兵庫に「兵庫ホテル」 開業
1873(明治6)年:横浜に「横浜グランドホテル」、東京日比谷に「東京ホテル」、「日光金谷ホテル」 開業
1878(明治11)年:箱根宮ノ下に「富士屋ホテル」開業。
そして1890(明治23)年、東京にも世界に通用するホテルをという宮内省の援助を受け財界の有志(渋沢栄一と大倉喜八郎)が協力して「帝国ホテル」が誕生します。設計は有名なアメリカ人建築家フランク・ロイド・ライトです。
その後も、1891(明治24)年「京都ホテル」、そして軽井沢に「万平ホテル」が開業しました。
このような歴史の中で1906(明治39)年初めて全てが日本人によるホテルが「三笠ホテル」として開業したのです。
ちなみにこの3年後の1909(明治42)年、日本初のオリジナルな(和風外観)ホテル「奈良ホテル」が開業したそうです。
このような黎明期を辿ってホテル文化が華開いていったのですが、その一つの重要なファクターを「三笠ホテル」は持っているといっても良いのでしょう。

旧三笠ホテル銘板旧三笠ホテルスリッパ早速入ってみることにします。
エントランスでスリッパに履き替えるのですが、スリッパには三笠ホテルの紋入りです。粋な演出ですかね。


旧三笠ホテル模型2階に上がる階段のあるエントランスホールの右手の廊下の手間の部屋が資料室のようになっています。
当時の三笠ホテルのパネル説明などがありますが、中央にホテルの模型が置かれています。現在はちょうど上半分がなくなっていますが、それにしても明治期、しかも都心ではなく軽井沢という地にしては立派なホテルだったようでうね。


旧三笠ホテルロビー資料室の反対側がロビーです。
現在のホテルから見れば小さい空間ですが、当時の日本人にとってはまさしく社交場でしょうね。


旧三笠ホテルキーボックス入口付近に当時のキーボックスが現存しています。洋風ホテルらしく13号室が無く、反対に4号室や9号室はあったようです。やはり外国人を意識した作りだったのでしょう。


旧三笠ホテルロビーカウチ右の隅にはカウチが置かれています。カウチというとトリアノンのようなイメージですが、これも上流階級の婦人にしようされていたそうで、当時のものを修理・復元したものです。


旧三笠ホテルカーテンボックス窓を見ると案内板にあった「木製のカーテンボックス」が見れます。紋入りのボックスが重厚感と華やかさを与えています。


旧三笠ホテルの軽井沢彫りの家具ロビーのテーブルや椅子には細かい彫刻が施されています。これは初期の軽井沢彫りだそうです。


旧三笠ホテルロビーシャンデリアまた、上を見上げるとシャンデリアが下がっており本体は当時のものです。
最初はアセチレンガスを使用し”ほや”にガラスが使われていた時期もあったそうです。
一部は玄関天井にも使用されているとのことです。


旧三笠ホテル玄関シャンデリアロビーを出で玄関ホールを通ります。この天井のシャンデリアがロビーにあったものなのでしょうかね。


旧三笠ホテル凝ったデザインの軒そして、玄関の上にあるこの軒がやはり案内板にあった「湾曲したブランケット(腕木)で支えられた軒」でしょうか。
実に凝ったものです。


玄関ホールを通り過ぎて先の廊下に案内があります。

パイプ・ペンダント(複製)
筒でつり下げたランプの意味。金属の「金」で赤色をだしている。ロビー前の廊下にあるものが実物。』

旧三笠ホテルパイプペンダントこれがそうでしょうかね。
昔、長崎で購入したギヤマン(ガラス)工芸品で、赤色の花瓶を購入しましたが、それには金を混ぜるとその独特の赤色が出ると説明を聞きました。
まさにそれと同じものですね。


旧三笠ホテルツインルーム旧三笠ホテル客室バスタブ客室を見学します。 いくつかのタイプの広さになっています。
これはツインルームでしょうか。バスタブがいかにも西洋風という趣です。


旧三笠ホテルサンルームの窓枠部屋と部屋の間にはサンルームといった洒落たスペースが設置されています。
この窓枠などが案内板の「太い縁取りの窓枠」でしょう。外から見るとこんな感じですが、確かに窓枠がこれだけ主張する建築物も現在では余り無いでしょうね。そういった意味でもデザイン的に見るべきものなのでしょう。
案内板の説明があります。


サンルーム
午後のティータイム、どんな語らいがあったであろうか。明治のガラスは厚みが不均一の為、窓越しの風景がゆがんでみえる。』

旧三笠ホテルサンルームのガラスガラスにも意味合いがあったのですね。
実際に見ると確かにゆがんでみえます。ガラス自体まだまだ一般的ではなかったでしょうから。


旧三笠ホテル暖炉とタンス別の部屋を見ると、どの部屋もそうですが「暖炉」と「タンス」がすべて設置されています。
現在なら当たり前ですが、逆に重厚感が醸し出されていますね。


旧三笠ホテルベビーベッドこちらはベビーベッド付です。こんなところも実に西洋風です。


旧三笠ホテルトイレ一番奥にトイレが設置されています。おそらく当時からすると大層綺麗で清潔に見えたでしょうね。
ただこの当時で西洋式トイレですが、旨く日本人は使用できたのでしょうかね。


廊下の上にまた別のペンダントがあります。

チェーン・ペンダント(複製)
鎖でつり下がっているランプの意味。金属の「金」で赤色をだしている。実物は中央階段天井に唯一残されているだけである。』

旧三笠ホテルチェーンペンダントということで、また玄関ホールの中央階段へ戻ります。まさにこれですね、この赤です。


旧三笠ホテル階段手摺そして「階段の手すり」も華美ではなく、そこはかとなく彫刻されています。
こういったところもデザイン的に評価されるところなんですね。


一通り見学も終了しました。
現在のホテルと比べれば規模的にはホテルとは言えないような建物で、ある意味大型別荘といった風情ですが、建築的には非常に価値ある建物なのでしょう。素人にはその価値がおぼろげながらしか理解できないのが残念です。
しかし、シンプルながらも細かいところに凝った演出(デザイン)を十分感じることができます。これらのデザインこそが明治期の明治時代を生きた人々のスキルもさることながら気概なのかもしれません。当時の様々な思いの詰まった旧三笠ホテルは必見に値するでしょうね。
これで最後のプリンスアウトレットに向かいます。天気も晴れて気持ちの良い午後となりました。

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