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骨波田の藤

関越道も順調に進み、本庄児玉ICを降りて一般道を走り、順序が後先になりましたが「骨波田の藤」のある“長泉寺”に到着したのは10時を少し過ぎたころです。
かなり大きな駐車場に車を停めて参詣します。

骨波田の藤

山門の前は石段のスロープになっていて、入口・出口と階段が左右に分かれているのでよほど混雑するのでしょう。
長泉寺山門
その石段の右手には「2000 Aジャンル第16位 埼玉ふるさと自慢100選 骨波田の藤」の立て看板があるのがうれしいところです。
長泉寺
今や各地では忘れられた受賞といった帰来もありますので。。。 石段に沿って左手には六地蔵が出迎えてくれているのでしょうか。
六地蔵
更にその側には案内板があります。

長泉寺
所在地:児玉郡児玉町大字高柳
当寺は、曹洞宗の寺で大用山骨波田龍洞院長泉寺といい、本尊は釈迦牟尼如来で、児玉三十三霊場第三十一番になっている。
文明3年(1471)3月に上杉民部太夫顕定が開基し、開山は大洞存大和尚である。天正19年(1591)には、徳川家康より、寺領20石の御朱印を賜っている。
境内に、「骨波田の藤」と呼ばれる県指定の天然記念物がある。宝暦3年(1753)に植栽したものと伝えられる野生の藤で、葉の展開に比べて開花が早いのと、花房が1、2メートルにもたれさがる特性がある。花は紫色で、幹は裂けて7本となり、主幹の太さは根回り3.6メートルで、分裂した枝の太さ(周長)は50~90センチメートルである。
昭和58年3月 埼玉県
(現地案内板より)

文明3年頃、上杉顕定は関東の覇権をかけて古河公方足利成氏と享徳の乱で争っている時で、古河御所を占領して勝利した年なので、戦勝祈願、あるいは戦勝奉納で建立したのかもしれません。
その建立から約300年後に藤が植栽され、それから約250年が経過しているのですから、いろいろな歴史を見てきた藤なのでしょう。
余談ながら寺院名にもなっているこの妙な「骨波田」という名称自体に何か謂れがあるのかと調べてみたところ、桓武天皇の時代(781~806年)に蝦夷平定のために東北へおもむく途中、この地を通りかかった征夷大将軍・坂上田村麻呂が沼に住む大蛇を退治して人々の苦難を救い、その大蛇の骨を埋めた地を“骨波田”と呼ぶようになったという由来からのようです。大蛇も骨と皮だけになったということでしょうが、更に古い歴史をもった地といえるのです。
拝観チケット 早速、山門の脇のチケット売り場で入園料500円を支払って山門をくぐります。

境内は参道の両側にツツジが植えられ若干早いのかもしれませんが、それでも綺麗な花を咲かせています。
境内
そして正面に見えるのが仁王門です。
境内の入ってすぐ右手に藤棚があるのですが、こちらはまだ若いのかそれほど見事な藤ではありません。
藤棚
これから数年以上立つと立派になっていくのでしょう。
そして境内の左側には「ピンク藤」が植栽されています。
ピンク藤 ピンク藤
こちらは比較的見ごろのようで、ピンク色の藤は初めて見る藤で、紫の高貴さと違い華麗さを感じます。これはこれでまた美しいものです。
仁王門は特に文化財ではないようですが、歴史と重厚感をもった堂々とした建物です。
仁王門
建物と比べると“阿吽”の仁王像は比較的新しそうで、まだ綺麗に色彩もうっすら残っており、オーソドックスな仁王像といえるでしょう。
仁王像 仁王像

そして仁王門を抜けた先にあるのが、今回の目的の一つである「骨波田の藤」です。
骨波田の藤 骨波田の藤
手前に小さな池があり、後ろにそびえている建物が本堂で、実に房の長い見事な藤です。
池には弁財天や大きなかえるの石像が置かれていて、妙に怪しい気分にさせてくれます。
骨波田の藤 骨波田の藤
池を渡って藤棚の中に入ると、まさに“藤のカーテン”です。
骨波田の藤 骨波田の藤
これが樹齢650年の「ノダナガフジ」なのです。
藤に関しては【牛島の藤】【青葉園の藤】で充分知ることができましたので、ここではあっさりとした確認までにとどめておきます。
フジ属には8種類ほどあり、“ノダフジ”と“ヤマフジ”の2種類が日本固有種で、そのほかは北アメリカ、東アジアに自生しています。ここ骨波田の藤は正真正銘(だから何…?)の日本固有種の“ノダフジ”なのです。
骨波田の藤
余談ですが、この“藤”という字はは意外と名前に多いことに気が付きます。代表的な佐藤。斉藤といったように。これは平安時代の貴族であった「藤原」氏を出自として、その流れを汲む“十六藤”があるからなのだそうです。
その“十六藤”とは、佐藤、伊藤、斎藤、加藤、後藤、近藤、遠藤、工藤、安藤、内藤、須藤、武藤、進藤、新藤、神藤、春藤で、多くは旧国名・役職名+藤(例、佐藤は「佐渡国」または「佐野」の“藤原”の意味)といったパターンだそうです。
それ以外にも江藤、斉藤、藤田、藤井などがありますが、残念ながら上記の十六藤以外は貴族の流れではないのです。ではその祖である「藤原」姓は最も由緒正しい貴族の流れかといえば、そうではなく、平安貴族の「藤原」氏の子孫は「近衛」「九条」「鷹司」「二条」「一条」といった名称を名乗っていることから、現在の藤原さんを初めとした“藤”につく名前の方は残念ながら貴族の流れを汲んでいるわけではないのです。

この樹齢650年の藤棚の左手にもう一つ藤棚があり、こちらは樹齢550年と書かれています。
骨波田の藤550年

埼玉県指定天然記念物 骨波田の藤
樹齢:650年 品種:ムラサキナガフジ
骨波田の藤は、本堂前の左右二つの棚のことで、咲きながらのびます花房は、平均1メートルから1メートル30cmで、長いものは1メートル50cm位まで達します。
当寺は、文正元年(1466年)の開山、文明3年(1471年)関東管領上杉顕定を創建開基とする曹洞宗の寺である。
長泉寺
(現地案内板より)

何故か樹齢550年の藤棚に樹齢650年の案内板が立っているのですが、どうやら基本的に同じ天然記念物とされているからのようです。
恐らく品種は「ノダフジ」で名称が「ムラサキナガフジ」といっているのではないでしょうか。そうでないと先ほどの説明と食い違ってしまいますから。。。
こちらも見事な藤のカーテンです。
骨波田の藤550年
独特の甘い香りを楽しみ、蜂の大群をよけながら藤のカーテンをかき分けて進みます。
藤棚の下にはこんなタヌキの石像も置かれています。
骨波田の藤550年
こうしてみるといかに藤の花房が長いかが判りますね。
骨波田の藤550年
更にその隣には白フジの藤棚があります。
白藤 白藤
こちらは樹齢270年だそうです。
半分ほどの樹齢ですが、それでも見事なものです。紫と違い煌びやかさはありませんが、清楚な感じの藤です。
いずれにしても見事な藤達をしばし堪能しました。

長泉寺

骨波田の藤棚の後にある本堂は解放されていて、誰でも中で参拝できるようなので、折角の機会とばかりに参拝させていただきました。この期間だけなのでしょうね、きっと。
本堂
因みに本堂の前でPAをセッティングしているのは、今日午後から行われるコンサートのためのようです。
こちらが本尊の釈迦牟尼如来坐像です。
本尊 本尊 本尊
近づいてみると実に綺麗な坐像で、その前の2本の柱も非常に凝っていて、見事な彫刻がなされています。
また、本尊の上の天井には天井画が描かれており、江戸時代の狩野派の花鳥風月だそうです。
天井画 天井画
少しすすけた感じが歴史を偲ばせますね。

本堂の左手にはこれもまた見事な彫刻があり、「双龍」と名がつけられた一刀彫だそうです。
双龍
材質は推定1500年の樹齢を持った楠だそうで長泉寺の宝物です。
本堂右側の奥には、十二支の守り本尊が安置されています。
こちらはその中でも“児玉霊場三十一番札所”としての「十一面観世音菩薩」です。
十一面観世音菩薩
そしてこの三尊の真ん中が“未・申”年の守り本尊である「大日如来」です。
大日如来
自分の干支の守り本尊はしっかり参拝しておかなければなりませんね。
更にその右手にかなり古そうな尊像と位牌が安置されています。
尊像と位牌
寺院の関係のものかもしれません。

次に本堂の右側に進んでみます。
壁には古い地図が掲出されています。
徳川幕府献上長泉寺配置図
「徳川幕府献上長泉寺配置図 天保14年 新井常陸正 藤原庫敬書」とキャプションが付いています。 この新井常陸正とあるのは、もしかしたらあの新井白石の父、新井正済のことかもしれません。時代は1678年没ですから随分昔に描いたもので、常陸出身から“常陸正”といわれていたのかも知れません、あくまで勝手な推測ですが。。。
奥には2枚の涅槃図が掲出されています。
涅槃図 涅槃図
1つは時代不明の中国仏教における涅槃図で、もう一つも時代不明ながらインド仏教における涅槃図です。
いずれも釈迦牟尼仏が入滅したときの図で、中国仏教では多くの菩薩・弟子などに看取られているのですが、インド仏教では十大弟子に看取られている図で、特にこちらは螺鈿装飾のものです。
2つに何か意味があるのかどうか分かりませんが、この中国仏教の涅槃図について詳しく解説しているサイトがあるので参考にされると良いでしょう。

参考:【WEB版 絵解き涅槃図】http://www.rinnou.net/nehanzu/

そしてその手前には妙に大きなテーブルがあり、文字通りの「巨卓」で、こちらも樹齢推定1300年の楠を使用した一刀彫の机です。
巨卓と尊像
上に安置されているのは、左側にもあった干支の守護仏です。
また、梁には魚の形をかたどったものが吊り下げられていますが、私の経験上法事などで準備ができると太鼓で合図されるのですが、その太鼓の代わりに叩くものではないでしょうかね。
太鼓
木魚も文字通り魚の太鼓ですから。。。
特に文化財に指定されているわけではありませんが、どれも長泉寺にとっては大切な宝であり、こういったものが見られる機会を得たことは貴重でした。

本堂から渡り廊下で庫裏とつながっているのですが、そこでは「東北震災犬猫チャリー展」と題された展示会が行われていました。
東北震災犬猫チャリー展
渡り廊下にもその作品が展示されているのですが、何やら窓をカチャカチャ叩く音がします。時間をおいて何度かするのでしばらく見てると突如、現れたのがこれでした。
ダチョウ
な、なんと境内でダチョウが飼われているのです。いやあ、実に驚きました。
ダチョウはカチャカチャと窓を叩いては離れ、また叩いては離れの繰り返しでした。
どうやら、こちらと向こう側の渡り廊下の間で飼われているのでしょう。
ダチョウ
想像もできないことで驚きましたが、だんだんと可愛らしく見えてくるのもまた不思議なものです。
庫裏でチャリー展を見て、再びダチョウを見学してしまいました。
東北震災犬猫チャリー展
長泉寺のダチョウ倶楽部、実に楽しい時間でしたね。
これで本堂を後にしますが、本堂から見た藤棚もまた素敵な一面を覗かせていました。
骨波田の藤 骨波田の藤

長泉寺仁王門

最後に再び仁王門を抜けて山門に戻るのですが、来たときは気付きませんでしたが、今日は仁王門に上がれるようなので昇って見ることにしました。
仁王門
恐らく普段は昇れないのでしょうが、今日は特に拝観までできるようです。
階段を上る前に、階段の左手に大きな樹木があるのに気が付きました。
タラヨウジュ
これは「タラヨウジュ」で、葉に字を書いた手紙の始まるといわれている樹で、樹齢250年のものだそうです。これもまた歴史を感じさせる一端です。
さて、階段を上り正面に回ると、門内の祭壇が解放されています。
仁王門
中央に祀られているのが「木造延命地蔵半跏坐像」で本庄市指定文化財です。
木造延命地蔵半跏坐像
かなり綺麗で新しそうに見えるのですが、これは修復された後のようです。

延命地蔵修復修理 京都文化財工房にて
当山の延命地蔵尊は、この度京都の文化財仏師の手によって復元修理され帰山いたしました。
子授け、子育て、災難救助の地蔵として昔から厚い信仰と共に270年(天和)の地蔵様です。
平成3年4月吉日 骨波田大用山 長泉寺
(現地キャプションより)

天和年間は1681~1683年ですから、平成3(1991)年時点としても300年以上の歴史を持つものです。修復されると全くその時代感は失われますが、本来の姿に戻り再び時を刻み始めたということになるわけです。
延命地蔵尊の両脇には西方の「広目天」と東方の「持国天」が脇侍として配置されています。
広目天 持国天
そして更にその左側には「聖観世音菩薩」が、右側には「文殊菩薩」が祀られています。
聖観世音菩薩 文殊菩薩
三尊あわせれば、子授け・子育て・安産・延命祈願・学業増進・知恵授与・受験祈願・厄除け・苦難救済・交通安全という、まさに“揺りかごから墓場まで”のオールマイティな仁王門なのです。
普段拝観できないものをじっくり見させていただきました。

欄干を回ると境内の様子が一望できます。
その角には「いい旅夢気分 音無美紀子さん お勧めスポット」と書かれた看板が有ります。
案内
その光景がこちらで、こちらは本堂側の樹齢650年の藤棚です。
骨波田の藤 骨波田の藤
こちらが境内の左側で、550年の藤棚と白藤の藤棚です。
骨波田の藤 骨波田の藤
また、こちらは山門側で、参道のツツジとピンク藤の藤棚です。
境内 境内
確かに美しい光景を眺めることができます。やはりTV放送も伊達ではないということでしょう。
しばらくは浮世のことは忘れて、雅な花々を愛でることも良い癒しとなるのでしょう。
美しい花々と共に、長泉寺の由緒もじっくり堪能させていただきました。

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