根岸の里 #2

この道を更に進むと、とにかくいたるところに子規の句が掲出されています。
子規の句 子規の句 子規の句
まさに子規とともにある根岸といえるでしょう。
しかしながら目指す「ねぎし三平堂」が見つからず、道を間違えたかと1本北の路地を戻る格好となりました。

ねぎし三平堂

その角に「根岸薬師寺」の看板とともに『御隠殿跡』の案内板がありました。
根岸薬師寺 『御隠殿跡』の案内板
はるかに推測の域を越えていて、理解の処理能力をはるかに超える内容なのですが、要するに上野寛永寺の宮様の別荘だということです。ここに記載されている通り寛永寺の住職は3世~15世までは皇室から降下したことから、単なる住職ではない故に別荘の必要があったのでしょう。
そしてこの案内板の路地の先に根岸薬師寺なる標柱が見えたので行ってみました。
根岸薬師寺
ここでも子規の句とともに薬師の説明があります。
根岸薬師寺 子規句
薬師は常に目の病気にはいいので、必ずお参りしてしまいますね。
そして右側にある石碑が先の「御隠殿跡」の史蹟記念碑とともに、「史蹟 根岸御隠殿の図」が掲出されていました。
史蹟 根岸御隠殿の図
これを見る限り相当な広さだったことが実感できます。さすがに寛永寺住職だけのことはあるようです。

そしてこの通りを東に進むと右側に目指す「ねぎし三平堂」があります。
海老名家自宅
基本的にここは林家正蔵(海老名家)一家が住んでいる自宅なのです。
そしてその一角が「ねぎし三平堂」の入口になっていて、入場料600円で入堂できるのです。
ねぎし三平堂 ねぎし三平堂 ねぎし三平堂
チケットの裏には三平の名コピーが記載されています。
早速、入堂すると階段の踊り場に新旧三平がお出迎えしてくれます。
ねぎし三平堂
階段にも様々な展示がなされていて、三階の展示室に到着です。
ねぎし三平堂 ねぎし三平堂
かなり広い展示室にちょっと驚きます。

ここからはランダムに目に付いたものを羅列していきます。
これは高座を復元したもので、三平らしい華やかさがあります。
ねぎし三平堂
ここで少し三平の生涯を追ってみます。
七代目正蔵の長男として大正14年に生まれ、栄三郎と名付けられるのですが、その後泰一郎と改名します。
生後 《生れて間もない頃》
床の間から飛び下りたのが最初の芸だったそうです。そして旧制中学に入ると文学の道をめざすようになったのだそうです。
父正蔵と明治中学入学時 《父正蔵と明治中学入学時》
しかしその夢を打ち砕いたのが学徒出陣で、1年半の軍隊生活を余儀なくされたのですが無事復員したのです。
入隊時の頃 《入隊時の頃》
復員後、落語の世界に飛び込み前座修行を開始したのも束の間、父の正蔵、姉の千恵子が相次いで亡くなったため、「正蔵」の名跡を譲り渡し、どん底の生活の中で修行を続け、二つ目昇進を果たし香葉子夫人と結婚したのです。
復員後 前座時代 《復員後と前座時代の高座》
出演したラジオの司会で、時間内に納められず「どうもすいません」と言った一言が人生の転機で、一気にラジオのレギュラーが増え人気者となります。
街頭録音での一コマ 《街頭録音での一コマ》
そして寄席の掛け持ち、ラジオ・テレビのレギュラーなどなど人気が沸騰し真打にも昇進します。そしてこの忙しい中で「ほんと大変なんですから」と言った一言がまた流行語となって更なる人気を獲得するのです。
真打披露 《真打披露》
そして絶頂期を迎えたのですが、昭和55年9月20日惜しまれつつ永眠したのです。享年55歳、若すぎる死だったのです。
絶頂期 晩年 《絶頂期の頃と晩年》
このような生涯を通じて日本中に笑いを振りまいたのです。
当時としては型破りの芸だったのでしょうが、あのインパクトのある芸は、落語や笑いのおけるその後の方向性の一つのあり方を示唆したのではないでしょうかね。

更に展示を見てみます。
三平の所持品の数々。
展示品
大事なネタ帳。ここからあの笑いが生まれたのです。
ネタ帳 ネタ帳 ネタ帳
「古今亭志ん生に落語を教わる三平」の写真ですが、座布団を外しているところがポイントです。
古今亭志ん生に落語を教わる三平
人気者の証である羽子板です。
羽子板
まだまだ沢山の展示品があるのですが、リアルタイムだった方は必見かもしれません。
“昭和の爆笑王・林家三平”非常に懐かしいものを見て「ねぎし三平堂」を後にしました。

元三島神社

根岸の散策も最後です。
良い機会なので、20~30年前から気になっていた神社に向います。
何故気になっているかと言えば、鶯谷駅から常に見えるからなのですが、鶯谷駅で下車することも無かったので気になっているままだったのです。
帰りがけに撮った駅からの写真ですが、このように駅から見えるわけです。
元三島神社 元三島神社
そこで最後にこの神社に向うことにしました。
鶯谷駅前周辺の路地を進むと、先ほどの根岸と同じようにラブホテル街の中にその神社は存在しているのです。
ラブホ街の元三島神社 ラブホ街の元三島神社
「元三島神社」ですが、ある意味、このエリアのかなでは逆に異彩を放っていると言ったほうが良いのかもしれません。(汗)

境内に入ると、それなりに都会の中であることを忘れさせてくれるような空気です。
元三島神社 元三島神社
正面に一の鳥居があり、左手には神楽殿なのでしょうか、それとも宝物殿なのでしょうか高床式の建造物です。
元三島神社
この神社の由来は、弘安の役の際に河野通有が伊予国大三島の大山祇神社に必勝祈願した後、この地に分霊を勧請して創建したと伝えられているそうです。
河野通有の河野氏とは、元々伊予国(愛媛県)の有力な豪族で、平安時代末期には平清盛の傘下にあったのですが、源平合戦では頼朝に協力し一族は栄えたのですが、鎌倉時代の承久の乱の際には反幕府側の後鳥羽上皇側についたためほぼ滅亡状態だったのですが、北条時政に娘(政子の妹)を母とした河野通久によって河野家は継承されたのです。
そしてその後の“元寇”といわれる弘安の役(1281年)で河野通久の孫の河野通有が九州での出兵で活躍し、その武名を馳せたことから河野一族の最盛期を迎えたのです。
そしてこの役の後、この地に三島神社を勧請することになるのですが、河野通有は、当時鎌倉幕府の御家人である江戸重長の娘を妻としていて、この江戸氏が現在の皇居或いは上野あたりを所領としていたことから、上野山にあった河野氏の館に「三島神社」を勧請したと言われているのです。伊予国大三島の大山祇神社は、全国の三島神社の総本社であるのです。
時代が下って江戸時代、この三島神社のあった上野山が寛永寺の寺地となったため、浅草小揚町(現在の蔵前)に1650年遷座したのです。そのときこの三島神社のご神体は当地にあった熊野権現社に仮安置されたそうです。
しかしながら上野山周辺の金杉及び根岸の氏子から浅草では参拝に遠いため、氏子の要請によって熊野権現社に仮安置されたご神体を合祀し、新たに「元三島神社」と改称して浅草の「三島神社」と呼び分けたそうです。
こうした由緒ある歴史を持つ元三島神社ですが、いつしかラブホテルに囲まれようとは夢想だにしなかったことでしょう。

一の鳥居の先の石段の上に二の鳥居があり、その先に社殿があります。
元三島神社 元三島神社
それほど大きくはありませんが、重厚感ある造りの社殿です。
最後にここを参拝して今回のまつりと散策は終了です。
夏の風物詩である「入谷朝顔まつり」と、歴史と・文化の宝庫と「根岸の里」と、まさに江戸下町の香りを残す街でした。

2012.07.16記

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コメント

  1. りん子 | -

    おはようございます。
    林家三平様・・・「どうもすいません~っ」でおなじみでしたよね~。
    ありゃりゃ~久々に見ることが出来て嬉しいです。
    薄荷脳70様~
    ありがとうございます。

    ( 09:38 )

  2. 薄荷脳70 | -

    りん子さん、コメントありがとうございます。

    私の世代にとっては、本当に型破りで古典落語で無いところが、当時子どもだった、今のオッサン世代に判り易く受けたのでしょうね。
    今になって改めて偉大さが判るような気がしますね。

    ( 06:23 )

  3. 四季歩 | ipmCGEIo

    素晴らしいレポート

    朝顔まつりから始まって、
    根岸を総ざらえですね。
    これだけ回れるのも、以前からの
    造詣のたまものだと敬服の至りです。
    私は、まだ朝顔市に行ったことがありません(汗)
    興味はあるのですが・・・・・・
    来年は、ぜひ行きたいです。
    あと、ここで知った文豪ゆかりの場所も。

    ( 10:14 [Edit] )

  4. 薄荷脳70 | -

    四季歩さん、ありがとうございます。

    こういっては何ですが、朝顔まつりは意外と地味でしたね。
    朝顔市がはじまりで販売が主だった様ですから、いわゆる桜まつり、とかコスモスまつり等とは趣が違いますね。それも一つの楽しみといえばそうれもあるでしょう。
    子規縁の地は(記念碑、句碑)まだまだこの付近に多くあるようですので、子規に興味ある方は一回りするだけでも結構ボリュームありそうですね。
    でも、下町って言うのは風情があって本当に江戸の香りがしてくる錯覚を感じます。
    朝顔市はともかくとして、根岸の里は一見の価値があるかもしれませんね。

    ( 21:37 )

  5. あさがお市

    あさがお市、直近では3年前に行きました(それが2回目)。
    どうしても混雑が苦手で、その思いでが残っています。
    小さいお守りは購入しました。

    根岸のことも子規の句のことなども知りませんので
    とても新鮮な印象です。区民は頑張っていますね~。
    三平さんもお久しぶり!という感じです。

    ( 00:23 )

  6. 薄荷脳70 | -

    山ぼうしさん、ありがとうございます。

    朝顔まつりも、子規も、三平も、全部揃って根岸の里と言うことでしょうね。
    あ、ラブホも含めて(汗)
    これらがそろって「粋」ってものかもしれませんね。
    埼玉県民には理解できないのかもしれませんが・・・。

    ( 22:20 )

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