いわき湯本温泉散策 #2 ~温泉通り~

「温泉神社」から神社前の”温泉通り”を進みます。

野口雨情記念湯本温泉 童謡館 「温泉神社」の交差点の反対側に「童謡館」があります。
正式には「野口雨情記念湯本温泉 童謡館」です。


野口雨情は、大正時代から昭和にかけて童謡・民謡作家として活躍し、代表作として「シャボン玉」、「七つの子」、「十五夜お月さん」、「赤い靴」などたくさんの作品を世に出しています。
もとは北茨城市磯原というところで誕生しましたが、まだ売れない頃の3年ほどこの湯本にすんでいたという関係で、この資料館が作られたようです。
1915(大正4)年、妻ひろと離婚後、北国での生活により痔を病み湯本温泉で保養し、芸姑置屋の”明村まち”と置屋「柏屋」で幼子2人とともに暮らしていたようです。まあ、子持ちの”ヒモ”ってのもどうかと思いますが、時代が時代ですから。

野口雨情記念湯本温泉 童謡館野口雨情記念湯本温泉 童謡館館内はまさに処狭しといった感です。もちろん野口雨情だけでなく広く童話に関する資料を所蔵しています。
雨情に関する写真パネルの展示や童謡小曲などの本。


シンメトリーのニッパーとレコードちょっと面白いのが当時の童謡のレコードとずらりと並んだビクターの「ニッパー」がシンメトリーで…
よくこれだけ集めたものです。


雨情著作本その隣には雨情の著作本が展示されていて、さらに雨情の手紙なども展示されています。


蓄音機そしてズラッと懐かしい(私の時代は当然ステレオの時代です!)蓄音機の数々。
まさに”ニッパー”の「His Master’s Voice」です。
因みにこの頭文字をとったのが「HMV」だそうです。

参考:【HMVとは?】http://www.ne.jp/asahi/jurassic/page/talk/emi/hmv.htm


この運営母体が「童謡のまちづくり市民会議」という硬い名前の団体ですが、街づくり、活性化などを目的とした一環としての資料館のようです。
特に童謡が好きな人はかなり堪能できるのではないでしょうかね。

参考:【野口雨情 童謡館】 http://www.iwaki-cc.ac.jp/douyou/

さはこの湯温泉通りを歩いていくと右側に「さはこの湯」と呼ばれる共同浴場があります。いわゆる温泉街では”外湯”といわれる浴場です。
ここは江戸末期の建物様式を再現した純和風の建物で、「さはこの門」、「火の見櫓」を配置したいわき湯本温泉の新たなシンボルとして作られた浴場です。


現在、湯本温泉の外湯はここを含めて3ヶ所だそうで、観光客より地元民のための「上の湯」、そして新たに誕生した「みゆきの湯」です。
以前、現「みゆきの湯」近くにあった「玉ノ湯」という共同浴場が新築移転して「さはこの湯」となり、「さはこの湯」の隣にあった「東湯」が新築移転して「みゆきの湯」となった因縁話もあるようです。

面白いことに「みゆきの湯」は前出の財産区が管理する施設で、「さはこの湯」は(財)いわき市公園緑地観光公社が運営しているそうです。
この(財)いわき市公園緑地観光公社は公園としは「三崎公園」や「21世紀の森公園」などを、観光施設として「マリンタワー」「勿来関文学歴史館」、そして工業団地や駐車場などを運営しています。
こういった関係で、若干観光施設として建てられた「さはこの湯」は温泉通にとってはあまり評価は良くないようですが、手軽にリーズナブルに入れる浴場としては観光客とってはウェルカムですよね。
とは言ったものの残念ながら現在リニューアル中で10月上旬まで入館できないようです。まあ、寒い時期に入るのも温泉の醍醐味ですから、楽しみは後にとっておきましょうか。

参考:【さはこの湯】 http://www.iwakicity-park.or.jp/sahako/

温泉山惣善寺「さはこの湯」の前の通りの反対側には「温泉山惣善寺」の本堂が見えますので路地を進むと途中怪しいお店がありました。


黒いダイヤ「黒いダイヤ」という名で”集会や社交場に、炭鉱パブ」と書かれています。一体どんなパブなんでしょうか。ですがここも残念ながらリニューアル中でした。
実に湯本温泉街ならではの店で、怖いもの見たさで是非寄ってみたい店です。


惣善寺本堂さて肝心の「惣善寺」の本堂でまずは参拝です。


縁起
この寺は、大永2年(1522)に良恩上人是頓によって開山されました。当時、湯本村を支配していた若松紀伊守は、温泉宿で布教していた上人に信随し、寺を建立して寄進しました。その寺も安永8年(1779)と安政年間(1854~1859)に火災にあって、本堂および庫裡を焼失していますが、その都度再建されました。しかし、それも戊辰の役(1868~1869)で観音堂を含め全堂を焼かれてしまいました。現在の本堂は明治10年(1877)に再建されたものです。』(惣善寺オフィシャルサイトより抜粋)

温泉神社ほどではないですが、やはり温泉山というくらいですから、湯本と深い関係のある寺院です。
さらにここにある「木造阿弥陀如来坐像」は県指定の重文です。

『県指定重要文化財(彫刻) 木造阿弥陀如来坐像 一躯
指定 昭和六十一年三月三十一日
所在地 いわき市常磐湯本町三函三一七
所有者 惣善寺

南北朝時代建武二年(一三三五)
像高 四一.六㎝
この像の脚部と体幹部の裏にそれぞれがあり、脚部裏には以下のような銘文が記されている

口□(元徳)二年庚午十二月□廿□日□比丘善来七十□
春秋七十九
建武貳年乙亥正月廿四定(日)比丘善来需識
口□□七十九是(時)性浅口□衛門
□□(隆速力)
元徳二年辛未 十二月□□□□□□□□□□□□

銘文からこの像は、建武二年(一三三五)に完成されたものと考えられる。元徳二年(一三三○)は、この像の造立を発願した年か、あるいは造立に着手した年にあたると思われる。なお「比丘善来」は、保福寺(小名浜住吉)の薬師如来坐像(県指定)等の銘文中にもみられる銘である。
左手を膝上におき、右手を胸前にあげ、それぞれ第一、二指頭を捻じ、右足を上にして結跏趺坐(けっかふざ)する。構造は頭体幹部を通して前後に二材を矧(は)ぎ、像底は上底式につくる。三道(さんどう)下を通る線で前後材とも頭部を割矧ぐ。両肩先より地付まで通して堅に各一材を体側に矧ぎ、脚部は横に一材を矧ぐ。両手首を各袖口に挿し込み矧とする。
両手首より先は後補で、両手袖口部の材を欠失し、面部には焼損もみられる。『石城郡誌』によると、安永八年(一七七九)と明治の戊辰戦争の二度災害を受けている。像の損傷は、これらの時のものと思われるが、両頬の肉付きは豊かでひきしまり、衣文(えもん)の彫出も太く、力強い造形をとどめている。』(いわき市教育委員会発行「いわき市の文化財」より)

本堂の左手にある小高い山が観音山で、かつては観音堂が立てられ本尊の観世音菩薩像が祀られていたそうですが、縁起にあるとおり観音堂をは全焼してしまいました。
しかし、観世音菩薩像は辛うじて全焼の難をのがれたそうですが、一難さってまた一難。そのまま菩薩像は行方不明となったそうです。
オフィシャルサイトによると、湯本のどこかの家に安置されているらしい、という情報を得ているそうですが、未だに行方不明のままなので返還してほしい旨の記載がされていました。
狂信的信者の仕業なのか、善意からでた行為だったが今更返せない…といった理由でしょうか、なんとも痛ましい話で。

参考:【温泉山惣善寺】http://www5.ocn.ne.jp/~sohzenji/

観音像と石碑境内の手前にある階段から観音山にいけるようです。5分ほど階段を上がると観音像と石碑がありました。


子育観音像と雨情詩碑
観音山は、戊辰戦争で山頂の観音堂を焼失したものの、古くより十一面観世音菩薩像を中心に、観音信仰の山として奉拝されてきました。しかし、昨今の加速する少子高齢化によって、山頂への参詣に支障をきたすようになってまいりました。そこで、容易に参詣でき、また街からも遥拝できる観音山中腹への観音像建立が必至となったしだいです。
少子化が加速する時代にあって、日本の将来を担うかけがえのない子供達の無事成長を見守り、生きとし生けるものすべてをわが子として慈しむ観音様の大慈悲を、「子育十一面観世音菩薩像」として具現化させていただきました。
現在地の下方には、大正時代の一時期に童謡詩人の野口雨情さんが住んでいました。雨情さんは生後まもない長女を亡くしており、かわいいさかりの長男と次女を連れてこの地に移り住んだのです。そんな雨情さんが、観音山に沈む夕日や、夕焼け空を子どもの待つ山へ帰巣する烏(からす)、そして山上の夜空に浮かぶ月などを眺めては、詩情を深めていったことでしょう。現に雨情さんは、湯本時代を経てから次々と名作を生み出していきました。観音山は、言わば雨情童謡の原風景であったことになります。
そこで、この所縁の地に、雨情さんの直孫・不二子さんの書による、雨情童謡中の不朽の名作「七つの子」を詩碑として建立させていただきました。
観音様の大慈悲と、雨情さんの大切にした童心」のが、あまねきことを祈念いたします。
合掌
平成16年3月18日 浄土宗 温泉山惣善寺』(現地案内板より)

観音山からの眺望ここからは湯本の町が見通せます。
ちょうど先ほどの「さはこの湯」があり、ちょうどその延長線上に前回訪れた「いわき市石炭・化石館」の竪抗エレベーターの櫓を見ることができます。


柏屋あたり一旦、下に戻って観音山中腹の「子育観音像と雨情詩碑の見える”温泉通り”まで降りてきました。
確かに遥拝できるようです。恐らくこのあたりに平成17年に取り壊された雨情の住んでいた芸姑置屋「柏屋」があったのではないでしょうかね。


ここからまた温泉通りを先に進みます。

関連記事
スポンサーサイト


コメント

    コメントの投稿

    (コメントの編集・削除時に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)


    トラックバック

    Trackback URL
    Trackbacks