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与野七福神 後半

鈴谷大堂

こうなると次に向うは本来の6番目である「鈴谷大堂」です。
鈴谷大堂
ここには“毘沙門天”が祀られています。
毘沙門天 毘沙門天とは、他聞(一切を漏らさず聞く事が出来る大智者)といわれるインドの神で、仏教では四天王の一人で北方を守り、財宝・富貴を司り、仏法を守護する神なのです。
91の武勇の神を従えていると言われ、戦勝の神であるところから上杉謙信が崇拝し旗印に用いたというのは有名な話です。
石段の参道は何となくモダンな造りで、参道の正面に本堂が鎮座しています。
鈴谷大堂 鈴谷大堂
参道のすぐ左手には寛文7(1667)年に建立された「鈴谷六地蔵」が安置されており歴史の長さを感じさせてくれます。
六地蔵
鈴谷大堂は、元々は鈴谷明王院と呼ばれていたそうですが、明治6年に明王院が廃寺になり改称されたようです。
創建は不祥ながら先の六地蔵の銘文から当然ながら寛文7(1667)年以前には存在していたわけです。 その後、弘化2(1845)年の火災で焼失し、嘉永2(1849)年再建され幾度かの改修後、老朽化のために平成4(1992)年本堂を改築下のです。言われてみれば確かに綺麗な本堂です。
早速本堂にお参りします。
鈴谷大堂本堂
正面に美しい姿の阿弥陀如来が祀られていますが、七福神の毘沙門天は何処かとみれば、小振りの厨子に収まった小さな木造の毘沙門天でした。
本堂 毘沙門天
子供がすねた様な感じが、可愛らしくもありますね。

参拝を済ませて左手の社務所で弘法尊院と合わせて2つのスタンプをいただきました。
ちょうど社務所の前には休憩所があり、落花生が置いてあったので休憩がてら食させていただきました。
庫裏と休憩所
実は落花生(ピーナッツではない!)はマイブームで、昨年の11月頃に頂いて以来何故か切らすことのない様に買い続けていて、妙にはまっていたのです。
ここで食した落花生が結構美味しかったので、縁起物として1袋購入しました。
お土産 七福神落花生
ご利益のありそうな良いお土産ができました。

円福寺

5番目は“さいたま芸術劇場”近くの「円福寺」に移ります。
円福寺
立派な山門のある寺院で、門前に喪黒福造のようなチョイワルな“布袋尊”がお出迎えしてくれているようです。
円福寺 布袋尊
布袋尊 この布袋尊は、七福神の中では唯一の実在の人物で、中国唐時代末期に活躍した「契比(かいし)」という禅僧でした。太鼓腹を出し、常に布の袋を背負い闊歩していたことから布袋和尚と呼ばれ親しまれたのです。
偉そうにせず、威張ることも無く度量の大きな人徳から福運のご利益があるといわれています。
早速、境内に入りますと、様々な石仏や石像などが祀られていており、正面に立派な本堂が鎮座しています。
境内 本堂
まずは参拝を済ませます。
この円福寺は円海(大永元年1521年寂)が東光坊として創建し、近代初頭のころ、徳川家康の近臣本多佐渡守正信が陣屋を構築するために現在地に移築したものと伝えられています。その後江戸幕府より寺領5石の朱印状を拝領した由緒ある寺院です。
本堂の右手には釈迦堂があります。
釈迦堂
この釈迦堂には木造釈迦如来坐像が安置されていてさいたま市の指定文化財となっています。
木造釈迦如来坐像
この釈迦堂の前にも石像の布袋尊が建立されています。
布袋尊
こちらはややダイエットとした布袋尊という感じです。
こじんまりした寺院ながら綺麗に整備された境内は初春の風情が漂っていました。
帰りがけに5つ目のスタンプをいただき円福寺を後にしました。

天祖神社

円福寺の後は再び本町通り沿いにある与野公園内の七福神3番目の「天祖神社」に向います。
前述したように与野公園には【与野公園とバラ園】で訪れ、その際に天祖神社にお参りをしましたので2度目ということになります。
天祖神社 与野公園
この天祖神社は「神社明細帳」によると天保12(1841)年に社殿を再建したと記されていて、古くは神明社と称していたのですが、明治8(1875)年村社になったのを機に天祖社と改称したのです。その後、平成15年の秋に不審火で消失したため、平成18年に再建されたのです。それ故に白木の美しいままの状態にあるのですね。
天祖神社 天祖神社
神明社の別名が天祖社というくらいですから、改称したところでそれほど大きな意味は無いのでしょう。
ここの祀られているのは“寿老神”です。
寿老神 この“寿老神”は中国の道教が起源の神で、長頭で巻き物をつけた杖と団扇を持ち。鹿を連れている南極老人なのです。禄と長寿を授ける神として信仰されているのです。
こう聞くとどうも“福禄寿”と同じような神に聞こえるのですが、事実同一視され七福神から外される場合があり、その場合は吉祥天、猩猩、福助、稲荷神、虚空蔵菩薩、お多福などがいれられたことがあるそうです。
さてその寿老神はいずこと見れば、本殿の横にこじんまりとミニミニ寿老神が祀られていました。
天祖神社 寿老神
なかなか可愛らしい“寿老神”を参拝し、6つ目のスタンプをいただきました。

円乗院

七福神最後は「円乗院」の“大黒天”です。
「円乗院」は与野公園にある天祖神社からは5分ほど歩いた隣接する場所にあリます。
円乗寺
ここも以前与野公園を訪れた際に立ち寄ったのですが、何とバラ祭りの期間中は境内に入れさせ無いという強硬な処置をしていたため、参詣できなかった寺院です。どうやらバラ祭り期間中は人も多く、エチケットを守らない輩が多いことからのようで仕方ないことかもしれませんね。
流石に今日は入れるのですが、立派な山門の右手にシンボルの多宝塔を見て取ることができます。
円乗寺
ここ円乗院の正式名称は安養山西念寺円乗院で、建久年間(1190~1199)、畠山重忠によって道場村(旧浦和市の一部)に創建されたのですが、慶長年間(1596~1615)に当地に移建されたのです。
慶長19(1614)年、道場村に寺領15石の御朱印状を受け、その後代々変わることなく明治4年まで続いたのです。この間の延宝6(1678)年には、京都仁和寺の直末寺となり、寛延2(1749)年談林格に昇格して幕末与野領の38寺院の内、23寺院が円乗院の末寺だったほど隆盛を極めたようです。
しかし、文久2(1862)年の大火で、本堂をはじめとする由緒ある建物のほとんどが焼失し、現在の本堂は慶応3(1867)年再建されたものですが、さいたま市中央区の誇る名刹といっても過言ではないでしょう。

仁王門をくぐって境内に入ると左側は改装中のようで、文化財の多くは見ることができないようです。
仁王門 境内
参道の右手の手前にはシンボルの“多宝塔”が美しい姿を現しています。
多宝塔
昭和56年に弘法大師1150年御遠忌記念事業として建立されたこの多宝塔の1階には十二支守本尊、2階には祖師堂として弘法・興教両大師、3階には観音菩薩などを安置しているのです。
そして1階の十二支守本尊を参詣してみました。
十二支守本尊
例えばねずみ年の守り本尊は千手観音菩薩といった具合で、私の干支、申年は大日如来となるのです。
大日如来 大日如来
一通り参拝して多宝塔を後にします。
多宝塔の隣には「大日堂」が建立されており、その前に“大黒天”が安置されています。
大日堂 大黒天
大黒天 “大黒天”はインド・ヒンズー教のシヴァ神がその起源で、名前はマハーカーラといい、マハーは「大」、カラーは「黒」を意味し、インドでは「大いなる死の神」として崇められています。
日本では大国主命の“大黒”と大黒が同じ読みのために習合され現在の姿となり、豊作の神、財福の神とされているのです。
こうして最後の七福神を参拝し、更に本堂を参拝して円乗院の参詣を終わらせました。
本堂
そして最後のスタンプをいただき七福神めぐりは終了となったのです。
色紙
今年もきっと良いことが起こるような・・・、気がします^^

武井武

さてこれにて与野七福神も終了し、散策も終わりとなるのですが、流石にこのまま終わると「武井博士」の存在感が失われてしまうので、最後の最後に武井博士の縁の場所に向います。
「バラのまち中央区」の大看板が非常に目立ちますが、この先がさいたま市中央区役所です。
さいたま市中央区役所
さいたま市の銘板の先にSLの展示があり、その先に庁舎が立っています。
さいたま市中央区役所
そして庁舎の前には3つの胸像が並んでいます。
三胸像
中央の胸像は「与野市名誉市民・白鳥三郎」、右側が「さいたま市名誉市民・井原勇」の胸像で、左側が目的の「与野市名誉市民・武井武」の胸像です。
武井武 武井武
武井博士の縁のものはここの胸像と、軽井沢に胸像があるだけのようです。
昭和53年に文化功労賞を受賞したことから、与野市の名誉市民第一号となったのです。

ここで少しフェライトと武井博士について紐解いておきます。
本書の説明では「フェライトとは磁気素材で酸化第二鉄の粉に、銅、亜鉛、マンガン、ニッケルなどの酸化物の粉を混ぜ高温で焼き固めて作る。カラーテレビ、航空機用アンテナ、移動電話、パソコンなどに幅広く使われている。」と記載されているのですが、この根本的なフェライトについて理解できないと、その発明の偉大さも理解できないわけなので、私自身も理解できるように「サルでもわかる・・・」ように噛み砕いてみます。

一言でいえばフェライトとは磁石の一種なのです。
それまでの磁石といえば棒やU字型の金属(合金)でしたが、この従来からの常識をくつがえす強磁性材料として新登場したのがフェライトなのです。
磁石
この強磁性材料とは簡単にいえば磁石に吸いつく材料のことなのですが、本書の説明にもあるとおり、フェライトの主成分は酸化鉄、いわば赤サビ(鉄サビ)で、鉄は磁石によく吸い付くのですが、実は赤サビは殆ど磁石に吸い付かないのです。
ということは、赤サビは一般的な陶器やゴムなどと同じ非金属ということになるのです。
ところが、この磁石に吸い付かない赤サビを主成分としたものを焼き固めると陶器と同じセラミックながら磁気を帯びた、いわゆる磁石になるのです。つまり極端に言ってしまえば私たちが普段何気なく使っている皿やカップが磁石になるのですから驚きでしょう。
ここで思い浮かべていただきたいのが従来の棒やU字の磁石で、イメージは重くてとても加工などできにくいものなのですが、それが焼き物である陶器であれば軽く、様々な形にできる磁石というイメージになるでしょう。
フェライト磁石 フェライト磁石
更に磁石の面白いところは、磁石を細かく砕いて、切って、目に見えないほど細かくなっても、その細かい単体(原子レベル)でもちゃんとSとN極のある磁石なのです。
したがって原子レベルの磁石を使えば更に用途は広くなるわけです。

これらの特徴をまとみます。 1.強い磁石になる磁性材料
2.金属の磁性材料より電気を通しにくい
3.酸化物の焼き物(磁器)なので、サビや薬品に強い
4.形を自由につくりやすいので、複雑な形や大きな物、小さな物をつくれる
5.非常に硬い材料だが、割れやすいという短所もある、
という実に不思議な磁石となるのです。

このフェライトの性質を大別すると2種類に分類されるのです。
一つはハードフェライトといわれ、一度強い磁界が加わると永久磁石になるフェライトで、もう一つは磁界(磁石)に触れると磁石になり、磁界を取り去ると基に戻り磁気が無くなるフェライトなのです。
前者の代表的なものは一昔前のカセットテープやビデオテープで、現在ではハードディスクの記録面やスピーカー、そしてフェライト磁石の粉をゴムに混ぜて造り、ハサミでも簡単に切れる自動車の“初心者マーク”などのラバー磁石などと呼ばれる「ボンド磁石」などもフェライトの応用なのです。
また後者では、テレビ、ビデオ、ゲーム機、パソコン、自動車、電子レンジ、掃除機、冷蔵庫などの部品に幅広く使用されているのです。

そこではこのような“世紀の”といってもよい発明を武井博士はどのように生み出したのでしょうか。 それは偶然の産物だったのです。
武井博士の恩師である加藤博士の指導のもと、フェライトの研究をしていた武井博士は、ある日うっかり装置のスイッチを切り忘れ帰宅したところ、翌日フェライトが強い磁気を帯びていたのです。
これは前述したように、磁石に吸い付かない、つまり磁気を帯びないセラミックである赤サビが磁石に変わった瞬間で、世界初のハードフェライトだったのです。
その後、博士はこの研究の中から別タイプのフェライトを発見し、これがソフトフェライトととなったのです。 つまりハードとソフトは武井博士の研究室から双子のように生れた発見だったとうことなのです。
現在、フェライトの応用を図にした「フェライトの樹」というものがあります。
フェライトの樹 《(C)TDK Techno Magazine》
これを見ると武井博士の発明=フェライトが大変な発見であったことが理解できるでしょう。私たちが現在何気なく使っている磁石の多くがこのフェライトを使用していることがわかると思います。
そしてそのフェライトを発見した武井武博士が埼玉県縁の偉人として評価されるのも充分理解できるわけです。
但し、この発明は武井博士一人の偉業ではなく、恩師である東工大教授の加藤与五郎博士の指示・指導の基に行われたものであって、加藤博士も功績もまた輝かしいものなのです。
加藤与五郎博士
更にこの世紀の発見をした昭和5(1930)年に、この発明を活用して工業化しようという企業はありませんでした。つまりその用途がよくわからなかったからなのです。そこに名乗りを上げたのが当時アンゴラウサギの飼育と兎毛生産を行う東京アンゴラ兎毛株式会社を設立した斎藤憲三という人です。
斎藤憲三はこのフェライトに着目し、東京アンゴラ兎毛株式会社を退社し昭和10(1935)年、一念発起してに東京電気化学工業会社を創立し、産学共同体制を整えて開発に協力したのです。
斎藤憲三
フェライトが脚光を浴びたのは戦後ですが、現在ではこの発明を抜きにして、今日のエレクトロニクス産業の発展は無かったといっても過言ではないのです。
そしてこの東京電気化学工業会社が現在の“TDK”で、斎藤憲三が初代の社長だったのです。

今回の散策では旧与野市の歴史と、武井武博士の偉業を知ることができました。
特に失礼ながら「この人は誰?、これは何?」で始まった武井武博士の偉大なる発明を知り、埼玉県の偉人は当然ながら、日本の偉人といっても過言ではないと感じたのでした。

最後に余談ながら武井博士を調べていく過程の中でちょっと気になることを感じました。
武井博士の恩師である加藤与五郎博士の郷里である愛知県刈谷市には、“日本のエジソン・フェライトの父”として南部生涯学習センター内に【加藤与五郎展示室】があります。 また、斎藤憲三の郷里、秋田県にかほ市には【フェライト子ども科学館】があります。
勿論、ご遺族のご意向もあるのかもしれませんが、これに比べて武井博士の胸像一つとは、少々寂しい思いにかられたのでした。

2013.01.08記 (完)

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コメント

  1. 上尾の〇山 | LkZag.iM

    七福神巡り

     今晩は!!
    七福神の紹介ありがとうございます。
     私が働いていた川越の七福神にも同じような色紙が有ります。
    何処から始めても一番目のお寺さんで、400円で色紙を買い、スタンプを押してもらいます。次の寺では100円でスタンプです、全部回って1000円です。
    でも、自分で押せるスタンプもあるのでお金をかけなくても色紙でないものは集めることができますね。
     今年は4日に回りましたが、各お寺さんで本堂やそら以外に神様が祭ってあります。喜多院だけは本堂のお参りの人数がとても多いので、いつも本堂はパスさせてもらって、大黒様だけお参りしてます。本当に恥ずかしながら、過去に七福神参りで喜多院の本堂にお参りしたことがないですね。
     最近は、上尾市内をウオーキングと称して歩き回っております。
    7日は、市内の一番東の稲荷神社と見沼代用水の東べり・伏越しまで約30000歩、8日は、平方のゴルフ場の西のビオトープまで約2000歩、歩きました。

    ( 19:07 [Edit] )

  2. マヤリモ | -

    七福神めぐり 楽しませていただきました!

    なんだか、私も行ったような気になってきましたよ。

    これで私もご利益にあやかれるかな?

    なんて、横着しないで、今度、近場の七福神めぐりでも行ってみようかと思います(笑)

    武井武さん、すごい発明ですね。 それがまた、偶然の産物だったとは・・・

    でもきっと、武井さんの努力を神様は見ていたんでしょうね。 

    その偶然は、きっと神様からのプレゼント。 

    なんだか、そんなコトを思ってしまいました。

    ( 23:29 )

  3. 薄荷脳70 | -

    上尾の〇山さん、ありがとうございます。

    喜多院は別のときに参拝しましたが、流石に観光地川越だけあって正月は凄いようですね。
    歴史ある町ですから、何度訪ねても楽しいところです。
    それにしても30000歩はすごいですね;;
    私も以前万歩計で計っていたことがありますが、20000歩超え位が最高でその際は足がパンパンでした^^
    でも、散策しながら歩くのも楽しく気持ちよいものですね。

    ( 06:13 )

  4. 薄荷脳70 | -

    マヤリモさん、ありがとうございます。

    元祖スタンプラリーみたいなものだと思っていますので、結構楽しんでしまいました。
    ウォーキング代わりにされる方も多いようですね。
    きっとご利益がある、と言い聞かせてますがw
    武井武氏、私も始めて知ったのですが、これを書いていて初めて多くの方に知っていただきたいなと思った偉人です。
    努力すれば報われる、ってことでしょうかね^^

    ( 06:30 )

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