住吉神社

「蟹洗温泉」で一日の疲れと寒さをのんびりと癒して、PM9:00過ぎに「蟹洗温泉」をでて国道6号線から再び県道41号線で四倉ICに向かいます。
41号線を入った処にすぐ、昼過ぎに訪れた「船渡八幡神社」がありますが、あのライトで夜はライトアップされていました。

船渡八幡神社「船渡八幡神社」に所以の船でしょうか、帆の形が崖に展開されています。
そしてその帆から船体を形作るラインが神社の鳥居までのびています。

ある意味鳥居がライトアップされている構図は始めてみるような気がします。
どのような意味でこれが行われているのかは判りませんが、来週がクリスマスだからと言うことはないでしょうが、それなりに楽しめるのならそれも良いのでしょう、きっと。
せっかく温まった身体がまた冷えそうなので、これにて本日はまっすぐ帰宅しました。
明日はどこを散策しましょうかね。

住吉神社

翌日の日曜日も良い天気でした。若干疲れが溜まっていたのかいつもよりは遅い目覚めでした。
寒さもあってあまり活動的に動きたくない気分でもあり、今日は朝はのんびりと過ごしAM10:00過ぎに家を出ることとなりました。
このまま自宅まで帰っても良かったのですが、せめてちょっとは散策と思い、比較的近くの「住吉神社」に行ってみることにしました。
国道6号線を小名浜方面に向かうこと30分程度で到着です。
ちょうど6号国道から曲がったところからが、恐らく参道だったのでしょう。現在は車両が通れる車道になっていますが、かつては長い参道でそれなりの規模を誇っていたのではないかと推測します。

住吉神社鳥居暫く進むと朱の鳥居が見えてきます。


住吉神社太鼓橋鳥居を抜けるとすぐ小さな太鼓橋があります。


『太鼓橋は小さな石でできた橋です。江戸時代、小名浜とその付近は天領であり、年貢米は船で江戸へ輸送されました。その帰り船は空荷となり安定を欠くので、伊豆地方で産する石を乗せて船の重心を低めました。そのため、いわきには伊豆石が多く存在します。太鼓橋もこの伊豆石で作ったもので、いわき市薄磯の大船主であり、米の輸送を請け負っていた一族が寄進したものです。』(オフィシャルサイトより)

こんな小さな橋でもそれなりの意味を持っているとは驚きでした。
太鼓橋の先に市指定有形文化財の案内柱がありました。

『市指定有形文化財(絵画) 鬼と力士の首綱引きの図額 一面
指定 昭和五十二年五月四日  所在地 いわき市小名浜住吉字住吉一 所有者 住吉神社
江戸時代寛永二十年(一六四三)  高さ 八三㎝、横幅 一一五㎝
上部を唐破風の型にした板額で、板面の下地に金箔を押し、彩色をもって鬼と力士の首綱引きを描いたものである。現在は彩色・金箔ともに剥落し、素描の線を残すのみだが、これがかえって鬼と力士の力強さをあらわしている。絵師は不明であるが、狩野派の絵師によって描かれたものである。
この絵馬の奉納者は、鍍金された縁金具に「下り藤」の紋所があるところから、磐城平藩主又はその一族の内藤氏であることがわかる。また、「御神前武運長久所寛永弐拾暦未癸九月施主敬白」の銘文から、飯野八幡宮の「引馬図」と同年の寛永二十年(一六四三)に奉納されたものである。
住吉神社本殿は、寛永十八年(一六四一)に再建されており、この絵馬はその二年後に奉納されたもので、武神として名高い住吉・飯野八幡宮両社に奉納された意義は大きい。しかもこの絵馬は、力への憧れを意味するもので、武運長久の祈願にふさわしいものである。』(いわき市教育委員会発行「いわき市の文化財」より)

由緒をまだ良く理解していいないので詳しいことは分かりませんが、以前訪れた【飯野八幡宮】と双璧をなす社ということは、かなりの由緒を持っていると考えられますね。この先が楽しみになってきます。

住吉神社手水舎右手に手水舎があり、その奥に案内板があります。


住吉神社の勅使参向式並びに摂社八幡神社の流鏑馬
住吉神社の例大祭は現在、10月13日に近い日曜日を中心に行われ、勅使参向式は本祭の日に、流鏑馬神事は宵宮と本祭の両日に行われる。
勅使参向式は、謡「高砂」(侍謡)により勅旨一行を迎え、拝殿に昇殿する。勅使祭詞奏上、宮司返し祝詞奏上の後、謡「高砂」(所は高砂、四海波、納め)の奉納を行う。
宵宮には、小名浜港にさがり勅使安着式が行われ、帰着後に流鏑馬神事が行われる。
流鏑馬神事は、初回は扇子を持ち手放しで走る。二回目には、その扇子を撤く。次に三度弓を射て走る。最後に扇子を撤くカラ走りをする。
勅使参向式並びに流鏑馬などの神事は、社会変遷により、その一部に変容を余儀なくされた面はあるものの、概ね古来の姿を残しており、いわき市内はもとより、福島県内においても数少ない貴重な神事である。
(市指定無形民俗文化財)
住吉神社の流鏑馬並びに勅使参向式
指定 平成16年4月28日 所有者 住吉神社
いわき市教育委員会』(現地案内板より)

確か先の飯野八幡宮のも流鏑馬神事が残されていたような記憶があります。
八幡宮は戦いの神を祀っていることから、絵馬や流鏑馬などの武神に関連する文化財が残っているのでしょう。

埼玉県での幾つかの流鏑馬神事が行われていて、昨年訪れた【まなびピア埼玉2009】で知ったのですが、今年2010年11月に埼玉県の毛呂山町で「やぶさめサミット」が行われるとのこと。
主旨は全国100箇所以上で行われている流鏑馬神事ながら、保存団体の様々な問題(主には財政難と後継者、そして市民意識の向上)を検討していこうとするものです。
このサミットに参加する予定の団体は、長野県大町市 大町流鏑馬保存会、山梨県富士吉田市 小室浅間神社流鏑馬保存会、福島県古殿町 古殿町流鏑馬保存会、茨城県土浦市 流鏑馬祭保存会、栃木県小山市 篠塚稲荷神社氏子総代会、静岡県袋井市 梅山中老会梅山流鏑馬振興会、千葉県鴨川市 吉保八幡神社長狭やぶさめ保存会、埼玉県ときがわ町 萩日吉神社流鏑馬保存会、埼玉県毛呂山町 出雲伊波比神社やぶさめ保存会の9団体が予定されています。
それぞれが文化財ですから継承・存続していかなければならないのですが、現実問題としては非常に厳しいようです。結局は他人事となってしまうのですが、我々のできることといえば、せめて少しでも見てあげる事なのかも知れません。
各地の「神楽」のように一度見てみると意外と興味深かったりしますから、この「やぶさめサミット」には是非出かけようと思っています。

手水舎の左手には神社の由来書があります。

『延喜式内東北一社 住吉神社略記
■御祭神 
住之江三神:表筒之男命、中筒之男命、底筒之男命
■由緒
人皇12代景行天皇の御代に時の大臣式内宿禰が勅命を奉じて東北地方を巡視した折、この地が陸海共に要害の地であり東北の関門にあたるので航海安全と国家鎮護のため東北総鎮守として祀られた。
■御神徳 
・厄祓いの神 清祓いの神
御祭神は、竜宮にまします海の神でありまして常に潮満玉と潮干玉をお持ちになり、参拝者の願いは潮満玉の霊妙な働きを顕現し、潮干玉を以って禍(厄)を祓いご守護下さるといわれております。
・出世神 学問芸術の神
和歌三神(住吉社、天満宮、玉津島社)の一柱に数えられており、学問芸術の神として、また出世神として初宮詣受験進入学等のおり、近郷近在より多くの参詣があります。
・交通安全 海上安全の守護神
神功皇后の三韓征伐のおり航路の安全を護り、海が大時化になると舳先に現れて無事凱旋することができたところから海神として航海安全の神として霊験あらたかであります。
・安産の守護神
同じく三韓征伐の折りは、産月間近な神功皇后の玉体を守って安産の霊験をあらわされ無事応神天皇を出産され、そのことが住吉の大神の御神威の賜りとして広く崇敬をあつめております。
・商業繁栄の神 商売繁盛の神
三韓征伐は、矛を使わずして諸外国に稜威を示すこととなり、年々貢物の使者が我が国を訪れるようになり、そのため商業の道が拓かれました。よって商業繁栄の神、商売繁盛の神として広く崇敬をあつめております。
■例大祭
10月12日、13日の両日(現在は10月の第二日曜日とその前日に神祓行事を行う)
■神事
勅使参向式、流鏑馬式、浦安の舞
■境内の名勝
生木の橋、幽境、臥龍銀杏、磯山(蓬莱山とも云う)、月見の池、摂社・八幡神社(進功皇后を祀る)』(現地案内板より)

もう少し由緒をオフィシャルサイトから補足してみます。
小名浜は先史時代は海湾だったので、荒波に削られた岩山が古代では灯台(所謂目印)の役割を果たしたことから、その岩山が神格化され社が祀られたことが始まりのようです。
そして”景行天皇の御代”ということなのでおおよそ西暦100年前後に要衝として位置づけられ、東北総鎮守として祀られたのです。
延喜式内東北一社とあるとおり、延喜式内社として記載されているので、延喜年間(901~923年)には間違いなく存在しており、平安時代には既に現在の場所に社殿を持ち、それから移転することなく今日まで至った神社です。
その間、朝廷が勅使が参内、源家の武運祈念など鎌倉幕府からは数千貫の寄進があり、桃山時代には70石の神領が認可されたり、江戸時代には20石の朱印地を要するほど格式高い神社として栄えていたようです。
明治・大正期には経済的に恵まれず、神職不在の社でしたが、戦後宮司も着任し昭和33年本殿が県指定文化財となるなど、現在の礎がこのとき確立されたのでした。

現在全国に住吉神社は約600社あると言われていますが、このいわき市の住吉神社は祭神は同じながら大阪の住吉神社から後世分社したのではなく独立した神社で、全国住吉七社の一つといわれているそうです。
大阪の住吉神社から勧請されたのではないことは、恐らく福岡県の宮地嶽神社や風浪宮と同じようにに住吉大神の1柱として、また応神天皇とともに八幡三神の1柱として三韓征伐に由来することから建立されたとする神社と同じかもしれません。
しかしながら、一般的に言われている大阪の住吉大社、下関の住吉神社、博多の住吉神社の三大住吉はわかるのですが、住吉七社とは一体どこの神社を指すのかはわかりませんでした。
しかし、そう言ってもやはり延喜式内社ということで由緒格式ある神社であることは揺るぎないでしょう。

ここから神門を潜って社殿に向かいます。
神門は関西には多いそうですが、東日本では比較的珍しいようで神域とそれ以外を隔てる意味があるようですが、現在では防犯対策の意味もあるようです。

住吉神社社殿正面に重厚感ある社殿が鎮座しており、何はともあれ参拝します。最近はきちんと二礼二拍手一礼をするようになりました、偉い!(…か?)
拝殿は入母屋造り安土桃山建築様式で昭和60年に立て替えられたものだそうで、それまでの拝殿は江戸時代後半に立て替えられたものだったのですが、水害により痛みが激しいため改築されたとのことです。


臥龍銀杏ちょうど拝殿の左手に妙な形の大木が辛うじて立っています。「臥龍銀杏」という木です。


龍が伏せたように見えることからこう呼ばれているようで、樹齢は600年~1000年というまさに老木です。
幹は空洞で表皮だけで生きているので大きくなることはないようです。それでも毎年春から秋にたくさんの葉をつけるので、その重みで倒れないように枝打ちをしているのだそうで、なんとも壮絶な光景です。

本殿本殿社殿をグルッと廻って本殿に向かいます。


『福島県指定重要文化財(建造物) 住吉神社本殿 一棟 (付)棟札、木簡八枚
昭和33年8月1日指定 所在地 いわき市小名浜住吉 所有者 住吉神社
当社は延喜式内社で、タケノウチノスクネが奉祀したと伝えられる。
本殿は三間社(正面4.78メートル、側面3.12メートル)の流れ造りで、棟札によると、寛永18年(1641)に当時の泉城主の一族内藤氏によって再建され、元来北向きに建てられていたのを貞享元年(1684)に東向きにかえたという。
正面中央一間は板唐戸、円柱の上下・大瓶束・本殿や向拝の軒組などはほぼ禅宗様になっているが、正面両脇の柱間をはじめ、側壁・三方欄間・脇障子にはめこまれた花獣・四天王などの厚肉の彫刻や、大瓶束・円柱に付した獅子、あるいは手挾の彫刻はほとんどが後補のものとみられる。幣殿と拝殿は近年の改築である。
江戸時代初期の本県の神社建築のひとつの様式を知る上で、貴重な建造物である。
福島県教育委員会』(境内案内板より)

本殿彫刻このことは8枚の墨書銘の木簡である棟札により、桃山期の風潮を受けた和様を主とする建築として寛永18年に造営され、主体には大きな変化なく後世種々の彫刻を付加されたことが判ったそうで、非常に手の込んだ彫刻がきらびやかな時代を感じさせます。


「諏訪神社」「雷神社本殿の横には末社である「諏訪神社」と「雷神社」があります。


磯山その後ろが小高い丘のようになっていて、「磯山」といわれる場所でしょうか。かなりダイナミックな岩山になっています。
かなり広い敷地のようですが、境内の広さは約1万㎡あるそうです。


この「磯山」の裏手に「八幡神社」があるようなので向かって見ます。

足尾神社境内を一旦出て境内の周りの歩道をグルッと廻るのですが、途中民家の門の前に怪しげな石碑があります。
なんと末社「足尾神社」だそうです。円柱の石に「足尾神社」と彫られているだけのものです。
とするとこの場所は境内ということでしょうか、それとも境外なのでしょうか。いずれにしても、こういった形式の神社は始めてみたのでちょっと驚きでした。


八幡神社先に進むと朱い鳥居の摂社「八幡神社」があります。冬でもかなり鬱蒼とした林の中にあります。


八幡神社社殿鳥居を抜けて参道を行くと社殿です。


『この建物は本来当社の仮殿として建てられたもので、屋根替え等の時に大神様に一時お移りいただくところでした。仮殿でもある社殿は当社と同年代に建てられています。
中世の頃、離れたところにお祀りしていた八幡神社が、水害によってこの地まで流されたためにそのままお祀りするようになったと言われています。
摂社には最もご縁の深い神様をお祀りすることになっていますが、これには次のような伝承が関係しています。
第14代仲哀天皇が熊曽を討つために筑紫の香椎の宮に向かわれたとき、住吉の神の意を信ぜずにその怒りに触れて崩御されます。そのあと后である神功皇后(息長帯比売命)が、家臣建内宿禰と共に住吉の神の託宣に従い、三韓征伐に勝利を収め凱旋します。その途次応神天皇が生まれようとしたのですが、やはり住吉の神の加護により九州に上陸してから応神天皇(品陀和気命)つまり八幡の神がお生まれになりました。八幡神社は応神天皇とその皇后、そして神功皇后の三柱をお祀りしていますので、その意味で最も縁が深いということになります。』(オフィシャルサイトより)

以前にも調べましたが、基本的に摂末社とは神社本体とは別に、その神社の管理に属し、その境内または神社の付近の境外にある小規模な神社のことを言います。
現在では明確な規定はありませんが、一般的に摂社はその神社の祭神と縁の深い神を祀った神社で、末社はそれ以外のものと区別されているようです。
したがってこの「八幡神社」は摂社なのです。

八幡神社本殿本殿は特に彫刻もなく静かなひっそりとした本殿です。


本殿の後ろが「磯山」ということになります。参拝をしてから「住吉神社」に戻りこの地を後にしました。
どこでもそうですが歴史ある神社・仏閣はそれなりに興味深いことが多いです。今回も色々貴重な経験をさせてもらいました。

今日の散策はこの「住吉神社」をお参りして終わりにしました。
次にくるときにはどこを散策しましょうか。
これから更に寒さが厳しい東北地方なので、暖かくなってからまた訪れましょうかね。めっきり寒さに弱くなってきたので。

最後に…

八茎寺でのステップワゴン船渡八幡神社でのステップワゴン10年乗り続けた愛車「ステップワゴン」がこれをもって長距離の走行が最後となりました。


特に故障があったわけでもないので、まだまだ乗れる可能性は大ですが、様々な状況を考え合わせると乗り換え時でした。
基本的に10年間、タイヤ、バッテリー、ワイパーブレードの消耗による交換があったものの、故障らしい故障もなく走行できました。改めてMade in Japanのすごさを目の当たりにした思いです。
ホンダディーラーでのステップワゴン新たな愛車はやはりホンダの「フリード」で2010.1.9納車となります。兎にも角にも良く走ってくれました。
走行距離:124.956km

2010.1.14記

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