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いわき市石炭・化石館

空模様も怪しいのでいわき駅裏手の旧城跡を後にして、一路国道6号線を湯本方面に戻りました。ちょうど時間はPM2:00過ぎです。
湯本駅近くまで来るとちょうど左手に「いわき市石炭・化石館」があるので、ここなら雨が降ってもOKとばかり行ってみました。
もともと前回いわきに来た時に行こうとは思っていたのですが、そのときは弥勒沢の【みろく沢炭鉱資料館】に寄ったのでこちらには来なかったのです。
「みろく沢炭鉱資料館」は民間の手づくり的な資料館で、こちらはいわき市立ですから規模がちがうでしょうね。だからと言って「みろく沢炭鉱資料館」が面白くないわけではなく、十分堪能できる資料館でした。
こちらはこちらでまた違った楽しみ方ができるのではないかと思いますね。

駐車場のSLさて駐車場に車を停めると早速SLがお出迎えです。メジャーな「デゴイチ」で約25年間常磐線を走っていたものだそうです。鉄っちゃん、鉄子には受けるでしょうね。


エントランス前入口に向かうとまずは恐竜が目に入ります。
これは昭和43年に市内で発見された「フタバスズキリュウ」という首長竜のブロンズ像で、海を泳ぐ姿を復元し、この館の10周年記念として建てられたものです。
また、建物の上方には櫓のようなものがたっています。


坑夫の像また、恐竜のブロンズ像の左先に石像があり「坑夫の像」があります。特に説明はありませんが石炭のシンボルとしてつくられたのでしょうね。


片寄平蔵の蔵更に右手には「片寄平蔵之像」があります。片寄平蔵もまた「みろく沢炭鉱資料館」で知った、いわきで最初に石炭層を発見した偉大なる人です。まあ、ここには相応しい像ですね。


チケットここで入場料640円を払って入館します。


フタバスズキリュウの標本骨格の複製エントランスのロビーには先ほど表にあった「フタバスズキリュウ」の化石が展示されています。


外のブロンズ像での解説では「昭和43年に市内で発見された」と書かれていますが、当時高校生だった鈴木直さんが発見したそうです。鈴木君はいわき市久之浜の小さな川に面した崖で、サメの歯の化石を見つけたのですが、その場所を掘り続けるうちに爬虫類の背骨らしい化石を見つけました。連絡を受け本格的な発掘が始まり、その結果8000万円前の「クビナガリュウ」のほぼ全身の骨格が出現したそうです。
クビナガリュウの化石が発見されたのは日本で初めてのことで、歴史的発見の意義を込めて、発見された地層名である「双葉層」と少年の名前から「フタバスズキリュウ」と名付けられました。
現在本物は東京国立博物館にあり、ここにあるのは復原された骨格標本の複製です。
まあ、それにしても意外と少年の力って全国的に侮れないのですよね。

イワキクジラ化石ロビーから展示室へのプロローグが「いわきの石炭と化石」と題されたコーナーです。
左手に大きな「イワキクジラ」の骨が展示されています。
これは昭和53年四倉高校付近で発見されたそうで、クジラ化石の中には肋骨に大型のサメの一種であるホホジロザメの歯がささっていたのもあったそうです。


長倉炭鉱塊炭また、奥には「長倉炭鉱塊炭」という石炭の化け物がありました。
約3500万年前の地質だそうで、湯の岳付近の長倉炭鉱5坑右-延長坑から産出し、重量は約1トンだそうです。


他にもさまざまな化石がありますが、どれもこれも結構度肝を抜かれる展示物です。

次のフロアーは「化石展示室」です。

オオナマケモノ展示室の入口には「オオナマケモノ」が展示されていますが、いくらオオナマケモノといってもこれほど大きいものなのでしょうかね。
4m以上もあるなんてちょっと驚きです。


化石展示室メイン展示場に入ると化石の宝庫で、様々な恐竜などが所狭しと展示されています。好きな人にはたまらないでしょうね。
暫し太古のロマンに浸って・・・ という柄でもないですかね。
ここでは「触れる化石」と題してアンモナイトなど実際に触れても良い化石が展示されています。これはなかなか良い企画だと思いますね。子供たちには喜ぶのではないでしょうかね。


2階のフロアに移るとそこは「石炭展示室」です。

石炭展示室「みろく沢炭鉱資料館」と違うのはいわきの石炭を歴史的に、また産業的に捕らえ解説しているところです。所謂石炭産業のそのものを知ることができるとかんがえてよいでしょう。
この展示室の中央にある鉱山救助隊の人形が現在の鉱山のイメージを表していると思います。
「みろく沢炭鉱資料館」には古きよき時代の展示が、そしてこの「石炭・化石館」にはこれからの石炭・エネルギーについての展示と考えると両者ともに興味深い展示内容といえるでしょう。


「化石展示室」と「石炭展示室」を見終わって順路を進むと竪坑)エレベーターという、謂わば坑道シミュレーションとも言うべき施設となっていますが、反対側から一旦外に出られるようなので出てみました。

昭和の杜 六坑園昭和の杜 六坑園そこは「昭和の杜 六坑園」と書かれた公園があります。公園の中央には句碑のようなものが立っています。


昭和の杜六坑園建設の由来
昭和二十二年八月五日、天皇陛下東北初御巡幸のみぎり常磐炭鉱を御視察されました。
御巡幸の目的は戦後の日本産業復興の原動力となる石炭産業に働く人々をお励ましになるためで時の商工大臣水谷長三郎外侍従官等を伴い、湯本駅にお降りになられ多くの地元民の、奉迎する中、常磐炭鉱株式会社磐城鉱業所に向かわれ、当時の社長大貫経二、鉱業所長大越新両氏より坑内状況の説明を受けられた後、炭鉱の坑外施設をつぶさに御覧になられてから湯本第六坑人車坑より人車にて御入坑され終点二斜坑坪下(坑口より1400m、海水準下400m)で、お降りになり坑道内を歩かれて陛下をお迎えした約150名に達する「ヤマの男達」に対し「熱いでしょうね」「食料は大丈夫ですか?」など激励と労いのお言葉をかけられました。
心からなるお言葉に感激した坑内作業員の見送りに、お応えされ、昇坑後、陛下は自治会館(現㈱福島環境整備センター)前広場にて待機していた多くの方々や特に炭鉱青年学校の若者に対されて労いの御言葉を賜わられ御視察を終えられた。陛下は、
あつさ つよき 磐城の里の炭山に はたらく 人を をしとぞ見し
との御製を詠まれ人々歓呼する中をお召車で、内郷、平に向かわれました。
この度、市及び関係各位の熱心なお勧めにお応えし、天皇陛下御入坑の記念としてここに坑口を修復し周辺を小公園として整備し「昭和の杜六坑園」と名付けて往年の炭鉱の歴史と文化を後世に永く伝えようとするものであります。
昭和六十三年四月十日』(現地案内板より)

天皇が外出することを行幸というのですが、目的地が複数ある場合は特に巡幸というそうです。
で、この昭和22年の巡幸は、まさしく戦後復興の機運を高めた歴史的にも著名な昭和天皇の地方巡幸です。

これについて興味深い記述がサイト上に掲載されていました。「愚論・異論にようこそ」というブログですが、何となく某TVプログラムパクッテいたりして。
まあ、それはともかくそこに記載された明治大学教授・入江隆則氏の文です。これはパクリではなく引用!?

『日本天皇の特質を知る上で、はるかに大切なのは中世史である。日本の中世史が意義深いのは、長い時間をかけて天皇を権威だけの存在として残し、実務権力のほうは幕府が担うという世界でまれに見る、特異な「権・権分離」の政治体制を作り上げたからである。
こうした特質があるために諸外国の王は国が分裂の危機にさらされると、いままで巨大に見えたものが、あっけなく崩壊してしまう例が多いのに反して、日本天皇は、国が分裂の危機に遭遇したときこそ、必要とされるものになった。日本天皇にこの性格があったからこそ、日本は明治と戦後の二回にわたって離れ業を演ずることができたのだ。
とりわけ、昭和二十年の敗戦の際、世界の敗戦国の常識を破った形で天皇が生き残ることが出来たのは、一種の奇蹟とさえいえるものだった。アメリカは敗戦で天皇は日本にいられなくなると考えて、亡命先としてロンドンや北京を考えていた。ところが、昭和天皇は亡命どころか、国民のために自分の命はどうなってもいいと意外なことを言われた。地方巡幸がまさにその言の実践だった。

<昭和天皇の巡幸(広島)>
警備なんてものはない。殺そうと思えば誰でも殺せるところに天皇はいた。おまけに戦争が終わった直後、武器はどこにでもころがっている時世である。
敗北した治世者でこんな危険に身をさらしたものをほかに知らない。巡幸を阻止しようと思った労働組合の人々も実際に天皇を間近に見て、感極まり、赤旗を捨て「天皇陛下万歳」と叫んだ。「君主制は敗戦に耐えられない」というのが世界の歴史であり、いわば常識であったから、マッカサーならずとも世界のインテリは驚いた。
広島に原爆が投下されたのは昭和二十年の八月六日だ。その頃は「七十年は広島に草木一本も生えない」と言われた。被爆した人々は子どもに遺伝するから結婚は出来ないとあきらめていた人が多い。
この広島にも天皇の巡幸があった(昭和22年と26年、46年)。とくに、第一回目の昭和22年といえば、まだ誰も広島に行きたがらなかった。「天皇さまが来てくださったんだから、もう広島は大丈夫だ。結婚もできる」と広島の人たちは皆、そう思い、力づけられたという。』

このように今では考えられないことであったようですが、更に世界も驚いていたようです。
同じサイトにあるボン大学教授・オットーカロン博士が綴った昭和25年に書かれた文のようです。

『ローマ大帝国も、ナポレオンの国でさえも、一度戦いに負ければ亡びている。私の国のカイゼル陛下にしても、また生前中は神の如く慕われていたヒットラーも、イタリアのムッソリーニも、戦いに負けたらすべてそのまま残ることはできない。殺されるか、外国に逃げて淋しく死んでいる。だから日本の天皇も外国に亡命すると思っていた。しかし、そんなことは聞かない。だからすでにこの世におられないと思っていた。
ところが最近、日本から来た記録映画を見て驚いた。天皇が敗戦で大混乱の焼け跡を巡っておいでになる姿である。しかも、二年もの長い間、北の端から、南の端まで、焼き払われた廃墟を巡って、国民を慰めておられる。陸軍も海軍もすでに解体されているのに、一兵の守りもないのに、無防備のままで巡っておられる。
平穏無事なときでも、一国の主権者が、自分の国を廻られるその時には、厳重な守りがなされている。それでも暗殺される王様や大統領がある。それなのに一切の守りもなく、権力、兵力の守りもない天皇が日本の北から南まで、焼き払われた廃墟を巡る。国民を慰める。何という命知らずの大胆なやり方であろうか。いつどこで殺されるか。こう思って映画を見ていた。 しかし驚いたことに、国民は日の丸の小旗を打ち振って天皇を慰めている。こんなに美しい国の元首と国民の心からの親しみ、心と心の結び、これはどこにも見られないことである。われわれは改めて、日本を見直し、日本人を尊敬しなければならないと思っている。』

言われてみれば隅から隅までまさしくその通りですね。
昭和21年(1946年)1月1日、天皇の人間宣言によって、今まで神と崇めていた人が「今日からボクも人間だよ」って言われても「どうすりゃいいの」でしょう、気分は。
しかし巡幸によって「ああ、やっぱり人だったんだ」とか思うと急に親近感が湧いたりして・・・
そういった意味では、確かに天皇の存続が復興の原動力と言っても過言ではないのかもしれませんね。勿論私は生まれていませんよ、この当時。

湯本第6坑人車坑々口おそらく当時の磐城の人たちも感動の嵐だったのでしょう、わざわざ天皇が坑道に入ってきたのですからね。
その坑道がこれです。
坑道と人車と呼ばれるものが残されています。人車は木製なので大分朽ちてきているようですが。


湯本第6坑人車坑々口
昭和二十二年八月五日、天皇陛下が東北地方を初巡幸された際、当地にお立ち寄りになり、ご入坑された湯本第6坑人車坑々口です。天皇陛下は復原された人車と同型のものにお乗りになられ、この坑口よりご入坑された後、坑内にて直接従業員を激励されました。』(現地案内板より)

やはり人車も当時は天皇の座るところには毛氈とか引いてたのですかね、無いか。
ということで、公園の真ん中にあった碑は天皇の読まれた御製を刻んだものですね。
ここからまた「石炭・化石館」にもどります。

竪坑エレベーターここからは先ほどの竪坑エレベーターで坑道を体験します。


炭鉱の模擬坑道へ・・・
このエレバーターは、石炭採掘のため地下600メートルに降りる気分を味わう「シミュレーションエレベーター」です。
採炭の雰囲気をお楽しみください。』(現地案内板より)

竪坑エレベーターということで、ニコニコ顔の坑夫たちの描かれたエレベーターに乗り込みます。
エレベーターが動き出すとエレベーター内の照明が消され真っ暗な闇に。
そして階数をあらわすデジタル表示計が100,200・・・とメートル数を刻んでいます。
600の数字になったところでエレベーターが止まりドアが開きます。


シミュレーション坑道エレベーターを降りるとそこはまさに坑道です。


シミュレーション坑道シミュレーション坑道薄暗い照明の中のところどころに蝋人形の坑夫達が時代ごとに働いている姿を再現しています。
手で掘っている時代、あるいは坑道内で風呂を楽しいでいるものも有ります。若干子供たちなら怖がる感じでしょうが、なかなかよくできています。
15.6分ゆっくり歩くと坑道体験は終了です。


ここからまた外に出られるようなので、行ってみると六坑園とは違った場所に出られます。

岩石園周囲には石などが置かれている庭園風になっています。これはそのままの「岩石園」と呼ばれているそうで、いわき市を造っている岩石30数点を選んで、相当する場所に置いてあるそうです。小雨が降ってきていたのでじっくり見ることはできませんでしたが・・・
また、手前にあるブルーの機材は西ドイツから輸入した充填機で、石炭を掘った跡を充填する機械です。
そして更にその手前の「住吉坑」坑口の銘版は、大正12年、常磐炭鉱㈱社長、浅野総一郎の書だそうです。
そして「ウッドピアいわき」は隣に大きな建物があり、木型や木造の展示館としていわき市の新たな産業の情報発信基地となっているようです。


竪坑エレベーターの櫓そして、最後にこの館のシンボルとも言うべき竪坑エレベーターの櫓です。これも模型でしょうが何やら遠くからでも結構目立つものです。


かなり立派な展示館でした。
石炭と化石とは謂わば親戚みたいなものですから、必然的に発見される確度が高いのですかね。
いずれにしてもいわき市に相応しい展示館でした。
今回のいわきの散策もこれでお仕舞です。この後、バケツをひっくり返したような大雨が降ってきたのには驚きましたが、何とか帰り道でラッキーだったのかもしれません。
また、また、次回が楽しみになってきました。

2009.9.11記

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