歴史を尋ねる散策記。歴史の必然、偶然を楽しんでいます!!!!
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最初に訪れたのは順番どおりの「上町氷川神社」です。
この「上町氷川神社」には“福禄寿”が祀られています。
福禄寿は中国の道教を起源とする神で、人生の三大目的とする福(幸福)、禄(身分)、寿(寿命)のすべてを兼ね備えた神です。中国の伝説で人の寿命を司る星である“南極星”の化身で南極老人ともいわれているそうです。
人生の多くの部分を持っているのですから、ここ1ヶ所だけでもOKといえないことも無いのですが、まあ、やはりラッキー7ですから7ヶ所廻りましょう。
ここでまず色紙を¥1,000で購入するともれなく福禄寿のスタンプが押されていて合計¥1,100を支払ってスタートです。
そう、スタンプ1個につき¥100となっているのです。つまり7ヶ所廻ると¥1,700を支払うこととなるのです。
「上町氷川神社」から門前の道である“与野本町通り”を南下しますが、この与野本町通りこそかつての鎌倉街道だったのだそうです。
本町通りの左手に目指す一山神社がありますが、かなり間口の狭い神社です。
ここには“恵比須”が祀られています。
恵比須は七福神の中で唯一の日本の神で、様々な説があるのですが、一般的には伊弉諾尊と伊弉冉尊の夫婦神の三男・夷三郎といわれているのが一般的だそうで、天照大神と兄妹の関係なのです。
鯛と釣竿をもった姿は「釣りして網せず」という意味合いから、暴利を貪らず清廉の心を象徴しているといわれ、商売繁盛の神として信仰を集めているのです。
細長い参道を先に進むと右手にお守りの授与所、正面に明治36(1903)年に建立された石造りの鳥居、そして左手に社務所がありますが、この時期だけでしょうか授与所と七福神スタンプ処となっています。
ここで2つ目のスタンプをいただきます。
ここからは鳥居をくぐって社殿に参詣しますが、鳥居をくぐった右側に大きなイチョウの木がありご神木と記載されています。
昨今でいうところのパワースポットということでしょうか。
そして正面に鎮座しているのが社殿で、重厚さを漂わせた拝殿です。
ここで参拝を済ませますが「一山神社」の由来を確認しておきます。
「一山神社」の“一山”とは一山(イッサン)行者、つまり一山という修験僧のことを言うのです。
もともと神奈川県津久井村の出身である治兵衛というものが、与野の井原家に婿入りしたのですが、自分より下の境遇のものを助けようという“下化衆生”を叶えようと井原家を離れてこの地の円乗院の僧となったのです。円乗院はこのあと訪れる寺院です。
そして仏門修業の後諸国を行脚し、木曾の御嶽に入り修行を続けたのです。
のちに一山は山を降り江戸に向かうのです。そして武州荏原郡嶺村(現在の大田区北嶺町)にて庵を結んだのです。付近の人々は一山を偉い行者と崇め信者も増えたことから、天保2(1831)年社殿を新築し布教を続けましたが、嘉永4(1851)年にな亡くなりました。
そして一山行者が亡くなった後、木曾御嶽講の方々が協力してこの八幡社の地に設立し、生前一山が崇敬した御嶽山神を勧請し行者名及び講社名を取り一山神社と名付けたのだそうです。
勧請した御嶽神社が現在の大田区にあり、その境内には摂社として一山神社が建立されているのです。
この一山神社では冬至の日に「冬至祭」という神事が行われるそうです。
拝殿での祭典後、境内でユズや供物を供え、神火をつけ火焚神事が行われるのです。要するに行者が人形の入った木箱を担ぎ火中を渡るという、いわゆる火渡りの神事なのです。
《案内板より(C)さいたま市》
現在、民俗文化財になっているそうですが、このような神事の伝統も一山行者の縁によるものなのかもしれません。
そしてこちらの境内社がもともと鎮座していた八幡社のようです。
最後にこちらの方に「恵比須像はどこにあるのでしょうか」を尋ねたところ、こちらには無いのだそうです。
勝手な推測ながら、この一山神社の祭神が少彦名命=恵比須神という解釈から、祭神として開帳できないというのは穿った考えでしょうかね。
まあ、尊像が無ければならないというわけでもないので、この看板で代用しておきましょう。
それにしても由来や伝統に興味を引かれる神社でした。
さてここでお楽しみタイムです。
日本全国七福神巡りは数多くあるのですが、七福神の皆様方がパレードするのは珍しいイベントかもしれません。
このパレードは、七福神に扮したスタッフの方が、先の順路の通りに歩いて廻るのです。
スタートは上町氷川神社で、この一山神社は2番目となります。
お囃子の乗ったトラックが先頭で現れ、それに続いてプラカードを持ったスタッフ達に導かれて七福神が続きます。
スタッフの方は緑色のベレー帽を被っていますが、まさか“グリーンベレー”ってことは180%ありませんね。
そして七福神が続きます。
まずは一山神社の恵比須神が先頭です。
それに寿老神、布袋尊、毘沙門天が続きますが、寿老神の衣装替えでしょうか見られない光景を見させていただいています。
更に弁財天、福禄寿と続いてパレードは一山神社の参道を進みます。
って、大黒天が抜けていますが、結構混雑している中で写真を撮り忘れたようです。また次ぎのチャンスで撮っておきましょう。
参道を進んで社殿で祝詞を挙げ終ると、境内の一画に横一列に並びます。
ここでは七福神から「ご宝銭」をいただけるようです。
かなり狭い境内で参拝客でごった返していましたが、皆さん順序良く頂いていました。
当然ながら中には5円玉とこんな印刷がされていました。
「七難即滅 七福即生」とご利益のありそうなご宝銭です。
こうしてご宝銭の授与が終わると七福神は次ぎの場所である「天祖神社」に向うのです。
帰り際に先ほど写真の撮れなかった大黒天を写す事ができました。
これで抜け落ちは無いはずです。
一山神社をでて再びお囃子を先頭にパレードが始まります。
ここで注目すべきはトラックの停まっていた旧家です。
建物と道路との間に広いスペースがあるのが見て取れますが、これは単なる駐車場という意味ではなく“前庭”と呼ばれるスペースで、この前庭で作物を売買する“市”が行われたスペースなのです。
つまりこの本町通りが古の鎌倉街道の名残として町の中心であり、かつこの家が江戸時代辺りから名家であったことを表している貴重な建造物なのです。
この周辺は本来なら当時の市の中心街だったのですが、残念なことに鉄道が敷設される際に反対し、現在の東北・高崎線がかなり東に敷かれた事から与野市の中心となりえなくなってしまったのです。
その後、埼京線が近くに敷設されたことから再び活気を帯びてきたと考えても良さそうですね。
もう一度七福神の方々を見送ってこの場を離れます。
最後にもう一度オール七福神のパレードです。
参詣順に前半の福禄寿、恵比須神、弁財天
そして後半の毘沙門天、布袋尊、寿老神、大黒天の各神様達でした。
なかなか新年に相応しい楽しいパレードでした。
次なる七福神は「天祖神社」なので、パレードと一緒に行くのも良いのですが時間的な問題もあり、ここは機動力を活かして一気に最後の目的地である弘法尊院に向います。
駐車場にある看板には“二度栗山”という面白おかしな名称がついています。
この“二度栗山”とは、昔この近くをお腹を空かせた弘法大師が通りかかったときに子供から栗の実をもらいその善行を喜び、一年にニ度栗の実を結ばせたと伝えられる伝説の地であったことから名付けられた地名なのです。
駐車場から石段を上ると境内となるのですが、すぐ目の前に弁財天の石像が祀られています。
弁財天は七福神紅一点のインドが起源の水を司る女神で、弁舌や音楽の神として崇められ、日本では学芸全般、そして財宝の神として親しまれているのです。
弁財天の右隣には「四国八十八カ所霊場巡り」があリます。
この巡礼塔の周りを「南無大師遍照金剛」を唱えながら、一週ごとに鐘をつき4周すると、1周:阿波の国(徳島県)、2周:土佐の国(高知県)、3周:伊予の国(愛媛県)、4周:讃岐の国(香川県)を巡ったことになるという、とってもコンビニエンスな順礼なのです。
更にその右隣には民俗文化財である「五百羅漢像」の説明があります。
《案内板より(C)さいたま市》
それによると弘法尊院は、明治36(1903)年、「北足立八十八箇所弘法大師霊場」の三番として創建されたそうで、本堂には大正時代に造られた513体ある五百羅漢像が祀られているのです。
当然当時の人達の奉納ですから、たいへん信仰が篤かったかが伺えますね。
そして本堂はと探すのですが、本堂らしきものはなく社務所のような建物があるだけでした。しかしながらここに賽銭箱が設置されていることからここが本堂のようです。
そこで本堂に行ってスタンプを頂くことにしたところ、こんな貼り紙が貼られていました。
ということで、どんな理由があるのかは判りませんが、とにかく次に行かなければならないということになったのです。
因みに後に調べたところ本堂は老朽化での建て直しのために、現在墓地を分譲して資金を集めているところだそうで、この本堂は仮本堂だったそうです。
そして本来あるはずの五百羅漢像も現在、川口市の善光寺に預けられており、毎月21日の護摩祈祷の際には善光寺住職が出張して来るのだそうです。
川口市の善光寺は、【幻の東京赤煉瓦駅】での機関車“善光寺号”が運ばれた、あの善光寺なのです。
川口市の善光寺とこの弘法尊院がどのような関係にあるのかは判りませんでしたが、不思議な縁を感じます。
(つづく)
北嶺町、御嶽山など、私の家から比較的近いところにあります。
今度、近くを通ったら、少し足を止めてみたいと思います。
七福神パレード、面白いですね~。
いかに七福神が地域の住民に崇められ親しまれているのかが伝わってきます。
bg | 3ZQ.D9ic
こういうのってコンプリートしたくなりますよね。
円乗院は旧街道のところで凄く大きな入口があったの印象にあります。
2年ほど南与野に住んでいたのなんとなくわかります。
川越七福や越生七福など行ってみたいなと思っているんですが
まだいけていません。暖かくなったら走ってめぐろうかと思います。
蓮田にも久伊豆神社7社めぐりがあります。一度走ってまわりましたが
21kmありました。自分は走りなので1時間40分ぐらいでしたが徒歩だと3時間
コースですね
マヤリモ さん、ありがとうございます。
お近くなんですか、機会があれば是非行ってみてください^^
パレードは町興し的に実施されているのでしょうね。とてもよく考えられたイベントだと思いました。
bgさん、ありがとうございます。
最近はすっかり七福神めぐりにはまっています。確かに楽しみが結構ありますから。
それにしても七福神巡りを走って廻るというのも、できる方には一興ですね、確かに^^
今回位の距離なら、駐車場探しなどを考えると車より早いかもしれませんね、走ったほうが。
山ぼうし | -
七福神
日本橋七福神は知っていましたが、与野は知りませんでした。
でも「日本全国に数多くある」という記述を見て調べてみましたら、本当にたくさんあるのですね。埼玉だけでも10か所以上。
これだけあるってことは、七福神めぐりファンが多いのでしょうね。
(↓先日、初めて藤波の神社に初詣にいきました。合格祈願で調べて行ってみたのですが、餅突きの案内を見て、アレッここは・・・と思いましたよ。)
山ぼうしさん、ありがとうございます。
確かに七福神巡りは多いですね。
景気も悪いし、世の中何となく暗い、といったことからご利益を得ようという人たちと、少しでも町興しになればという利害関係が一致したといったら穿った見方でしょうかね^^
スタンプラリーの元祖といったところが受けるのかもしれません。結構最近は若い方たちを見受けますから。
藤波の神社行かれたのですか。レアでしょうw
願いが叶われると良いですね^^
四季歩 | ipmCGEIo
楽しいですね
七福神が登場して、パレードですか(笑)
これはいいです!!
与野七福神は、正味どのくらいで回れるのでしょうか?
私は、昨年川越が初めてで、正味4時間くらいでした。
今年は、日本橋七福神を回りましたが、
これは楽で、正味2時間くらいでしたね。
四季歩さん、ありがとうございます。
私は車でずるしましたからあてにはなりませんが、ブログなどで読む限り早い人で2時間、ゆっくりでも3、4時間のようですね。
まあ、手ごろに廻ってパレードで楽しむということですが、何か団体で来ている方はウォーキングが主体で、前で一礼して先に進む方も多く見受けられました。
最近はウォーキング代わりに七福神巡りをされる方が多いのでしょうか。
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埼玉県上尾市在住で、埼玉県を中心に散策してみつけた歴史を楽しんでいます。
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