いわき湯本温泉散策 #4 ~駅前通り~

一度温泉神社に戻り、ここから駅前通りを散策します。

鶴のあし湯1ブロック進むと交差点の左角に「鶴の足湯広場」があります。
熱いお湯とぬるいお湯の2つの四阿風足湯施設「鶴のあし湯」のある広場といったら良いでしょうか。
そこにはいわき湯本温泉の歴史が紐解かれています。


いわき湯本温泉の歴史
いわき湯本温泉は、古代奈良、平安時代から既に那須、有馬、道後、玉造温泉と共に、日本三古泉の一つとして都にその名が知られていました。温泉街の中心に鎮座する温泉神社は、平安時代に完成した「延喜式神名帳」に「陸奥国磐城郡温泉神社」と記載されています。
戦国時代には、きりきず、うちみ、くじきに効くことから「三函の御湯(湯本の古名)」「名取の御湯」「有馬の御湯」「信濃の御湯」は「御湯」の冠を戴き、名湯として称賛されていたのです。
江戸時代の湯本は、江戸と仙台を結ぶ浜街道の温泉宿駅として栄え、近郷近在から、年間17,000人から30,000人の湯治客で賑わっていました。
また陸奥国の文化の玄関口として、多くの文人墨客の遊歴もありました。天野桃隣、西山宗困、幻如、大淀三千風、長久保赤水、伊能忠敬、古川古松軒、雷電為右衛門などがおりました。近代に入っても田山花袋、久米正雄、竹久夢二、野口雨情、山村暮鳥、草野心平らが来湯し、美文を残しています。
幕末から昭和40年代までの120年間、いわき湯本温泉郷は本州最大の常磐炭田地帯の中心地でした。地下で温泉と石炭が同居していたことから、石炭1トン掘る毎に温泉を20トン排水しなければなりませんでした。温泉源が枯湯した時期もありましたが、昭和51年に炭鉱が全面閉山し、温泉会社が新源泉から毎分5トン揚湯し、現在の温泉郷の繁栄を見るの至ったのです。
スパリゾートハワイアンズと水族館のアクアマリンふくしまの二大観光名所を中心に、いわきの観光は湯本温泉を宿泊基地として回遊型観光を創出しています。

●源泉名:いわき湯本温泉 湯本温泉源泉
●温泉の泉質:硫酸塩温泉(硫黄泉) ●温泉の温度:59.8℃(気温17℃)
●温泉の成分:含硫黄、ナトリウム、塩化物 ●登録分析機関の名称・福島県衛生公害研究所
●加水の有無:加水無し ●加熱の有無 加熱無し
●循環の有無:循環無し ●添加物の有無 添加物無し
●浴用の効能
泉質別適応症:慢性皮膚病・慢性婦人病・切り傷・糖尿病・虚弱児童動脈硬化症・高血圧症
一般的適応症:神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・打ち身・痔病・慢性消化器症・冷え性・病後回復期・疲労回復・健康増進
泉質別禁忌症:皮膚・粘膜の過敏な人・特に光線過敏症の人
一般的禁忌症:急性疾患(特に熱のある場合)・活動性結核・悪性腫瘍・心臓病・呼吸不全・腎不全・出血性疾患・高度の貧血・妊娠中(初期と末期)・その他一般に病勢進行中の疾患』(現地案内板より)

日本人は三大□□…が好きで、何でも三大を作ってしまう傾向があるようですが、結構作った人の都合の良い解釈の仕方もあるようなので、客観的要素に欠けるものもあります。
”三古泉”も上記の記載にもあるとおり、那須、有馬、道後、玉造温泉、そして湯本温泉から3つ選んで的な比較的謙虚な記述なっています。
では、世の中一般的に考えられている”三古泉”とはどこでしょうか。ネット上で調べてもさまざまな説があるようですが、一応中立的な記載としてウィキペディア(これが正しいわけではありませんが)から検証します。

根本的な解釈の違いとして、”古泉”と”古湯”の解釈があります。いわゆる源泉としての古さか温泉としての古さか、ということですが、それから考えると以下の通りになるようです。

三古湯(三古泉) :道後温泉(愛媛県)、有馬温泉、白浜温泉(和歌山県)※
三古湯(三函の御湯): 道後温泉、有馬温泉、いわき湯本温泉(福島県)
三大古泉: 道後温泉、有馬温泉、伊豆山温泉(静岡県)
※「日本書紀」や「風土記」などに登場することに基づく

これをどのように解釈するかはそれぞれの勝手でしょうが、「日本書紀」や「風土記」も奈良時代のものですから、当時奈良時代の中心である奈良地方に関東や東北の情報がどこまであったのかを考えると、近畿地方中心と考えられ無いことも無いということですね。
いずれにしても歴史ある温泉ということは間違いないようです。
因みにウィキ記載の”三古湯(三函の御湯)”は三函が湯本の古名では無く、別な意味があるのではないかと思われて記載されたものではないでしょうかね。

一方、”御湯”については文字通り時の天皇から選ばれたことを表します。同じウィキペディアでは以下の通りとなっているようです。
三御湯:秋保温泉(名取御湯。宮城県)、別所温泉(信濃御湯。長野県)、野沢温泉(犬養御湯。長野県)
これは、鎌倉時代の第84代・順徳天皇によって選出されたと伝えられる説だそうです。
いずれにしても確固たる客観的根拠があるわけではないのですが、やはり日本人の得意な順位付けなのでしょうね。

この「鶴のあし湯」の案内板にはさらに興味深い記述がありました。

温泉遺構 湯壷跡
湯壷は、湯本にとっては、貴重な温泉遺構の一つです。広さが一坪であることから湯坪とも書き、湯壷ともよんでいました。江戸時代には53の湯壷がありました。
いわき湯本温泉は、明治時代末期までは、湯本温泉街の地下から地表温泉が湧出していたのです。地下の第三紀層が断層で切られ、盆状構造であったために、温泉が滞留していたのでした。温泉が湧出していたところを湯壷とよんでいました。
ところが、明治10年代から進出してきた中央資本による炭鉱会社が石炭を掘り続けることによって、湯壷の温泉源は低下し、とうとう大正8年の秋には、この湯本の地から温泉を見ることができなくなってしまいました。昭和17年に復活するまでの23年間は、温泉の出ない、辛く苦しい時代があったのです。
昭和51年、温泉会社によって、新源泉から高温で無色透明の温泉が豊富に利用できるようになり、現在に至っています。
湯壷は、かつて温泉が地表に湧出していた源泉地として、保存していかなければならない、大切な貴重遺構の一つです。』(現地案内板より)

湯壷跡湯壷跡ということで、この広場の隅に「湯つぼ跡」と書かれた石柱とレンガによって一坪(壷)が表されていました。
ここに湯壷の一つがあったということでしょうね。


鶴のあし湯ところで、温泉神社横の貯湯槽の絵やここの広場の名前も”鶴”がキーワードとなっているのですが、肝心のこの”鶴”に纏わる由来なり伝説などを調べてみると、「湯本温泉古記」に掲載されていました。


鶴の湯
景行天皇の時代、陸奥の国は「東夷(あずまえびす)と称し、夷賊の猖獗(しょうけつ)を極め」たところでありました。
そのころ、近江国日野郷に岩那・磯那と呼ばれる二人の者がおりました。この二人が陸奥の国の佐波古(さはこ)の里にきた時、はるか遠くより、一羽の丹頂鶴が舞いおり、林の中へ消えました。
二人は何かあるのかと、注意してみると、その林の中より、湯気が立昇るのが見えました。
そこで近寄ってみると、さきほどの鶴が、夷賊の矢にあたり怪我をしたところを、湯にしずめていました。
二人は大変同情して、親切にその傷を洗ってあげたので、一週間もしないうちに治りました。
さて、鶴が去って、三週間すぎたころ二人の前に、一人の絶世の美人がおとずれました。二人に稲と粟のほかに一巻の神書を授けて帰っていきました。
それで、彼らはこの神書を不思議に思い、これを開いて見れば
 「佐波古の温泉は忝くも、御神の造りあそばれ給うものなり」
と書かれてあり、また
 「汝らこの地を開き、快く天寿を完うし、かつ住民の生存を計るすべし」
とありました。
二人はわきでる温泉の近くに小屋を作り、そして、森や林を開拓して、温泉の発展のため一生懸命に働いた、といわれています。また、その鶴の傷を洗った所を「鶴の湯」と名づけた、といい伝えられています。』(「湯本温泉古記」より)

いわき版”鶴の恩返し”なのでしょうかね。そういったところも1300年の歴史を誇る湯本温泉ならではの伝説なのでしょう。

HOTパーク湯本「鶴の足湯広場」からさらに1ブロック行くと左側に「HOTパーク湯本」という観光案内をかねたポケットパークがあります。


ブロンズ像「小さな花」観光案内といっても湯本周辺の地図があるだけですが、中央のベンチに少女のブロンズ像が置かれています。
タイトルは「小さな花」だそうで、作者は黒川晃彦氏。


ウィキペディアによるプロフィール。

『黒川晃彦(くろかわ あきひこ、1946年 - )は彫刻家。1980年頃より写真を始めている。
彫刻の大半は楽器を手にした野外彫刻(ブロンズ)で、人との関係を大切にして、人々の生活の場に置かれている。 1989年には初めて”人物とベンチを組み合わせた”「プリーズ・リクエスト」を発表し、具象彫刻の可能性を開いたとして「横浜美術館長賞」を受賞した。その後、トランペット、アルトサックス、フルートの三人の奏者が三重奏を川岸いっぱいに響かせている「リバーサイド・トリオ」などミュージシャンとペンチを組み合わせた野外彫刻を次々と発表。 「彫刻は人が参加することで完成する」との信条の元に創られた”風景の中に溶け込み、行き交う人とコミュニケーションし、自然そのもののように存在してする”ちゃめっけのあるユニークな人物”や”猫”の彫刻が人々の心に安らぎを与えている。
それらの作品は"View with My Works(私の彫刻がある風景)1993"、"More View with My Works(続・私の彫刻がある風景)1997"の作品集で見ることができる。』

ということで、このベンチも作品の一つなのですね、きっと。

参考:【黒川晃彦の彫刻と写真の仕事】http://art.myplanet.ne.jp/crokawa/

さらに近くにはこの像をモチーフとした詩がお洒落な看板(お洒落すぎて読みにくい…)に書かれています。

待ってます
寒さに強いビオラをみなさんにあげようと思い、ここに座っています。コートを着なくても寒くありません。
いわきは東北地方で一番日照時間の長いところで日さえ当っていればそれほど寒くないからです。
肇@夢わくわく ゆもと 市民会議』(現地看板より)

この試みはなかなか凝ったもので非常に印象的です。この「肇@夢わくわく ゆもと 市民会議」とは一体どんな団体なんでしょうね。
平成13年10月に設立された団体で、市民と行政が一体となって町つくりを推進するという目的をもっているそうです。基本的には参加したい人はフリーで参加できるようですね。
また「肇」という署名はこの市民会議の山田肇氏だそうで、この方が詩を造られたそうです。きっと様々な方たちのパワーが集まっているのでしょうね。

参考:【夢わくわくゆもと市民会議】 http://www.yumewaku.com/

ここからは駅前通りを歩いて湯本駅前に向かいます。

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