やぶさめ祭#2

やぶさめ交流展のブースを半分見たところで、一旦休憩です。
ここで先のシンポジウム開催趣旨に記述された「流派流鏑馬」についてちょっと調べてみます。記述にもあたっとおり流派流鏑馬の2大流派として、「小笠原流」と「武田流」があるのですが、小笠原流は勿論弓術・馬術の流派ですが、兵法、煎茶道、茶道にも小笠原流があり、現在では礼儀作法の小笠原流といったほうが知名度が高いかもしれません。弓・馬術の現在の宗家は31世だそうです。
一方の武田流は弓術・馬術の流派で、現在は起源を同じくする3団体、武田流騎射流鏑馬保存会:熊本市、社団法人大日本弓馬会:鎌倉市、日本古式弓馬術協会:鎌倉市が存在し、それぞれ武田流を名乗り活動しているそうです。
正式な起源は不詳ですが、小笠原流が室町時代、武田流が安土桃山時代に確立されたと言われているようです。
こちらの場合は、ヒト・モノ・カネで余り悩むことは無いのかもしれません。

やぶさめ交流展:2

引き続き交流展を見学します。

◆埼玉県ときがわ町・小川町「萩日吉神社の流鏑馬」(埼玉県指定無形民俗文化財)

『埼玉県ときがわ町の萩日吉神社では、3年に一度、1月第3日曜日に流鏑馬を行っています。当社の流鏑馬はときがわ町の旧明覚郷と小川町の旧大河郷が現在の町域を越えて行っている貴重な流鏑馬です。伝承によれば、源義賢・木曽義仲父子の家臣七苗が現在のときがわ町西平の坂本家を頼って落ち延びてきたため、坂本家は七苗を明覚郷と大河郷に分かれて住むよう忠告し、その際、義仲を祀った山王社(萩日吉神社)に流鏑馬を奉納することを約したといいます。七苗とは、明覚郷の馬場・市川・荻窪氏、大河郷の横川・小林・加藤・伊藤氏をさしています。当社の流鏑馬はこの2郷から馬が出され、朝的と夕的の流鏑馬を行います。
流鏑馬は「角当て」といわれ、1回目の疾走は一の的、2回目は二の的、3回目は三の的に矢を放ちます。4回目は射手が両手を広げて前後に振ったり、扇を広げて振る所作を披露します。最後は走りながらムチを投げるノッパライを行い、夕的が終わります。』(「サミット総合案内解説書」より)

萩日吉神社の流鏑馬の射手は、緋色の襦袢に陣羽織を羽織り袴をはきます。頭には「烏口」とか「つばくろ口」と呼ばれるものをかぶるようで、この襦袢と陣羽織といういでたちは江戸時代から続いているものなのです。
埼玉県ときがわ町・小川町「萩日吉神社の流鏑馬」ブース その襦袢と陣羽織が展示されていますが、見るからに煌びやかな衣装です。

埼玉県ときがわ町・小川町「萩日吉神社の流鏑馬」 3年に一度の開催が来年2011年の1月に開催されるので、これは何をおいても見に行かなければ、また3年間見ることができませんからね。
《写真:(C)「サミット総合案内解説書」より》

今からが楽しみです。

◆山梨県富士吉田市「小室浅間神社の流鏑馬」(富士吉田市指定無形民俗文化財)

『山梨県富士吉田市の小室浅間神社では、毎年9月19日に流鏑馬が行われます。当社の流鏑馬は、武芸ではなく神事としての意味合いが強く、春の播種期に里に降りた祭神が、翌春までの間に争いや火事がないよう秋祭りで流鏑馬を奉納するといわれています。
流鏑馬を行う役馬は1月15日に御籤で決められます。かつて、流鏑馬は一家一門の名誉であり、氏子たちは一生に一度でもと切望して御籤に臨みました。
役馬には朝馬と夕馬があり、当日の御籤で決められます。また、当社の流鏑馬は馬の足跡で馬蹄占いを行うことが大きな特徴です。占いは占人と呼ばれる家に限られています。役馬が走り終わるたびに馬蹄を見て占い、その後、どの地区が火難が多いかを紙に書いて宮司に渡します。宮司は各地域のお日待ち(集会)に出向き、占いの結果を氏子に伝えていきます。』(「サミット総合案内解説書」より)

山梨県富士吉田市「小室浅間神社の流鏑馬」ブース 展示されている紅白の狩衣は、白色は朝馬、赤色は夕馬のときにそれぞれ着用するのだそうです。

山梨県富士吉田市「小室浅間神社の流鏑馬」 このように武士の格好で流鏑馬が行われるのですが、重要なのは馬蹄占いの方で、これは先の千葉県鴨川市「吉保八幡神社の流鏑馬」に通じるところがありますね。
《写真:(C)「サミット総合案内解説書」より》

◆福島県古殿町「古殿八幡神社の流鏑馬」(福島県指定無形民俗文化財)

『福島県古殿町の古殿八幡神社では、10月第2土・日曜日に流鏑馬を行っています。当社の流鏑馬は、笠懸と流鏑馬の両方を行うことが特徴です。当社は建久5年(1194)、源頼朝から領主竹貫氏に所領が下賜されたため、記念に流鏑馬と笠懸を行ったといわれ、領主竹貫氏の末裔が神官を務めています。
前日の宵祭りよりお篭りをしてきた射手(=役者)達が、午前0時に大平川に入り、水垢離を行い身を清めます。祭礼ではまず獅子舞が奉納され、続いて笠懸が行われます。笠懸は神職家屋上の千木をめがけて鏑矢が放たれます。その後、流鏑馬では役者の乗った馬が約300mある馬場を疾走し、3つの的めがけ「ヨイヤサ」の掛け声とともに騎射を行います。この掛声から別名「ヨイヤサ祭り」とも呼ばれています。的は地区ごとに持ち帰って割り、魔除けとして区長が各戸に配布しています。』(「サミット総合案内解説書」より)

展示されている衣装はまさに勇壮な流鏑馬を感じさせるものです。
福島県古殿町「古殿八幡神社の流鏑馬」ブース 古殿八幡神社の流鏑馬は成人が行うもので、衣装も狩衣に射籠手、頭には綾藺笠をかぶり、腰には鹿皮の行縢という流派流鏑馬のような本格的ないでたちです。

ちょうどここで、先の歴史民俗資料館の方とお会いし少しお話をうかがいました。
福島県古殿町「古殿八幡神社の流鏑馬」 資料館の方いわく、一番流鏑馬らしい流鏑馬がこの古殿八幡神社の流鏑馬だと言われていました。
やはり流派流鏑馬的なところがそのように見えるのでしょう。
《写真:(C)「サミット総合案内解説書」より》

また、福島県いわき市の平の飯野八幡の流鏑馬と小名浜の住吉八幡神社の流鏑馬は有名とのことと教えていただきました。確かに飯野八幡神社と住吉八幡神社に訪れたとき、流鏑馬行事のことが書かれていました。どれも実際に見たことはありませんが、機会があれば見たいものですね。
改めて資料館の方にお礼を言って次のブースに向います。

◆栃木県小山市「篠塚稲荷神社の流鏑馬」(小山市指定無形民俗文化財)

『栃木県小山市の篠塚稲荷神社では、毎年3月第2日曜日の初午祭で流鏑馬を行っています。無病息災と馬などの家畜全般の健康と安全を祈願していました。当社の流鏑馬は飾り馬の祭りに付随しているもので、馬を飾る祭りは、東北や中部、九州地方などでも見られますが、流鏑馬が伴う祭りは珍しく、栃木県内の数ヶ所で行われています。飾る馬の背には、現在では子供が生まれた家から奉納された子供布団が積まれ飾られます。神馬である飾り馬に乗せた布団は、子供が健康に育つといわれ、奉納者が後を絶ちません。
飾り馬が地区内を巡行した後、馬の飾りを解き、騎手が馬に乗り、本殿を3回まわってから流鏑馬が始まります。
昔は娘の嫁入りを控えた家が馬を奉納しました。神馬を出すことは名誉なことでしたが、一度神馬となった馬は以降、農耕には使わず手放してしまったといわれています。』(「サミット総合案内解説書」より)

栃木県小山市「篠塚稲荷神社の流鏑馬」ブース 展示されている衣装は、射手の陣羽織ですが、襟に華やかなひだが付いているのが特徴だそうです。
そして手前にある布団が飾り馬に乗せる布団です。

栃木県小山市「篠塚稲荷神社の流鏑馬」 実に華やかな流鏑馬で、このように飾ることが神馬を敬うことに繋がっているといわれているそうです。
《写真:(C)「サミット総合案内解説書」より》

最後に今回の主催者である毛呂山町のブースです。

◆埼玉県毛呂山町「出雲伊波比神社の流鏑馬」(埼玉県指定無形民俗文化財)

『埼玉県毛呂山町の出雲伊波比神社では、毎年、11月3日と3月第2日曜日に流鏑馬を行っています。当社の流鏑馬は、伝承によれば、奥州征伐に赴いた源頼義・義家父子が当社で戦勝祈願をし、凱旋の康平6年(1063)に、再び当社に立ち寄り御礼に流鏑馬を奉納したのが始まりといわれています。流鏑馬を行う祭礼区は旧毛呂郷(旧毛呂村)の各地区で、輪番制のもと11月3日には一の馬、二の馬、三の馬と3頭の馬と乗り子を出しています。また、10から15歳前後の男児が乗り子となり、疾駆する馬上から矢を射ることが特徴です。さらに春の流鏑馬は7歳前後の男児が乗り、願的のみを1回行います。秋の流鏑馬では、乗り子は1週間ほど前から馬の稽古をはじめ、稽古じまい以降は神社や宿に泊まってお篭りをします。当日9時、朝的が行われ、午後、夕的が始まります。まず願的が1本打たれ、その後流鏑馬が行われます。扇子やノロシといった馬上芸も繰り広げられ、夕的は暗くなるまで続けられます。』(「サミット総合案内解説書」より)

埼玉県毛呂山町「出雲伊波比神社の流鏑馬」ブース 展示されている衣装と扇子は馬上芸の際のいでたちのようです。

流鏑馬の馬はかつては地元で調達していたそうですが、現在は毎年10月25日前後に日高市の牧場から借り入れ、馬の稽古を始め、今回は10月31日が稽古じまいだったそうです。今回の射手は地元の中学生が選ばれていて、この1週間である程度騎乗と弓や馬上芸をマスターするのですからたいしたものです。
因みに日高市は埼玉県の市で、【巾着田の曼珠沙華】で訪れた日高市にあった牧場がその牧場なのでしょうかね。

今回のやぶさめ交流展は各ブースともに熱の入った説明がされていました。
このような機会がないと、なかなか経験できませんから、実に貴重な時間を過ごすことができたといえるでしょう。
最後に、「サミット総合案内解説書」に、このサミットに参加できなかった各地の流鏑馬がいくつか案内されています。

◆神奈川県山北町「室生神社の流鏑馬」(神奈川県無形民俗文化財)
◆滋賀県高島市新旭町「大荒比古神社の流鏑馬」
◆滋賀県高島市安曇川町「田中神社の流鏑馬」
◆滋賀県高島市新旭町「今市の竹馬祭・辻沢の竹馬祭」(高島市指定文化財)
◆滋賀県高島市今津市「川上祭の流鏑馬」
◆滋賀県竜王町「苗村神社節句祭の流鏑馬」
◆滋賀県近江八幡市「安吉神社の流鏑馬」
◆滋賀県甲賀市「隠岐の椿神社の流鏑馬」(甲賀市無形民俗文化財)
◆京都府南丹市「摩気神社の流鏑馬」
◆京都府南丹市「幡日佐神社の流鏑馬」
◆京都府南丹市「胡麻日吉神社の流鏑馬」(南丹市無形民俗文化財)

これらの流鏑馬の多くは古式にのっとり、厳格な伝承で行われている流鏑馬です。完全な流派流鏑馬ではありませんが、神事というよりは武芸に近いのかもしれません。
特に滋賀県竜王町「苗村神社節句祭の流鏑馬」の竜王町は、もと近江の国、蒲生郡河森・川守城の城主であった吉田氏が近江源氏・六角佐々木氏に仕え、代々弓馬の武功に名高い一族で、その11代目の吉田出雲守重賢が「日置吉田流」を編みだし、近代弓道の礎を築いたといわれている流派のあるところですので、このような関連から滋賀県に流鏑馬が多いのかもしれません。

菊花展 やぶさめ交流展を見終えて、館を出ると、会館の駐車場では菊花展が開かれていました。

ちょっと華やかな菊を見ながら、そろそろ出雲伊波比神社に向います。

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