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中山歴史街道

大町梨街道を後にして、市川市北部の大町から一気に南下して八幡地区周辺に向かいます。
市川市南部には東西に京成線・国道14号線、そしてJR線が並行して走っています。そのうち京成線の京成中山駅周辺から京成八幡駅、そして市川真間駅にかけてのエリアに市川の歴史が色濃く残っているので、後半はこの沿線沿いをあえて歴史街道として散策をしてみます。
これが市川市を訪れる理由だったのです。

法華経寺

最初に訪れたのが「法華経寺」です。
京成中山駅周辺なのですが、競馬好きの方なら中山競馬場周辺といえば凡その立地はつかめるでしょう。
何故ここをお参りするといえば、勿論、古刹としても有名なのですが、江戸三大鬼子母神のひとつであるからなのです。
以前、【雑司ヶ谷七福神 彷徨】で雑司が谷の“鬼子母神”を、そして【入谷朝顔まつり】で恐れ入谷の“入谷鬼子母神”を訪ねているので、この法華経寺を訪ねると江戸三大鬼子母神をすべて参詣したことになる訳です。
ということで小雨の降っていた大町梨街道から南下している間に天候は見事に回復し、あの猛暑が戻ってしまったような陽気となったのです。

早速、参拝に向かいます。
元もとの参道は恐らく現在のJR下総中山駅から真っ直ぐに続いていたものと思われます。
それはJR下総中山駅から国道14号線を横切り、更に京成線を横切って少し進むと、「黒門」という総門が現れるからです。
法華経寺 黒門 法華経寺 黒門
説明にもあるように、つい最近修理をされたせいか非常に綺麗で状態の良い文化財です。
意味は良く判りませんが趣のある扁額で、太田資順とは恐らく太田道灌の子孫でしょう。
法華経寺 黒門扁額
黒門を抜けた右手にちょっと気になるものを発見しました。
「下総松月堂」という和菓子屋ですが、“カフェオレ大福”なる貼り紙にそそられ早くも寄り道です。
下総松月堂 下総松月堂
とりあえず2個ほど買いましたが、このお店のオリジナルらしく他にもいくつかのオリジナルの和菓子もありました。
で、この“カフェオレ大福”ですが、食べた感想は「確かにカフェオレ」です。
カフェオレ大福
飛び切り美味しいと言うわけではありませんが、珍しい上にそこそこいけそうなのでネタには良いかもなあ、と言うあんばいです。 それはともかく後で調べるとこの店、80年以上続いているお店だそうで門前町の和菓子屋として結構な歴史を持っているようです。
更に参道の途中にはこんな趣のある建物があります。
いちかわ街案内所
「いちかわ街案内所」とおうボランティアグループの拠点だそうで、時間が有れば入ってみたいところですがこのまま進みます。
左手には普通の民家ですが、なかなか凝ったことをされています。
民家の装飾
さすが歴史ある参道、門前町故のなせる業でしょうか。
そして参道の正面にあるのが山門です。
山門
三門、赤門とも呼ばれていて左右には仁王像を安置しています。
仁王像 仁王像
かなり立派で歴史のありそうな山門ですが、意外とこちらは文化財としての指定はないようです。

山門を抜けた先の参道は、それまでの参道と趣がことなります。
参道
両側にはずらりと寺院が並んでいます。
法華経寺 子院 法華経寺 子院 法華経寺 子院
中にはこのような400年近い歴史を持つ寺院もあるようで、一つ一つ丹念に散策すると更に興味深いことが窺えるのでしょう。
法華経寺 子院 法華経寺 子院
寺院群を抜けるとちょっとした門前風情が垣間見られます。
参道
そして見えたきた赤い小さな橋を渡るといよいよ境内となるのですが、この小さな赤い橋にも名前があって「龍渕橋」というのです。
龍渕橋 龍渕橋
そしてちょっと変わっているのは欄干の擬宝珠のところに“ざくろ”が取り付けられているのです。
“ざくろ”は鬼子母神のシンボルで、人肉を食べられなくなった鬼子母神が人肉の味のする(!?)ザクロを食べて我慢したとか、ビッシリと種が詰まっていることから、子宝→多産→繁栄を象徴すると言う由来は以前知ったところです。

龍渕橋を渡ったところに「法華経寺」の縁起・略歴があります。
法華経寺
当時は日蓮宗が迫害を受けていたため、同僚の富木常忍とともに日蓮を受け入れたのがそもそものはじまりだそうです。そして日常(富木常忍)が亡くなると、その遺言により日高(太田乗明)が本妙寺に留まったまま法華寺の貫主に就任し、以来両寺院の貫主は同一人物が務めるという規則が成立したことから、後に中山法華経寺の発展につながって行ったようです。
いずれにしても鎌倉時代からの名刹と言えるでしょうが、江戸時代においてもこの案内板にあるように「江戸名所図会」にも挿絵が描かれています。
江戸名所図会 法華経寺
これで見る限り江戸時代からはそれほど大きく変わっていないような気がします。
江戸名所図会 法華経寺 参道
参道もやはり京成線・京成中山駅あたりからと言えそうです。
ここからは江戸名所図会での江戸時代目線で散策してみます。

正中山本妙法華経寺 
船橋街道の左側にあり(この地を中山村といふ)。
 日蓮大士最初転法輪の道場にして、一本寺なり。開山は日常上人、中興は日祐尊師たり(『鎌倉大草紙』にいふ、千葉介貞胤、父の宗胤三井寺にて討ち死にせし後、北国落ちまでは宮方にて、新田義貞の御供たりしかども、こころならず尊氏の味方になりぬ。
弟胤貞は宮方にて千葉にありけるが、この人の子日祐上人は法花の学匠にて、下総国中山の法花経寺の中興開山なり。これによりて、胤貞より中山の七堂建立ありて五重の塔婆をも建てらる。その後、胤貞上洛して吉野へ参り、西征将軍の宮の御下向のとき、御供して九州へ下り、大隅守に補任し、肥前国をも知行しけり。日祐上人も九州に下向し、肥前国松王山を建立して、総州の中山を引き、末代までこのところを中山と南山一寺と号す」とあり)。
(江戸名所図会より)

祖師堂

■祖師堂 日蓮上人の像を安ず(日法師の作なりといふ)。額「祖師堂」、太虚庵光悦の筆。

境内の中央の重厚感のある建物が「祖師堂」です。
祖師堂 祖師堂 祖師堂
法華経寺の中心となる堂宇で、300年以上の歴史を誇る大堂は江戸時代から当寺のシンボルといるのでしょう。
江戸名所図会でも同じ位置に鎮座しています。
祖師堂
更に図会では、祖師堂の前、或いは左前に手水舎のようなものが描かれています。
特に名称が記載されていないので確かかどうかはわかりませんが、現在ある「星の井」だったのかも知れません。
星の井
「星の井」は日蓮上人が自ら使用した井戸といわれ、この水で菩薩の石像を洗って病気平癒を願うのだそうです。

祈蒔堂

■祈祷堂(同所、後ろの方にあり)。額「祈祷堂」、筆者知れず。

江戸名所図会では、祖師堂の後ろには4つの堂宇が描かれています。
境内4宇
しかしながら現在は3つの堂宇が残されていて、この祈祷堂だけはなくなっています。
その右手にある「宇賀神社」は現在のものと同じ堂宇なのでしょうか。
宇賀神社

法華堂

■法華堂(同じ左にならぶ)。大士手刻の一等四菩薩の像を安置す。
このところは太田乗明の宅地なり。乗明、日常上人の教へを受け、みづからの宅地を転じて仏字とし、正中山本妙寺と号す。すなはちこの堂は、その頃営建するところのままにして、世俗いふ、飛騨匠が作るところなりと。当時、宗祖大士、最初転法華説法の道場なり)。
額「光明法花経寺」、光悦の筆(堂内外陣の家帯に掲く。この堂の軒に、宗祖大士より常忍へ贈らるるところの消息の写しを、板に書きて掲く。その文に云く、銭四貫をもちて一円浮提第一法華堂造りたりと、霊山浄土に御まゐり候はんときは申しあげさせ候へかし、恐々。
十月二十二日  日蓮判
 進上 富城入道殿御返事
真書は宝庫に収む。世に「銭四貫をもて造る」といひ伝ふるものこれなり)。

祖師堂などに比べると余計な彫刻などが無く、極シンプルながら凛とした空気を感じさせる佇まいです。
法華堂 法華堂
これが歴史の重みなのかもしれません。
現在から遡ると祖師堂は300年前、法華堂は750年前ということで、どちらも歴史の長さを感じることが出来るのですが、江戸名所図会が発行された当時としては、祖師堂は130年前、法華堂は570年前ということで、祖師堂は比較的新しい建造物と捉えられていたのではないかと考えます。そこが祖師堂との説明内容の違いに現れているのでしょう。
更にその扁額がこちらです。
法華堂 扁額
つまり当時としても、この法華堂は歴史的、宗教的、文化的に見るべきものがあったということになるわけです。

この法華堂の前には同じく文化財の「四足門」があります。
四足門 四足門
説明にもある通り「四足門」自体は700年以上の歴史を持っているのですが、移築されたことから江戸名所図会の頃には無かったと考えるのが妥当でしょう。

鬼子母神堂

■鬼子母神堂(同じ左に並ぶ。この鬼子母神堂は、鎌倉の其の堂なりしを移せりといふ。本尊鬼子母神の像は宗祖大士の作にして、往古大士、常忍建立の法華堂に在せし頃、一尊四善薩の像とともに彫刻ありしとなり。毎月十七日の夜、近在より通俗参寵す)。

法華堂の左手が「鬼子母神堂」となっていますが、現在は「刹堂」になっています。
刹堂
そしてオフィシャルサイトでは『十羅刹女・鬼子母尊神・大黒様を安置し、罪障消滅の霊場として、参詣者が終日、太鼓の音を響かせている。甲子の日は特別祈祷が厳修される。』という説明がされています。
十羅刹女とは仏法や仏教徒を守る神々である諸天善神のことを言うそうで、10人の女性の鬼神のことなのだそうです。そして鬼子母神もまた、この諸天善神の一神だそうですが、この堂宇では十羅刹女を主神としていることから「刹堂」と呼んでいるものと思われます。

経蔵・竜淵橋

■経蔵(祖師堂の前、左の方にあり)。
■竜淵橋(堂前の流れに架せり)。

図会では確かに「経蔵」ですが、現在同じ位置にあるのは「妙見堂」で、千葉家伝来の北辰妙見尊星を守護神として祀られているのだそうです。
経蔵・竜淵橋 妙見堂
竜淵橋は先に見た赤い橋で、当然当時のものではありませんが、同じ位置に架けられていることは間違いないようです。
この「龍渕橋」の下の川の川上は「龍王池」として“八大龍王”が祀られている堂があります。
八大龍王 八大龍王
当時の龍王池もまた現在とそれほど変わりはないようです。
八大龍王
八大龍王神とは文字通り竜族の八王だそうで、仏法を守っている神です。
池には多くの蓮の花が奉納されていて、神秘的な雰囲気を漂わせてます。
龍王池
ロータスのイメージは“極楽浄土”というイメージがあるので、こうした寺院にはうってつけの華です。

常唱堂・泣き銀杏樹

■常唱堂(寮舎にならぶ。つねに唱題怠ることなし)。
■泣き銀杏樹(常唱堂の後ろに存す。真間弘法寺の開山日頂上人は、日常上人の子なり。久しく父の勘気を受けて、恩顔を拝することあたはず。ゆゑにこの樹の下に幾回も来りつつ、哭きては帰られたりしゆゑに、この号ありといひ伝へたり)。

記述にある左手の寮舎とともに常唱堂は現在無いようで、現在はここに「絵馬堂」が建てられています。
常唱堂・泣き銀杏樹 絵馬堂 絵馬堂
この絵馬堂の前に台湾の「蒋介石元総統の像」があるのですが、法華経寺との関わりは不祥なのだそうです。
蒋介石元総統の像
その右手は道路で分断されています。
オケラ街道
この道路、通称「オケラ街道」というそうで、中山競馬でポケットマネーを使い果たした人達が帰途に付く道だからのようです。
その「オケラ街道」の反対側に大きなイチョウの木が残されています。これが「泣き銀杏樹」です。
泣き銀杏樹
図会にも記載されているように、弘安5年、日蓮上人が入寂し法華宗門徒が危機に瀕している際に真間弘法寺の開山日頂上人は日夜奔走したため、法華経寺での日蓮の三回忌に遅刻したのです。厳格なる父である日常上人はこれを咎めて勘当したのです。
日頂上人はこの樹の下にたたずみ一週間泣き通して許しをを乞ったのですが、ついに許しを得ることはでき無かったそうです。このことからこの樹を「泣き銀杏」と呼ぶようになったのだそうです。
「泣き銀杏」の北には「浄光院」があり、現在は幼稚園を兼ねているのですが、ここには「水鏡の御影」という日蓮上人の自画像があるとのことです。
浄光院
そしてその自画像を描いた湧き水の池跡があるそうです。

五重の塔

■五層の塔(同じ左にあり。釈迦多宝ならびに当寺十八世日慈の像を安ず。当寺祖師堂創建の師なり)。

この五重の塔もまた祖師堂同様法華経寺のシンボルとして、少なくとも江戸時代から同じ場所、同じ建造物が建っているのです。
五重塔 五重塔 五重塔
特に前田家縁の建造物としても貴重なものといえそうです。
この五重の塔の左手には国家で有名な「さざれ石」があります。
さざれ石
現在では赤坂の日枝神社を初めとして結構多くの神社で見ることができますので、すっかりおなじみといったところです。
その左手には「大仏」があります。
大仏
特に説明は無いのですが、江戸名所図会にもそのような大仏が描かれているので、場所も同じようなところであることから同一のものと考えられます。

三十番神の社

■三十番神の社(同じ後ろの方、小高きところにあり。当山の護法神にして、毎歳十一月八日火焚き祭りを修行す)。

現在「三十番神の社」はありません。
三十番神の社
三十番神とは神仏習合の信仰で、毎日交替で国家や国民を守る30柱の神々のことをいうのです。例えば熱田大明神=大日如来、諏訪大明神=普賢菩薩という具合です。したがって明治維新の神仏分離のために配祠を禁じられたため現在はなくなっているようです。
現在では代わりに小高いところには「鐘楼堂」が置かれています。
鐘楼堂

宝庫

■宝庫(方丈書院の奥の方にあり。宗祖大士の彫像、その外仏経の類を蔵む)。

現在の地は、本院・大客殿として相当立派な建造物になっています。
宝庫 本院・大客殿
この本殿の奥に「鬼子母神」が祀られているとのことなので参拝に上がります。
奥に進んだ突き当りが「鬼子母神堂」となっていますが、この辺りがかつての宝庫だったのではないでしょうか。
本院・大客殿 鬼子母神堂
本尊は更に先で通常なら拝観できるのですが、ちょうどこの日は法事が営まれていたため、ここからの参拝となりました。
鬼子母神堂
では現在の「宝庫」はというと境内の北方向に、ある「宝殿門」を潜った先の「聖経殿」に国宝の「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」「立正安国論」及び、重要文化財61巻他百数十点の日蓮聖人真筆が保存されているそうです。
宝殿門 聖経殿
なお、「宝殿門」から「聖経殿」にいく途中には「御遠忌報恩塔」が三基建立されています。
御遠忌報恩塔
左から600回忌(1881年)、550回忌(1831年)、500回忌(1781年)だそうで、名所図会では同地に1基だけ描かれていることから、年代的に500回忌のものだと考えられます。
御遠忌報恩塔

支院三十六宇

■支院三十六宇(いま破廃せしものありて、.わづかに十六宇存せり)。

オフィシャルサイトの境内図を見ると、妙円寺、智泉院、池本寺、陽雲院、蓮行院、清水寺、浄鏡寺、本光寺、本妙寺、遠寿院、安世院、高見寺、本行院、浄光院、法宣院、日英寺という16寺が描かれています。
境内図
江戸時代からは変わっていないということになるのでしょうか。

仁王門額

■二王門額「正中山」、日等上人筆(あるいはいふ、光悦の筆なりと)。

現在では光悦の筆であるといわれているようです。
仁王門額
この光悦とは、本阿弥光悦のことで江戸時代初期の書家・陶芸家・芸術家の当時のマルチアーティストだったようです。
代表作には“楽焼片身替茶碗 銘「不二山」”、“舟橋蒔絵硯箱”の国宝や、“本法寺庭園「巴の庭」”の名勝などがあり、更にその書は寛永の三筆と称されていたそうです。

中興開山日祐上人の墓

■中興開山日祐上人の墓(総門より内、左の方小路を入りて二丁ばかり西の方、山の中にあり。当山第二世日高上人の墓もまた、このところにあり)。

境内の南西にある前方後円墳のような形をした台地、祐師山の後円部に、大田乗明とその子日高上人の墓があり、前方部に向かうくびれた部分が日祐上人の廟所になっているそうです。
中興開山日祐上人の墓
祐師山の名前は日祐の廟所が置かれたところから付けられたものです。

奥の院・日常上人石塔

■奥の院(方丈の構への外、右の方の小路を入りて三丁ばかり東北の方にあり。文応元年宗祖大士この境にあそばるる頃、富木常忍宅地に一宇をいとなみ、法花堂と号け、大士をしてここにをらしむ。よつて百日の間説法あり。すなはち宗門最初転法輪の道場、妙蓮山法花経寺の旧跡なり。『日蓮上人伝』に、「屋形の後ろにまはり百間ばかりの堤を築き、そのうちにすこし高く土をかさね、堂をしつらひ、聖人の御まうけにぞ立てられける」とあるも、これをいへり。往古、大土手刻の一尊四菩薩の霊像も、この地に安置ありしとなり。当寺第十二世の住侶日恍上人、この地を封じて法華一万部の経塚を築き、古へより宝蔵に安置せし日法上人の作の宗祖大士の影像をうつしたてまつるといへり)。
■開山日常上人石塔(同所、道を隔てて左の方にあり。石塔の上に草堂をいとなみ、傍らに庵室を設けて、僧を置きこれを守らしむ。日常上人を常忍修院と号す。因幡国富城の産にして、承久二年庚辰をもつて生まる(本化伝に、「富木五郎入道」とあり)。長じて播磨守常忍と名づく。後、下総国中山邑に移住し鎌倉に仕ふ。土民称して富木殿といふ。日蓮大士の法化をたふとみ、大士の滅後、つひに薙染して日常と改む。正安元年三月二十日、八十歳にして化すといへり)。

この現在の奥の院である法華寺かた当時の法華経寺、そして現在へとつながってきた由緒ある場所といえるのでしょう。
奥の院・日常上人石塔 奥の院
江戸名所図会より更に立派な堂宇などが建立されているようです。
奥の院 奥の院 開山日常上人石塔

このようにまさに江戸時代が現代にタイムスリップしてきたような法華経寺ですが、本来なら現在の千葉県市川市は当時でも下総国ですから、江戸名所図会に掲載するというのも微妙なところです。
しかし、千葉県は市川市の先の船橋市、神奈川県は横浜市、そして埼玉県ではさいたま市、所沢市辺りまでが記載されていますので、現在の首都圏にあたる、江戸時代の江戸圏とでも言うべき範囲といえるのでしょう。

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コメント

  1. keny72 | -

    法華経寺

    こんばんは。
    1か月程前、仕事のアポの合間をぬってささっと行ってみたのですが、予想以上に見所が多かったので、写真撮るのを辞めて、下見ということにしましたwww
    薄荷脳70さんのレポを拝見して、やはり僕はだいぶ見落としていたことに気付きましたwww
    ちゃんと時間が取れる時にのんびりと再訪してみたいです^^
    山門の前にあった周辺案内図を見たのですが、この周辺は見所が多いですね。
    合わせて、周辺散策も楽しそうです(^^

    ( 22:52 )

  2. keny72さん、ありがとうございます。

    確かにおっしゃるとおり見所ありすぎです。
    他の鬼子母神が、特に入谷の鬼子母神はそれほど大きな規模ではなかったので、あまりの違いにビックリしました。
    他にも見所は多いのでじっくり見られるとより楽しいでしょうね^^

    ( 05:56 )

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