上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

愛谷江筋

以前、【いわき散策記 vol.6】で夏井川を訪れた際「小川江筋」を知り、同じく大国魂神社を訪れた際に「愛谷江筋」を知りました。
江筋とは用水路のことで、いわき市には江戸時代に開発された江筋が幾つか今も残っています(勿論、改修はされていますが)。 特にこの「小川江筋」と「愛谷江筋」は、様々な歴史・エピソードを持った貴重な江筋のようです。
そこで以前「小川江筋」は訪れましたので、今回は「愛谷江筋」を訪ねてみることにしました。
今回は何となく計画性(確かな…)をちょっと持った散策です。
今まではある程度散策ポイントだけ決めておいて、現場対応でポイントを選んでいたのですが、今回はポイントと同時にルートまでも綿密に(!?)決めてみたという画期的な…。
ということで、題して「愛谷江筋を上る」という下流から上流へ遡るへそ曲りプランです。こうなると上手くいくかどうかも見所です。

女婆石

〝卵が先かニワトリが先か…〟ではないですが、「女婆石」があるところが「愛谷江筋」の下流・高久地区だったのか、「愛谷江筋」の下流・高久地区にたまたま「女婆石」があったのか神のみぞ知るといった、非常に曖昧なプランから始まりました。
とにかくも「愛谷江筋」の下流を出発して上流を目指す散策に相応しいポイントをということで、眺めも良さそうでちょっと伝説のある「女婆石」をスタートとしました。
「女婆石」は平下高久地区の標高80メートルの〝舟漕山〟の山頂にある奇石です。
まずはその伝説を聞いてみます。

昔々、舟漕山からは遠い馬場というところに、夫を時化で亡くしたイネという女が住んでいて、イネには18歳になる与作という息子がいたそうです。正式には松川与作という昔話的ではない立派な名前までわかっているようです。
いつものようにこの与作が海に漁に出かけると、昼過ぎに突然空が鉛色になったと思いきや、風も強まり嵐になりました。与作の舟は大波に木の葉のごとくもまれながらも何とか陸を目指して必死に櫓をこいだのでした。 しかし必死に陸に戻ろうとしたにもかかわらず、ついに与作は戻ることがありませんでした。
母、イネは遠くの海岸に打ち上げられているのではないかと、仁井田浦から沼の内海岸まで歩いて探したのですがやはり見つからなかったそうです。
そこで今度は高い山に登れば沖に浮いている与作の舟を見つけることができるかもしれないと、日夜〝舟漕山〟へ登っては沖を見つめて日を過ごし、「何故、帰って来ないのか」とさめざめ泣き通したそうです。
そして風の日も雨の日も老母の姿は山頂にあり、そして唄うが如く、「沖で見ゆるは誰が舟だ、松川よさが舟だもし」と口ずさんでは沖を見つめていたのです。
しかし、与作はついに戻らず、母イネも風雨に打たれているうちに石と化してしまったという伝説なのです。
人間が石になってしまった物語、所謂〝石化伝承〟は日本はもとより海外においても民間伝承や神話の基本的なテーマとなっています。ゴルゴーン三姉妹のメドゥーサや、バシリスクなどをはじめ、現在ではゲームのRPGにおいてよく使われる手法となっています。
そしてこの〝石化伝承〟と〝岸壁の母〟が合体したものがこの「女婆石」といえるのでしょう。
悲しい話しを秘めた「女婆石」をまずは目指します。

場所がはっきりわからなかったのでおおよその見当だけつけて、まずいわき四ツ倉から県道15号線を経由し、県道241号線を右折ししばらく進むと「おな石」と書かれた道標があるので、道標に沿って右折し進みます。
日本の原風景途中途中に道標があるので迷うことはないようですが、比較的狭い道で、辺りの風景はまるで日本の原風景を見ているような景色です。

「おな石入口」の道標多少不安になりつつも進み続けると、右側に史跡「おな石入口」の道標があります。

舟漕山ここで車を止めると正面に門のような入口のようなものがあります。ここからが〝舟漕山〟なのでしょう。

舟漕山坂道を少し登り始めると急坂になります。結構な急坂と、この梅雨時期のため足場がぬかるんでいて非常に滑り易くなっているのですが、両脇にロープが張られていて比較的楽に登ることができます。

これは「おな石保存会」という団体が整備されたそうで、非常に助かるありがたいものです(後に地獄を見るとはこのとき全く感じませんでしたが…)。

標高80メートルですから時間にすれば10~15分程度で山頂に到着です。日頃の行いが良いのか山頂に到着したときには薄日が出ていて実に爽快です。
女婆石そして現れたのがこの「女婆石」で、実に奇怪な形です。

確かに見る人によっては「ヒト」や「ペンギン」「怪獣」…、何にでも見えるかもしれませんが、息子を待つ老婆というのもあながち見えないこともないようです。
女婆石ノジュールのようなものでしょうが、自然のなす業、自然の驚異といったところです。
多少の疲労もあり頂上で一休みです。


舟漕山眺望舟漕山眺望景色を見渡すと本来は絶景なのでしょうが、今日は特にいわき市方面は霧が発生していて、殆ど眺望は望めない状況です。
それでも僅かながらうっすらと遠景を見ることができるので、すっきり晴れた日には海岸まで見渡せることができるかもしれませんね。

舟漕山眺望またすぐ近くには貯水池もあるようです。水が濁っていていますが、重要な施設なのかもしれません。

「女婆石」と眺望とちょっとの休憩を取って降りることにしました。
帰りも急坂を下りていくのですが、ここでいわき散策記を開始してから初めての不運が…。
そう、ぬかるんだ足場に取られて何と2度も坂でこけてしまいました。幸いにもロープのおかげでジーンズを汚した程度で済み、とりあえず怪我などはなかったのですが、困ったのが車の運転です。
とりあえず今年購入した新車でシートはベージュ色。しかもシートカバーなどは掛けていないと繰れば、べっとり土がついてしまうのは明らか。 車に何かシートの上に掛ける様なものもなく考えあぐねた結果、持っていたビニール傘の柄と骨を取り外してビニールだけをシートに掛けた即席シートカバーで何とか難局を乗り越えました。まあ、ジーンズの汚れは気にしても仕方の無いことでしょう。
しかし、これには後日談があり坂で滑った際に左手1本で全体重を支えたため(2回も)左腕は筋肉痛を通り越して打撲痛並の痛さで、結局全治2週間でした。家族には思いっきり笑われましたが…。
そんなこんなも良い思いでとポジティブシンキングです。

どうにかこうにか「女婆石」を後にして、来た道とは逆に先に進んでみました。
林道開通記念碑途中「千五穴入口」と書かれた道標と、記念碑が立っています。

後に調べてみると「千五穴」とは千五穴古墳群だそうです。吉見の百穴のようなものでしょうか。いずれにしてもまた山を登るようなので今回はやめておきました。
記念碑は、はっきりとは読めませんでしたが、どうやら今通ってきた林道が拓かれた記念の碑のようです。
林道地元の方の生活道路として重要なのでしょうが、観光客とっても比較的容易に観光が出来るありがたい道路です。

その林道をしばらく走って〝舟漕山〟を後にしました。

夏井のあじさい祭り

愛谷江筋愛谷江筋林道をしばらく走り、〝舟漕山〟を抜けて平地に戻ってしばらくすると今回の主目的である「愛谷江筋」と交差します。

この辺りが何処なのか殆ど判りませんが、綺麗に整備された「愛谷江筋」沿いにはあじさいが植栽されています。残念ながら4日(日曜日)の明日にはこの「愛谷江筋」であじさい祭が開催されるのですが、日程の都合上、一足早く(本来意味がないのですが)訪れることとなったのです。
「愛谷江筋」は生活・産業用水ですから当然ながら江筋沿いは田圃が一面に広がっているところが多いのは当然です。こう言った田園的風景もまた一服のの清涼剤なのかも知れません。

愛谷江筋江筋沿いに道路が並行していますので、上流に向かって江筋沿いを走ります。中々光景としても映える景色です。


車で15分くらいでしょうか、江筋沿いをのんびり走ると夏井小学校の裏手に到着です。
夏井小学校にはクスノキがあり「夏井のクスノキ」として〝いわき百景〟に選定されているので、まずは夏井小学校に向かいます。
明日のイベントがこの夏井小学校を主会場として行われるようなので、準備をされている方が数名いらっしゃったのですが、通りすがりの私に挨拶をしていただき恐縮しきりです。こういったところが地方の良さかもしれません。
夏井のクスノキ小学校に到着すると校庭の、しかも中央辺りにその誇らしげな姿を現しています。


『明治38年(1905年)日露戦争の記念として、下大越白山神社宮司鈴木花鏡さんが樟を寄贈されました。当時の四年生十数人が丈3メートルの樟を荷車で運搬、植樹しました。以来巣立ち行く子供達と共に成長し、現在は、高さ約17メートル、幹回り約3.5メートルの大木になっています。 』(「いわきふるさと誘致センター」サイトより)

夏井のクスノキヒトと比べるとその大きさが理解できます。

それにしても確かに貴重なクスノキなのですが、意外と邪魔なのではないのでしょうか。調べてみると邪魔は承知の上だったようです。
もともとこの「クスノキ」は校庭の真ん中にあったわけではないそうです。昔の校舎はL字型の校舎で、そのL字の角に植えられていたようです。その後、夏井地区がベッドタウンとして発展し、児童数が増えるにつれて旧校舎が手狭となり新校舎を建築しました。
新しい校舎は昔の校舎より後ろに建てられ、その結果クスノキは校庭の真ん中となってしまったのです。当然、普通であればこの段階で伐採や移植が考えられたはずですが、夏井の人々は校庭使用の不便を我慢する方法を選択したのだそうです。こう言った温かい気持ちが現在でも脈々と継がれているのでしょう。
ちなみにいわき市にはクスノキの大木が多いようで、以前【いわき散策記 vol.9 】で訪れた「瑞光寺のクスノキ」などとともにこの「夏井のクスノキ」もいわき市の保存木に指定されているのです。

クスノキを見たあとは、小学校の更に裏手に在る「愛谷江筋」に向かいます。
愛谷江筋すでに幟も立っていて、「治右衛門の堰〝あじさい祭り〟」と染め抜かれています。

やはりここでは「愛谷江筋」と「治右衛門」について知らなければならないでしょう。

基本的に知っておかなければならないのが、いわき市に江筋(用水路)と呼ばれるものは数多く在るのですが、主となる江筋は2本であることです。
1つは夏井川右側(上流から見ると左岸)を通る「磐城小川江筋」で小川町から四倉町へ続く30kmに及ぶ水路です。そしてもう一つが「愛谷江筋」で、これは夏井川左側(上流から見ると右岸)を通る平高久・沼ノ内に続く約18kmに及ぶ水路です。
当然のことながらこれらの江筋は広範な農地を灌漑し、水道等の利用のほか景観にも一役買っているのです。
そもそもは慶安年間(1650年頃)の大干ばつが引き金でした。当時の夏井川が水田用水として利用できなかったことから、その利用法を考えた結果が江筋だったのです。
「小川江筋」が出来上がったのが慶安4(1654)年で、このときの責任者が澤村勘兵衛でしたが、この工事に三森治右衛門という男も携わっていたそうです。
「小川江筋」完成後、澤村勘兵衛は亡くなってしまいますが、延宝2(1674)年に藩主の命をうけて澤村勘兵衛の遺志を継ぎ「愛谷江筋」の開削にあたったのが、その三森治右衛門だったのです。
様々な難工事の中、延宝7(1680)年、6年の歳月をかけて完成させたのでした。

そして、その「三森治右衛門」を偲んで行われているのがこの「あじさい祭り」なのです。
この「あじさい祭り」は愛谷江筋愛護会が中心となって、あじさいの挿し苗作り、定植、あじさい祭りなどを開催していて、地域住民と農家が一丸となって江筋沿いの環境を守る活動をしているそうです。
そしてこの愛護会の更なる母体が水土里ネット愛谷堰(愛谷堰土地改良区)で、愛谷江筋の管理と農村環境整備を行っている福島県知事の認可を受けた非営利団体なのです。 水土里ネット愛谷堰ちょうどのこの水土里ネット愛谷堰は夏井小学校の正面の道を挟んだところに在ります。

こういった団体によって観光資源ともなりえる愛谷江筋を作り上げているといっても過言ではないのでしょう。

早速、その「愛谷江筋」を散策します。
愛谷江筋ちょうど小学校の裏手に明日の祭りの案内が掲げられています。

左側に歩くと往復2kmのあじさい満喫ウォーク、そして右側に歩くと往復4kmのウォーク&江筋下りと記載されています。そろそろ準備にかかっているのでしょう。
江筋沿いを下ってみます。
愛谷江筋愛谷江筋すぐ近くに小さな水門があります。道を挟んで反対側に流れるようになっていますが、愛谷江筋から引き込む水路で、こういった小さな水路が毛細血管のように広がっているのでしょうね。

愛谷江筋あじさいとともに綺麗な弧を描いている江筋です。

愛谷江筋愛谷江筋そしてこんな長閑で癒される風景にもめぐり合えます。

江筋沿いをゆっくり散策するもの悪くないですが、こちらには限られた時間しかないので散策はここまでです。
生活にも産業にも、そして風景にも溶け込んで今やいわき市にとってはなくてはならない江筋なのでしょうね。

関連記事
スポンサーサイト


コメント

    コメントの投稿

    (コメントの編集・削除時に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)


    トラックバック

    Trackback URL
    Trackbacks


    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。