歴史を尋ねる散策記。歴史の必然、偶然を楽しんでいます!!!!
21:04
常慶寺を後にして向かうは記念文学館です。
件の草野さんに記念文学館への道を尋ねたところ、「ずーーっと行って、あの山の中腹くらいにありますから」と的確な道案内をいただき、とりあえず来た道を戻ることにしました。
車ですと20分くらいでしょうかね、多少の山道をあがっていくと結構大きな文学館に到着です。
如何にいわき市が力を入れていたかが窺えます。
入口のプレートの横にある木は美しく紅葉している処を見ると、結構山の上なんですね。
文学館の横にレストランがありますが、なぜかレストランの前には大根畑があるのです。自家製!?ってことですかね。
レストランの先は非常に眺望がよく小川町が見渡せます。
そこに「草野天平」の小さな詩碑があります。
『一人 草野天平
見ても誰もゐない 本を伏せる 家を出て山を見れば 山はやはり山』
心平・天平の生家でも天平の詩碑がありましたが、それも「幼い日の思い出」と題された一人遊びの状況の詩でした。
よほど孤独だったのでしょうかね。ここでも「一人」という題でかかれていますね。
長兄は早くに亡くなり、次兄のいない寂しさを…とは穿ちすぎでしょうか。
車寄せからエントランスまで長い通路となっていますが、これらの造作も凝ったデザインです。
入館料420円を支払って入館します。
大きなロビーで突き当りがガラス張りとなっていて、そこだけ風景を切り取ったイメージとなっています。
家内は甚く気に入っていました。
残念ながらロビー以外は撮影禁止なので、一部パンフレットの写真を利用します。
コーナーは大きく二つに分かれていて、「常設展」と「企画展」です。まずは「常設展」に入ります。
「常設展」は当然ながら草野心平に係わる展示です。
この中もいくつかのテーマに別れていますので、館内でいただいたパンフレットを元に鑑賞します。
プロローグ -心平世界への入口-
《写真:(C)パンフレットより》
『流木の輪。
ここが草野心平の世界の入口です。高村光太郎が書いた草野心平の詩集「第百階級」の序文が、心平の人間像を教えてくれます。』(館内パンフレットより)
さてなんと書いてあったでしょうか、全く覚えていませんね。トッカケからこうですから後が思いやられます。
この「第百階級」とは心平の活版で印刷された最初の記念すべき詩集です。「第一階級」が”人間”なので「第百階級」は”蛙”であると付けられたタイトルです。したがって収録作品45編がすべて蛙の詩です。
昭和3年に発行され定価1円だったそうですが、知り合いに印刷してもらったそうですが、知り合い以外に売れたのは3部だったそうですから、後年評価されるようになったということでしょう。
とりあえず世間的には心平の入門書だそうなので、一遍読んでみましょうかね。
展示1 -人生と時代-
《写真:(C)パンフレットより》
『ここでは、ジグザグロードといえる、草野心平の85年間の人生をたどります。
心平の生涯を7つの時代に分け、代表的な詩集や原稿、写真などと、心平自身の言葉で紹介しています。』(館内パンフレットより)
全く予備知識を持たずに行きましたから、フンフンと眺めるに終始しました。ただ、原稿などが見られるのはやはりこういった施設ならではで、何も知らない私でも「青大将に突撃する頭の中の喚声」は思わずじっと眺めてしまいました。
単にポエトリーな蛙の詩ではなく、とてつもなくスピリチュアル的な匂いのする原稿だからでした。
今になって知りましたが、今後も出てくる「オノマトピア(擬音)」という表現方法の一つだそうです。
何かゾクゾクするような期待感が沸いてきました。
展示2 -転居にみる人とに交流-
《写真:(C)パンフレットより》
『16歳で上京し、中国留学を経て、諸方を転々とした心平。日本国内だけでも、合計32回の引越しをしています。
転居を追いかけるように、友人たちが書き送った手紙を紹介しています。』(館内パンフレットより)
32回の転居も驚きですが、何よりも面白いのがこのコーナーの展示方法で、展示物を展示するオブジェのように立っているのが電柱のようなもの…きっと電柱です。
転居を繰り返しても変わらない風景、そして友とのたより、などのイメージを電柱に託しているのかなあ、などと勝手に想像して言いました。
ちょうどコーナーの壁には心平の「デンシンバシラのうた」が掲出されています。
『そんなときには。いいか。デンシンバシラとしゃべるんだ。
稲妻が内部をかけめぐり。丸い蜜柑がのけぞりかえる。そんな事態になったなら。白ちゃけて。唸るようにさびしくなったら。
人じゃない。相棒になるのは。夜中の三時のデンシンバシラだ。(後略)』
現在ではすっかり「電柱(デンチュウ)」と呼んでいますが、われわれオジサン世代は「電信柱(デンシンバシラ」のほうがしっくりくるのは、やはり世代間ギャップでしょうね。
昔々、時々酔っ払うと確かに夜中の三時ごろ電信柱と友達になっていたことはありましたからね。そんな懐かしい響きを持っているのが「電信柱」でした。
展示3 -居酒屋「火の車」-
《写真:(C)パンフレットより》
『諸方を転々としながら、心平は様々な職業に就きました。
「火の車」は、心平がカウンターの中で包丁を握り、奥の四畳半で寝起きをして健筆をふるったという記念碑的な場所です。昭和27年3月に開店した「火の車」を、音まで含めて復元しています。』(館内パンフレットより)
確かに「ガチャガチャ」した食器の音や、「トントン」という包丁の音などが控えめに流れていて、そこであたかも一杯飲んでいる気分になるから不思議です。
そもそも屋号の「火の車」も税務署に嫌われるようにと命名したそうですから、さすがに稀代の詩人といったところでしょうか。
また、メニューにも凝っていたようです。
『食べ物(肴)
びい:ピーナッツ、赤と黒:品川巻き(海苔巻せんべい)、黒と緑:ほうれん草のおひたし、北方:にしんの燻製、十萬:かずの子、どろんこ:かつおの塩辛、雑食:新香類、悪魔のこまぎれ:普通の酢だこを少し考慮したもの、白夜:スープ、美人:板わさ、等。
飲み物(酒)
天:特級酒、耳:一級酒、火の車:二級酒、大地:合成酒、鬼:焼酎、麦:ビール、炎:ウィスキー、泉:ハイボール、息:サイダー、八十八夜:玉露』(館内パンフレットより抜粋)
「ぴい」と「美人」で「泉」を飲み干す。いやあ、飲みたくなりますね。
一方で職業についても実に様々な職業に就いていたようです。
1921(大正10)年、18歳で父の友人・渋谷剛の経営する「広東実業公司」で事務の手伝いを皮切りに、13種類の職業に就いていました。
『3(番目の仕事):1923(大正12)年、20歳。アルバイトで大学の海南島産の植物標本に、ラテン語の学名を入れる仕事。
5:1929(昭和4)年、26歳。上毛新聞社校正部に入社。月給28円
6:1931(昭和6)年、28歳。櫛田民蔵(同郷の経済学者)から5円借り、佐藤春夫から1円の小為替をもらって中古の屋台を購入し、高村光太郎から椅子代わりのリンゴ箱の空き箱を貰い、麻布十番に焼鳥屋「いわき」を開店。(翌年閉店)
7:1932(昭和7)年、29歳。実業之世界社で編集校正担当。初任給70円
9:1939(昭和14)年、36歳。東亜解放社に入社し、月刊「東亜開放」編集長。
11:1947(昭和22)年、44歳。磐越東線小川郷駅前で貸本屋「天山」を開店。本の数は最初230冊。
12:1952(昭和27)年、49歳。文京区に居酒屋「火の車」開店。』(館内パンフレットより抜粋)
そして最後の13番目の仕事が新宿に開店したバア「学校」だそうです。ちょうど展示「火の車」の裏側にバア「学校」のサインが掲出されています。
ちなみにこのバア「学校」は新宿のゴールデン街にあったそうです。
昔、何度もゴールデン街好きの先輩に連れられ行きましたが、知りませんでした。
最も心平がゴールデン街に「学校」をオープンしたのが1960(昭和35)年ですから、当時4~5才の私が知る由もないですね。
展示4 -石ころたち-
《写真:(C)パンフレットより》
『心平がただひとつ、こだわって集め続けたもの、それが名もない石ころでした。石を見つめる時、心平はそこにミクロコスモスを感じたといいます。
併せて、心平が使った文房具などを紹介しています。』(館内パンフレットより)
友人たちが世界からお土産に持ってきてくれたそうです。
遠藤周作がサマルカンドの石、団伊球磨は北京、植村直己はエベレストとグリーンランド、吉田直哉はアマゾンといった具合に持ってきてくれるということは、きっと人から親しまれる人柄だったのでしょうね。
職業でも結構簡単に金を借りていますから。
文芸家のイメージって結構、孤高の人的なイメージがあるのですが、意外な性格にちょっと驚きです。
この近くに心平が命名した様々なネーミング一覧があります。
《写真:(C)パンフレットより》
『《蛙たち》
カルビ:最も一般的なエレジー「さやうなら一万年」の作曲者
ぐりま:殿様がえる
ごびらっふ:日本の蛙たちの中での最長老
ダビデ:柏木から持ってきた殿様蛙
その他:かたーる、くりりる、ケロッケ、ビバ、らびーる、るるる、等
《魚たち》
アベベ:62cmの真鯉、三郎:白と黒とのまんだらの品格のある長さ50cmの鯉のオス、文六:多摩川産の真鯉、等
《犬たち》
阿里:南京で飼っていた犬、癌蔵:前橋時代に飼っていたブルテリア種の犬、ダン:石神井で飼っていたシェパードと柴犬の雑種のような犬、等
《鳥たち》
空:国立時代に飼っていた鴉、写楽:南京時代に書斎で飼っていた雉、スタン:黒い軍鶏の雌(トサカの赤と翅の黒からの連想で、スタンダールの名前の半分を失敬して付けられた名前)、隅丸:雉の雄で、歌舞伎の隈取の連想から付けられた名前、平:南京時代に飼っていた和とつがいの野鳩、和:南京時代に飼っていた平とつがいの野鳩、等
《その他》
猫=フウ:カラス猫の雄、リオ:シャム猫、栗鼠=リンリン:蓼科で飼っていた栗鼠、等
《たべもの》
五月:胡瓜と玉葱をきざんでカレイ粉で味付けしたもの、シンフォニー:数種類で作る果実酒、白夜:川内村のどぶろく、等』(館内パンフレットより抜粋)
さすがに「背戸峨廊」の名付け親ですから…否、名づけが美味いので「背戸峨廊」もつけてもらったというほうが正しいかもしれませんね。
意外と論理的だったり、直感だったり、やはり才能はつきなのでしょう。
これまでが心平の生い立ちを中心とした歴史的展示なら、これ以降は作品をクローズアップしたコーナーです。
もっと詳しい生涯は記念文学館サイトに掲載されています。
参考:【いわき市草野心平記念文学館】 http://www.k-shimpei.jp/
展示5 -心平の詩世界-
《写真:(C)パンフレットより》
『心平の作品に多く見られる「天」「富士山」「蛙」などのモチーフは、詩だけでなく、書、絵画、随筆でも表現されています。
作品を通して表現されている心平の生命観・宇宙観・思想を、原稿・書画とともに、9本の柱に刻まれた心平自身の言葉で紹介しています。』(館内パンフレットより)
このあたりの展示はまさに作品につての展示ですが、「冬眠」という詩は、両開きの本の真ん中に”●”(黒丸)一つ書かれているだけです。
そのほかに作品は忘れましたが記号的なものも展示されていて、これらも所謂、オノマトペの作品なのでしょうね。
モニターには「るるるるっる…」の連続である「生殖 I」が映し出されていて、比較的前衛的な作品が多く展示されていました。
知っている方には今更なのでしょうが、初めて接したものにとっては結構衝撃的ですね。すっかり感動してしまいました。
展示6 -表す・奏でる-
《写真:(C)パンフレットより》
『心平の詩世界の中でも特に、独創性にあふれた文字遣い、擬音で構成された詩、そしてイメージの広がりと豊かな言語感覚を紹介しています。』(館内パンフレットより)
作者の朗読のイメージで、刷り込まれているのが谷川俊太郎の追われているような、朗読の仕方が印象的なのですが、心平のそれはゆったりとして、噛みしめるような朗読に淡々としていながら迫力を感じました。
センサーで人が近づくと朗読がながれ、件の「第百階級」の「秋の夜の会話」が常に館内に朗読されています。
「さむいね ああさむいね 虫がないてるね ああ虫がないてるね…(以下省略)」という詩です。すこし季節的には遅いようですが、秋の夜長に聞くと良い風情となるのでしょうね。
朗読のブースもあります。
アメリカで聞くスペイン語は日本的…、否、アメリカで聞く日本語はスペイン的…、どうだったか記憶が薄れてしまいましたが、心平はスペイン語の面白さに魅かれて…、というような心平の独特な朗読も聴けるブースでした。
私にとっては実に新鮮で、斬新な体験です。もう少し草野心平を知ってみようかなと思える「常設展」でした。
「企画展」では「ふくしまの文学展。浜通り編」と題された展示がされていました。
これは、こおりやま文学の森資料館との共催展で、こちらが「会津・中通り編」を開催しているようです。
展示は作者のプロフィールといくつかの作品が展示されています。気になった人をピックアップしてみます。
天田愚庵:これは前回松ヶ岡公園でみた愚庵ですね。
直木三十五:有名な直木賞の人です。
川内康範:「月光仮面」の作者です。
星新一:ショートショートで有名。「ぼっこちゃん」はじめ随分と読みました。
山口瞳:それほど好きな作家ではありませんが、「江分利満氏…」だけは超有名ですよね。
勿論出身だけでなく縁の人たちも大勢です。少し知識が増えました。
出掛けにもう一度ロビー正面の窓を眺めてみると、詩が刻まれているようです。勿来の関にあったものと同じようなものですね。
「猛烈な天」というタイトルです。
『血染めの天の。
はげしい放射にやられながら。
飛び上がるやうに自分はここまで歩いてきました。
帰るまへにもう一度この猛烈な天を見ておきます。仮令無頼であるにしても眼玉につながる三千年。
その突端にこそ自分はたちます。
半分なきながら立ってゐます。ぎらつき注ぐ。
血染めの天。
三千年の突端の。
なんたるはげしいしづけさでせう。』
郷土の偉人は一度位見ておくのも悪くないものです。
帰り際に記念のスタンプを押してみました。ほとんどやったことは無いのですがね。
これで一旦自宅に戻り、それから今回の主目的である「スパ リゾート ハワイアンズ」に向かいます。
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制作・著作 : 薄荷脳70