石間交流学習会館

「道の駅龍勢会館」を後にして、ここから徒歩で駐車場まで戻ります。
龍勢祭りを再度見ても良いのですが、ずっと見ていても同じなのでここは吉田地区を散策します。
まさに天気は秋晴れ、何度でも言いたくなるほど散策するには非常に良い天気です。

清泉寺

「道の駅龍勢会館」からのんびり歩いても10分はかからないところに「清泉寺」があります。
この清泉寺は秩父事件に所縁のある寺院です。
明治17年11月1日、困民軍の一斉蜂起により戸長役場から逃走した警官隊が新志坂を登って清泉寺にたどり着きます。それに追いついた困民軍の柏木太郎吉が一騎打ちを挑みますが、あえなく斬られ、この柏木太郎吉が困民軍の死者第1号となった場所なのだそうです。

清泉寺山門 古そうな山門と立派な寺号標が歴史を感じさせますが、由緒は良く分かりません。

しかしながら文禄2(1593)年に吉田の廣見寺が清泉寺の末寺となったとあるので、少なくとも室町時代には存在していたということでしょう。
境内に入ると正面に立派な本堂が建っています。
清泉寺本堂

当時はこの境内に警官隊が息せき切って逃げ込んできたのでしょうね。 そんな感慨も込めてお参りします。
特にこの清泉寺では見るべきものもありませんが、鐘楼と摂末社の隣に妙なものが置かれています。
清泉寺鐘楼と摂末社

清泉寺のディズニーワールド 何故なのでしょうか、ミッキーとミニーの石像です。

どう見てもかなり精巧にできていて、怖さ知らずの著作権破りです。困民軍の蜂起よりもどえらい事かもしれませんよ。
それにしてもディズニーと塔婆の世界観が良く分かりませんが、日本で初めての構図かもしれません・・・。

清泉寺をでて、警官隊と困民軍との戦いとなった新志坂がこの前の道路のようなので歩いてみます。新志坂には秩父事件の碑が立っているそうですが、どうやら道を間違えたようで、残念ながら見ることはできませんでした。
新志坂と思っていた道を下るとテントを張って祭りを楽しんでいる集団がいます。
何故こんなところでと思ったのですが、よくよく見ればここから龍勢打ち上げが見られるようです。
発射台は見えませんが、そこでしばらく待っていると、山から一条の煙とともに龍勢が打ち上げられました。
新志坂と思っていた坂道からの龍勢

新志坂と思っていた坂道からの龍勢 そしてまるでUFOのようなパラシュートが見事に開いて落下しています。

流石に5、600mは飛ぶ龍勢故に、ある程度離れた場所でも十分楽しめる祭りというのが理解できました。
地元の方は態々椋神社付近まで行かなくても、十分楽しめるようです。

民俗資料館と文化財

この間違った坂から途中左折して県道284号線を進むと「吉田歴史民俗資料館」があります。
吉田歴史民俗資料館

しかしながら残念なことにこの資料館は平成21年3月で閉館となったようで、この建物は大正14年に建設された築80年余りのため、老朽化が激しいことが理由のようです
展示物に関しては秩父事件関係が石間交流学習会館と秩父事件資料館(井上伝蔵邸)で、龍勢関係は龍勢会館で引き続き展示・公開されているそうなので、概ねは見てきたことになります。
その他の民俗資料や埋蔵文化財については必要によって公開するそうですが・・・。
旧吉田町役場跡として建物自体にも文化財の価値が出れば保存できるのでしょうがね。

「吉田歴史民俗資料館」の前の道路は県道283号線に変わるようで、この県道沿いを進みます。
旧武毛銀行本店 橋を渡って右折すると左側に古い洋館がポツンと立っています。
この建物は「旧武毛銀行本店」だそうです。

『国登録有形文化財・彩の国景観賞受賞 旧武毛銀行本店
この「旧武毛銀行本店」の建物は、秩父から上毛地方の顧客を対象にして設立された武毛銀行の本店社屋として大正7年(1918)に建てられたものです。その後、秩父銀行、第八十五銀行、埼玉銀行、浦和法務局吉田出張所と移り変わり、現在に至っています。
武毛銀行は、旧吉田町の国神銀行と金融業共栄株式会社が合併し、明治35年(1902)に当敷地内に本店が移されたことから始まっています。
この建物の外観は、正面及び壁面前面を白タイル貼りとし、屋根は寄棟造り、瓦葺きとなっています。また、1,2階を通す柱型が強調され、2階窓枠にも直線的な要石飾りをつけるなど、1階より2階壁面に装飾を多く配しています。その装飾も基本は古典様式を踏まえながら、モダンな気風を折衷し簡単にまとめています。
室内は外観と同様に、1階よりも2階のほうが装飾的で、特に役員室の天井は、日本の伝統的な折上天井に新見を加えたデザインとなっています。
この建物は、小規模ながら全体的に質も高く、幾何学文様を主体とした意匠は、近代建築への移行を示す好例とされています。
所有者:秩父市、登録年月日:平成9年12月12日、登録基準:造形の規範、建築年代:大正7年
平成20年3月 秩父市教育委員会』(現地案内板説明文より)

旧武毛銀行本店 今、写真で見ると確かにそうですが、そのとき屋根が瓦葺には見えませんでした。でもよくよく考えると妙な感じではありますが・・・。
役員室も然りで、現在の和洋折衷の意味合いとは若干違うような気がしますが、当時としてはこういった和洋折衷が良かったのでしょうかね。

この建物の隣に大きな碑があります。
八幡神社改修碑 「八幡神社改修碑」だそうです。

八幡神社改修碑
直譚
人ノ奉ズル所祖ノ神・・・(筆者中略)・・・是ニ於テ祠宇ヲ改修シ碑文ヲ余ニ徴シ以テ武徳長久之記念ト為スト云フ。
国神村 山田懿太郎 書
(注)
改修碑は下町埼玉銀行建物の南側に建てられたが、ここは旧八幡神社表参道の入口であった。社殿は修理後13年で神社合祀に伴い神輿・鳥居・石灯籠・石段などとともに椋神社に遷され各その要所に取り付けられ、唯本殿のみが北側に煢立されてある。
かくて八幡宮表参道も廃所となったが、石段上り口の跡に昨昭和30年八坂神社の新宮が営まれ、三町内奉仕の地となった。永久に神にゆかりのある霊地だといえよう。』(現地案内板説明文より)

なるほど椋神社の八幡神社はここにあったのですね。
八坂神社新宮 そしてここが参道入口で、奥にあるのが八坂神社新宮ということです。

「旧武毛銀行本店」の先の右側に椋神社の参道入口があります。
椋神社の参道入口

ここから駐車場に戻って今日最後の散策「石間交流学習会館」へ向います。

石間交流学習会館

車で20分ほどでしょうか、県道363号線を北上します。まさに山間の風景に変わります。
石間交流学習会館 そして右手に見えた結構大きな学校のような建物が「石間交流学習会館」です。

石間交流学習会館 石間交流学習会館と銘板が掲げられていますが、横にある石碑には学校名はわかりませんが校歌が刻まれていますので、確かにもとは学校だったのでしょう。

廃校となったのを地域のコミュニティ施設とし、更に秩父事件の資料館としたものと考えられますね。

石間交流学習会館チケット 入館するとスタッフの方が出てこられて、まずは入館料の300円を払って記帳します。

その間、スタッフの方は展示室のある2階に先に上がり、部屋の電気を付けているようです。
2階に上がると、最初にスタッフの方から各展示室の概要を説明していただきました。展示室は5室あり、そのうち4室が秩父事件の資料が展示されており、廊下には数々の絵画や版画が展示されています。

一番奥の展示室から見学します。
ここには秩父事件の様々な文献や資料が展示されています。
展示室の養蚕イメージ展示物 入口の一番手前には、嘗てこの秩父地方が養蚕業が盛んだったことをシンボリックに伝えるコーナーがあります。

資料によると、明治22(1888)年の時点で横浜からの輸出の70%は生糸類で、その最大の輸出先はフランスでした(明治後半からはアメリカにシフトしたようですが)。
この生糸輸出のピークが明治15(1882)で、ここまでの生糸生産による大景気が秩父地方の暮らしを潤わせたわけですが、その繁栄も1882年に始まった経済恐慌でフランス最大の絹織物工業地リヨンが大打撃を受けたことから、1883年を境に生糸輸出が暗転し、人々の暮らしに暗雲がたちこめ始めた時期が、この秩父事件の背景にあったようです。
いづれにしてもこの養蚕業が秩父事件のきっかけといっても過言ではないのでしょう。

秩父事件の関係者などの展示 右側のコーナーは、関係者の写真パネルや書簡などが展示されており、秩父事件について説明されています。

秩父事件とは
秩父事件とは、1884年(明治17年11月1日)埼玉県秩父郡下吉田村(現吉田町)の椋神社において、埼玉、群馬、長野三県の負債民が、在地自由党員(非公表の党員を含め約180余人)を母胎につくられた困民党による武装蜂起事件であり、自由民権運動激化の最高の形態として高く評価された。
秩父困民党は蜂起するにあたって、民衆倫理にもとづく厳しい五ヶ条の軍律をかかげ、総理、参謀長、会計長、伝令使、大隊長、小隊長をおくなど組織的に編成している。その目標は、これまで何度も繰り返してきた請願では全く認められなかったもので、
1.高利貸しに負債の10ヶ年据え置き、40ヶ年賦を求める
2.村費の軽減を村吏に迫る
3.学校費の軽減のため3ヶ年の休校を県庁に迫る
4.雑収税の減少を内務省に迫る
の4ヶ条であった。そしてその闘いのなかで、自由党のかかげる圧制からの解放、民主政体確立のメッセージも受け入れられていった。
困民党軍はその後、四日間にわたって秩父盆地を支配した。2日には大宮郷(現秩父市)の秩父郡役所を占拠し、そこに「革命本部」の看板をかかげ、自治の方針を打ち出した。だが、明治政府は山県有朋を総司令として憲兵隊を急派、更に鎮台兵(軍隊)を出動させて、困民党軍を大きく包囲した。4日午後、本部は解体したが、一隊はその夜、児玉郡にむかって金屋(現児玉町)で鎮台兵と激戦した。また他の一隊は峠を越えて山中谷に入り、長野県佐久郡にむかって進軍した。しかし、9日、千曲川畔の東馬流で鎮台兵らに奇襲されて敗走し、八ヶ岳山麓で壊滅した。
事件の結果、死刑9名を含む3千数百名の民衆が「暴徒」として断罪された。この事件に対する歴史的評価はまだ確定していない。政府は死傷した警官や軍人への恩賞と手当金の支給に際し、彼らの行動を「戦時出兵」とみなし、西南戦争に準ずる基準を採用している。一方、困民党軍の隊列のなかに西郷軍が押し立てていた「新政厚徳」の旗が見られたというのも興味深い。
それはともあれ、この日本近代史上、空前といえる民衆の武装蜂起は、100年たってもなお多くの人々に感銘を与えつづけている。』(館内パネルより)

嘗て勉強した歴史の教科を思い出しましょう。そう自由民権運動についてです。
自由民権運動と聞けば思い出すのは「板垣死すとも自由は死なず」で有名な板垣退助です。50代以上なら500円札でおなじみでした。
さてその中身といえば、殆ど記憶に・・・、といったところなので復習をしてみます。学研キッズネットでアホなあオッサンでも非常に優しく判り易く説明されています。

自由民権運動
明治時代の前期に,国会の開設や憲法の制定などを政府にもとめた国民運動。
〔運動のおこり〕
(1)背景…薩長出身者による藩閥政治に対して批判が高まり,福沢諭吉らが紹介した西洋の自由思想が,人々の間に広まっていた。
(2)起り…板垣退助・後藤象二郎らが,1874(明治7)年に民撰議院設立建白書を提出し,これが自由民権運動の口火となった。
(3)広がり…板垣退助らは土佐(高知県)で立志社を結成し,1875(明治8)年には全国的な組織をもつ愛国社を大阪で結成した。はじめは不平士族が中心であったが,やがて商工業者・地主・知識人らが参加するようになり,各地に政治団体が生まれて,地租の軽減・条約改正・地方自治などの要求もかかげるようになった。1880(明治13)年,愛国社は国会期成同盟とあらためられ,運動はさらに発展した。政府は言論・出版・集会などをきびしくとりしまって弾圧した。
〔発展と衰退〕
(1)政党の結成…自由民権運動が高まり,北海道開拓使官有物払下事件で政府への批判がはげしくなると,政府は1881(明治14)年に国会開設の詔で,10年後の国会開設を約束した。自由民権派の人々は国会開設にそなえて,板垣退助は自由党を,大隈重信らは立憲改進党を結成し,憲法の草案を発表したりして藩閥政府を攻撃した。
(2)運動のおとろえ…深刻な不景気のなかで,自由党急進派が貧農とむすびついて各地で事件をおこすと,運動の激化に不安を感じてはなれていく人がふえた。政府の弾圧と懐柔によって運動は分裂し,幹部も政府に妥協して運動はしだいにおとろえ,憲法発布と国会開設によって幕をとじた。
(注)自由党急進派がおこした事件には,最初の激化事件となった福島事件や秩父事件などがある。』(学研キッズネット)

実に端的で判りやすい説明です。
幕末、維新、そして自由民権に日中・日露戦争、明治の時代はある意味ではパワー溢れる時代だといえるでしょう。そう考えると少し秩父事件が理解できたような気がします。
また、ここには秩父事件の総理である田代栄助の訊問調書と裁判言渡し書が展示されています。
田代栄助の訊問調書と裁判言渡し書 所謂裁判の経過と判決が記載されているのです。判決は左記の通り死刑となったのでしたが、これも貴重なものです。

困民党に襲われた際に傷つけられた柱 展示室の中央にはたくさん傷の付いた柱が展示されていますが、これは当時、大宮郷(現秩父市内)にあった高利貸し宅が困民党に襲われた際に傷つけられた柱だそうです。

まあ、ある意味高利貸しも被害者なのですけれども、味噌も糞も・・・、ってやつでしょうかね。
最後にこの展示室にこんなパネルが掲出されていました。

養蚕製糸の盛んだった山村生活から生まれた秩父事件の学びなおし
関東西部山地の盆地である秩父地方は江戸時代から養蚕が盛んで、(以下、前出の生糸産業における内容なので途中割愛)・・・生糸商人はお金とともに文明開化も運んできた。新しい文化と接触して、人々は活気づき、明日の仕事に希望をもって励んでいた。しかし、その好況と繁栄はいつまでもつづかなかった。1882年(明治15年)、ヨーロッパに経済恐慌がおこり、それが世界不況となって日本にも及んだのである。また国内では金融ひきしめと増税による松方デフレ政策が強行された。そのため輸出の中心だった生糸の値段が暴落し、営業資金を高利の金貸しから借りていた人々は返済にゆきづまり、倒産に瀕した。結局、この地帯に60件もの負債をめぐる騒擾(困民党事件)がおこったのはそのためである。秩父事件はその中でも最大の特別なものなので、今でも研究し、正しく理解しなければならない。まず、世界の中の秩父事件であるということ、秩父だけに自由党員と結合した武装蜂起がおこったのはなぜかということ、そこに発揮された民衆の非常な元気と楽天性はなんであったかということなどである。
秩父事件の全体像については展示を通して説明したい。』(館内パネルより)

何となくバブル崩壊時と似ていないこともないような気がします。様々な解釈があるのでしょうが、単に時代の違いといったら・・・。
少しアカデミックな気分になって次の展示室に向かいます。
廊下にはたくさんの絵画などが展示されています。いずれも秩父事件をテーマにしたものです。
森哲郎、画伯作品 羽田信彌、画伯作品 左側が森哲郎画伯の作品で、右側が羽田信彌画伯の作品です。

森哲郎画伯は愛知県出身の漫画家で、「劇画・秩父事件」をはじめ、「劇画・日本国憲法」「劇画・ヌマさん物語―人間・浅沼稲次郎伝」「まんが市川房枝物語」など社会派漫画を多く著していたそうです。
羽田信彌画伯は、版画家で、秩父の風土や困民党群像に魅せられて、「峠の叫び」という連作の版画40点を創作したとのことです。

漫画と版画を眺めながら隣の展示室に入ります。
ここでは、主に秩父事件を解説した資料や会報、本やセミナー・映画のポスターなどが展示されています。
展示室2 展示室2

ここにはモニターが置かれていて、映画「草の乱」が製作される前に、秩父事件の解説用として作成された映像を見ることができます。スタッフの方は「草の乱」に比べるとお粗末なものですが、と謙遜されていましたが、少ない予算で地元の方たちの協力によって製作された映像でも、見やすく判りやすく出来ていました。

そして、その隣の部屋はステージのあるカラオケルームになっているようです。
展示室3

片隅に秩父の養蚕である産業を説明するための、繭や器具などがこじんまりと展示されています。

最後の展示室が根岸君夫画伯の「秩父事件連作画」20点が展示されている展示室です。
根岸君夫画伯の「秩父事件連作画」 根岸君夫画伯の「秩父事件連作画」

椋神社にあった秩父事件関係略図に掲載されていた絵画の原画が展示されています。

根岸君夫画伯
1936年(昭和11年)群馬県薄根村(現沼田市)出身、1955から59年埼玉大学教育学部美術家に学び、在学中に埼玉県展の特選、新制作協会展に入選、1966年からは日本アンデバンタン展、平和美術展、リアリズム研究会展に毎回、作品を発表、埼玉県展審査員をつとめる。ライフワークとなった秩父事件の連作は約20年かけて完成、1997年「秩父事件連作画集」を刊行した。』(館内パネルより)

かなり迫力のある作品です。
やはり先の羽田信彌画伯同様、何か魅せられるものがあってライフワークとなったのでしょう。一見の価値ありです。

こうして一通り展示室を見学して1階の受付に戻りました。
来た時は気がつきませんでしたが、掲示板に貼られた「草の乱」のポスターの横には、神山監督と主演の緒方直人氏、そして高浜ミキ役の田中好子さんのサイン色紙が飾られていました。
映画「草の乱」キャストのサイン

きっとここにも寄られたのでしょうね。
かなり充実した資料館でした。

今日はこれで散策も終ろうと駐車場に戻る道すがら、道の先に水車小屋らしきものが見えたので行ってみました。
水車小屋 何処からどう見ても水車小屋ですが、何故・・・、観光資源ということでしょうか。

石間川 脇を流れる川が石間川で、恐らくかなり上流なので川幅も細いようですが、清流です。
何となく牧歌的な雰囲気に浸れるのはちょっと癒される空気感です。

右側の小高い丘の上には「八坂神社」があり、川の左側には高岸駅蔵宅跡なる道標がありましたが、何となく散策も満腹気分なので今日は引き返しました。
八坂神社 高岸駅蔵宅跡

帰り際、やはり来る時には気がつかなかった加藤織平の墓がありました。
加藤織平の墓 加藤織平は副総理として困民党では重責にあった人です。

勿論、井上伝蔵もそうですが、困民党のなかで吉田出身のN0.1ですから、歴史の重みを感じておきましょう。

今回は勇壮な奇祭、龍勢祭りを楽しみましたが、やはり吉田町は秩父事件の町であると感じました。
これから年月を重ねるうちに、龍勢祭りの町に変わっていくのでしょうが、埼玉県としてもこの歴史は後世に残して置きたい歴史の一つでしょう。
埼玉県在住で多少歴史が好きな方なら、龍勢祭りのついでにちょっと散策する価値は十分あると思います。
私自身、秩父事件を始めて知ったのですが、知れば知るほど歴史的な価値が理解できます。
是非はともかく史実として非常に興味深い散策でした。

2010.10.29記

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