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長宗寺のタラヨウ

この日は「磐城舞子橋」を最後に戻りましたが、この後、家庭にちょっとしたトラブルがあり、翌日9日の日曜日はAM10:00にはいわきを立たなければならなくなりました。
したがって散策もこれにて終了となるところですが、翌日例によって目覚めの良い私としては、朝の散歩ならぬ朝のドライブとなりました。
とはいっても、遠出ができる訳でもないので近場を散策することとなったのです。

長宗寺

朝、訪れたのは自宅から車で10分程度の距離の「長宗寺」です。ここには天然記念物があると聞いていたので訪れてみました。
以前【いわき散策記 vol.5】で訪れた「能満寺」から先に5分ほど進んだところです。
寺号標道路から少し奥まったところにあるようですが、道路沿いに寺号標とたて札があります。


長宗寺のタラヨウ 市指定天然記念物
長宗寺本堂の左奥にある常緑広葉樹で樹高19.34メートル、目通り幹囲い2.3メートル、樹冠は、枝の一部が本堂にかかって切り落とされたため、北側に広がった形となっている。
大きな葉が樹冠を覆う様は壮観。推定樹齢200年以上で雌株。
脇枝が出ると折れ曲って真上に伸び、葉が大きく文字が書けるのが特徴である。昔、インドでは、写経に「具多羅樹」の葉を用いた。乾燥させ、幅5~6センチ、長さ40~50センチになり、両端に孔をあけ、写経後重ねて紐を通して保存したと言われる。タラヨウの葉は、具多羅樹に似、肉が厚く、爪楊枝で字を書くと黒く跡が残るので、昔の人は葉書のように使用した。
現在の「ハガキ」の呼称は、この様なところに起源すると考えられている。長宗寺ではタラヨウの葉を、庶民の文字練習や写経の用に供するため、或いは、発館の館主長孫氏の権力の象徴と植栽したものか不明であるが、いずれ古事に習い植栽されたものと推定される。タラヨウは元来、中国南部から南西日本に分布する常緑広葉樹で、東日本には自生していない。
いわき市が、比較的温暖な気候のため生育したもので、市内には、平山崎の如来寺にも植えられている。
常磐地区まちづくり懇談会』(現地案内板説明文より)

例によって「タラヨウ」を少し調べなければなりません。
この「長宗寺」でもそうですが、このタラヨウは神社や寺に植えられているケースが多いようで、 これは写経と言うよりは吉凶に関連ある占いの為のようです。
タラヨウの葉を火にあぶって占うという宗教的儀式で、タラヨウの葉を火にかざすと炎の熱を受けた部分の組織が破壊され、短時間のうちに黒く変色し、何処となく絵のような模様が見え、この模様が何を意味するのかを占い師が解読すると言ったことから、神社仏閣にタラヨウが多いのはこのためのようです。
先の説明文にある「具多羅樹」の「多羅樹」が「多羅葉」、「タラヨウ」に変ったようです。そしてハガキのように使用したことから郵便局のシンボルツリーとして、植えられているケースも多いようです。
因みにタラヨウの葉に住所と宛名を書いて切手を貼れば届けてくれるようですが、これは石でも何でもライターなど法に触れないものなら何でも送れますから特に珍しくはありません。
せめてタラヨウの葉はシボルツリーなので、タラヨウの葉のハガキだけはタダにするとか…、民営化では無理でしょう、きっと。

と言うことで、タラヨウの知識も備え、境内に向かいます。
長宗寺長宗寺境内の入口には大きな寺号の書かれた大きな石柱があり、正面に本堂があります。

この長宗寺は文安元(1444)年、良貞和尚によって開山され、560年の歴史を持つ古刹なのです。タラヨウで有名になってしまっている感は否めませんが、由緒ある寺であることは間違いないようです。
長宗寺本堂の隣には「聖観音堂」があります。

長宗寺その「聖観音堂」の更に左手には大きな銅像があります。
どなたなのか判りませんが開山された良貞和尚なのかもしれません。

それにしてもかなり大きく「聖観音堂」の3分の2くらいはあるのではないでしょうか。

長宗寺のタラヨウそして本堂の左手奥にそのタラヨウがあり、これも実際に見るとかなり大きいのに驚かされます。

長宗寺のタラヨウこちらが北側の枝ですが、見てのとおり葉が少なくなっています。

これはこちら側の枝の下にかつて庫裏があり、その庫裏が火災になったときに被害にあったそうです。幸い全焼は免れたので現在も生き延びているといった生命力の強い気なのかもしれません。
長宗寺のタラヨウ葉は確かに分厚く大きいです。

実際に文字を書いてみたかったのですが、落葉する時期ではないのか、それとも朝早かったので清掃された後だったのか、落ち葉がありません。
さすがに文化財ですからもぎ取るわけにもいかず…。

この木の前にも案内板があります。


『いわき市指定天然記念物 長宗寺のタラヨウ
タラヨウは、高さ10~12m・周囲1.2mになる常緑広葉樹で、樹皮は灰黒色で若枝は太く緑色です。
4・5月に前年枝の葉の付け根に集まって黄緑色の花が付きます。果実は秋に赤く熟し、種子は4個です。
日本南部から中国南部に分布する暖地性の植物で、日本での自生地は静岡県以西です。
経文を掻記した多羅樹の葉同様に、葉の裏をツマヨウジのようなものでこすると、その跡が黒変します。
その聖木になぞらえ、タラヨウの名があり、お寺に植栽されています。
「長宗寺のタラヨウ」は、樹高19.34m胸高直径76cmで萌芽は盛んで、いわき市が比較的温暖な気候のため育ったものです。いわき市教育委員会』(現地案内板説明文より)

宮城県の塩釜神社にもタラヨウの樹があるのですが、この長宗寺の樹よりずっと小さいながらそちらは宮城県指定の天然記念物になっているところが若干納得のいかないところですが、いわきよりも更に寒いであろう宮城県だから県指定になったのではないでしょうかね。
タラヨウの木を眺めつつ長宗寺を後にしました。

牛神社

牛神社「長宗寺」を出てからはあてもなく付近を車で走っていると、石垣の上に「鎮守牛神社」と刻まれた社号標があり、社号が面白いので立ち寄ってみました。

石段を上がると境内で、すぐ横に大きな石が横たわっています。

牛神社の牛石
牛が寝そべって居る形をして居る珍しい岩石で牛神社の社宝の一つになっている。由緒としての文献は焼失したが、伝えられるところによると祭神が牛に乗って来たところ馬玉のこの地に来て牛が急に動かなくなり座ってしまい、それが石に化してしまったと伝えられ人呼んで牛石という。
平成15年3月吉日 常磐地区まちづくり懇談会』(現地案内板説明文より)

牛神社の牛石そういわれれば見えないことも無いような気がしますが…。


牛神社その先に鳥居と社殿があります。それほど大きな社殿ではありませんが、それなりの古さを感じさせる社殿です。

何故「牛神社」なのかという由来はわかりませんが、やはり牛石があるから牛神社となったのでしょうか、それとも天神信仰との関係からなのでしょうか。
そもそも菅原道真と牛との関係は深く、「道真の出生年は丑年である」「大宰府への左遷時牛が道真を泣いて見送った」「道真は牛に乗り大宰府へ下った」「道真には牛がよくなつき、道真もまた牛を愛育した」「牛が刺客から道真を守った」「道真の墓所(太宰府天満宮)の位置は牛が決めた」などなど牛に纏わる伝承や縁起が多いことから、牛は天満宮における神使とされたのです。
したがって天神様を祀っているのであれば「牛神社」も何となく理解できるのですが。
何はともあれ、面白いものを見つけて得した気分です。

鯉のぼり

鯉のぼりこれで今回の散策は終了で帰宅する途中、すでに5月5日は過ぎている5月9日なのに、まだ鯉のぼりの上がっているお宅があります。

いわき絵のぼり良く見ると通常の鯉のぼりの他に、所謂、幟に絵の描かれた物が2本立てられています。
絵柄は武者のようです。

これが家内の言っていたいわき独特の鯉のぼりのことでしょうかね。
言われてみれば以前【いわき散策記 vol.2】で「いわき・ら・ら・ミュウ」を訪れた際、ミュージアムに「いわき絵のぼり」として展示されていました。

いわき市におけるこの「いわき絵のぼり」は、すでに16~17世紀には紙製武者のぼりを立てていたようです。特に磐城平藩主内藤義概は風雅を好み、端午の節句に幟を立てるよう奨励したため、いわき地方に武者のぼりの文化が定着したようです。
明治から大正期はのぼりの数を競うことが流行した時代だったようで、使用済みののぼりは布団や大漁旗として再利用されたそうです。
大正・昭和期では数よりも大きさとばかり、幅2m高さ7m以上などと言うのぼりも表れたそうですが、戦争による物資不足のため大のぼりの時代は短命だったようです。
こうしていわき地方に定着した武者のぼりは、昭和初期までは単に「こばた」ち呼ばれていたそうですが、昭和30年代にNHKの番組で「いわき絵のぼり」と命名されてから、この名前が広まったと言うことです。
今でも競っているわけではないのでしょうが、名家などでは数多くの「いわき絵のぼり」が掲げられているようです。

こどもの日の名残に相応しい「いわき絵のぼり」を最後に今回の散策は終了となりました。

2010.5.28記

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