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夏井川沿岸

「八茎寺」から県道41号線に戻り、今度は右折して四ツ倉方向とは逆方向へ向かいます。
常磐自動車道を潜ってしばしいくと国道399号線と合流し右折して北へ走ります。ここから10分ほど行くと県道135号線と交わる三島橋の袂になります。
白鳥飛来地案内看板この三島橋の下を流れているのが夏井川で、この辺りが毎年この時期になるとやってくる白鳥の飛来地なのです。


白鳥ふれあい広場

白鳥ふれあい広場駐車場三島橋を渡ると右側に駐車場があります。「白鳥ふれあい広場」というようで、その専用駐車場です。


白鳥ふれあい広場案内板車を止めて土手をあがる階段で河川敷に向かいますと、土手の上に案内板があります。


親水公園白鳥観察場ちょうど三島橋の手前から白い波のような筋が立っているところが「小川江筋せき」というそうです。
そしてその「せき」のそばの河川敷が「親水公園」となっています。といっても特に何か施設や設備があるといったわけではなく、草などが刈られて多少整備されているといった程度です。
そしてずっと左側の川岸が観察場となっているようです

この案内板には白鳥の生態について書かれていました。

夏井川に来るハクチョウの生態
ハクチョウは北極圏から毎年秋にこの川へやってきます。春になるまで見守りましょう。
夏井川に飛来するハクチョウの多くはコハクチョウです。コハクチョウ(Cygnus columbianus)は、ユーラシア大陸や北米大陸に分布しています。春から秋にかけては北部ツンドラ地帯に広く繁殖し、冬には渡り鳥として亜寒帯から温帯の日本や北米、ヨーロッパの沿岸部に渡ってきます。
越冬する場所は、湖沼や河川です。コハクチョウは、仲良く2羽でいたり、その2羽を中心に家族単位で行動するのが観察できます。驚かさないようにじっくり観察してみましょう。とくに嘴を観察するとハクチョウの家族のことが分かりますよ。』(現地案内板より)

嘴の何を観察すると家族のことが分かるのか謎のままになっているのですが…
とりあえず親水公園におりてみます。
白鳥の群れファミリーがどうやら餌をあげているようで、そこに群れています。
確かに間違いなく「ハクチョウ」です。
間近でこれほど多くのハクチョウを見るのは初めてです。


白鳥とカルガモハクチョウの周りにいるのはカルガモでしょうか。ものすごく多くが群れていて餌を争って食べているようです。
全く人間に恐怖心はないのでしょうか、陸に上がって子供の周りを屯しているカモもいます。


白鳥の舞!?白鳥の舞!?「白鳥の湖」とバレイになるくらいですから、本物はその美しさ、というより優雅さを感じますね。
時折飛ぶような跳ねるような、舞を見せるハクチョウもいて見ていて飽きないのもです。しばし白鳥の観察を。


今回始めて知ったのがハクチョウの泣き声。何と表現したらよいのか難しいですが、ひところ流行ったエド晴海の最後のポーズで出る「コオー」っていう声を1オクターブ高くしたような…余計分かりにくいですか。
つまり美人なのにハスキー、否、それでは若干色気があるので、美人なのに「ゲロゲーロ」といっては言いすぎか。とにかくあの優雅な容姿に似合わない色気のない声で鳴くのです、ハクチョウは。
まあ、見ている分には十分堪能できますから、それでよろしいとは思いますが、ある意味では初めて知ったハクチョウの鳴き声は、とてもユニークな経験でした。

小川江筋堰の先の三島橋小川江筋堰の先の石碑?しばし見とれながら写真などとっていましたら、先ほどの「小川江筋せき」と「三島橋」の間に何やら大きな石碑のようなものが立っていましたので向かってみることにしました。


大堰神社

大堰神社大堰神社「三島橋」を渡って橋の袂に戻ると、非常に狭いエリアに石碑やら何やらが所狭しと置かれているような場所があります。
そして、手前には「大堰神社」という社号標が立てられていているのですが、一体ここは神社…なのでしょうか。
社号標の先に案内板があります。


由来
磐城小川江筋は、徳川時代初期幕藩体制確立のための一環として、磐城平藩主内藤候の治世下に開削されたものであり、水路の延長30粁、工事は寛永10年(1633年)に始められ、寛文5年(1665年)に完成したと古文書により伝えられている。
大堰神社は、寛永の頃から地域住民が小川江筋地域の安泰と豊作を祈念して関場地内源門の近くに水神を祀ったのがはじまりであり、大正8年(1919年)磐城小川江筋普通水利組合管理者佐瀬剛郡長が水利議員と相計り、石造りの祠に幣束を供え、玉串を捧げ祀って現在に至っている。
由緒書きによると、郡奉行澤村勘兵衛公が藩命を受け工事に当り、下流まで水を通したのが承応3年(1654年)、以来年を重ね、平成16年(2004年)が通水350年にあたるので、総代会の決議により、記念事業としてここに大堰神社社標を建立し、由来を掲示するものである。
平成16年5月 水土里ネット磐城小川江筋 磐城小川江筋土地改良区』(現地案内板より)

この由来を理解するには「磐城小川江筋」から理解しなければならないようですね。
「小川江筋」とは一般的にいわれる田圃や畑に水を導くための水路、所謂「用水路」のことで、いわき地方ではこの「用水路」のことを「江筋」と呼んでます。そしていわき市小川町から四倉町まで夏井川の水を取水して利用している用水路を小川町発の用水路という意味で「小川江筋」と名付けているのです。
「小川江筋」は小川~平窪~神谷~泉崎~四倉までの約30Kmの水路で、現在は「小川江筋土地改良区」が管理し、約800haの農地を灌漑しているのを始め、水道等の利用のほか町並みの景観にも利用されているようです。

由来では藩主・内藤公の命により澤村勘兵衛が工事に当ったといわれていますが、そもそもは慶安年間(1650年頃)いわき地方が大干ばつに見舞われ藩主の命で勘兵衛が被害の様子を調べている際、泉崎の光明寺の住職・歓順に干ばつから農民を守るには「関場から水を引くように」と教えられたことから、江筋の工事を始めたといわれているそうです。
当時、夏井川は川底が深く水を引くことが非常に困難だったため、水田の用水として利用できず、雨水に頼っていたために、ちょっとの日照りでも干ばつが起きてしまっていたようです。
そこでまず関場での取水の仕方を考え、調査し、夏井川に小さな堰を造って分水・取水することを考えたのでした。 その堰が先ほど見ていた「小川江筋堰」だったのです。
正式には「磐城小川江筋取水堰」で、この堰は1654(慶安4)年に建造され河川の曲線部にあって平面的には斜形で、縦断的には多段式、そして構造的には木工沈床という国内に現存する数少ない大規模な「斜め堰」といわれ、歴史的には最も古いものだそうです。
川の流れに逆らわずに平常時も洪水時も安定的に取水でき、かつ長年の耐用にも耐える安定的な構造であることが非常に貴重であるとともに、当時の設計・技術の高さが窺えるそうです。
これが「小川江筋」と「小川江筋堰」の由来なのです。

大堰神社宮社そして、この場所が「小川江筋」の基点(取水)であることから、当時、安泰と豊作祈願で「大堰神社」が建てられたものと思われ、大正時代には「大堰神社」といいながら社殿も無いことから石造りの祠が造られたものと推測します。


大堰神社石碑更に、その祠をはさむように大きな石碑が3つほどありますが、文面は全く読むことはできませんが、恐らく「小川江筋」の記念碑的なものでしょうね。


因みに小川江筋完成後、勘兵衛は心無い人々に妬まれたため、無実の罪をきせられ43歳の若さで自刃したそうです。
これを悲しみまた、勘兵衛に遺徳を偲んで一周忌に踊ったのが「じゃんがら念仏踊り」の原型だったと 【いわき散策記 vol.5】で訪れた「能満寺」で知りました。

源門源門現在この取水口には(大正時代に作り直されたものらしい)源門が残っています。


夏井川の白鳥ここから先にはハクチョウの姿を見ることもできます。


夏井川の小川江筋堰と源門と白鳥このように歴史的な場所で、美しい自然・生物を見ることができる小川江筋堰は決してメジャーではないですが、ディープな歴史・観光資源といえるでしょう。


小川江筋源門の取水小川江筋本来の歴史探訪ならばこの「小川江筋」を下っていくのでしょうが、あくまで散策なので無常にも「小川江筋」はこれにて終了となります。

何かの機会にまた出会う可能性はあるとおもいます、30kmの長さがあるのですから。

白鳥の里 ふれあいの広場

小川三島地区から国道399号線に戻り、北に向かうと先に訪れた「草野心平記念館」や「夏井川渓谷」方面ですが、南に戻りいわき市の中心街である平方面に進みます。
常磐線を超えてから国道6号線に戻り「甲塚古墳」に行く予定です。季節が季節ですので観光客も当然それほどいるわけもなく、道路もすべてスムーズに走れます。
399号線の途中で、再び「白鳥の飛来地 右折」の標識が見えたので、思わずそちらに向かってみました。白鳥の飛来地はまだ他にもあったのです。

白鳥の里 ふれあいの広場土手の上をちょっと走ると「白鳥の里 ふれあいの広場」という看板が立っていますので、土手上に駐車して歩いていってみました。
地理的にはいわき市平中平窪細田町というところらしく、承認標識というものが隣にあり、目的項目が「白鳥観察及び環境整備」となっており、夏井川は白鳥を守る会会長が承認を受けているようです。あたりまえのことでしょうが、こう言った承認もきちんと受けなければならないのですが、そのおかげで我々一般人が白鳥を見ることができるという恩恵にあずかれるのですから、ありがたいことです。


白鳥の里 ふれあいの広場この土手の上から夏井川は直接見ることはできませんが、どうやら少し歩いた先のほうのようです。
道の横に注意書きが立てられています。


白鳥かわら版
各地で鳥インフルエンザが流行していますが、夏井川の白鳥やカモ達は元気です。
しかし念のために広場へ病原菌を持ち込まない、持ち出さないよう通路には消毒槽を設置しました。白鳥広場への往復には必ず消毒液で濡れている部分のところを歩き、帰宅後は「手洗い」や「うがい」を実行して「カゼ」などひかないようにしましょう。
夏井川白鳥を守る会』(現地案内板より)

仕事柄今年はインフルエンザ対策に関係したこともあって、インフルエンザウィルスについては上っ面ながら知識を得ています。
インフルエンザウィルスにはA・B・Cの3型があり、AとBがヒトのインフルエンザの原因になっています。 現在までにパンでミック(世界的大流行)を起こしたA型インフルエンザには次のようなものが挙げられます。

H1N1 - スペインかぜ:Aソ連型として知られていてヒトとブタに感染します。1918~1919年にかけて全世界で5000万~1億人が死亡しました。
H2N2 - アジアかぜ:1957年に中国から始まったトリインフルエンザの大流行で、この年に初めてワクチンが開発されましたが1958年まで流行が続いて100~400万人の死者を出しました。
H3N2 - 香港かぜ:A香港型として知られてヒトとブタに感染し、1968~1969年に大流行して75万人の死亡者を出しました。
以上の3つにH1N2を加えた4種類が2009年現在ヒトのインフルエンザの原因となりことが判明しているウィルスで、これらが季節風インフルエンザとして今や風物詩ともなっているインフルエンザウィルスです。
因みに現在「新型」とか「豚」とか言われているインフルエンザはH1N1で、流行した時代が古かったことからワクチンもなく現在パンデミックといわれているものです。
しかし現在ではいずれも弱毒性といわれ、勿論風邪とは異なりますが現在ではかなり抑えられるウィルスとなっています。

その一方でここ2.3年前から騒がれ始めたのが「ヒトインフルエンザウィルス」に対する「トリインフルエンザウィルス」です。
この「トリインフルエンザウィルス」はH5N1と呼ばれ、高病原性トリインフルエンザとして知られているものです。これは通常のインフルエンザ届出伝染病であるなか、H5およびH7亜型は法定伝染病として、致死率が高くパンでミックを引き起こす可能性があるものといわれているのです。ですが、一般的にこの「トリインフルエンザウィルス」は、感染対象となる動物(宿主:共生体)が違うため、「トリインフルエンザウィルス」がヒトに直接感染する能力は低く、また、万が一感染してもヒトからヒトへの伝染は起こりにくいと考えられていました。
しかし、2005年茨城県と埼玉県の養鶏場で発生したH5N2が、2006年ヒトに感染したと厚生労働省が発表して以来、大変な注目と予防を強いられることとなったのです。
そして、このような白鳥の飛来地などは特にパンデミックの可能性が考えられることから、餌与えなどを控えるなど様々な予防がとられてきているのです。

この案内板の先に白鳥についての説明があります。

夏井川の野鳥
コハクチョウ(TL:115-150cm、WS:180-225cm)TLは全長で嘴から尾の先までの長さで、WSは全幅で左右の羽の先端と先端の長さ。
■特徴
全身が白い。頭はハクチョウ類の中では太くて短め。嘴は先端は黒く基部は黄色。黄色部は黒色部より小さく、その先端はとがらず黒色部に食い込まない。
足は黒い。幼鳥は全身が淡い灰褐色で嘴の基部はピンク色。
■鳴声
コホッ、コホッまたはコオ-、コオ-
■分布
ユーラシア大陸北部・北アメリカ北部で繁殖しヨーロッパ西部・カスピ海周辺・朝鮮半島・中国東部・二本・北アメリカ中部で越冬。
■生育場所
湖沼・内湾・農耕地・河川

オオハクチョウ(TL:140-165cm、WS:218-243cm)
■特徴
全身が白い。嘴は先端は黒く基部は黄色。黄色部のほうが大きくその先端は三角形にとがって黒色部に食い込む。細長い頭。
足は黒い。幼鳥は全身が灰褐色。
■鳴声
コホ-、コホ-またはコ-、コ-
■分布
ユーラシア大陸北部・アイスランドで繁殖しヨーロッパ・カスピ海周辺・朝鮮半島・中国東部で越冬。日本にはおもに関東以北に飛来し越冬する。
■生育場所
湖沼・内湾・農耕地・河川』(現地案内板より抜粋)

ハクチョウの種はそれほど多くなく、コブハクチョウ、コクチョウ、クロエリハクチョウ、オオハクチョウ、ナキハクチョウ、コハクチョウがおり、そのうちオオハクチョウとコハクチョウが日本に越冬しに来るのです。
その越冬する理由も記載されています。

白鳥観察ガイド
コハクチョウのふるさとは北極海に面したシベリアの大平原で、凍った土の表面がとけてコケが茂る程度のツンドラ地帯です。
10月には、コケが枯れ雪が深くて食べ物がなくなり、日本・朝鮮半島・中国に飛んできて暮らします。
越冬地で春まで十分栄養を摂ったハクチョウたちは、5月にはシベリアに帰り卵を産み雛を育てます。
シベリアでは、1平方キロメートルに1つがいの分布ぐらいで、大変厳しい自然の中で生育しているそうです。卵は、3~5個産んでも無事に育つのは1~2羽程度のようです。
ハクチョウの食べ物
ハクチョウの主食は水草類で特にマコモの根を好んで食べますが、お米やパンも食べます。
田んぼにたくさんハクチョウがまいおりているのは、稲の切り株の根を食べているからです。』(現地案内板より抜粋)

自然界には不可思議なことが多く、もう少し日本やアジアで住むことができればわざわざ越冬などというわずらわしいものをしなくても良いのにと思うのは人間のエゴなのでしょうか。それとも毎日満員電車で通勤している理屈と同じなのでしょうか。
生きるための自然の知恵、そんなところかもしれません。
そしてこのような日本全国の白鳥の飛来地のうち、青森県東津軽郡平内町浅所海岸のハクチョウは、「小湊のハクチョウおよびその渡来地」として国の特別天然記念物に指定されているそうで、さぞ歴史と景観に優れているのではないかと思います。

ここでの飛来状況は別の案内板にあり、この飛来地に初めて白鳥が飛来したのが平成元(1989)年10月22日で、そのときの最高飛来数が389羽。そして平成2(1990)年3月15日に北帰行したそうです。
以来、毎年10月中旬くらいに飛来し、翌年3月中旬には北帰行しているようで、飛来最高数は平成5年の873羽です。
備考欄には、こぶたん飛来とか、123Y8年連続飛来などと記載されていますが、123Yといった数字はどうやら標識鳥のようで、首や足に標識を付けて観察していたもので、123Y8年連続とは同じ白鳥が8年連続して飛来したことを意味しているのだと思われます。

白鳥の里 ふれあいの広場実際に川岸に行ってみます。
ネットで入れないようになっていますが、ものすごい数のハクチョウがおり、これだけのハクチョウを一度に見るのは初めてです。小川の飛来地の比ではありませんね。


白鳥の里 ふれあいの広場とにかくじっと見ているしかないですね。一方ではこれだけのハクチョウがいると、確かにインフルエンザの恐怖を感じないこともないのですが、さすがにこの景観を見ているとそんな恐怖は吹き飛んでしまいます。
やはりここでも2羽とか家族とかは良く分かりませんが、きっと家族単位なのでしょうね、これでも。


白鳥の里 ふれあいの広場また、ここでもカモが随分といますが、よくよく聞けばハクチョウはカモ科なのですから、親戚なのですね。
したがって白鳥いるところにカモがいても何ら不思議はないということです。


白鳥の里 ふれあいの広場陸に上がっているハクチョウはまるでフラミンゴの集団のようです。


白鳥の里 ふれあいの広場また、川を泳いでいるのは優雅なハクチョウや、嫌に落ち着きの無いものなど多種多様ですが、相変わらず奇妙な鳴声だけはどうも好きになれません。


こうして3月まで我々の眼を楽しませてくれて、北へ帰るのですね。この切なさがヒトのロマンを掻き立てるのでしょうが、ハクチョウにとっては出稼ぎみたいなものでしょう。
白鳥の飛来地を2ヶ所見られるとは、今回はなかなかラッキーな散策でした。

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