脚折雨乞行事 #1

10時半過ぎには鶴ヶ島市内に到着です。
天気は快晴で、午前中ですがすでに30度近くまであるのではないでしょうか。
見るほうも暑いのは大変ですが、やるほうはもっと大変でしょうね。

“鶴ヶ島”発祥の地

最初に立ち寄ったのが「“鶴ヶ島”発祥の地」記念碑のある場所です。
大きな松の木の前にその記念碑が立っています。
鶴ヶ島市発祥の地碑 鶴ヶ島市発祥の地碑
おおよそ多くの人がイメージしていた通りの由来と言えるのではないでしょうか。
長禄元(1457)年は室町時代となりますが、それ以前のい鶴ヶ島はどうだったのでしょう。
古代の時代にさかのぼると旧石器時代や縄文時代の遺跡があるものの特筆すべき事項は無いようです。比較的注目されるのは古墳時代の遺跡で律令制度化での地域拠点になっていたと考えられているようです。
それ以降も史料上における目だった活動も無く、本格的に街として発展しだしたのは明治以降のようです。
そして明治9(1876)年に埼玉県に編入されて以降、市町村制の施行以来合併は行われず、単独町制から単独市制へと至ったそうなので、町の財政もそれ程悪くは無かったということになるのでしょう。
その例として、昭和29(1954)年、埼玉県の主導により周辺4ヶ村とともに坂戸町への合併が計画されたのですが、当時の鶴ヶ島村は人口も多く財政も安定していたことからこの合併からは離脱し、昭和30(1955)年の坂戸町もしくは川越市との合併問題では、村議会にて独立維持決議を可決させ、更に昭和32(1957)年、埼玉県から坂戸町との合併が勧告では、工場誘致などの対策を含む「鶴ヶ島村建設計画」を議決し、1959年勧告解除させるということに現れているようです。
余り華々しい歴史は無いのですが、独立独歩の町としての誇るべきスピリッツを持っているといえるかもしれません。
なお、ここに記載のある「雷電池」は今回のメイン会場となるところですので、追って紹介することになるでしょう。

町の生い立ちを少し理解して、今回の祭りの中心地である“脚折”に向かいます。
“脚折”と書いて「すねおり」と読みます。
日本武尊の東征の際に人馬が脚を折ったことに因みといわれているそうで、砂や小石の多い地という意味で“砂居(すなおり)”、或いは“曽根居(そねおり)”が訛ったものと考えられているそうです。
いずれにしても鶴ヶ島市の旧村名の中でも中心的な集落であったようです。

白鬚神社

先ず最初に訪れたのは“脚折雨乞行事”の大祭の神社である「白鬚神社」です。
臨時駐車場である長久保小学校に車を置いて、ケヤキ通りを南下して脚折三丁目交差点を渡り、しばし直進してから右折すると目指す「白鬚神社」があります。
脚折けやき通り 脚折けやき通り 脚折けやき通り
当然ながら準備に忙しいようで、スタッフがあちらこちらで打ち合わせをしている光景を見ることができます。
脚折雨乞行事
その神社の脇の道を右折すると神社の表参道口となります。
白髭神社 白髭神社
それ程大きくはありませんが、朱の鳥居が参道口となっています。 参道を進むと正面に社殿を見ることができますが、参道の片側には関係者達のテントが張られていて、多くの人たちがせわしなく準備をしています。
白髭神社参道
先ずは参拝とばかりに社殿に向かいます。

鳥居と同じようにそれ程大きくはない社殿ですが、社叢に覆われた境内はそれだけで歴史を感じます。
白髭神社参道 白髭神社社殿 白髭神社社殿
拝殿でお参りを済ませて境内を散策しますが、社殿の左手に文化財収蔵庫とともに『文化財収蔵庫』の案内板が掲げられています。
文化財庫 文化財
文化財の内容にも興味を惹かれますが、棟札・銘札に見る由緒に注目してみます。
個人的に「白髭神社」といわれると、あの“白髭橋”のある墨田区向島の白髭神社を思い浮かべてしまうのですが、白髭神社の総本社は滋賀県高島市にある白髭神社だそうで初めて知ったことにちょっと驚いています。
更に驚いたのが、この鶴ヶ島の白髭神社はかつて奈良時代に武蔵国開拓のために移住し高麗郡を開いた高句麗人達の崇敬した神社だったことです。
埼玉県の高句麗人たちの町といえば現在の日高市で、【巾着田の曼珠沙華】で訪れた高麗神社がその中心で、その高麗神社の祭神は主祭神が“高麗王若光”なのですが、そのほかに猿田彦命、武内宿禰命が祀られています。
猿田彦命はお馴染みの天孫降臨の際に道案内をしたということで、道の神、旅人の神として崇められている神です。武内宿禰命は“三韓征伐”と呼ばれる新羅出兵を決定付けた権臣で、勇武、長寿の代表者ともいわれているのです。
この2神ともに祭神は人格化する際に白髪の老人になるとういわれから白髭大明神といわれていたそうで、このような由来から考えると、この地の白髭神社は高麗神社から勧請されたということになるかもしれません。
いづれにしても伝承では1300年、棟札等からでも400年以上の歴史を誇る神社といえるのです。
収蔵庫から本殿を廻ると社殿の裏手に先ほど説明のあった『大けやき』があります。
大ケヤキ 大ケヤキ
現在残っている部分だけでもかなりの太さです。神社仏閣では歴史のあるところほど巨木は残っていますね、当然ではあるのですが。
これもこの神社の歴史を物語る一つと言えるのです。

こうして社殿を一周して参道に戻ると、南方向の参道に祭りのグッズが販売されていました。
雨乞行事記念グッズ
「雨乞いグッズ」という洒落の効いたグッズで、定番のストラップやポストカード、Tシャツ、そしてこのような「張子の龍」などもあり賑やかです。
雨乞行事記念グッズ 雨乞行事記念グッズ
恐縮ですがグッズは購入せずパンフレットだけいただきました。
このまま南参道口を出ると、目の前に大きな口をあけた“龍”と対面です。
龍蛇龍蛇
先ほど頂いたパンフレットに龍のデータが記載されています。

龍神情報
◆長さ:36m、重さ:3t、頭の高さ:4.5m、開いた口(直径):1.6m、太さ:6m、目玉(直径)0.25m、角の長さ:4m、鼻の穴:(直径):0.18m、頭の幅:2m、材料:竹80本・麦わら:870束

この迫力には敵いませんね。
龍の口の上顎には「御札」が祀られています。
龍蛇
やはりこの辺りが神事ということを認識させてくれます。 そして長さ36mは一番後ろが見えないほどの長さです。
後まで行って見ますが、途中でもこれだけの長さがあり、胴体から出ている竹の棒を担いで動くわけです。
龍蛇
一番後ろ(尻尾)はこのようになっていて、最後尾には“剣”が祀られています。
龍蛇 尻剣
この剣は文字通り“尻剣”というのだそうで、この尻剣に触れた人は賢くなるといわれているのだそうで、当然、私もさわってきましたが。。。
これだけ見ても相当すごいことになりそうな予感がするのは、私だけではないでしょう。
ここで先ほどのパンフにあった行事の由来を確認しておきます。

脚折雨乞
脚折雨乞は、鶴ヶ島市脚折地区に伝わる降雨祈願の行事で、その起源は江戸時代にまで遡ります。明治時代の記録によると、「雷電池のほとりの脚折雷電社に雨乞いをすると、必ず雨が降った。しかし寛永の頃、池を縮めて田を作ったため、大蛇がいなくなり、雨が降らなくなってしまった。そこで板倉雷電神社で降雨祈願をして池の水を持ち帰ると、見事に雨が降り始めた。」とされています。
かんばつの年に行われていた雨乞いも、昭和39年を最後に一度途絶えてしまいます。しかし雨乞いの持つ地域の一体感を再認識した地元脚折地区の住民によって「脚折雨乞行事保存会」が結成され、昭和51年に復活させました。それ以降、4年に一度行われるようになり、現在まで継承されています。
脚折雨乞では、竹と麦わらで作られた重さ約3tにも及ぶ「龍神」が、300人の男衆によって担がれ、自髭神社から雷電池までの約2kmを練り歩きます。池の中で雨乞いを行った後、龍神は担ぎ手によって解体され、天へと昇っていきます。
(パンフレットより)

ある意味では神事というよりは、地域の誇るイベントという意味合いが強いようですが、それによってこの行事の価値が半減するわけでもなく、かえって4年に一度の行事として貴重な行事といえるのです。
因みに現在の状態の“龍”は「龍蛇」とよばれ、入魂の儀によって「龍神」となるのだそうです。
龍蛇の置かれている路地のもう一本横では既に多くのスタッフのミーティングが行われています。
スタッフ スタッフ
少なくともこれだけの(これ以上?)の人たちが担ぐのですから、更に祭りの想像は膨らみます。
テントには担ぎ手の受付もあり、一般の方も受け付けているようです。
受付
但し、この暑さですから万が一参加したら、私などは間違いなく熱中症で倒れるのも間違いないでしょう。
このように準備は万端整いつつあるようです。

能善寺

白髭神社から離れて神社の北にある「善能寺」に向います。
「善能寺」は雨乞行事での渡御で立ち寄るのですが、わざわざ遠回りしてまで「善能寺」に立ち寄るにはわけがあるはずですから、その理由を知るために訪れてみるのです。
白髭神社の隣の駐車場には、すっかりボロボロになった車が駐車されていますが、117クーペなら廃棄したくないのも頷けます。
117クーペ
私も大好きな車の一つですから。
2、3分も歩くと、立派な寺号標と六地蔵に彩られた朱の山門が見えます。
善能寺
ここが「善能寺」です。 山門をくぐると左手に重厚感のある鐘楼がそびえています。
善能寺鐘楼
そして右手に『善能寺』の由緒が書かれています。
善能寺
中興開山からでも400年以上の歴史を刻んできている古刹なのですね。
隣にはその『善能寺鰐口』についての説明があります。
善能寺鰐口
説明によれば山門以外は比較的新しい時代に再建された建造物のようです。
その薬師堂が左手に見えます。
善能寺 薬師堂 薬師堂
現在掲げられている鰐口は当然新しい時代のものでしょう。 また、薬師堂から見る鐘楼もまた違った先ほどとはまた佇まいを見ることができます。
鐘楼
ここから本堂に向いますが、その途中に説明のあった「鶴ヶ島学校跡」碑があります。
鶴ヶ島学校発祥の地碑
この鶴ヶ島学校とは、現在の鶴ヶ島市立鶴ヶ島第一小学校のことで、明治8年に森戸村(現在の坂戸市)北三芳野小学校より分離し、ここ善能寺を仮校舎として開校したのだそうです。
この碑の先に進むとちょっと個性的な屋根の本堂があり参拝を済ませます。
本堂 本堂
こうして善能寺を参拝し終わったにですが、最後まで雨乞行事との関係ははっきりしませんでしたが、恐らく江戸時代以前の神仏習合における白髭神社の別当寺であったことからでないかと推測します。地理的にも近いですし、どちらも同じような歴史を持っているということからも考えられることです。
いずれにしても「白髭神社」と「善能寺」はこの雨乞行事にとっては不可欠な存在であると言うことは間違いないことでしょう。

この後は行事のメイン会場である「雷電池」に向いますが、最後にこの善能寺で興味深いものを見つけました。
ちょうど現在善能寺の庫裏が新築されているのですが、その看板です。
金剛組
「飛鳥から未来へ 西暦578年創業 世界最古の企業 金剛組」と記載されています。
世界最古の企業と言われたらちょっと確認しないわけにはいきませんね。
金剛組は578年、聖徳太子が大阪の四天王寺を建立するため百済から招いた宮大工の三人の内の一人、金剛重光により創業されたそうです。
593年、四天王寺創建以来、1400年に渡って日本の寺社建築を担ってきました。江戸時代までは四天王寺のお抱え宮大工として隆盛を極めるのですが、明治の廃仏毀釈により金剛組も試練をむかえ、2005(平成17)年に事業譲渡するまで“創業者一族が経営を続ける現存企業”として世界最古だったようです。しかしながら、事業譲渡後も企業としての世界最古に変わらないのです。
因みに現在の金剛組の相談役は四天王寺・正大工 第39世、金剛利隆なのだそうです。
最古だった・・・”とか“最古であろう・・・”ということではなく、紛れも無く世界最古がはっきりしているのもある意味では珍しいことでしょう。

参考:【金剛組】http://www.kongogumi.co.jp/index.html

因みに旧金剛組の時代には鶴ヶ島市に加工センターを開設したそうですから、まんざら鶴ヶ島市と縁の無い企業では無い様です。

雷電池

善能寺からは朝来た“脚折けやき通り”を通って10分ほどです。
炎天下の通りを進むとやがて右手の工場に小さな龍蛇が3頭置かれているのを見ることができます。
ミニ龍蛇 ミニ龍蛇 ミニ龍蛇
ミニ龍蛇と言うそうで、子供達が担いで渡御するのですが、残念ながらスケジュールで龍蛇との渡御時間が重なるため見ることはできないようです。一般的な祭りで言うなら子ども神輿ということでしょう。
その先の左手には自治会館があり、会館の壁面には鶴ヶ島のシンボルとして龍蛇のイラストが描かれています。
自治会館
そして自治会館は雷電池本部となっており、更にその隣では地元の方々の露店が出店されています。
自治会館 自治会館の露店
ここでも雨乞いグッズが販売されています。
記念グッズ販売

その自治会館の先にあるのが「雷電池」ですが、これで「かんだちがいけ」と読むのだそうです。
雷電池公園 雷電池公園
時刻はまだ11:00を少し廻ったところで、龍蛇が到着する15:00まではまだ4時間もあるのですが、すでに多くのカメラマンたちが場所取りで詰め掛けています。
雷電池公園 雷電池公園 雷電池公園
昨今のアマチュアカメラマンブームをここでも感じることが出来ます。私にはとても何時間も待っているという忍耐はないので、実に頭の下がる思いです。まあ、炎天下ですから熱中症も気になるところですが、この池の周りは木々で日陰が随分ありますので、多少は凌ぎやすい場所です。
池の周りを巡ってみます。
来賓用スタンドや報道用スタンドなどがしつらえられています。
メインスタンド 報道用スタンド
そしてこの階段が龍蛇が渡御してくる階段です。
雷電池
池は結構浅そうで、その水は比較的綺麗に浄化されているようです。
雷電池
池の全体はこんな感じです。
雷電池 雷電池 雷電池
池の辺にはイベントスペースもあり、太鼓が置かれているので、ここで演奏が行われるのでしょう。
ステージ
また、更にその先には別の人口池がありました。
雷電池
普段は親水公園として親しまれているのでしょう。
こちらが龍神が入水する階段で、水面下にも階段状となっているようです。
雷電池
階段を上がると傍らにあるこの竹筒が置かれています。
謎の竹筒
一体、何の竹筒なのでしょうかね。
そして階段の上にあるのが「雷電社」です。
雷電社 雷電社 雷電社
ここに記載のある板倉の雷電神社とは、現在の群馬県邑楽郡板倉町にある雷電神社なのだそうです。
この板倉の雷電神社も歴史があり創建は1400年前といわれています。
毎回行事の際には、この雷電神社から御水を運んでくるそうで、今回も昨日の8月4日、境内の雷電沼から御水を汲み取り神前にて雨乞い祈願をする「戴水の儀」が行われれたそうです。

参考:【雷電神社】http://www.raiden.or.jp/index2.html

こうしてグルッと池を巡ってきましたが、公園の外側にも雨乞行事の案内板がありした。
脚折雨乞行事
このような勇壮な雨乞行事ももう少しで開始されようとしているのです。

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