べに花ふるさと館

6月26、27日の土日に開催された埼玉県桶川市の「べに花まつり」を訪れました。
当然こんな無学の私でも「紅花」の名前くらいは知っており、主としては染料や脂としてかつては使用されていた花というくらいの知識ですが・・・。 ただ、写真などでは何度も見たことはありますが、実際に「紅花」を見たことはありません。
そういった程度のレベルですから、絶好の機会とばかりに「べに花まつり」を散策することにしたのです。

訪れたのは6月26日の土曜日。当然ながら梅雨空のうっとしい季節ですが、どうにか今日1日は降水確率も低いようなので、何とかべに花をゆっくり見ることができるでしょう。
桶川市といえば上尾市の隣接市で実に車で15~20分でいける距離です。それゆえにそれほど早く行く必要も無いので、AM9:30過ぎに我が家を出発し、AM10:00ちょっと前には到着しました。
比較的珍しいであろう「べに花まつり」を楽しんでみることにします。

最初に訪れるのは今回の「べに花まつり」のメイン会場ともなっている「べに花ふるさと館」です。
「べに花ふるさと館」とは桶川市の運営している施設で、様々なイベントや行事、体験学習、展示・発表会などが多面的に活動できる施設で、2000年7月にオープンし今年10周年を迎えた施設です。
AM10:00といえども結構早めだったので、まだ、それほどの集客はなかろうとたかをくくっていたのですが、かなりの人出ので、駐車場はすでに満杯で臨時駐車場の方に回されました。
こう言っては何ですが、意外と人気のあるイベントなんですね。認識不足をお詫びします。
臨時駐車場からは歩いて4、5分といったところでしょうか。ところどころに案内の方も居て、判りやすくなっています。

べに花ふるさと館

モッタリモッタリと歩いて「べに花ふるさと館」に到着です。
べに花ふるさと館入口の前にはこういったイベントには今や定番のフリマがズラッと並んでいて、イベントの雰囲気を盛り上げています。

べに花ふるさと館長屋門フリマを見ながら進むと入口とも言うべき「長屋門」が出迎えます。

「長屋門」は近世諸大名の武家屋敷門として発生した形式で江戸時代に多く建てられた門です。諸大名は、自分の屋敷の周囲に家臣などのための長屋を建て住まわせていましたが、その一部に門を開いて、一棟とした物が長屋門の始まりだそうです。 その後、長屋門は上級武士の住宅の表門の形式として広く利用されるようになると同時に、郷村武士の家格をもつ家や、苗字帯刀を許された富裕な農家・庄屋でも長屋門は作られたのでした。
したがって武士以外の身分で長屋門を持つ家は資産家のシンボルの一つでもあるわけです。

べに花ふるさと館母屋「長屋門」を抜けると広い中庭があり正面に2階建てのメイン施設と思しき建物があります。結構大きな建物です。

べに花ふるさと館左手には様々な草花を販売している露店です。

べに花ふるさと館べに花まつりべに花ふるさと館べに花まつり右側には休憩スペースとともにステージが設置されています。
「べに花まつり」のアトラクションの一つとしてパフォーマンスがすでに始まっているようです。

べに花ふるさと館べに花まつり中庭をグルッと取り囲むように様々な露天が立ち並んでいます。但し、所謂一般的な露天商ではなく地元の方や団体が行っているようです。

それではとばかりに正面にある2階建ての建物に入ってみます。所謂、「長屋門」に対して「母屋」と呼ばれている建物だそうです。 1階はお土産物の販売と蕎麦、うどんのお店になっているようです。ここは結構有名らしくリーズナブルで美味しいと評判のようで、この日もたくさんのお客で行列をなしていました。
食事をするつもりはないので、2階の喫茶コーナーでお茶でもと上がってみました。
べに花ふるさと館畳敷きの喫茶コーナーでなかなか情緒のある喫茶室です。

べに花ふるさと館長屋門喫茶室から見ると「長屋門」の大きさが良く分かります。

何か飲み物を呼び鈴を押しても何の返事もありません。何度か呼んでも返事がないので、きっと1階が忙しいので2階の喫茶は対応できないのでしょう。 ちょっと休憩だけさせていただいて、再び中庭に戻りました。

べに花ふるさと館B級べに花まんじゅうそれでは中庭の露天で飲み物を購入しようと物色していると目に飛び込んだのが「B級べに花まんじゅう」です。

べに花まんじゅうは桶川市観光協会推奨品でもあるようで、かつて町興しのために桶川市商工会女性部が作り出したものだそうです。現在では数社から販売されているようですが、昨今のブームで何となく〝B級〟とつくとどうしても食べてみたくなるというおかしな現象があり、この「B級べに花まんじゅう」を食べてみることにしました。
この露天は桶川市が運営しているらしく後ろの建物のなかで饅頭を作っていて、ほかほかの饅頭が食べられるのです。
べに花ふるさと館B級べに花まんじゅうほかほかの饅頭は美味しく、実に素朴な、饅頭らしい饅頭とでもいいましょうか、何となく懐かしいような饅頭でした。

ちょっと祭りの雰囲気を楽しんだ後はべに花を観賞に行きます。

べに花畑

「べに花ふるさと館」を出てべに花畑に向かいます。
ふるさと館からはシャトルバスが出ているようですが、出発したばかりのようだったので、歩いてべに花畑を見ることにしました。
べに花畑歩いてすぐのところに最初の「べに花畑」があります。

結構広い畑に緑のベースに黄色とオレンジ色のグラデーションが美しく映えています。
これが「べに花」なのです。
べに花べに花開花すると「黄色」で時の経過とともにオレンジ、赤色となって終るそうです。
確かに赤色の花は大分元気がありませんから。

しばらく「べに花」をじっくり眺めて先に進みます。

ここから10分くらいのところに2番目のべに花畑があります。
べに花こちらには「べに花の郷 桶川市」「べに花まつり」と染め抜かれた幟が立っていて、改めて「べに花まつり」なのだということを認識させられます。

べに花こちらも先ほどの畑と同じくらいの広さでしょうか。

確かに綺麗なことは納得しますが、やはりバラや菖蒲・アジサイなどに比べて品種がないことから鑑賞としてはちょっと物足りなさがありますね。どちらかと言えばラベンダーやコスモス的ではありますが、香りやイメージでどうしてもべに花の鑑賞価値はファーストインプレッションしかないように感じます。
べに花写真の趣味のある方にとっては、ある意味腕の見せ所といったところかもしれませんが…。

やはり、鑑賞というよりは実用の花でしょうね。

べに花ここから1、2分で今回のふるさと館周辺の最大の広さのべに花畑です。

ここには祭りについての説明があります。

べに花の郷桶川へようこそ!!
江戸時代、中山道桶川宿は宿場町として栄えるとともに、農産物の集散地として賑わっていました。
なかでも「べに花」は、桶川宿を中心とした地域の特産物として「桶川臙脂」の名で全国的に知られていました。
桶川市は、この「べに花」を市のシンボルに、「ふるさと創生事業」として「べに花の郷づくり事業」に取り組み、明治時代に消えてしまったべに花を、多くの方々のご協力を得て現代によみがえらせています。
桶川ロータリークラブが山形県河北町からもらい受けたべに花の種は、地元の農家の方々が丹精込めて栽培され、平成6年以来、毎年美しい花を咲かせてきました。
べに花が咲き誇る景観を演出してきたこの畑は、べに花の可能性を探る栽培試験圃場として生まれ変わりました。
平成11年5月 桶川市べに花の郷づくり推進協議会』(現地案内板説明文より)

知ってか知らずか、関係各位の努力も知らずにべに花は飽きてしまうなどとトンデモな発言をしてしまい…。
一旦は桶川市からべに花は絶滅したのですね。それをここまで作り上げたということ知らずに軽はずみみのいってしまったことを深く反省する次第です。
甦ったべに花といえば、歴史的にも十分意義のあることとなるのでしょう。改めてべに花畑をじっくりと観賞し、歴史とその努力をかみしめなければなりません。
べに花ということでこのべに花畑には櫓が組まれていて少し高い位置からべに花を見ることができるのです。

べに花こういったちょっとしたところにも紅花の価値・意義を知ってほしい現われともいえるのではないでしょうか。


ここに記載されている「桶川臙脂」について説明されたパンフレットがあります。

桶川臙脂
中近東を原産地とするキク科の一年草である紅花は、飛鳥時代には日本に伝わり、平安時代には「末摘花」として源氏物語にも登場します。
紅花は江戸時代を通じて、現在の山形県にあたる最上地方が全国でも屈指の産地として知られていました。江戸時代も後半に至ると、京都、大阪や江戸などの都市を舞台として、華やかな町人文化が花開きました。紅花は晴れ着の染料や化粧料として需要が増し、新たな産地が求められるようになりました。
このような背景のもとに天明・寛政年間(1781~1801)に江戸の商人柳屋五郎三郎の召仕太助・半兵衛が最上紅花の種をもたらし、桶川の紅花生産が始まったと伝えられています。
最上地方の紅花は3月下旬から4月上旬に種を蒔き7月に収穫したのに対し、桶川地方では気候が温暖であるため早く収穫することができました。このため、「桶川臙脂」の名で世に知られた桶川地方の紅花は「早庭もの」と呼ばれ、幕末には、最上紅花を上回る相場で取引されたと伝えられています。
当時紅花から紅を採り、染料として用いることは京都を中心に行われていました。そのため、桶川の紅花もその消費地である京都の商人によって買い付けられ、桶川宿の商人たちは農民からの買い継ぎを行っていました。
安政4年(1857)に当時の紅花商人たちによって寄進された石燈籠には、24名の買い継ぎ商人の名が刻まれ、当時の紅花取引の隆盛が偲ばれます。』(パンフレットより)

〝臙脂〟は文字通り〝えんじ色〟で、中国の紅花の一大産地である「燕支山」にちなみ、紅花染めをこの名で呼んだそうです。
現在、上尾市と桶川市の境界あたりにある須田家は当時紅花の仲買問屋であった豪商で、現在紅花関係の文書が約400点ほど残されていて、須田家古文書として上尾市の文化財となっているように、桶川市では紅花がきっても切れない重要な産物・産業であったことが偲ばれます。
べに花最後にもう一度紅花畑を見て戻ることにしました。

べに花シャトルバス帰りは「べに花ふるさと館」まではシャトルバスで戻ることとしましょう。


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