閼伽井嶽薬師周辺

「常磐藤原町田湯坂の町並み」を後にしていわき湯本ICから常磐道・磐越道を通りいわき三和ICでおります。 その間約20分くらいでしたでしょうか。高速を使用すると実に移動がスムーズです。
いわき三和ICを降りるとすぐ水石山への案内がありますので、特にナビがなくても迷うことはないでしょうね。
いわき三和ICから国道49号線を南下し、県道133号線を左折すればあとは一本道のようです。途中「水石山」方面と「閼伽井嶽薬師」方面に分かれるT字路がありますが判りやすいので間違えることもないでしょう。

水石山公園

県立水石山公園急な坂を登り始めると、途中に「県立水石山公園」と刻まれたプレートがあり、ここからが「水石山公園」のエリアであることが判ります。

水石山の神社しばらく道なりに坂を上り、駐車場に向かうために右折すると左側の小高い丘に赤い鳥居と小さめな社があります。
何を祀っているのか判りませんが、水石山自体が山岳信仰とでもされていたのかもしれません。

水石山公園駐車場その先が駐車場のようなのですが、かなり駐車している車が多いのと、何故か福島県警のパトカーが止まっています。

とりあえず車を降りてパトカーの近くに行ってみると、そこに「水石山」の案内板がありました。

水石山の由来
水石山はいわき市の北西に位置し、海抜735メートル、JRいわき駅から約21キロメートル、いわき七浜太平洋をはじめ市内全域を一望でき、遥か西方には那須、磐梯吾妻連峰の雄姿を望みことができる。
全山こなら、くまひで、山桜、かしわなどの広葉樹が多く、うぐいす、めじろ、赤げらなど30数種の野鳥が生息している。
当山は今から1262年(西暦734年)前、天平6年源観上人が大和国鷲峰山より伝来の秘仏、薬師如来の立像を護持して水石山の北側、剣ヶ峰に草庵を建て、疫病退散の修法祈願を行ってから大同元年閼伽井嶽に移るまでの72年間人が住み、地名に「ついぼの焼山」、つのえ、つぼろ、もでぶな、お犬平、小林塚、勘太夫沢などの呼称がある。
特に山頂近くの巨石を水石と称し、頂部のくぼみに常時約31リットル(1斗7升5合)の雨水を蓄えている。
その雨水が枯渇すると雨が降り、その水を撹拌すれば忽ちにして雨を呼ぶとの言伝えがある。
山頂に雨雲がかかると必ずいわき地方に雨が降り、人々は昔から水の守護神が宿る深山として崇め、雨乞いなどの神事が盛んに行われたと言われている。
今は巨石下に龍蔵権現を祀り、旧暦6月6日巨石に注連縄を張り合戸区民が祭りを行っている。
昭和28年3月・夏井川渓谷県立自然公園として指定された。
山頂一帯約80ヘクタールの天然芝生は馬の放牧に適し、往時は200頭ほどの馬が放牧されていた。
近年馬の飼育農家が減り、わずか10数頭の馬が放されている。
平成8年9月 合戸区・合戸山野組合』(現地案内板説明文より)

朝から「常磐藤原町田湯坂の町並み」を散策した頃までは実に天気が良かったのですが、ここ三和町に着いたあたりから、にわかに曇り空となってきたのです。
これも水石のくぼみの水が乾いてきたからなのでしょうか。とすると、逆に水を足すと晴れるのでしょうかね。そんな罰当たりなことをした人はいなかったのでしょうか。
水石山公園山焼き是非とも一度やってみたいものだ、などと考えながら山頂へ向かおうとすると何やら後げ臭いにおいと、山が真っ黒になっているではありませんか。

水石山公園山焼き遠くには消防車までいますし。

ちょうど、消防車から降りてきた消防士の方がいたので聞いてみたところ、今日は所謂山焼きの日だそうで、朝から地元警察、消防、そして地元の方などが総出で野焼きをしているのだそうでした。
途中、その旨の看板があったはずだけど「気がつかなかった?」といわれて、「はあ、気がつきませんでした」…。 ということで、基本的(若干例外は認められるの!?)に立ち入り禁止だそうです。
水石山公園山焼き折角やってきたのに残念でしたが、こう言った光景を見られるのも年に一度と考えれば、ある意味ラッキーのポジティブシンキングです。

確かすこし前やはり山焼きでなくなった方がいたというニュースがありましたが、それもあってナーバスになっているのでしょう。まあ、これも春がやってきたというイベントみたいなものですから。

多少残念な気持ちも引きずりつつ戻りことにしましたが、最後の足掻きとばかり先ほどの駐車場に入り際のT字路を先に進んでみました。行き止まりでしたが広いスペースの駐車場のようです。
水石山公園前には何やら球体の乗った高い塔が見えます。給水塔にしては高いし大きいし一体何者でしょうかね。

水石山公園山焼きここからも山頂のほうにいけるようですが、こちら側はまだ焼かれるようで巡回の方に注意されましたので、今度こそ引き上げることにしました。

水石山公園景色今回は天気も悪く山頂にもいけないのであまり景色もよくない水石山をちょっとだけ訪れました、的な散策でした。


「いわき百景」の〝観光地〟に選定されている「水石山」ですが、その景観はまたのお楽しみということです。

閼伽井嶽薬師

「水石山」から戻る際、確かに道路沿いに山焼きの告知板が有ったことを確認しました。
水石山公園山焼きでも、よくよく見れば注意して遊んでください、と書いてあるので入ってもよかったのでは…、などと子供みたいなことをいい歳のオッサンが言ってはいけません。


さて、戻り道を途中のT字路で「閼伽井嶽薬師」に向かいます。
山道を15~6分でしょう、進むと「閼伽井嶽薬師」に到着です。かつては舗装道路がなかったそうで、徒歩で登ってきたとか。現在でもその旧参道は残っているようです。
閼伽井嶽薬師参道の中央に鎮座した寺号標とそこから一直線に伸びた参道、そしてそこから上がる石段、そして更にその石段の上にかすかに見える本堂。周りの凛とし空間と相まって、素朴な中にも実に荘厳さが漂ってきそうな寺院です。
よく写真で見るアングルですが、実際に見るとその存在感に圧倒されそうです。


閼伽井嶽薬師縁起 当山は正式な名称を水晶山玉蔵院常福寺という、宗派は真言宗智山派。
天平6年(734)東北地方に大地震有り、次いで疫病流行し、その惨状目を覆うばかり、大和国鷲峰山竹林寺の往時源海阿闍梨は座視するに忍びず、三国伝来の秘仏薬師如来を源観上人に託し疫病平癒を発願す。
源観上人は現在地より西北の剣ヶ峰に薬師如来を安置、37日間の祈願を凝らす。
後70有余年経た大同2年(807)徳一大士剣ヶ峰を詣でるに坂道険阻且つ風雨の被害甚だしきを見て、現在地閼伽井嶽に堂塔伽藍を造営。
以来連綿1200余年法煙絶えることなく現在に至る。
境内は33,000坪、樹齢400年を閲する杉、桧等古木林立し、その間に巨厳点綴する様は将に東北屈指の古刹の名に恥じず。
本尊薬師如来は、印度龍智菩薩の御作、善無畏三蔵御請来と伝えられ、病の平癒祈願はもとより殊に安産祈願、良縁祈願の功徳絶大なり。
故に海内外の信仰厚く、善男善女の参籠絶えることなし。』(現地案内板説明文より)

源観上人が持ち込んだ薬師如来が一旦水石山の一角に安置したのは先に説明がありましたが、その後、東北地方ではかなり多くの寺院を開創した徳一上人がここも開創したのですね。東北・茨城方面での徳一上人はスーパースターですから。

早速境内を散策です。
まっすぐ本堂には向かわずに、ちょうどこの案内板の裏手から(参道の右側)から歩いてみます。
閼伽井嶽薬師不動堂一番手前にあるのが「不動堂」です。

歴史を感じさせる重厚感ある不動堂ですが、何度かの火災に遭い往時のものではないようです。それにしても屋根の曲線が優美です。
閼伽井嶽薬師不動堂仁王像閼伽井嶽薬師不動堂仁王像両側にはこれぞ、とも思わせるような大層立派な〝仁王像〟が安置されています。将に「阿・吽の呼吸」です。


宝篋印塔?不動堂の隣には何やら由緒あるような塔があります。こういった形から推測するに〝宝篋印塔〟なのかもしれません。
それにしても亀(!?)が塔を背負っている形が面白いです。


僧坊その先が〝僧坊〟で文字通り僧の起居する建物です。

僧坊僧坊しかしながら〝僧坊〟に置かれているこのタイヤと片隅にある絶版ビートルとの因果関係は一体何なのでしょう。妙にミスマッチな〝僧坊〟でした。


奥の院その〝僧坊〟の裏には〝奥の院〟があります。一般的に言うところの宝物殿のようなものでしょう。
かつて本堂の裏手には青銅製の神将12体があったそうですが、痛み出し始めたようで現在はこの〝奥の院〟に置かれているそうです。見ることはできませんが。


本坊そして〝僧坊〟の先が〝本坊〟です。


桐紋昭和28年に再建されたそうなので、それほどの歴史のある建物ではないのですが、ちょっと気になったのが〝本坊〟に付けられた「桐の紋」です。


もともと桐の紋は皇室や朝廷で、菊の紋に次ぐ格式の副紋として五七桐が使われていました。
中世以降の武家社会になると足利尊氏や豊臣秀吉など武家が望んだ家紋として天皇から賜っています。このため五七桐は「政権担当者の紋章」という認識が定着したようです。家康が用いなかったケースもあるようですが。
その後、明治時代になって当時の明治政府が大礼服に五七桐を使用したことから、日本国政府(首相・内閣)の慣例的な紋章となり、日本の国章に準じた扱いを受けるようになったのです。
現在ではビザやパスポートなどの書類や硬貨(500円硬貨)、更に官邸の備品や総理の演台に取り付けられるプレートに使われているそうです。また、五七桐以外でも皇宮警察本部や法務省では五三桐が紋章として使われているそうです。
明治時代以降では、この桐の紋は一般的に自由に使用してよいとされたことから、全ての桐紋が由緒正しい家柄というわけではないようです。 しかしながら、現在でも一般的に使用されるのは五三桐で、五七桐はやはり現在でも簡単には使われていないようです。
そこで改めて、本坊の桐紋を見ると五七桐ですから、やはりそれなりに格式ある寺院として存続してきたのでしょうね。

〝本坊〟から一旦参道に戻り、〝本坊〟とは反対側に〝大師堂〟なるものがあるので行ってみました。
魚雷碑〝大師堂〟の手前に魚雷碑なる石碑があったのでちょっと驚きです。

歴史を紐解くとかつて第二次世界大戦中に人間魚雷「回天」という恐ろしげな魚雷があったそうです。これは魚雷の中に兵士が入り自分で操縦して敵艦にぶち当たると言う、謂わば神風特攻隊の海バージョンです。そしてその「回天」の基地が小名浜にあったそうなのです。それを追悼したかどうか定かではありませんが、何となく辻褄の合いそうな魚雷碑ですが、きっとそのような記憶を風化させないためにもこのような魚雷碑が建立されたのかも知れません。あくまで筆者の勝手な推測ですが。

大師堂・弘法水その隣にあるのが「大師堂・弘法水」です。

特に説明がなかったのでオフィシャルサイトの説明を見ます。

大師堂・弘法水
弘法大師を祀り、堂は一大老楓の巨木を擁し放生池にい臨み、その下厳石の凹所より清泉を湧出す。昔弘法大師独鈷を以て岩石を穿ち湧出せしめた霊泉、如何なる大旱にも涸るることなし。依って毎晨朝本尊薬師如来に供する閼伽水となす。当山本来閼伽井嶽と称するはこれによる。層て大町桂月参詣の砌り一句あり。
〝山路来て 木鼠と飲む 清水かな〟
弘法水
眼病に霊験があると言い伝えられ、今でもその利益を願っての参詣者が絶えません。
またどんな日照りでも涸れることがなく、湧水のため真冬でも凍ることがありません。』(赤井嶽薬師 常福寺オフィシャルサイトより)

若干噛み砕かないと理解に苦しむところがあります。
簡単に言ってしまうと、弘法大師がこの山に来たときに、中央に握り部分があり両端が尖っている杵形の仏具である独鈷で岩を突いたところから水が湧き出し、どんな日照りでも枯れず、どんな寒い時期でも凍らない泉になったそうです。
そこで、弘法大師を祀るため巨木の池のほとりの湧き水が出てくるところにお堂を建てたということです。
巨木の池その巨木の池がこちらでしょう。

弘法水そしてお堂である「大師堂」の下に弘法水が湧き出る凹所があるのです。

実際にこの場所を見ると確かにありそうだと頷けるロケーションです。

このような「弘法水」に関する伝説は日本全国に伝わっているそうです。
日本文理大学建設都市工学科教授の河野忠氏によると、弘法大師に纏わる伝説は全国で約3000以上もあるそうで、その中で弘法大師に纏わる水、所謂「弘法水」の伝説は1352編にのぼったと平成14年の論文で紹介しています。
例えば大同2年弘法大師が伊豆の修善寺を訪れたとき、桂川で病父を洗う少年を見た空海はその孝行心に心打たれ、独鈷で川中の岩を打つと、そこから温泉が湧き出したといわれています。それが現在の修善寺温泉・独鈷の湯なのです。
このように日本全国、各県で1つや2つ、否、10コや20コの弘法水の話があっても、何も不思議ではないというほどポピュラーな伝説なのです。
そしてこの泉が湧き出て以来、この「弘法水」を毎朝薬師如来に供することとなったそうで、 仏教において仏前などに供養される水のことを〝閼伽〟と呼び、その〝閼伽〟を汲むための井戸のことを〝閼伽井〟というそうで、「弘法水」=〝閼伽〟それが「閼伽井嶽」の由来となったようです。
因みに、この説明にある大町桂月とは明治から大正時代にかけての歌人・評論家で、その桂月が訪れたときに詠んだ句が掲載されているようです。
いずれにしても眼病に効くとあってはお参りせずにはいかないでしょう。たっぷり時間をかけてお参りさせていただきました。

参道にもどって、再び本堂に向いますが、実に寄り道せずにいられないほど見所の多い寺院です。
水舎水舎石段をあがった途中に「水舎」がありますが、かなり造りが細かく重厚感のある「水舎」です。将にこの境内と環境に似合った荘厳さを醸し出しているかのようです。
掲載にある建造物はすべからく屋根の曲線が美しい限りです。恐らく何とか造りなのでしょう。


四国八十八ヶ所霊場更に石段をあがると左側に「四国八十八ヶ所霊場」があり、これをお参りすると四国の88ヶ所を回ったのと同じだけの功徳のある場所として、多くの寺院にもあります。
とは言っても、勝手に88ヶ所作れば良いという訳ではなく、実際に四国の88ヶ所の砂等を持ち帰り、それを実際に供えたものでなければならないので、必ず誰かしらは四国に行かなければならないというわけです。

四国八十八ヶ所霊場ここから進むと途中で折り返しとなり、88ヶ所全て廻るとまた参道に戻ってくるという仕掛けです。
流石にここは歩くだけにさせていただきました。


本堂紆余曲折なれど、やっと本堂に到着し参拝です。

この本堂も何回かの火災を経て、昭和17(1942)年に落成したそうですので、およそ70年近くの月日が経過しています。
「水舎」と同じように豪壮なつくりで重厚感を感じます。

奉斎堂鐘楼堂本堂の右側には「奉斎堂」があり、左手には「鐘楼堂」があります。この「鐘楼堂」も昭和49年に建立されたものだそうですが、意外と新しいにもかかわらず本堂や水舎と同じような質感を持たせているのは偶然なのでしょうか、それとも意図的な設計なのでしょうか。


儒仏「鐘楼堂」の裏を少しあがったところに「儒仏」とよばれる像がありますが、この場合は仏教と儒教が融合した像と理解してよいのでしょう。
そもそもここ「閼伽井嶽薬師」では基本的に宗派等は問わないところからいわき市民に親しまれているようですから。


多宝塔四阿また、その下には「多宝塔」があります。これはかなり新しいようで、その奥には四阿があります。
若干「多宝塔」だけが浮いた存在のように思えますが、それもまた年月と共にこの薬師に相応しい姿に変わっていくのでしょう。


閼伽井嶽薬師これで境内の散策が終わりました。参道を戻るころには天気も良くなり陽も差し込んできました。
これって吉、それとも凶!?


参道横の案内板を再び見てもう一ヶ所見るべきところがありました。 駐車場の脇に「龍燈杉」と呼ばれる杉の大木があるようです。
閼伽井嶽薬師その脇にはこのように多くの杉があるようです。とにかく近づいて見ると「市指定天然記念物 常福寺の龍燈杉」とかかれた木柱が有りました。


何の説明もないのでいわき市のサイトで調べてみます。

常福寺の龍燈杉
指定 平成十四年四月三十日
所在地 いわき市平赤井字赤井嶽一
所有者 常福寺
閼伽井嶽の中腹に常福寺(閼伽井嶽薬師)がある。境内の南東斜面に、通称龍燈杉と呼ばれている巨木があり、霊木として崇められている。樹高四二m、胸高幹周り九・二四mのこの巨木は、樹高八mのところにヤブツバキの寄生木や、幹に雷の被害跡があるが樹勢は旺盛で、樹高・胸高周囲では、いわき市内の杉の中で最大である。
この杉には、昔竜宮城の乙姫様が難産の折、薬師如来の御利益を得て安産したお礼に、毎夜龍燈を仁井田浦から献じ、この大杉から一段と光彩を放して薬師堂へ入ったという龍燈伝説がある。
阿武隈山地地層の花粉分析の結果、最終氷河期が終わり、気候が温暖になる時代から、スギの花粉が多く検出されている。このことから、昔は阿武隈山地にスギが自生していたことが窺われる。しかし、人間活動が盛んになるにつれてスギの伐採が進み自生林はほとんど無くなってしまった。旧営林署が行った赤井嶽の調査報告(一九六三年)では、龍燈杉を含め旧参道のスギとヒノキは自生のものとされた。太平洋側のスギの自生林が無くなってしまった現在、龍燈杉と参道のスギ林は植物地理学上貴重である。
寺の伝承によれば、江戸時代末期まで寺の境内には数本の巨木がありその中に老爺杉・老婆杉・天狗杉・龍燈杉があったと云う。また、「龍燈杉は杉にあらず」とも伝えられており、現在残っているスギの樹形から見て天狗杉の可能性があるが、一般に龍燈杉と敬われている。』(いわき市教育委員会発行「いわき市の文化財」より)

龍燈伝説をもう少し詳しく調べてみます。
昔、赤井村に若者がおり、村の娘と結婚しようと薬師如来に願い出たが、彼が龍の化身であることを知っていた如来は、結婚を許さなかった、仕方なく若者は娘を奪って、竜宮城に連れて行ってしまった。
歳月がたって、竜宮の姫は身篭ったが、難産で苦しんだ。龍が薬師如来に救いを求めると、如来は見るに見かねて安産を叶えてやった。龍はそのお礼に龍燈を献じた。その時の灯りの明減は、四ツ倉仁井田浦から夏井川を遡り、常福寺に達すると、このスギの木の梢から本堂に入っていった、という内容です。
神木としての民話ということでしょう。

そこで件の龍燈杉はと見るがどれがどれやら…
閼伽井嶽薬師しかし、よくよく見れば崖の中に下の方に降りる僅かながらの階段があるので、下りて見ますと1本だけ他とは違う大きな杉がありました。

閼伽井嶽薬師写真ではアングル的に入りきらず、また遠目からは他の木が邪魔で判りにくいのですが、確かに大人3~4いなければ抱えられないくらいの太さです。

自然が手付かずで残されているが故でしょう。
歴史と自然にあふれたいわき市の古刹、閼伽井嶽薬師が「いわき百景」の〝観光地〟に選定されているのも極めて当然でしょう。

今回は天候には恵まれませんでしたが、幅広い散策ができました。
次回がまたまた楽しみです。

2010.4.18記

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