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キャッスルきさい

キャッスルきさいアナベルとラジアータのあじさいの道を抜けると「騎西城」のある「生涯学習センター」、愛称「キャッスルきさい」に到着です。

キャッスルきさい敷地内には小さいけれど池があります。

キャッスルきさい池に掛かる木の橋をわたって中心へ向かうのですが、池の周りにはアジサイが咲き乱れ、池の水面には睡蓮とそしてなにやら判りませんが黄色い花をつけた水草が浮かんでいます。

実に美しい光景で、一瞬極楽浄土かと思われるような雰囲気に呑まれます。
キャッスルきさい橋を渡ったと頃には青色のガクアジサイがまた美しく咲いています。

ここがちょうど「騎西城」の裏手になります。

騎西城跡

「騎西城」を中心にグルッと廻ってみます。
キャッスルきさい「騎西城」の右手にはびっしり水草の浮かんだ池とアジサイの庭園があります。

また、左側には最後のスタンプラリーチェックポイントがあり、最後の一つを押していただきました。これで4つすべてのスタンプを集め終わりました。
そこから先に「騎西城」の案内板があります。

騎西城跡
騎西(私市)城は、いつ誰の手による築城かは不明だが、康正元年(1455)、上杉・長尾・庁鼻和氏などが守る城を、古河公方足利成氏が攻略したのが初見である。永禄6年(1563)年には、小田助三郎が守る騎西城を上杉輝虎(謙信)が攻め落としている。
徳川家康が関東に入った天正18年(1590)、松平康重が2万石で城主となる。康重は、大英寺(騎西)を開基し、保寧寺(日出安)に寺領を与えている。その後、大久保忠常・忠職父子が城主となり、玉敷神社を現在地に遷座するなど、城下町騎西の再編を行った。寛永9年(1632)、忠職の美濃国加納城(岐阜県岐阜市)移封に伴い騎西城は廃城となった。

-掘り出された騎西城-
昭和54年からの発掘調査により、城郭・武家屋敷跡から戦国から江戸初期の堀跡や武器・武具・生活用具が出土している。城の周囲は二重の障子堀が巡り、堀幅の最大は45メートルであった。激戦に備え総力で築いたことを物語っている。
出土品は多様で、国内外の陶磁器、矢じり・鎧金具・火打ち金等の金属製品がある。このほか、大量の漆・木製品も出土している。漆黒の兜、金色に輝く馬の鎧、鶴文の漆椀に加え、下駄・荷札・呪札・護符など、いずれも城下の暮らしぶりを鮮やかに甦らせる。』(現地案内板説明文より)

当時としてはそれほど大きな城ではないのでしょうが、そのエリア地図を見るとこの「キャッスルきさい」の敷地の数倍はあるようですから、さすがにその栄華が偲ばれます。
そのような記念碑としてこの騎西城が建てられたのでしょう。

キャッスルきさいここから更にグルッと進むと騎西城の正面です。

キャッスルきさい勿論、城の周りはアジサイで彩られています。

騎西城の正面に案内板があります。

ご案内
この施設は、騎西町の町制施行20周年を記念して、昭和50年に建てられたものです。
かつて、この近くに騎西城があったことから、天守閣を持つ三層の建物として復元されましたが、史実では周囲に土塁や堀をめぐらした、平屋建ての城だったようです。
館内には、発掘調査による出土品や民俗資料などが展示されております。
なお、藤まつり(4月下旬~5月上旬)及び文化祭(11月上旬)の期間に一般開放しておりますので、ご利用下さい。』(現地案内板説明文より)

残念ですが来年の藤の時期まで待たなければならないようです。せめてアジサイの時期も開放していただけると…、などと、身勝手なことを思ってしまいます。
騎西城を一周して左手に「生涯学習センター」があるので、しばしそこで休憩させていただくことにしました。
キャッスルきさいセンターの入口付近に「天神曲輪」の標柱がたっており、この辺りが騎西城の天神曲輪だったのでしょう。

先ほどの案内板の絵図に記載されていたものですが、城マニアはきっとこれらの遺構を見て廻ることでしょう。
疲れが目に見えている私たちは、なんと言われようと休憩しなければなりませんが・・・。

キャッスルきさいキャッスルきさい「生涯学習センター」は非常に綺麗な建物で、中には図書館や多目的ホールなどがあり、ここでも学生の方が結構勉強に勤しんで、いたかどうかはわかりませんが、ひと時を楽しんでいるようです。

ここで20分ほど休憩を取ってから「玉敷公園」に戻ります。

勿論、車を駐車しているので戻らなくてはなりませんし、スタンプラリーの賞品も玉敷公園で引き換えなのですね、これが。
「ふじとあじさいの道」を戻ることもあるのですが、同じ道を戻っても面白くないので、「ふじとあじさいの道」に並行した道路を歩いていくことにしました。
まずは「キャッスルきさい」の横にある「城山公園」を散策してみます。

城山公園

城山公園公園沿いに早速の案内板です。


萩原遺跡
当遺跡は縄文時代(約4000年前)と古墳時代(約1500年前)の集落跡で、当初から西一帯がその範囲である。
縄文時代、このあたりには森林が広がり、人々はイノシシや鹿を狩り、木の実を採って暮らしていた。
発掘調査では弓矢の矢じりや、木を切った石斧、魚網の錘など、日常生活の道具が見つかっている。また、首飾りの玉や祭祀のための石棒。埋甕も出土している。なお、縄文時代中期から後期にかけての住居跡が7軒も発見されたことから、約1000年もの間、このムラが営まれていたことが明らかとなった。 古墳時代では、住居跡が11軒見つかっており、そのほとんどにカマドがある。カマドはこのころ出現したもので、熱を効率よく使い、煙を直接外に出す構造になっている。
住居跡からは甕や蒸し器、皿などの土師器や、須恵器が見つかっている。須恵器は朝鮮半島から伝えられた技術によるもので、畿内(奈良・大阪周辺)で古くから生産されている。ここで出土したものも畿内から持ち込まれたものと思われ、このムラがかなり有力であったことを物語っている。』(現地案内板説明文より)

どうもいまひとつ古墳時代以前の歴史には余り興味が持てないので、いまひとつ感動がないのですが、何気にここが遺跡だったことにプチ感動をしました。
城山公園公園内に入るとだだっ広い園内の脇に藤棚があります。さすがに藤の町だけありますね。

城山公園反対側にはポツンと時計台があります。

城山公園その時計台の横や後ろにアジサイが咲いています。意外とこの公園にもアジサイが多いようです。

城山公園ここから眺める騎西城は、それほど離れていないはずですが意外と小さく見えます。

古の遺跡と近世の遺構にちょっと感慨深げに城山公園を後にします。

騎西中央公園

城山公園から玉敷公園に向かって歩いていくと、ちょうど「ふじアリーナ」から「キャッスルきさい」へ通じる「あじさいの道」を横から見ることができます。

あじさいの道左側にある建物が「ふじアリーナ」で、

あじさいの道右側の建物群が「キャッスルきさい」周辺です。

田んぼ沿いに白くつながっているのがアナベルで、かなり壮観です。先ほど通ってきたアナベルの一本道で、これを見るだけでも価値あるかもしれません。
何の変哲のない歩道ですが、歩道に妙なものが置かれています。
井戸端会議ミラーのついたテーブル、井戸端会議でも開けそうな長椅子です。

恐らくこの近所の方が置かれたものだと思いますが、物置代わりといえば整いすぎていますし、接待とすれば若干みすぼらしいし、まあ、ご近所の方の夕涼み場所でしょう。そういえば最近夕涼みという言葉をめっきり聞かなくなりましたね。

この後住宅地を通り抜けると「騎西中央公園」があります。
住宅地の中の公園ですが、意外と大きく奥に行って判ったのですが、グランドまであるのですから宅地の中の公園としては驚きです。 ちょうど敷地の半分が公園で、半分がグランドといったところです。
騎西中央公園公園の中央には円く弧を描くようにあじさいが植えられていて、直線とはまた違った優雅な雰囲気があります。

騎西中央公園そのあじさいの円弧の内側に一回り小さく藤棚がやはり弧を描いて設置されています。

藤が咲いていれば雅な世界になることでしょう。
騎西中央公園そしてその内側にはやはり丸い池があります。

結構水が濁っているので美しさはありませんが、もう少し浄化されれば綺麗さも際立ってくるでしょう。
騎西中央公園更に更にこれで終わりかと思えば、池の水面にはプランターが10台、円弧を描いて浮いていて、なにやらの草花が植えられています。

ここまで凝るとまさにアートです。
まあ、季節的に一斉に咲くものではないので百花繚乱というわけには行きませんが、それぞれの季節で楽しめるコンセプト庭園といったイメージでしょうか。
中々凝った面白いものを見ることができました。

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