上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

白水阿弥陀堂

一夜明けた8月2日の日曜日。昨日より更にどんよりした曇天で気分がどうにも乗りそうもない天気でしたが、天気予報は一日中曇りとかで、まあ、雨が降らないだけましでしょうかね。
グッスリ寝たお陰で身体もスッキリし、簡単な朝食の後、AM9:30には家を出て最大の目的地に向かいます。
そもそも今回、私は特に行く予定にはしていなかったのですが、たまたまTVでオンエアーされた「ザ・プレミアムシート」という旅番組の再放送を見ていて、福島唯一の”国宝”が家内の実家の近くにあったことを知り、行ってみようかと思ったのが今回のきっかけでした。 それが「白水阿弥陀堂」です。

白水阿弥陀堂、観光案内所家から車で30分程度で到着です。観光案内所と書かれている建物のあるスペースがどうやら駐車場のようです。


車を停めるといきなり係りの人がやってきて1枚のチラシを渡されました。曰く「新しい観光スポットが誕生しました。常磐炭田発祥の地”みろく沢石炭の道”です。」とのこと。更に「日本で一番小さい資料館もあるので観てやってください」といわれ、もともと今回は「いわき市石炭・化石館」に行ってみようと思っていたので渡りに舟とばかりに寄ってみることにしましたが、兎に角まずは阿弥陀堂です。

白水阿弥陀堂案内図駐車場から阿弥陀堂方面に歩いて向かうとジオラマ風の地図があります。


『白水阿弥陀堂境域の中には、阿弥陀堂と庭園が、創建当初の姿を残し、加えてそれらを取り巻く四周の環境がよく保持されており、12世紀のわが国の文化を代表する浄土庭園のひとつとされています。
阿弥陀堂の背後に経塚山、西に朝日滝、東に夕日滝と称されるところもあり、境域全体が極楽浄土の世界を想起させます。
また、境域は、大門跡を境に内院と外院とに区切られています。外院には、伝小御堂跡・伝中ノ坊跡があり、内院には、平安時代後期建立の国宝建造物である阿弥陀堂があります。
その内陣には、国指定重要文化財である木造阿弥陀如来及び両脇侍像等5体の仏像が安置されています。昭和43年以降、国庫補助事業として、土地公有化や庭園の復元整備事業が進められました。
指定年月日 昭和41年9月12日
所在地 いわき市内郷白水町字広畑・大門地内
指定面積 約24.4ha
平成6年3月 いわき市教育委員会』(地図内の解説文より)

またこの境域についての詳細な説明もあります。

国指定史跡 白水阿弥陀堂境域
白水阿弥陀堂境域は、昭和三十七年の発掘調査により、東西池の汀線・石組・州浜・中島にかかる橋跡が確認され、浄土式庭園を伴った寺院であることが明らかになりました。
十一世紀頃から、釈迦入滅二千年後は、世が暗黒の世界になるという末法思想が普及し王朝貴族は西方浄土の光明を求めて阿弥陀堂を建て、浄土に往生することを願いました。
白水阿弥陀堂境域の浄土式庭園も、このような思想的背景によって造営され、経典の説く理想をこの世の地上に具現したものと考えられています。
白水阿弥陀堂境域は、お堂と浄土式庭園、加えて自然空間をとりまく環境がよく保存されており、当時の東北地方南部の仏教文化を考えるうえで貴重なものであることから、昭和四十一年に国の史跡に指定されました。
その後昭和四十三年以降、周辺の土地公有化と、庭園復元事業が行われ、十二世紀の創建当初の姿に復元されました。
指定 昭和四十一年九月十二日 いわき市教育委員会』(現地案内板より)

源義家といい阿弥陀堂といいやはり平安時代と切っても切れない土地なのでしょうかね。ま、それだけの歴史を持っている魅力ある土地だということが理解できるようで、この境域だけでも、「国宝」「重文」「史跡」の3つもの文化財がある事からも伺えますね。

補足として沿革を記載します。

『願成寺国宝白水阿弥陀堂は、今を去る約八百五十年前、人皇二条天皇の御宇、永暦元年(一一六〇)三月、鎮守府将軍藤原清衛の娘であった岩城の国守岩城太夫則道公の夫人徳姫が、慈白水に霊地を得て、一寺を建立し、無量寿院願成寺と称し、大徳の智徳上人を第一世をして住持された。 姫は則道公の歿後、智徳上人に帰依し、剃髪して徳尼御前とよばれ、亡夫の冥福を祈らんがため、この地を選んで阿弥陀堂を創立したのである。御堂の両側には広大な浄土庭園が造営され、今日その復元をみたのである。
白水の地名は、徳姫の故郷奥州平泉を分字して白水と名付けたと伝えられている。』(パンフレットより)

ここにも不思議な縁がありますね。「後三年の役」で源義家に助けを求め、その戦役で勝利した藤原清衛の娘が、源義家所縁のこの地に阿弥陀堂を建立したのは単なる偶然なのでしょうかね。
それにしても”泉”を分字して”白水”とはなかなか面白い話ですね。奥州平泉の文化がここにも残されていたということでしょうね。
ちなみにこの阿弥陀堂は、中尊寺金色堂(岩手県平泉町)、高蔵寺阿弥陀堂(宮城県角田市)と共に東北3大阿弥陀堂のひとつに数えられていているそうです。

まずは早速大門跡に向かいます。
特に形跡があるわけでもないので、ここに門があったのでしょうとイメージを膨らませるところです。

白水阿弥陀堂立ち入り禁止但し、今回は非常に残念なことに浄土式庭園のシンボルでもあるかのような朱色の「反り橋」及び「平橋」は、寺務所の改築工事の為、進入禁止となっており、今回は池をグルッと回って散策するルートのみのようです。
まあ、これもポジティブ・シンキングで考えれば儲けものでしょうね、このような写真が撮れたのですから(と、強引に思う!)。


白水阿弥陀堂反り橋白水阿弥陀堂平橋池に沿って時計回りで散策しました。
草花や橋が池に映えて確かに美しい情景です。家内も思い出したように子供の頃遠足だか何かで来た記憶があるようです。当時は友達とのおしゃべりなどが楽しかったなど記憶があるそうですが、残念ながら庭園や阿弥陀堂などの記憶はそれ程鮮明ではないようです。ま、当然といえば当然ですね。浄土庭園や阿弥陀堂に感動し、心引かれる小学生がいたら・・・是非ともお友達になりたいくらいです。
1200年前の歴史ロマンに浸る小学生・・・居る訳ないでしょう。


白水阿弥陀堂拝観券池を半周するとちょうど阿弥陀堂の裏手になり、ここから阿弥陀堂を見学できるようです。
拝観料400円を支払って入りました。


白水阿弥陀堂平安時代のやはり歴史の重みのようなものを感じます。当然古いのですが、よく手入れがされているようで(当たり前か)、単に古いだけというイメージではなく、静かにじわじわと圧倒される・・・といったイメージでしょうか、さすがに国宝ですね。


堂内はそれ程広くはありませんが、やはり古くても威厳を持ったような像が立ち並んでいます。
堂内にいる僧の方が説明をしてくださるそうなので、像の前に座って拝聴しました。その時の説明と同じ様な内容のものがパンフレットにもありますので掲載しておきます。

願成寺阿弥陀堂
堂は願成寺をさる200mの境外地にあり、方三間単層宝形造り?葺で、内陣の四天柱は十二光仏を図現し、本尊表裏の来迎壁板の額縁には文様の跡があり、長押しにも繧繝彩色の宝相華の文様が残っている。内陣、外陣共折り上げ小組み格天井で、殊に内陣小組格天上に宝相華の文様が画かれ、その一部が残っている。堂内周囲の壁版にも全部壁画が図視されておったが、悉く剥落し、一面に僅かにその面影が残っている。

阿弥陀三尊像、天王像
本尊阿弥陀如来は、寄木造漆箔の御像で、静かに流れる浅い納衣の衣文、透彫の飛天光背と九重の蓮華座に座るこの時代の典型的なものである。こま目のよく整った螺髪、まことに円満具足な重厚温雅な慈眼、名工定朝の完成した優雅な像容が一つの類型に達したさまがよくわかる。造巧はまことに丁寧で、仏、光、座のすべてが入念であり、台座の魚鱗式蓮台、華盤、反り花などに魚々子を刻んださまはこの時代の代表的な手法を示している。脇侍として勢至菩薩、観世音菩薩も同様の手法である。持国天王、多聞天王(伝増長天王)立像は寄木造り極彩色の跡が残っており、仏法護持の御姿である。』(パンフレットより)

よくみると確かに宝相華の文様が天井に見ることが出来ます。復元したサンプルが奥に展示されているのですが、細かい技巧と美しさに感嘆するばかりでした。

白水阿弥陀堂長押しまた、長押しと呼ばれる横に張った柱にもうっすら文様が残っているのですが、それ以上に長押しの下に復元したサンプルが展示されているのですが、その色を見れば堂内がいかに煌びやかであったことが推測できました。
堂内は撮影禁止なので、外から望遠で長押しだけ撮影してみました。(これはOKですよね・・・ダメですか?)


像についての良し悪しはよくわかりませんが、静と動、明と暗の様な対比的な像が並んでいて何となくクリエイティビティです。
結局像は5体あり、それぞれの像が文化財となっていました。

阿弥陀如来像 : 平安時代、寄木造り、漆箔、坐像 - 国指定重要文化財
観世音菩薩像 : 平安時代、寄木造り、漆箔、立像 - 国指定重要文化財
勢至菩薩像 : 平安時代、寄木造り、漆箔、立像 - 国指定重要文化財
持国天像 : 平安時代、寄木造り、極彩色、立像 - 国指定重要文化財
多聞天像 : 平安時代、寄木造り、極彩色、立像 - 国指定重要文化財

まさに平安ロマン(・・・なんてものが有るのか無いのか知りませんが)をたっぷり堪能して阿弥陀堂を後にしました。
ここからまた時計回りで残りの半周を池沿いに散策します。

白水阿弥陀堂浄土庭園大門跡から見て左側の池の周囲には蓮の花が咲いています。寺院にロータスとはまさに極楽浄土のイメージですね。
我々の世代で言うなら横尾忠則の世界とでも言いましょうか。
蓮の花をとおして平安絵巻が見えるような、まさに浄土庭園の真骨頂ですね。


浄土庭園
浄土庭園とは、平安時代中期から阿弥陀堂などの仏堂の前に造園された園池を「浄土庭園」と言う。経典では極楽浄土に七宝の池があり八つの功徳水が池に満ちて蓮華が咲きこの様な世界を具現化した庭園です。ここの庭園の特徴は、阿弥陀堂が南面し、背後に経塚山を主として山々が取り巻いており、山々を蓮の花にたとえて作庭された。現在の庭園は昭和四十七年から復元された。』(パンフレットより)

昭和47年からの復元とあるので、それまでは阿弥陀堂だけがポツンとあったのでしょうかね。
そもそもこの浄土庭園は日本に伝来した浄土思想からくるもので、奈良時代の思想は死んだ方を追善する慰霊の意味合いを持っていたそうですが、平安中期以降は自分の死後、極楽浄土の往生することを願ったものに変わったのだそうです。
その中でも11世紀末に造営された白川院の鳥羽離宮が当時の代表的な浄土形式の構成だそうです。
そして京で造営された、これらの浄土形式の建築と庭は12世紀初期に平泉に作られ、清衡の中尊寺や基衡のつくった毛越寺は比較的原型を留めていると言われ、基衡夫人の観自在王院もまたこの白水阿弥陀堂とともに奥州藤原文化の一つとして浄土庭園がつくられているそうです。
いずれにしても貴族社会最後の煌びやかさがいわきの地にも残っているということでは非常に貴重な場所と言えるでしょうが、それにしても復元されたのは随分最近なんですね。
今回は時間の都合でいきませんでしたが、この近くには願成寺の本坊や山の坊と呼ばれるところがあるのですが、そちらにも庭園などがあるそうなので別の機会に行ってみたいと思います。

白水阿弥陀堂参道前のかつてのお土産屋帰り道、参道の横にあるもう廃業してしまったようなお土産屋がありました。恐らくかつては観光客で賑わった名残のでしょうかね、ちょっと浄土庭園との対比で寂しい気分になる光景でした。


駐車場に戻ると先ほどの係りの方がじっと見ているので、「これから行きますよ」と言うと「よろしく」と返事をしてくれました。
次は新観光地の常磐炭田発祥の地です。

黒ダイヤの道と言っている矢先に家内が駐車場にある観光案内所で売られているお菓子を買ってきました。
「黒ダイヤの道」と名付けられた所謂、ラスク風のお菓子です。


フランスパンを薄切りにしてそこに炭を混ぜて黒くし、油で揚げてから砂糖をまぶしたものです。
「黒ダイヤ」とはまさに高度成長期時代の”石炭”のことですね。そしてそこに向かう道。まさにこの地にあってぴったりのお菓子です・・・が、若干無理があるように思えるのですが。
でも意外と美味しかったので、見た目を理解してもらえばそこそこ名物になるかもしれませんよ。

関連記事
スポンサーサイト


コメント

    コメントの投稿

    (コメントの編集・削除時に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)


    トラックバック

    Trackback URL
    Trackbacks


    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。