道の駅龍勢会館

龍勢エリアのフェンス前の道を右手に進むと「道の駅龍勢会館」となります。
ちょうど龍勢の発射準備のため、龍勢が担がれて発射台に向うところです。
龍勢の出発

奥の青い屋根のところで龍勢は準備され、順番の来た龍勢がここから通りを通過して発射台に向うのです。
赤いオンベイに先導された龍勢は、出口を後ろから出て、Uターンする格好で左手に進んでいきます。
龍勢の出発 6人によって龍勢が担がれていて、かなり長いのが良く判ります。

龍勢を見送って道の駅へ向います。

りゅうせいばし 途中にある橋は「りゅうせいばし」で、欄干に龍のモニュメントが据えつけられ、橋の柵には龍勢のモニュメントプレートがはめ込まれ、更に柵の桁は龍勢の先頭の火薬部分の形をしています。

まさに龍勢の町といえるのでしょう。

龍勢会館

10分くらい歩いたところに「道の駅龍勢会館」があります。
今日は龍勢祭りとあってここから龍勢祭りの会場まで車輌進入禁止なのです。
道の駅龍勢会館 道の駅の中も祭りとあって恐らくいつもは無いであろうテント屋台などが並んでいます。

まずは、龍勢祭りの「龍勢会館」を見学します。
龍勢会館 やはり祭りの日とあって、多くの見学客が訪れています。

龍勢会館チケット 入場料¥300で入館します。

入館した正面には龍勢祭りで奉納された龍の造作物です。
龍勢会館内の展示物

そう今日椋神社でみたエイタマンと同じような、こちらは正当ともいえる奉納品なのでしょう。また左側にはお馴染みのピカチュウが展示されています。
順路に沿って進むと、龍勢の構造及び製造工程が展示とともに説明されています。
龍勢の行程 龍勢の行程

はじめは全くの1本の木から始まっているのですね。
龍勢の行程 そしていくつもの行程を経てこのような龍勢となるのです。実に手間隙をかけた龍勢です。

その横に「龍勢祭り」のムービーが見られるようになっていますが、流石に本物を見てきたので、覗いただけで終わりです。
龍勢祭りの映像

その反対側には判りにくいのですが、龍勢の発射台、櫓の模型が展示されています。

龍勢発射櫓の模型 ここから通路が二分されていて、右側に秩父事件の展示が、そして左側に龍勢祭りの各流派の説明の展示スペースとなっています。

秩父事件の展示 なぜか、秩父事件の展示の方へは入れないようになっているので、とりあえず写真だけです。

流派展示 流派の説明では27の流派の展示があり、先ほど見た和田耕地若連の「光和雲流」の展示・説明がありました。

光和雲流 こうわうんりゅう
光和雲流は、歴史ある流派です。和田耕地の先輩方が年月を積み重ね作り上げました。
ヤマトタケルノミコトが放った光と和田耕地の人々が仲良く暮らす和をとって「光和雲流」和田耕地の平和と発展を祈願して光和雲流は代々引き継がれています。
昔ながらの製造方法、特に「もやし」にこだわり続け、昔のままの「もやし」を使っています。
地味ではありますが、伝統を受け継いでいく志は変わりません。』(展示パネルより)

調べて見たのですが「もやし」については判りませんでした。一体何のことを言うのでしょうかね。

次のコーナーのは現在のロケットに関しての展示があります。
宇宙飛行士 ロケットの展示

当然ながらシャトルでの日本人の飛行士達が紹介されています。埼玉県出身のの若田氏はサイン入りの額が掲出されています。
これは、国内で開催される最大規模の宇宙国際会議である宇宙技術および科学の国際シンポジウム「ISTS」で、この龍勢が紹介され国際龍勢ロケットシンポジウムとして参加しているのだそうで、そういったこともあって、このようなロケットや龍勢が数々展示されているようなのです。

これらの展示の左側には、最初に見た奉納物の数々が展示されています。
オーソドックスな龍のほかに、やはりありました、キャラ系です。
奉納となりのトロロ 奉納おののけ姫

左側が「となりのトロロ」で、右側が「おののけ姫」です。どちらも桜井小坂下耕地の奉納ですからエイタマンと一緒ですね。
どうやら桜井小坂下耕地はパロディが(というかパクリ!?)お好きなようですね。
タイ国の神輿 また、中央にエスニックな雰囲気の大きな船をかたどったものがあります。

これは2007年の龍勢祭りに、日タイ修好120周年記念でタイ王国ヤソトン市の国際交流訪問団が訪れた際のパレードに使用されたものだそうで、このタイ王国のヤソトン市では、毎年5月第2週の週末にロケット祭りが開催されているといったことから、2007年に参加した時のものです。

この展示室はちょうど正方形になっていて、その周囲が展示室となっており、中央には中庭がありモニュメントが立っています。
モニュメント 「そして それは 天に昇る」と刻まれていますから、龍勢をモチーフとしたモニュメントでしょう。

龍勢会館のシンボルといった意味合いでしょう。

この展示コーナーを左に曲がると最初の入口になりますが、ここから右手に進む通路があるのでいって見ます。
ここは別館になっていて、発射台の実寸模型が展示されています。
実物大の龍勢発射櫓 櫓と龍勢

実寸ですがここに設置されているのは上部の3分の1部分だそうですが、それでも随分と大きな櫓であることが理解できます。
龍勢パラシュート 天井にはあの背負い物のひとつである、パラシュートがいくつか展示されています。

結構大きいものです。

これで、展示は終わりのようですが、かなり充実した展示内容でした。ここで龍勢を知ってから、実際に祭りを見るとより理解し易いでしょう。
数ある道の駅でも、なかなか見ごたえのある展示館のある道の駅です。

井上伝蔵邸

龍勢会館の次は、会館の隣にある「井上伝蔵邸」を見学します。
椋神社がそうであったように、この道の駅では龍勢に関する「龍勢会館」と、秩父事件に関する「井上伝蔵邸」の2つがメインの施設なのです。

秩父事件資料館 井上伝蔵邸
井上伝蔵邸(丸井商店)は吉田下吉田井上にありましたが、昭和22年(1947)に取り壊されました。
平成15年(2003)、吉田町が丸井商店の母屋を復元し、秩父事件120周年記念映画「草の乱」のロケに使われました。
丸井商店は江戸時代の寛政年間(1800年頃)に江戸城御用達の鑑・札を拝領しました。この代から井上伝蔵を襲名しました。秩父事件の会計長井上伝蔵は第6代当主です。丸井商店は米などの食料品、衣類、日用品雑貨、農具などを販売しました。また絹や楮、桑の仲買をしていました。外国貿易が始まると生糸・繭の仲買も行うようになりました。
嘉永5年(1852)、蔵造りの店舗に改築しました。これを復元したのがこの井上伝蔵邸(丸井商店)です。
平成16年 吉田町・吉田町教育委員会』(現地案内板説明文より)

秩父事件については椋神社の秩父事件百年の碑でホンの触りだけを知りましたが、その20年後に映画が製作されていたとは知りませんでした。
2004年に封切りされたそうなので、まだ6年前ほどの映画ですから新しい部類です。
早速、その復元された資料館に向かいます。
井上伝蔵邸

井上伝蔵邸チケット 資料館の前には、恐らく井上伝蔵に扮した!?係りの方がいて入館料200円で入館します。

井上伝蔵邸スタッフ 係りの方に「休日とかはこの格好をするのですか」と訪ねると「今日だけですよ」ときっぱり言われました。。

ま、確かにそうですよね

入口付近には氏が愛用した木刀や影響を受けたであろう様々な本が展示されています。
伝蔵の愛用品

自由民権運動での暖簾 この事件は単なる農民一揆でないところが、歴史的に重要な事件であるのは先にふれましたが、このような本やこう言った暖簾などを見るとまだまだ自由な時代ではなかったことを窺うことが出来ます。

伝蔵邸の帳場 入ったところは帳場で、ここで商売が盛んに行われており、まさに会計長に相応しい職業と地位だったのでしょう。

奥は居住区で、撮影時に使用されたであろう衣装などが展示されています。
映画での衣装 これは主役の伝蔵役、緒方直人が着た衣装なのでしょう。

井上伝蔵の写真などもここに展示されています。

最初に展示されている写真は、伝蔵の最後の写真で、北海道の野付牛(現在の北見市)で無くなる数時間前に撮られた写真だそうです。
北海道での最後の写真

この写真は大正7年6月23日に撮影されたもので、この10日程前、札幌の病院に入院中の伝蔵は、妻のミキと長男の洋に秩父事件の会計長・井上伝蔵であることと、その歴史を語ったそうなのです。
ということは何故北海道で、しかも偽名で家族を持っていたという、実に興味深い事実が浮かんできます。

そこで、この資料館でいただいた井上伝蔵のプロフィールをかいつまんでみます。

『秩父困民党会計長 井上伝蔵
■嘉永7年6月26日下吉田村に生まれ、幼名は治作。元治元年(1864)丸井商店を継いで6代目井上伝蔵となる。
■明治12年町村会議の副議長となり、その後、書記、助役などを歴任。
■明治16年に浅草の古ま(こま)を妻に迎え、翌年長女・布伝(ふで)が誕生。
■明治17年、伝蔵は自由党に入党し、秩父自由党の中心人物として、また秩父困民党の指導的立場になり、秩父困民党は同年10月12日、伝蔵の屋敷に集まった幹部により武装蜂起を決定した。
■事件後、下吉田村関の斉藤新七の土蔵に匿われ、翌18年欠席裁判で死刑を宣告。
■19年秋、下吉田を抜け出し、20年に北海道に渡り、石狩原野の開拓民募集広告を見て、伊藤房次郎名で応募。
■25年、石狩の樽川村の土地16町歩を借り下げ。
■同年、高浜ミキと再婚。房次郎(伝蔵)は代書手伝い、ミキが小間物・文具商を営む。またこの頃の石狩時代では俳句結社尚古社の一員として俳句を詠み、俳号を柳蛙といった。ミキとの間に3男3女をもうけた。
■明治44年、札幌に移住し下宿「石狩館」を開く
■明治45年、野付牛に移り、ミキの名で古物商を営む。
■大正7年、身分、来歴を明かす。
■6月23日、家族写真を撮った数時間の後に野付牛の自宅で死去。享年65歳。
■野付牛での葬儀に弟・莱作とその息子義久が参列。その後莱作親子は分骨を持って帰郷し、丸井商店で葬儀が行なわれた。
■ミキ家族は、遺言に基づき井上伝蔵の戸籍に入籍し、井上姓となり、ミキ、長男の洋、洋の養子・和行は下吉田の井上伝蔵の墓地にある「井上家先祖累代之墓」に納骨されている。』(パンフレットより抜粋)

明治20年から約30年以上音信不通なわけですから、吉田の井上家では驚いたことでしょうね。また、明治25年から25年以上経過して、初めて素性(というか本当の素性!?)を知ったことも驚きだったでしょう。
この手の話では、「潔くない」とか「不忠モノ」とか言われるケースがよくありますね。赤穂浪士などもその際たるもので、浪士に加わらなかった人々はかなりつらい時代だったとかいわれています。 井上伝蔵の場合、死の間際までその秘密を明かさなかったというのは、単に捕まってしまうというよりは、やはり複雑な心境があったからでは無いかと推測しますが、どんなものでしょうか。
それでも、丸井商店での葬儀では同志の落合寅市が弔辞を述べたそうですから、決して「不忠モノ」ではなかったようですね。
このようにこの写真は井上伝蔵に関する非常に重要な写真といえるのでしょう。

先の部屋には映画「草の乱」のキャスト、スタッフたちのサインが掲出されています。
映画「草の乱」での神山監督 監督は神山征二郎で最近では「ハチ公物語」で知られている人です。

主なキャストは、主役の井上伝蔵役に緒方直人、困民党総理・田代栄助に林隆三、副総理の加藤織平役に杉本哲太。更に女優陣では、伝蔵の最初の妻・井上こま役に藤谷美紀、そして2番目の妻・高浜ミキ役に田中好子という結構豪華キャストです。
映画「草の乱」でのキャストのサイン クランクアップでの寄せ書きでしょうか、緒方直人他のサインが中央付近に見てとれます。

吉田町にとっては又とないPRだったことでしょう。
それゆえ井上伝蔵邸を復元するなど、力の入れようが手にとるように判ります。

部屋の中央には展示品があり、伝蔵の略歴を著すものが幾つか残されています。
伝蔵の俳句仲間 石狩時代の伝蔵ということで、明治36年から40年頃に俳句仲間と撮った写真です。

伝蔵直筆の短冊 こちらはその当時読まれた句です。
「俤の眼にちらつくや魂祭」と詠まれています。

この短冊は平成18年に石狩の「尚古社」の土蔵から発見された、伝蔵直筆の遺墨だそうで、まさしく「柳蛙」の俳号です。
この俳句は明治35年に詠まれたそうですが、今日現存する唯一の伝蔵直筆短冊だそうです。
実際の丸山商店写真 これが当時の井上伝蔵邸、所謂、丸井商店です。見事なまでに復元されているのが判ります。

そして更に衣装が展示されたり、細かい土間や居間などが忠実に復元されているようです。
伝蔵邸の居間 映画での衣装

資料等はそれ程多くありませんが、当時のイメージを掴むには十分な資料館でした。

「井上伝蔵邸」を出て右手の方に何やら中途半端な建物がありますが、これは「草の乱」の撮影用のオープンセットだそうです。
映画「草の乱」でのオープンセット 映画「草の乱」でのオープンセット

これは吉田町市場広瀬に建てられた「大宮郷」と「小鹿野町の町並み」を模したオープンセットで、その一部の6棟をここに移築したものです。
セットの中では喫茶や軽食が取れるようになっているのは、祭りだからでしょうか。
映画「草の乱」でのオープンセット 映画「草の乱」でのオープンセット こうしてみると確かに町並みに見えるから大したものです。

なかなか面白いものを見ることができました。

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