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いわき市考古資料館

復元住居馬の温泉を出て車で5~6分のところに「いわき市考古資料館」があります。
駐車場に車を停めると早速駐車場内にインパクトある縄文時代の復元住居がありました。


縄文期復元住居
この復元住居は、常磐下湯長谷町に所在する磐崎中学校遺跡の発掘調査で発見された縄文時代の中頃(約4,500年まえ)の竪穴住居跡の規模や柱の位置を模して製作したものです。
この頃の竪穴住居は、地面に直径5~6m、深さ約50cmの穴を掘り、その中心に、4~5本の主柱を建て、周りには支柱を円錐状に組み立て、屋根は萱を葺いたり土で覆ったりしていたようです。
家の真ん中には、川原石を組み合わせた囲炉裏(炉)が設けられています。囲炉裏には、食べ物を煮炊きする(レンジ)・暖をとる(ストーブ)・明かりをとる(ライト)など様々な用途があります。
そして、囲炉裏を囲んでの団らんの中、子供たちは、父親からは狩りの方法・母親からは調理の方法などを教わっていたのでしょう。』(現地案内板より)

”いわき常磐ロータリークラブ創立40周年記念事業”の一貫として作られたモニュメントのようです。

資料館外観目を転じて資料館を眺めると、建物は2階建てでそれ程大きくも無く、南米アンデス風のカラフルな模様が配された建物です。


中田横穴原寸テープ中田横穴説明エントランスを入ると早速意味不明のものがあります。死体・・・!? 
そんな訳ないでしょう、しかも大きすぎるし。
ということでロビーにはなにやらテープで縁取りされた模様が貼られています。
係りの方の説明によると、この縁取りされたテープがいわき市の史跡・中田横穴の原寸平面を表示したものだそうです。


『国指定史跡 中田横穴
所在地:いわき市平沼ノ内字中田地内(出土遺物は一括県指定重要文化財)
中田横穴は、中央と関係のある有力な豪族が葬られた古墳時代後期(約1400年前)のお墓で、昭和44年1月工事中に偶然発見されたことから、発掘調査が行われ、昭和45年5月11日に国の史跡に指定されました。
大きさと形
普通の横穴と違って、部屋が2つ連なっています。入口からの奥行は6.67m、そのうち奥の部屋は、長さ2.6m・幅2.8m・高さが2.28mで、床面は四隅が丸まった四角形をし、天井はアーチ型になっています。床面には、排水溝も認められます。規模の大きさに驚かされます。
装飾文様
奥の部屋の周囲の壁には、赤と白の顔料により一辺約40cmを計る三角模様が三段にわたって描かれておりわが国の装飾横穴墓を代表するもののひとつとされています。
赤色は酸化第二鉄(ベンガラ)、白色は白粘土を用いています。
大量の副葬品
勾玉・管玉・青銅製釧などの装飾品が385点、鉄族などの武器類やよろいなどの武具類が747点、わが国最大級の金銅製馬鈴はじめ鞍金具・壺鐙などの馬具が169点、このほか土師器・須恵器などの土器類など多彩な遺物が合わせて約1300点ほど出土しています。』(館内・解説シート①より)

このような横穴墓は九州から山陰、近畿をはじめとし、北陸、東海をへて、特に南関東が多いようで、北限は宮城県北部といわれています。単独で存在することは稀で、おおむね複数からなる横穴墓群を構成し、九州および関東から東北地方南部の太平洋沿岸では、彩色が施された例もいくつかみられ、これらは装飾古墳にも位置づけられるそうです。こういったことからも中田横穴は非常に貴重で珍しい形式の横穴墓といえるようです。
ちなみに有名な横穴墓としては、南から石貫ナギノ横穴墓群(熊本県玉名市) 、高井田横穴墓群(大阪府柏原市) 、十王免横穴群(島根県松江市)、 塚越横穴墓群(東京都大田区) 、市ヶ尾横穴墓群(神奈川県横浜市青葉区) 、市宿横穴墓群(千葉県君津市) 、吉見百穴(埼玉県比企郡吉見町) 等があげられます。

中田横穴説明パンル展示そして隣にはその中田横穴の内部の写真がパネル展示されていますが、確かに鮮やかな朱色と言ってよいでしょう、実に印象的な色と模様です。
この建物の南米アンデス風の模様と思っていたのはこの横穴の模様をモチーフとして使用されていたのですね。


そして中田横穴の副葬品が展示されているのが第1展示室です。
展示室内は撮影禁止なので写真はありませんが、かなりの点数の副葬品が並んでいました。建造物や構造物などには非常に興味があるのですが、どうもこの手の副葬品などはどうも良く価値が判りません。ですが印象からいえば圧巻でしょうね。
さらにこの第1展示室には中田横穴以外の古墳や横穴の展示もされています。

いわきの古墳・横穴
古墳時代とは、前方後円墳や円墳などの盛土をもった高塚古墳と、斜面に穴を掘った横穴古墳などが造られた約1700年前から1300年前頃の時代をいいます。この時代を3時期に分け、前・中・後期と呼んでいます。
高塚古墳
市内には約50ヶ所以上の古墳群があり、200基以上の高塚古墳が見つかっています。
県史跡で約1700年前頃の全長約120mを計る前方後円墳である玉山古墳(四ツ倉)、100基以上の古墳からなる横山古墳群(平)、国史跡の円墳である甲塚古墳(平)がある。
遺体を安置するために板石を組み合わせた箱式石棺や陶棺も発見されています。
横穴古墳
市内には90ヶ所以上の横穴墓群があり、3000基以上の横穴墓が見つかっています。
通常横穴墓は、市史跡で出土遺物が県重要文化財である八幡横穴墓群(平)のように30基くらいで群をなしていますが、弾正作横穴墓群(四島)や腰巻横穴墓群(平)のように100基以上で群をなす横穴墓もあります。
中田横穴や腰巻横穴墓群からは、装飾された横穴も発見されています。
優れた副葬品
いわきの横穴墓の大きな特徴は、中田横穴出土の数多くの金銅製品をはじめ、白穴横穴墓群(平)出土の金銅装太刀、八幡横穴墓群出土の幡金具など、全国的にみても一級の遺物が横穴から発見されることです。』(同館内・解説シート①より)

中田横穴以外にもいわき市には古墳や横穴墓が多く、それらの展示がされていましたが装飾横穴の装飾はどれも鮮やかな朱色が印象的でした。

第1展示室から第2展示室に移ります。
第2展示室のテーマは旧石器時代から江戸時代の遺跡の遺構・遺物を時系列に展示されています。
最初のコーナーは様々な土器類の展示で、かなり展示数が多いのに驚きました。縄文・弥生・古墳・・・とかつて学校で習った通りの紋様・形態で実に判りやすい展示です。

土器のうつりかわり
発掘調査で発見されるものには、土器・石器・土製品・木製品・金属製品のほかに動物の骨や植物の種などがあります。これらの中で、もっとも多く発見されるのが「土器」です。特に、縄文時代は約1万年間という年月があり、この間には多くの人の手で無数の土器が作られてきたことでしょう。
縄文時代に誕生した土器は、それまで「生」では食べることができなかったものが煮炊きをすることによって「食料」となり、人々の食生活を一段と豊かなものにしてくれました。
最初に作られた土器の底は尖っており、地面に埋めて使われました。その後、底が平らなものがあらわれ、サイズも大きくて肉厚な土器から薄く小型な土器も作られるようになりました。
縄文土器の形には、煮炊きに用いた深鉢(今の鍋・釜)や盛り付け用の鉢・浅鉢・台付鉢・皿・注ぎ口の付いた土器・香炉のように吊り下げて使われた土器もあります。
弥生時代には、縄文土器よりも高い温度で焼かれた、薄くて硬い土器(貯蔵用の壺・甕・高杯など)が出現します。古墳時代以降平安時代の土師器という土器にはほとんど紋様がありません。鎌倉~室町時代以降には瓶子・碗・おろし皿・片口鉢・擂鉢など、より生活に密着した機能的な形態が生まれてきました。
紋様は、縄目紋や貝殻紋、ヘラ書きによる幾何学紋をもつものから、まったく装飾紋様をもたない古墳時代以降の土器へと移り、やがて「登り窯」を利用したより硬い「セトモノ」が大量に生産されるようになりました。作りも、粗雑な土器がある一方で、器面がていねいに磨かれた土器が多いことに驚かされます。これらを見ると、紋様や形、つくりや大きさは似ていますが、地域や地方、また、作られた年代などの差によって、少しづつ異なっていることに気が付くことでしょう。
今は何も言わない土器たちが、「モノ」を大切にしない現代の私達に何かを呼びかけているようです。』(同館内・解説シート②より)

土器の展示の次のコーナーは「貝塚」です。

貝塚の世界
貝塚って何だろう
貝塚は、縄文人が貝殻を大量に捨てた「ゴミ捨て場」といわれ、貝殻のほかにも、獣・鳥・魚などの食べかす、壊れた土器や石器、鹿の角を利用して作られた釣り針などが捨てられています。中には丁寧に埋葬された人や犬の骨が発見されることもあります。これは、貝殻の成分(カルシウム)により、普通の遺跡では残らない骨や角などが保存されているためです。当時の生活用品を多く出土する貝塚が「縄文時代のタイムカプセル」と呼ばれているのは、このためです。
このように人や動物を埋葬したり、折れてしまった道具などをまとめて埋めたりしていることから、貝塚は単なるゴミ捨て場ではなく、自然の恵みや道具に感謝すると共に、命や役目を終えたものを1ヵ所に集めて再びよみがえることを祈った「神聖な場所」だと考えられています。
貝塚から判ること
①貝塚のごみは、捨てられた順序で積もっていきます。当然、下のものが古く、上のものが新しくなります。このことから、長い年月の間の道具類や生活の変化を調べることに役立ちます。
②貝塚から見つかった食べかす(骨)や道具類を調べることにより、漁や狩りなどの仕事内容や食生活、さらには当時の周辺の環境をも推測することができます。
③貝塚は、海岸に近い場所にあると考えられ、その場所を調べることにより、昔の地形がわかります。

いわきの貝塚
現在、貝塚は全国で約2500ヶ所以上発見されています。太平洋沿岸に多く、日本海沿岸には少ないようです。なかでも、東京湾沿岸、霞ヶ浦周辺、仙台湾から三陸沿岸に多く見られます。
いわき市内では、夏井川、滑津川、矢田川、藤原川、鮫川の下流域に30ヶ所の貝塚が確認されています。このうち縄文時代の貝塚は24ヵ所です。弘源寺貝塚・下山口貝塚・薄磯貝塚(平)、寺脇貝塚・綱取貝塚(小名浜)、大畑貝塚(泉)などでは発掘調査が行われています。鹿の角や骨で作られた釣り針や銛などの漁具などが豊富に見つかり、貴重な資料が発見された貝塚として全国的にも知られています。こうしたさまざまな漁具は、現代の私達に縄文人の知恵と技術の高さを教えてくれます。』(同館内・解説シート③より)

このコーナーで興味深いのが「薄磯貝塚・貝層剥ぎ取り断面」という展示です。
地層の断面を薄く切ってその中に貝をはじめ様々な食べかす(獣・鳥・魚の骨)や道具(釣具など)を見ることができ、年代によって食べたものや道具などの変遷を多面的に見ることができる展示です。これは一見の価値ありですね。

その後、「道具の変遷」や「古代人について」のコーナーがあり、かなり盛りだくさんの展示でした。
無料とは言えかなり力の入った資料館ですので、この時代が好きな人は勿論、余り興味のない方でもわかりやすく見られるところが良いかもしれませんね。

参考:【いわき市考古資料館】http://www.iwaki-koukoshiryoukan.jp/

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