沢尻の大ヒノキ

天候はますます悪化しているようです。どんより加減が一団と激しくなってきます。 「東松院」でパラパラと落ちてきた雨は現在はほとんど降っていませんが、いつザッと来てもおかしくない天気です。
「雨降松」を後にして訪れようとしたのは、「雨降松」に関連する法陵権現の「熊倉神社」で、 ここから10分くらいのところのようです。
何とか雨が降らずに持ちこたえてくれるとよいのですが。

熊倉神社

「雨降松」の前をまっすぐ進むとすぐT字路になっていて、そこを左手に曲がります。
熊倉神社そこから少しいくと、いきなり道路の曲がった角に「熊倉神社」の鳥居があります。ちょうど90度曲がった角なので道路の突き当たりに感じます。
鳥居のほかに狛犬や社号標などが置かれています。


熊倉神社
長久2年(1041)藤原山城守精隆、近江国滋賀群(現滋賀県)より勧請する。
天文17年(1548)大旦那佐藤伊勢守行信により再建せらる。
法陵宮(法陵大権現)と称し、旧小白井村、上桶売村、下桶売村、川前村四か村総鎮守であった。
明治2年(1869)熊倉神社と改称せられ、同6年元磐前県庁より村社に列せられる。
祭神 大山祗命
例祭 9月第2土日曜日
行事 御輿渡御、浦安の舞、堂廻り、36矢の弓祭り』(現地案内板説明文より)

先の雨降松でもあった雨降りを止める風習がこの4か村を巡る習わしだったことが、総鎮守の名残かもしれません。
一概に1041年といえば平安時代ですからかなりの歴史を持った神社といえます。780年の桶売発祥からつねにこの地とリンクした地元にとっては重要な神社であったことがここから窺えます。

熊倉神社参道階段鳥居の先はやはり急な階段になっています。
相変わらずの曇天ですが、気温が非常に下がっていて階段を上がっていくにも関わらず体が震えるような始末です。

熊倉神社社殿階段を上り詰めるとそこには社殿が鎮座しています。
それほど大きくは無いのですが、重厚感に圧倒されます。そして屋根の曲線美が見事というほかありません。

熊倉神社本殿拝殿で参拝し本殿に回って見ます。本殿の外壁は硝子戸でできていて一応中(勿論、ご神体はみえませんが)が見えるようになっています。ちょっと珍しい造りではないでしょうかね。


この「熊倉神社」には文化財として「算額」があるそうで、 算額は日本各地にあり当時としては世界水準以上とも言われた和算書の写しが奉納されたのでした。
算額については【白久の串人形芝居】で訪れた「荒川歴史民俗資料館」で詳しく調べた経緯がありました。
そして熊倉神社の算額もいわき市の文化財として指定されているようです。

『市指定有形文化財(歴史資料) 上桶売熊倉神社算額 一面
上桶売熊倉神社算額
指定 昭和五十二年五月四日
所在地 いわき市川前町上桶売字宮下七六
所有者 熊倉神社
江戸時代天保十四年(一八四三) 高さ 三七㎝、横幅 六○㎝
この算額は杉の一枚板で、上部は屋根形になっている。天保十四年(一八四三)に、上神谷村(平上神谷)の須藤源重によって上桶売の法陵権現(熊倉神社)に奉納されたものである。

奉納
今如図有大円、径五寸、只云、外円径大円径倍二、股八寸ニシテ、問空円径幾何
答日、空円径三寸有□
今如図有容勾股弦円、只云、勾弦和四寸八分、股弦和五寸四分、問得円径幾何
答日、円径一寸二分
術ニ日、勾弦和股弦和相乗倍ノ為、実平方二開之得、玄和和以減勾玄玄和得、股又股弦和ノ内減股得、玄以術円径合問
天保十四癸卯歳八月吉良辰
磐城郡上神谷邑
願主
須藤源重(花押)
以上のように、この算額は「三平方の定理」を主体として、問題を提示している。
このような算額が神社・仏閣に掲げられるようになったのは、寛文年間(一六六一~七二)のころからで、福島県内では寛政年間(一七八九~一八○○)に一九面、天保年間(一八三○~四三)には二三面が掲げられたことが知られているが、現存しているものは極めて少ない。』(いわき市教育委員会発行「いわき市の文化財」より)

因みに1826年には閼伽井嶽算額が奉納されたそうですが、現在はなくなっているそうです。そいう意味で福島県、特にいわき市では貴重な文化財といえます。
興味深い神社をお参りした後は今日の一番の目的である「沢尻の大ヒノキ」に向かいます。

沢尻の大ヒノキ

凍えそうなくらいの寒さのなかで「熊倉神社」を後にして今日のメインである「沢尻の大ヒノキ」へ向かいます。 これは国指定の大ヒノキですが、このような機会がなければ、恐らくお目にかかることは無いと思います。
池尻の大ヒノキ「熊倉神社」から車で10分くらい進むと道標があり、細い路地を右折すると間もなく田んぼの中にポツンと大きなヒノキが立っています。
昨年【いわき散策記 vol.6】訪れた「甲塚古墳」を髣髴とさせるような景色です。

途中に車を止めて徒歩で近づいてみました。

顕彰碑池尻の大ヒノキ近づくにつれて確かにその大きさを実感することができます。
手前に「陸軍少佐 宇佐美利治翁」という方の顕彰碑が建立されています。
その90度の角度に鳥居が建っているのは、もはやご神木の域であることを物語っているのでしょうか。


『国指定天然記念物 沢尻の大ヒノキ(サワラ)
本樹は一般に「ヒノキ」と呼ばれているが、樹種は「サワラ」であり、わが国随一の巨樹である。
主幹は途中から二本に分かれ、樹皮は縦裂して深い切れ込みとなる。この上にツルマサキや巨大なキズタがからみついている。
樹齢は定かではないが、800年とも、1000年以上とも言われる。
ヒノキ、サワラの天然記念物は少なく、本樹はわが国有数の貴重なものである。
樹高:34.3m 胸高直径:3.0m 指定面積:105㎡』(現地案内板説明文より)

恐らく記念物の指定を受ける際に正式に「サワラ」と判ったのかもしれませんが、それにしても魚はよく聞くのですが、樹木の「サワラ」とは全く初めて聞く名前です。
「サワラ」はヒノキ科ヒノキ属の針葉樹で、岩手県から九州各地にかけての山地に自生する日本特産種です。 樹高は通常30~40m位で、外見はヒノキによく似ているのですが、枝がヒノキほど茂らず枝と枝の間隔が広くなるため遠くからでも幹がよく目立つのが特徴のようです。
ヒノキのように鱗片状の小さな葉がつくのですが、一枚一枚の先端が尖っているため、ヒノキとの区別は簡単だそうです。
ヒノキより成長が早いのですが、材質がやわらかいためヒノキのように柱などにはあまり使用され無いようで、湿度に強く臭みが無いことからで飯櫃や柄杓、桶などに使われ、更に殺菌作用があるためマツタケ等の食品の下の敷物として使われるケースも多いようです。
江戸時代に尾張藩から伐採が禁止された木曽谷の木であるヒノキ・アスナロ・コウヤマキ・ネズコとともに「木曽五木」の一つであり、木曽節にも唄われているそうですが、意外とポピュラーではありませんね。

沢尻の大ヒノキ遠くから見ると幹が2本に分かれているのが見て取れます。

沢尻の大ヒノキ更に近づくと幹の根の所に祠が3つ置かれています。
これはどうやら、この大ヒノキに関係する宇佐美姓の6軒の家がまつっているもののようで、例年旧暦9月19日に新穀祭を行うそうです。それゆえ先の宇佐美利治翁の顕彰碑があったのです。

沢尻の大ヒノキツルが絡み付いている様は見て取れ、一種崇高的でありながらもオドロオドロしている感も否めません。
夜にはあまり来たくない所です(って、来る人ほとんどいないでしょう)。

沢尻の大ヒノキこうしてしばらく見ているうちに何と雪になってきました。あまりの寒さにこれにて退散することとしました。


天気には恵まれませんでしたが、なかなか貴重なものを見られた川前町でしたが、ここが「いわき百景」に選定されなかったのは摩訶不思議です。

いわきの里 鬼ヶ城

雪の中を元来た道を戻ると、道路沿いのガードレールに「手打そば そば久」の看板があります。
すでにPM2:00を過ぎていたのですが昼食のことはすっかり忘れていました。この看板をみて急に空腹感が増大してきた具合です。 他に特に店舗らしきものも無いので、この蕎麦屋に行ってみることにしました。
「雨降松」から来たときのT字路を「雨降松」の方面ではなくまっすぐ進む方向です。結構雪も降ってきていますす、どのくらい先なのかも判りませんが、きちんと舗装された道ですので特に問題はないでしょうし、道は一本道のようなので迷うこともないでしょう。

鬼ヶ城20~30分走ったでしょうか。辿りついた先には「鬼ヶ城」という大きな看板が立っていました。
「鬼ヶ城」とは全く予備知識もありませんでした。

そこにも「そば久」の案内板があったので、「鬼ヶ城」内を車で少し進みました。
そば久すこし進むと「そば久」の幟が立っていたのですぐ目に付きました。どうやらここはこの「鬼ヶ城」内のレストハウスにある蕎麦屋のようです。

そば久この【そば久】では「手打ち蕎麦ときじおこわセット」をいただきましたが、意外と侮れない美味い蕎麦を楽しむことができましたが、何よりもこの「そば久」が今年初めての営業日だったことの偶然にプチ感動です。
そのほかありがたいサービスもいただき気持ちもホットになりかけていると、どうやら雪も止んで多少明るくなりかけてきたようです。


この「鬼ヶ城」はいわき市の管理するキャンプ場の一つだそうで、 いわき市の市営キャンプ場として他に、遠野オートキャンプ場、仁井田浦キャンプ場、新舞子キャンプ場、夏井川渓谷キャンプ場があります。
その中でもここ「鬼ヶ城」はかなり施設が充実しているようで、 30区画のキャンプ場と10区画のオートキャンプ場を保有し、バンガローやコテージも設備されているようです。
グラウンドやテニスコートは勿論のこと、宿泊・研修センター「ききり荘」、山里の生活が体験できる「山里生活体験館」や山菜狩りができる「山菜館」などなど、多彩な施設をそろえているところが特徴のようです。

レストハウス雪も上がったので「鬼ヶ城」を少し散策してみました。とはいっても気温は結構低いので、レストハウスの周辺だけです。

白樺林レストハウス周りは白樺林となっていて高原の清涼感が漂うところですが、こう寒いとかえって白樺林は寒々しく感じます。

人工池その先に人工池と書かれた看板のある池があり、ひとつは釣堀になっています。

鬼ヶ城キャンプ場人工池の先には「鬼ヶ城キャンプ場」と書かれた立て札があるので、この先がキャンプ場なのでしょう。

多目的広場またキャンプ場とは反対側に多目的広場とでも言うのでしょうか、子供用の遊具のある広いスペースがあります。

ひできくんその近くには何故か「ひできくん」と命名された「鬼ヶ城」のキャラクター看板がありますが、どうして「ひできくん」なんでしょうね。

新緑の季節から夏の時期にはかなり賑わうのではないかと想像しますが、いずれにしても季節的にも、年代的のも場違いなオッサンが入り込んでしまった、的な光景でしょう。
人が少なかったのが何よりでしたが、ここが「いわき百景」の〝観光地〟として選定されているのも納得のゆくところです。

これにて川前町を本当に後にしました。
山間のよい町でしたが、距離的なことを考えると再び川前町を訪れる機会は非常に少ないでしょう。

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