四ツ倉の古刹

AM11:00頃にはいわき湯本ICを降りて一旦自宅に行き、そこから再び常磐自動車道でいわき四ツ倉ICまで行き、主目的の「いわき蟹洗温泉」に到着したのはAM11:30頃でした。
例によって今回も大衆演劇ですが、PM1:00からの昼の部とPM6:30からの夜の部のダブルヘッダーで観劇する手筈のようです。
一方私は、とりあえず「いわき蟹洗温泉」で家内と義母を降ろしてから、前回と同じようにいわき市散策とします。
今回の目的はなんと言っても前回道に迷った「八莖寺」です。今回は準備万端なので問題は無いはずです。一路、「八莖寺」を目指して前回どおり国道6号線から県道41号線を走ります。

船渡八幡神社

謎の橋国道6号線を右折して県道41号線に入ってホンの1.2分のところにいわき市役所四ツ倉支所があります。その道路の反対側の交差点付近に妙な橋があるのですが、以前からずっと気になっていたのです。
家内のもともとの実家はこのあたりで、当然ながら20数年前から私はここを随分訪れていました。
いつのころからか道路に分断された崖をつなぐ小さな橋が気にはなっていたのですが、まあ、調べるほどのことでもないので、そのまま好奇心は薄れていました。
今回ふと思い出したので、急遽車を止めて行って見ることにしました。


船渡八幡神社交差点の角には「船渡八幡神社」があります。
比較的新しい鳥居のそばに由来書きがあります。


船渡八幡神社の由来
当社の縁起によりますと文治建久年間、今より約800年前住民の勧請により建立されたもので、太夫坂山上に鎮座されました。当社山麓の住民達は岩盤厳壁のため水に乏しく生活用水に困り、八幡神社(通称船渡)に祈願しましたところ、一夜夢に官女現れ、水辺と思われる大石のうえに水をたたえ「この水上の水神ましませば、不浄はすまじきもの」とおっしゃり夢に消えました。翌朝井戸の清い水が湧き出て、この水を使うと諸病が平癒されたといわれ、それ以来地域住民の海上安全、大漁満足、進学成就、諸病平癒の守護神として尊崇されてきました。
1.期日:例祭日 9月第2土・日曜日
2.場所:四倉町太夫船渡八幡神社
寄贈 あぶくま商事 いわき市好間町』(現地案内板より)

何の変哲も無いといったら撥が当たるでしょうが、実際このような縁起を持つ神社とはつゆほど思いませんでした。
この近辺で有名な諏訪神社の例祭には神輿が海に入るということで、しばしTVニュースなどにも取り上げられ、ややメジャーで一度見たことがあるのですが、こちらの例祭は見たことはありません。意外と知られていないようですが、ここの例祭には「生姜市」の立つ例祭として知る人ぞ知る例祭のようです。
ややディープではありますが。

さて社殿はと探すと、どうやら崖の上のようなので登ってみることにします。
例の橋もこの崖につながっていますから上に登ればわかるでしょう。

船渡八幡神社神社といえども世間はクリスマスシーズンということで、クリスマスのサンタとトナカイのイラストや崖から鳥居までライトデコレーションされているのは信仰の垣根を越えたグローバルな視点なのでしょうか。


船渡八幡神社社殿船渡八幡神社掲額崖を昇って、というよりは一応参道を昇ると実に狭い境内に社殿があります。
あまりに狭いのでこれ以上引けない距離で撮影してみました。


四ツ倉町の景観崖から見た鳥居参拝だけはきちんとして、ふと下界をみると絶景とまでは言いませんが良い眺めです。
四ツ倉の町と四ツ倉の海岸をうっすら見ることができます。
私の知っている限りでは静かな町です。


しばし景色を眺めてから、さて件の橋はと探しますが見当たりません。ちょうど位置的には社殿の裏手になるのですが、境内は裏手もほとんどスペースが無いようです。
一体あの橋はどこにつながっているのでしょうかね。

済海山如来寺

済海山如来寺船渡神社側の左側の崖が行き止まりなら、右側の崖を探すしかないということで、崖の先端を探しに道路を廻ってみると「如来寺」という寺院に行き当たりました。ここに寺院があったとは全く知りませんでした。
正式には「済海山如来寺」と刻まれています。


十九夜尊堂参道を入ると右手に「十九夜尊堂」があります。恐らく「十九夜講」に関係する御堂でしょう。


太子堂正面にあるのは「太子堂」です。札には「福島八十八ヶ所霊場 第五十番札所」とかかれていました。
本尊の弘法大師像は高野山金剛峰寺から分霊されたそうで、地元では四倉大師と呼ばれているようです。


本堂この「太子堂」と直角に左側にあるのは本堂なのでしょうか、それとも庫裏なのか良く分かりません。


参拝をしてから件の橋を探しますが見当たりません。
ちょうど「太子堂」と「庫裏」の間に墓地が見えますのでいってみますと、なんとその墓地の先に橋があるではないですか。

極楽橋橋上からの眺め橋の前に修理された記念石碑がありますが、それには「極楽橋」となんとも昇天なネーミングです。
ここから向こう側の崖に移れるのです。
確かに橋上からは神社の鳥居が見えます。


極楽門橋を渡ってみると今度は崖の中をトンネルで抜けるようになっています。先ほどの石碑には「極楽門」とどこまでも昇天です。
かなりいかつい感じのトンネルをくぐると、そこは墓地でした。


結局この橋は、墓地が本堂から道路で分断されていて、その墓地に行くには高低差と迂回で非常に手間がかかるからショートカットのためのものということです。
知ってしまうとそれほど面白いものではないのですが(何を期待していたのか)、一つの謎が解けてほっとしました(といった大げさなものでもない)。
とにかく気分もスッキリで、これからいよいよ今回の目的である「八莖寺」に向かうことになります。

八茎寺

まずは前回の道に迷った反省から。
根本的に山道(林道)を甘く見ていて、Yahoo地図でぺラッと一枚地図を持っていただけで行ってしまったということ。
更に林道で片側が常に崖という恐怖心と、万が一(これはそれほど気にはしていなかったが)対向車が来たときの対処という小心者の性格が災いしたこと。 迷ってからのリカバリーが何もできなかったこと。
などの理由によってまさに山での遭難(って大げさなものではないが)に遭遇したわけです。

今回はその轍を踏まないよう準備万端なのはいうまでもありません。とは言っても前回全く間違った道を行ったわけではなく、途中までは正しかったことは後に判明しました。
基本的に「八茎寺」へは「八茎公民館」から円の描くようなルートとなっています。前回は右回り(反時計回り)のルートで向かったのですが、途中の分かれ道でどうやら右に曲がってしまったのが敗因のようなので、今回は左回り(時計回り)のルートで行ってみることにしました。

八茎岳「八茎公民館」までは快適なドライブで遠くに八茎岳も見え、いよいよ再アタックのモチュベーションも上がろうってものです。


工事中の道路「八茎公民館」から左回りルートを進むと、1車線ながら綺麗に舗装されいる道路を走ることとなり、暫くすると片側1車線の広い道路にでます。但し右も左も工事中のようでどちらにも行けないようです。
いずれこの道が完成するともっと来やすくなるのでしょう。


未舗装の林道目的地はどうやらこの工事中の道路を横切り、未舗装の道路に入り山間に侵入した先のようです。
未舗装道路といっても車幅もあり、崖なども無く、まあ、対向車が来てもどうにでもなるスペースのありそうな林道です。


不動尊への道標途中の交差点では「不動尊」と書かれた道標が立っていたので、恐らくその通りに進めば問題ないのではと思いながら進むと(何の根拠もないが)、なんともあっけなく到着してしまいました。
滅茶苦茶悩むことの無いルートで、安堵感とともにかなり意気込んでいた反動で拍子抜けしました。


「八茎寺」の墓地の前に案内板があります。

八茎薬師堂
大同元年(806年)徳一大師の創建といわれています。昔は山頂近くにあり度重なる火災によって焼失し、現在の場所の移し再建されました。お堂が鳴動することが度々あり「鳴堂」とも言われました』(現地案内板より)

前回の【いわき散策記 vol.5】の「波立薬師」でも触れたように、この「八茎薬師」は「波立薬師」と「閼伽井嶽薬師」とともに「いわき三大薬師」といわれている一つです。
また、同じ【いわき散策記 vol.5】で訪れた「薬王寺」はこの「八茎薬師」の別当として開祖されたところです。
したがって、この「八茎薬師」もそれなりの歴史と伝統を持った薬師といえるのです。

日枝神社ところがその案内板の隣には何ゆえか鳥居があり、「日枝神社」の社号標もあります。


石碑山神塔参道の途中には「山神塔」とか「十九夜塔」などが若干無秩序に置かれています。
信仰の篤さを意味しているのでしょうか。


日枝神社社殿日枝神社社殿さらに参道を進むと90度横向きに社殿があります。
ちょっと荒れた感じの社殿で、本殿もそれなりに老朽化…歴史的建造物の趣です。隣には真新しい宮がありますので、決して手が入っていないわけではないようです。


八茎嶽 薬師如来その隣の赤いお堂が「八茎寺」の「薬師堂」で、「八茎嶽 薬師如来」と書かれています。3週間かけてやっとたどり着いたわけですから、ここはじっくり参拝させてもらいました。
お堂のつくりは「波立寺」と同じようにシンプルですが、ところどころの装飾に多少の年代を感じることができます。


妙に考え深げにしばし眺めて、周囲をグルッと廻って見渡したりしました。
「愛子親王」誕生記念植樹先ほどは気がつきませんでしたがが、「薬師堂」の裏手に「愛子親王」の誕生記念に植樹された「真榊」が植えられていました。恐らく「薬師堂」というよりは山王権現の日枝神社の境内域なのでしょう。


ここで気付いたのは「八茎寺」では、この「薬師堂」は一番奥まっていて、日枝神社とは反対方向に参道があったのです。しかもそれは階段で降りていくロケーションとなることから、今来た場所は「八茎寺」の裏から境内に入ったということになります。
そこで一旦下まで降りて、再び「薬師堂」に戻るという、非生産的なことをしてみました。ただ、同じ参道を往復するのは芸が無いので、降りるときは車の通れる迂回路を通り、戻るときには参道を通るといった更なる非生産的行為にはしりました。

朱の鳥居因みに車道を降りてくると、その一番下に朱の鳥居があるのですが、こちらについては全く何も判りません。
位置的にも日枝神社の一の鳥居というのも考えにくいですし。


ここでちょっとした発見は、この車道はここまでで、この下には何やらがけ崩れがあったようで通行止めになっていました。
ということは反時計回りで来るとここにはたどり着けない可能性もあったということでしょうか、幸運を感謝しましょう。

佛生山八莖寺山門さて、その鳥居の左手に山門があります。
「佛生山八莖寺」と書かれていますので、こちらが正式な寺号でしょう。
板塀はかなり年代を感じさせますが、瓦は比較的新しいようで、葺き替えられたのかもしれません。


佛生山八莖寺からの景観山門の反対側は下界が見下ろせる光景です。
それなりに高所であることが窺えますが、良い景色です。


常久院山門を抜けると…開いていないので抜けるのではなく、迂回して内側に入ると右手に「常久院」と書かれた建物があります。
山門の中にあるのですから、八莖寺のなかの本堂なのでしょうか、それとも庫裏にあたるのでしょうか。


ここで必要なのは根本的に”山””院””寺”についての意味合いを知っておくことかもしれません。
寺の名前には一般的に「寺」の付くものと「院」の付くものの2通りあります。たとえば「寺」の場合は浅草の浅草寺、奈良の法隆寺、京都の清水寺。また「院」の付くものは京都の知恩院、平等院、鎌倉の明月院などがあるのですが、この違いは単純に正式名称が長すぎるためだからだそうです。
浅草寺の正式名称は「金龍山伝法院浅草寺」で知恩院は「華頂山知恩教院大三寺」という長い名前をもっていて呼びずらいので、一部をとって通称名にしているだけの事のようで、その寺によって「寺」と付けたり、「院」と付けたりして自由に決めているのです。したがって、どちらが格上とか、中身が違うということはないのです。
また、「山」については、昔は大抵寺は山の中に立てられたので、その所在地を現すために付けられた呼称で、平地に建てられるようになってもその慣例が続いているからだそうです。寺の正門を「山門」というのもここから来ていて、「山」という呼び方で一般的なのは「成田山」くらいでしょうかね。
そうするとここは「佛生山常久院八莖寺」ということになるのでしょうね。その例からみると「金龍山伝法院浅草寺」である浅草寺の伝法院は本坊といわれる僧侶のいわば住居なので、この常久院もおそらく本坊ということでしょう。

山間の常久院それにしてもこの常久院は山間の建造物として実に良い風情をかもし出しています。


参道の石仏山門の左手には結構急な階段の参道があります。
参道の両側には「庚申塔」等の様々な石碑の類が並んでいます。これもまた信仰の篤さを物語っているのでしょう。


仁王門階段を登りきったところに歴史を感じさせる仁王門があります。


仁王像仁王像門内の仁王像に驚かされます。【いわき散策記 vol.5】での「波立寺」の仁王像もそれなりにユニークでしたが、それをもしのぐユニークな仁王像です。当然「阿・吽」の2体です。
ある意味では形にとらわれず、地元の信徒の篤い信仰心のみで造られた究極の仁王像なのかもしれません。
全国仁王像巡りでもすると面白いかもしれませんね、これは。


薬師堂への参道そして仁王門を抜けると先の薬師堂となるのです。


サイトなどで写真を見ることがありましたが、もっと小さくて薬師堂だけがポツンとあるのかと思っていましたが、実際に見てみると一応伽藍の態はなしており、建造物としても、景観としても見るべきところがありました。
海の「波立寺」とは違った山の「八茎寺」もまた興味深い仏閣でした。

滝不動尊参道道標帰るために来た道を戻ると、林道にずっとあった「不動尊」の道標が気になりました。
一体どこに「不動尊」があるのだろうかと、道標の近くを見て廻ると「滝不動尊参道 交通安全」と刻まれた石碑が立っています。

滝不動尊参道先を見ると確かに山の中にそれらしき参道があるので行ってみる事にしました。


お稲荷様お稲荷様途中、朱の鳥居があり、その奥には小さな小さなお稲荷様が祀られている祠があります。実にキュートなお稲荷様です。


先に進むと一旦林道に出ました。とすると林道を車で進むとショートカットしてここまで来られるということです。
まあ、でも折角参道があるのですから急がば廻れです。
そしてここにその「滝不動尊」の説明があります。

不動の滝
昭和36年、鈴木定次郎氏によって再建された不動堂があり、堂内には平藩の御用職人鋳物師椎名為七によって鋳造された不動尊像が祀られていることから不動の滝と名づけられました。』(現地案内板より)

不動尊道標なるほどそのような滝があるのですか。これは是非とも行かねばと道標の通り再び山の中に入り、しばし山を登ることととなりました。それほど急な坂道ではありませんが、それなりに疲れる坂道です。

眺望さすがに結構昇ったのでしょうか、「八茎寺」からの眺望より一団と眺めもいいようです。


そういえば「八茎寺」はもともと山頂にあったとのことでしたが、このあたりのことなのでしょうか。しかし、それらしいものは無いようです。
崖道ここから急に下り坂になるようです。写真ではわかりにくいのですが、一団と道は狭く一人通るのがやっと位の道幅で、右側は崖のようです。
ロープが張られているので伝わって行けという事でしょうか。


実際これからどのくらいあるのかも判りませんし、万が一怪我でもしたらという小心者の性格が頂点に達してしまったため、ここで断念することにしました。まあ、こう言ったものがあると知っただけで良しとしましょう。
恐らく次回チャレンジは無いと思います。

今回、最初の散策はかなりディープな世界の散策でしたが、それ故貴重な知識を得ることができたような気がします。
三大薬師の2つ目を巡ることができて気持ちは充実感で一杯です。
気持ちも晴れやかに、四ツ倉周辺はこれで離れますが散策はまだまだ続きます。

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