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薄磯海岸から新舞子

「豊間海岸」を後にして、塩屋崎岬を抜けて反対側の海岸へ向かいます。
塩屋崎の先の海岸は「薄磯海岸」で「豊間海岸」~塩屋崎灯台~「薄磯海岸」といわき七浜の中心をなしているところで、当然「いわき100選」に選定されています。

塩屋崎 薄磯海水浴場

薄磯海水浴場「薄磯海水浴場」にも監視台があります。

そこには「薄磯海岸・日本の渚100選 塩屋崎薄磯海水浴場」と書かれています。
でました100選。無いよりは有った方が良いのでしょうが、若干食傷気味です。ですが一応は敬意を払って調べなければならないでしょう。

『「日本の渚・百選」は、平成8年から「海の日」が国民の祝日となったことから、その機会に「海」の持つ重要な役割を改めて広く国民に認識してもらうとともに、海の恵みに感謝し、海を大切にする国民の心をはぐくむことを目的として、全国から、景観資源としての特色、海保全及び環境保全等の対策、生活者との深い関わり合い等の観点から、優れた「渚」を選定したもので、農林水産省、運輸省、建設省、環境庁などの後援を受けて実施されました。
選定にあたっては、学識経験者による選定委員が、全国の都道府県から推薦された「渚」と、一般国民から応募された「渚」から、「日本の渚・百選」にふさわしい渚の選定が行われました。対象は湖沼等の内水面も含まれております。』(国土交通省「日本の渚・百選」概要より

ということで主旨は理解できたものの選定したのが、「日本の渚・中央委員会」という正体不明の集合体ですので、多少ならずとも手前味噌的な選定かもしれません。
まあ、それでもここはやはり塩屋崎灯台をバックにした美しい光景が見られますから、何も文句のつけるところはありません。
薄磯海水浴場「豊間海岸」とは反対に右手に灯台が見えるロケーション(当たり前か!)となります。

薄磯海水浴場デッキロードこの「薄磯海水浴場」から塩屋崎灯台まではずっと木のデッキロードが県道382号線沿いに作られています。
左手に海岸を望みながら 塩屋崎灯台に向かってのんびりと歩いてみました。


永遠のひばり像道の途中に一部分だけ広くなった場所があり、その中央に像が立っています。
近づいてみると美空ひばりの像です。

いわき散策記 vol.1 】で訪れた塩屋崎灯台の下には「雲雀乃苑」と呼ばれるスペースがあり、「歌碑」や「遺影碑」が設置されており、美空ひばりゆかりの地として多くの観光客が訪れる場所でもありました。
そこから少し離れた場所に像があったとは知りませんでした。
この像は「永遠のひばり像」と名付けられ、近づくと「悲しき口笛」が流れ出すお馴染みの仕掛けです。

永遠のひばり像
この像は、昭和の歌姫として日本の音楽史上に残る、多大な足跡を遺された美空ひばりさんが、永遠に太平洋に向かって世界に歌いつづける姿を残したいという思いから、平成14年5月25日に、ひばりさんの偉大なる功績を讃え感謝の念を込め、「みだれ髪」の舞台となった、いわき市・塩屋埼のこのステージ(場所)に、いわき市民の方々と、ひばりファンの皆様のご好意により建立されました。2002年5月25日建立』(現地ひばり像碑文より)

永遠のひばり像あたかもステージの両サイドに半円形の三段重ねの石段が置かれていますが、これは観客席をイメージしたものなのでしょうかね。

薄磯海岸そしてここでは塩屋崎灯台ではなく薄磯海岸を見続けながら・・・
ひばり街道そして県道382号線の脇には「ひばり街道」と書かれた案内板があります。


「ひばり街道」が出来るまで
美空ひばりさんの最後のレコーディング曲「みだれ髪」は、ここ塩野埼の風景が舞台となって生れました。
太平洋を望む灯台のふもとに、「みだれ髪」の歌碑を建立したのが昭和63年。夏に、歌の流れる遺影碑平成2年に建立。以来、毎年多くのファンの方々や観光客が訪れ、ひばりさんの思い出を偲んできました。
「雲雀の苑」から目の前に薄磯海水浴場が拡がる420m区間を「ひばり街道」と称して、この美しい地にひばりさんの功績を讃え、後世に伝えていこうという目的のもと、塩屋埼近辺の魅力を更に高めるため、道路整備を中心とした、自然とふれあい親しむための空間づくりを進めた結果、平成10年に完成を迎えました。』(現地案内板説明文より)

道路に付けられたネーミングについては、3通りの付け方があるようです(あくまで私の勝手な推測です)。
1つは覚えやすいように付けられた愛称。
身近で言えば私の住んでいる埼玉県上尾市では〝水上公園通り〟〝はなみずき通り〟などがありますが、公共的なものや一般名称でない名前(企業名)などが付けられた道路は2ヶ所あります。 〝BS通り〟〝ニッサン通り〟という愛称で、BSはブリジストン、ニッサンは日産ディーゼルの各々の会社があることから付けられているようです。しかし会社名ならんでもというわけではなく、大企業で上尾市にたっぷり税金を収めているから…、というのは穿った見方かもしれませんが、そんなところでしょう。というようにその土地でのランドマークを愛称につけるという方法です。
2つ目はこの「ひばり街道」のような縁の人を記念して名付ける場合です。
最近付けられたもので特にポピュラーなものが、あの女子マラソンの高橋尚子です。 出身地の岐阜にあるもので、高校時代に練習していた長良川の河川敷のジョギングコースが「高橋尚子ロード」と付けられています。また、強化合宿をしていた徳之島にも「尚子ロード」というものがあるそうです。
その他全国にはたくさんの記念ロードがあるようです。
最後の3つ目がネーミングライツです。所謂、命名権という金銭を支払って名前をつけるやり方です。
ネーミングライツで有名なのはスポーツ施設などで、昔から有名な「渋谷公会堂」は現在「渋谷C.C.Lemonホール」となっていたり、地元近くの「大宮公園サッカー場」は「ナックファイブスタジアム大宮」と地元のFM局の名前が付けられています。
このネーミングライツが道路にも付けられるようになったそうで、その第1号が「箱根ターンパイク」だそうです。
2007年3月1日から「TOYO TIRES ターンパイク」(トーヨータイヤターンパイク)となり、スポンサーは当然、東洋ゴム工業です。

そういった意味でもやはり記念として付けられる場合は大変な偉業をなさない限り無理だということでしょう。
美空ひばりは没後20年以上たっても、その人気は未だに翳り知らずということでしょうね。
永遠の美空ひばり像永遠のひばり像の近くでしばし、灯台と海の景色を眺めながら美空ひばりの「川の流れのように」を口ずさむ…、訳ないです。

最後にここでも塩屋崎灯台から写した薄磯海岸を掲載して終わりにします。
薄磯海岸ちょうど中央にありグリーンの部分が「永遠のひばり像」があるところです。
そしてその左側の道が「ひばり街道」で、右側の海岸が「薄磯海岸」です。

美空ひばり無くとも美しいビーチであることは間違いないようです。


新舞子浜

さて「薄磯海岸」を最後にここから四ツ倉まで戻ることになります。
途中にある「新舞子ビーチ」は以前、【いわき散策記 vol.6】で訪れましたので今回はスルーです。
クロマツ林「薄磯海岸」を抜けると間もなく道路わきにクロマツ林がはじまります。

今までに何度も見、更に中まで歩きましたが、このクロマツ林の由緒を知りませんでしたので、今回はこのクロマツ林の由緒をを調べてみました。

1622年、元和8年内藤政長が藩主となったとき、政長は新田開発に力を注ぎ海岸の湿地帯に田圃を広げたのですが、海からの風や塩害で収穫が上がらなかったのです。そこで海岸一帯に防風防砂のため、クロマツを植えたのがそもそもの始まりだったようです。
現在クロマツ林の中には直径60~70センチの松が残っているようですが、これは当時植えられたものだそうです。
慶安2(1649)のお触書には「海道の左右に松を植えること。村の山野に漆・松・杉を植えること。もし、松を引き抜くものがいたら捕らえて20日間牢獄にいれること。」と書かれていたようで、この松がどれほど重要だったかが伺えます。
そしてこの内藤政長の法名の「悟真院殿養誉推安道山大居士」道山を取って、政長の死後、これらの松並木や松林を「道山林」と呼ぶようになったと伝えられているそうです。
クロマツ林そしてその政策はその子忠興に引き継がれ、現在でも国有林として営林署や県がクロマツの補植を続けているそうです。

この400年の歴史を持つクロマツと最近作られた人工ビーチの新舞子ビーチは、新旧の白砂青松で四倉海岸を彩っており、 これからも進歩し続けるビーチかもしれませんね。

二見ヶ浦から北上してきた今回の海岸はさすがに「いわき七浜」の中心に相応しい風光明媚な海岸でした。
これからも夏のみならず四季を通じて楽しめることでしょう。全く海のある県がうらやましい限りです。

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