奥秩父もみじ湖

道の駅を出て国道140号線を荒川沿いに進むと、やがて道は二手に分かれます。どちらの道路も国道140号線ではあるのですが、右の道路は通称「彩甲斐街道」で文字通り彩の国・埼玉と甲斐の国・山梨を結ぶ道路で滝沢ダム方面に向っています。
一方、左側は通称「秩父往還」(旧道ではない)で、当然山梨へ向うのですが、とりあえず二瀬ダム方面に向う道路です。
さらに道と同じくして(というより道が同じ!)荒川もこのあたりで2本に分かれます。
本流の荒川は左方向で、右側は中津川と名前を変えます。この先にはこの中津川がダムによって作られた「奥秩父もみじ湖」がありますので、ここはまず右側の中津川沿いに彩甲斐街道を進みます。

暫く進むとチラッとダムの提体が見えたので、国道を左に外れて中津川沿いに車で下りてみました。
滝沢ダムとループ橋 まさに威風堂々たるシルエットです。人類の建造物の中でも最大級の大きさを誇る建造物であるダムの美しい姿が見て取れます。

自然破壊の最たるものとして物議をかもし出す建造物ですが、竣工までの是非はともかくダムを見てこれほど自然とマッチする建造物と感じる私は病んでいるのでしょうか・・・。
手前に見える高架橋がループ橋のようですが、この風景、恐らく1時間くらい見ていても飽きないと思いますね。

蛹沢不動滝

蛹沢不動滝石碑 道沿いの右側に小さな建物があるので先に進んで近づいて見ると、何と右側の崖に滝が流れていて、その手前に「蛹沢不動滝」と刻まれた石碑があります。

蛹沢不動滝 それ程大きな滝ではありませんが、それでも落差は20m位あるでしょうか。

大滝地域は山間の町ですから当然ながら滝が多く、それらが一つの観光資源となっているようです。まあ、町名からもそれとなく想像できることですが。
案内マップによると、先ほどの道の駅までの国道140号線沿いの強石・大輪地区には、白滝、龍門の滝、清浄の滝の3つの滝があります。 そして小双里・栃本地区では、この蛹沢不動滝、と不動滝の2ヶ所。さらに中津川地区に勘兵衛の滝、方円の滝の計7ヶ所が案内されています。
特に栃本地区の不動滝は落差およそ50mといわれるスケールの大きい滝で人気もあるようですが、見るためにの努力はそれ也に払わなければならないようなので、私にはお目にかかれない滝かもしれません。また、この大滝には三十槌の氷柱という観光名所もあるくらいですから、いかに自然溢れる地域なのかが窺えます。

雷電廿六木橋

「蛹沢不動滝」を後にして先ほどのループ橋に差し掛かると、途中休憩所があったので車を停めて眺望を楽しみます。
ループ橋 この橋、正式には「雷電廿六木橋」といい、「らいでんとどろきばし」と読む、一体どんな場所だったのと思わせるような名前です。

雷電廿六木橋
雷電廿六木橋は、滝沢ダムの建設によって付け替えられた湖畔の道路と、ダム直下の道路との間に生まれた高低差約120mを結ぶ道路の愛称です。
1つの橋に見えますが、正確には、下流側の大滝大橋と上流側の廿六木橋、それらをつなぐ中間部で構成されています。
この橋の建設は、「ダムにより大きな影響を受ける水源地・大滝村に美しい構造物を」との思いで、基本形状から細部のデザインに至るまで様々な工夫を試みました。
●細く美しく見えるよう、陰影をつくる凹凸を橋脚側面に配置した。
●優美なループ形状が強調されるよう、橋梁部の高欄と同一のデザインを中間部の側面にも連続させ、側面外側は「く」の字形にし、2m間隔に縦スリットを配置した。
●夜間運転の安全性、生態系への影響、そして夜の景観に配慮して照明を高欄に埋設した。
●時間の経過に伴うコンクリートのエイジング(黒ずみ)をあらかじめ予測し、設計に反映した。
●橋全体の安全性を高めるため、固い岩盤まで達する深い基礎(最大直径約11m、深さ約30m)を埋設した。
周辺道路、展望台など、眺める場所により、また、太陽の位置によって、この橋の表情が様々に変化することに気付かれたでしょうか。
工事で手を加えた山肌の復元も進めています。少しずつ山に木々がよみがえり、若葉の季節、青葉の季節、紅葉の季節、ダムと橋と四季の彩りが一幅の絵になるよう樹木を育てていきます。
水資源開発公団・埼玉県・大滝村
(現地案内板説明文より)

雷電廿六木橋 案内板の地図で見ると中津川に架かる左側が「廿六木橋」で、右側が「大滝大橋」で、その2つの橋を直角に結ぶのではなく円弧で結ぶことにより、景観の美しいループ橋として生まれたということです。

廿六木橋 大滝大橋 左の写真が廿六木橋部分で、右の写真が大滝大橋です。

そして、現在いる展望台の直ぐ前の部分が中間部なのです。

橋桁 また橋脚の部分の凹凸と側面外側の縦スリットがよく分かります。

側面外側の「く」の字形はよく理解できませんでしたが、これらの工夫によっていつまでも美しく強固な橋として後世に残されるといった具合なのでしょう。
ただ、残念ながらこの展望台位置からループ橋とダムと山を私のデジカメで一緒に撮れるアングルはありませんでした。
因みに大滝大橋は理解できるとして、廿六木橋の廿六木とは余りにも由来ありあり臭い名称ですが、そのあたりも抜かりはないようです。

廿六木集落図
ループ橋をはさんだ対岸には、廿六木という集落があった。地名の語源については小双里集落との境にある不動滝の水音が勢いよく「トドロキ」わたることに由来するという説や、集落北西の白岩にあった大木が倒れた際にその音が谷底にとどろいた「トドロキ」に由来する説などがある。
この集落は、滝沢ダム建設に伴う付替国道建設のため移転することとなった。
(現地案内板説明文より)

一般的に我々のよく知っているトドロキといえば世田谷区の等々力を思い浮かべます。この等々力も等々力渓谷に流れ落ちる「不動の滝」の轟く音に由来する(都内にも渓谷があったのですね)などの説があるようなので、たしかに由来としては同じようなものですが、この廿六木という漢字はまた別な意味もあるのではないかなと考えてしまいます。単純に考えれば16本の木ということになりますが、一体どのような意味が隠されているのでしょうかね。
この案内図には当時の集落の世帯主が記載されていますが、全世帯で10世帯ありそれぞれに屋号がついていたようです。
例えば千島一男宅はセド、加藤貞一宅はオゥチ、山中貞雄宅ではイドバタ(敬称略)といった具合で、全10世帯につけられていたようです。
現在でも一緒の集落で生活をされているのでしょうか、10世帯しかないので全てが縁者といった具合なのでしょう、長閑で楽しそうな集落が想像できます。

判らないことだらけのついでに雷電についても調べてみました。
雷電といわれれば思いつくのは、伝説の横綱「雷電」ですが、ここでのこの雷電の名称は秩父地方に伝わる「でえだんぼう」伝説に基づいて1998年に創作された『雷電坊物語』という物語に由来するのだそうです。
「でえだんぼう」という名称は初めて聞く名前ですが、どうやら我々のよく耳にするダイダラボッチ伝説のことのようです。
ダイダラボッチとは、日本の各地で伝承される巨人のことで、「でいだらぼっち」、「だいらんぼう」、「だいだらぼう」、「でいらんぼう」、「だいらぼう」、「だだぼう」等など、数多くの類似の名称が存在するようで、秩父の「でえだんぼう」というのもその名称の一つのようです。つまりダイダラボッチの方言ということになるでしょうか。
そしてこの伝説の内容も多義に亘っているようですが、山や湖沼を作ったという内容や、何かをしようとするが失敗し、悔しがって去って行くという内容が多いようです。イメージは概ね小型で身長10m程度、一つ目とされることもあるようです。

主だったダイダラボッチの伝説です。
●山を作る・運ぶダイダラボッチ伝説
・富士山を作るため、甲州の土をとって土盛りした。そのため甲州は盆地になった。
・上州の榛名富士を土盛りして作った。掘った後は榛名湖となった。
・浅間山が、自分より背の高い妹の富士山に嫉妬し、土を自分にわけろといった。富士山は了解し、だいだらぼっちが自分の前掛けで土を運んだ。しかし浅間山は土の量が足りないと怒り、彼を叩いた。その際にこぼれた土が前掛山となった。怒りだした浅間山はついに噴火してしまった。
●足あと・手のあとを残すダイダラボッチ伝説
・上州の赤城山に腰掛けて踏ん張ったときに窪んで出来た足跡が水たまりになった。木部の赤沼がそれである。
・現在、東京都世田谷区にある地名「代田」やさいたま市の「太田窪」はダイタラボッチの足跡である。
・小便をしようと飯野山(香川県中部)に足をかけた際に山頂付近に足跡が付いた。なお、その小便の際に出来たのが大束川といわれる。
●休む・洗う・食べるダイダラボッチ伝説
・榛名山に腰掛けて、利根川で脛を洗った(ふんどしを洗ったという説もある)。
・羽黒山 (栃木県)には人間がまだ誕生しない大昔、でいだらぼっちが羽黒山に腰掛けて鬼怒川で足を洗ったという言い伝えがある。
・「常陸国風土記」によると、茨城県水戸市東部にある大串貝塚は、ダイダラボッチが貝を食べて、その貝殻を捨てた場所だと言われている。その言い伝えから、近くにダイダラボッチの巨大な石造が創られている。

このように各地に伝説が残されているようで、これは生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っていて、各民俗の神の概念は人格を投影して擬人化したものというアニミズムの基ずく伝説なのではないかと推測されます。
いずれにしても、意外な歴史・伝説・由来等を知ることができた場所でした。

滝沢ダム

ループ橋を渡って少し先に行けば直ぐ「滝沢ダム」に到着です。
奥秩父もみじ湖石碑 ダムの左岸には「奥秩父もみじ湖」と刻まれた石碑があります。
文字通り紅葉が美しいことから付けられたようですが、この名称も一般公募によるものだそうです。

少しでも地域住民に親しみを持っていただこうとする昨今の風潮から、浦山ダムの秩父さくら湖も公募だったはずです。桜に紅葉と季節ごとに綺麗な風景の見えるダム湖といえるでしょう。

ダム提体へ向かいます。
滝沢ダム 滝沢ダム 左がが下流側からの提体で、右が秩父もみじ湖側からの提体です。この迫力がなんともいえないのですね。

ここで簡単に「滝沢ダム」をおさらいしておきます。
かつて1961(昭和36)年に荒川総合開発事業に基づいて荒川に二瀬ダムが建設されたのですが、その後の首都圏の急激な発展から水害危機が高まったため、1969(昭和44)年荒川支流の中津川に滝沢ダム、そして1972(昭和47)年浦山川に浦山ダムという大規模なダム建設を計画したことからはじまったのです。
その後、1998(平成10)年に浦山ダムは完成したのですが、滝沢ダムは補償交渉の長期化により、2008(平成20)年にやっと竣工したのでした。2年前の竣工といってもダムの耐用年数からすれば出来立てのほやほやといっても過言ではないでしょう。日本で最も古い日本初のコンクリートダムが作られたのが1900年の布引五本松ダムで、リニューアルされているものの現在でも当然使用されているので、彼是100年以上経過しているということです。
ちなみに日本最古のダムは大阪府の狭山池ダムで、大化の改新前の616年飛鳥時代に作られたものだそうです。
この「滝沢ダム」は、湖からの水圧をダムの重さで支える重力式コンクリートダム方式の比較的一般的なダムで、ダムの左右岸方向の長さである堤頂長が424m、ダムの高さである堤高が132mという規模で、堤高は浦山ダムの156mには及ばないものの提体積では167万という県内最大規模のダムなのです。

早速、堤体の上の天端に向かってみます。
滝沢ダム 滝沢ダム この天端の幅を見ただけでもダムの大きさを実感することができます。

ダム天端 424mの天端を進みます。

滝沢ダムとループ橋 下流に見えるのが先ほどのループ橋です。一部分欠けてしまいますが手前側が廿六木橋で、向こう側が大滝大橋となります。

こちらからのアングルの方が、ある意味橋とダムと自然が一つのアングルに収まった形になります。なかなかオシャレな風景ではないですか。
奥秩父もみじ湖 反対側を望むと「奥秩父もみじ湖」が一望できます。
下流のループ橋の風景とはまた違った癒される風景です。

中津川大橋 遠くに見える白い橋は、彩甲斐街道(140号線)にかかる中津川大橋です。
140号線はここで中津川を渡って甲府方面に向かうわけですね。

ちょうどこの辺りが天端の中央付近です。

浦山ダムでは、堤体内の見学ができたのですが、滝沢ダムでの見学は不定期のようです。

しばらく眺望を楽しんで引き上げますが、最後に忘れてはならない管理事務所に向かいます。
紅葉 管理事務所の手前の石碑のもみじは真っ赤に紅葉しています。

滝沢ダム・ダムカード そう最後に管理事務所でダムカードをいただいて終了なのです。

ダムカードも児玉郡神川町の下久保ダム、秩父市の浦山ダム、飯能市の有間ダムに続いて4枚目となりました。特に秩父にある「浦山」「滝沢」「二瀬」「合角」の4つのダムを「4ダムロマン」といって、この4つのダムカードを集めると、幻の手作りダムカードがいただけるとのこと。あと2つですが、いつになることでしょうか。
兎にも角にも「滝沢ダム」カードをゲットして気分上々で先に進みます。

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