紅葉狩り

再び国道140号線を進んで、先ほど見えた中津川橋の袂を右折して渓谷とトンネルの連続である県道210号線に入ます。
この県道210号線は正式名称は埼玉県道210号中津川三峰口停車場線で先に進むと秩父市道大滝幹線17号線(旧中津川林道)とに分かれているのです。この分かれた秩父市道大滝幹線17号線(旧中津川林道)は長野県との県境にある秩父市中津川三国峠まで達する埼玉県と長野県を結ぶ唯一の道路なのだそうです。埼玉県と長野県の県境が10kmしかないと知ればそれも無理からぬことと理解できますし、また別な意味では非常に貴重な道路ともいえるでしょう。
それはさておき、進むにつれて紅葉も濃くなっていくといった感じです。

中津峡

中津峡は、中津川沿いの約10kmの渓谷で、埼玉県の指定名勝で奥秩父を代表する紅葉のポイントなのです。本来、中津川沿いなのですから、中津川峡とか中津川渓谷と呼べばよいのでしょうが、一般的に中津川渓谷は福島県の猪苗代町の方が定着しているため、こちらは中津峡と呼んでいるようです。
さてその紅葉の名所である中津峡の中でも、持桶トンネルの手前にある紅葉がことさら綺麗で有名とのことなので、まずは持桶トンネルを目指します。

紅葉の綺麗そうな場所には路駐が多いのでそれと判ります。
国道140号線から県道に入って彼是2、30分ほど走ったでしょうか、やっとその持桶トンネルに到着です。確かにトンネルの手前右側には綺麗な紅葉を見ることができます。
持桶女郎もみじ 路肩に車を止めて紅葉狩りです。

持桶女郎もみじ トンネルの手前に県道から右に分岐する小道がありますが、その小道沿いに「持桶女郎もみじ」と記載された看板が立っています。

持桶女郎もみじ 持桶女郎もみじ 右を流れているのは当然中津川でまさに秋の渓谷美の醍醐味といっても過言ではないでしょう。

低スペック、低スキルですがとりあえず紅葉三昧です。

それにしても「女郎もみじ」とは大胆なネーミングです。どちらかと言えばネガティブなイメージになりがちな女郎という言葉の響きで、「太夫」とか「花魁」とでも言えば、少しポジティブに聞こえるかもしれません。
いずれにしてもこの名前の由来はわかりませんが、パッと咲いて散ってしまうという紅葉の習性からでしょうか。桜と同じ習性ですが、桜はこれから春・夏という光を向かえ、紅葉は秋・冬と星を迎えるといった明と暗、陽と陰といった対照的な花です。 女郎もみじVS左近の桜といえばそのイメージが理解できるでしょう。
しばし「持桶女郎もみじ」の景色を堪能し、折角なので先に進んでみることにしました。隠れた紅葉の名所があるかも知れないという邪な気持ちもあって。
しかし、その野望も悉く打ち砕かれました。殆ど見るべき紅葉もなく、前述した通り林道に繋がっており林道のあのリスキーな風情が漂ってきたので、今回は無理をせず引き返すことにしました。

少しの間「持桶女郎もみじ」を離れただけですが、戻ってみると路駐の車で道路は溢れていました。もう駐車スペースは無いようです。そのまま通り過ぎて国道140号線に戻るべく道を進みます。
紅葉 国道140号線の途中でも車が停車している場所がいくつもあり、大体それなりに紅葉の綺麗そうな場所です。

大分、見物客も増えてきたので車の量も多くなってきたようですね。

途中、「持桶女郎もみじ」が記載された立て看板と同じ看板が川沿いに立っていたので車を止めて見ました。
するとその看板には「市子岩の奇縁」と記載されていました。
市子岩の奇縁 解説も無くまたまた判りにくいネーミングですのでとにかく調べてみますが、その前に当然その風景を眺めて見ます。

市子岩の奇縁 看板の先は中津川が流れており、爽快な渓谷美を形作っています。

市子岩の奇縁 その中で一際目立つ大きな岩があります。

市子岩の奇縁 そこから少し上流に目をやるとなんとも美しいエメラルドグリーンの水の流れを見ることができます。否、エメラルドグリーンよりペパーミントグリーンといったほうがイメージ的にも近いかもしれません。とにかく綺麗な渓流です。

市子岩の奇縁 下流も渓流が美しいながら、山との構図がまさに渓谷たらんとしているところに感動すら覚えます。

もう少し紅葉が色づいていればパーフェクトな渓谷ですね。

ここでもじっくり自然の美を堪能しましたが、「市子・・・」の謎が・・・。
という事で調べては見たものの何も手掛かりは無し、という事であとは推理しかありません。
まずは「奇縁」が不思議なめぐり合わせの意味であることを理解するとして、昔々市子という村娘が何の因果か川で溺れて岩になってしまった実に不思議な・・・、なんて訳ないですね。もう少し脚色して・・・
古来、神の言葉(神託)を得て他の者に伝えることが役割としたものに巫女がいます。この巫女は、柳田国男・中山太郎の分類によると、概ね朝廷の神和ぎ系巫女と民間の口寄系巫女に分けられ、神和ぎ系巫女は、関東ではミコ、京阪ではイチコといい、口寄せ系巫女は京阪ではミコ、東京近辺ではイチコアズサミコというそうなのです。
とするとここで云う「市子」というのは巫女をイチコと呼んでいたのがいつの間にか「市子」の漢字が当てられたと無理矢理考えます。そしてこういった大岩は古来で考えると天岩戸の前で巫女が舞をまったという故事から、アニミズムからこの岩は神そのもので、これを巫女が祀ったところ、神のちからによって美しいペパーミントグリーンの渓流に変わったという実に不思議な・・・、ありえませんな!!!
といううことで、どうような由来なのか全く判りませんが、まあ、綺麗な渓谷を見られただけでも良しとしますか。

若干、消化不良気味ですが帰路を進みます。
永世戸山の紅葉 ホンの少し進んだところに、またまたあの看板です。「永世戸山の紅葉」とあります。

ここは素直に考えておきましょう。そう、ここは永世戸山という場所にある紅葉なのです。イエイ!
永世戸山の紅葉 永世戸山の紅葉 ということで、真っ赤な紅葉が1本だけ存在感を示しています。
山肌は黄色が多いようで今ひとつの感はありますが、それなりの紅葉と云っておきましょう。

きっと他にも見所はあるのでしょうが、できたら簡単でも良いので由来なり意味なりを記載していただけるとありがたいのですが、観光協会の方いかがなものでしょうか、折角綺麗な紅葉なのですから・・・。
この後、国道140号線との交差点に戻り右折して来た道とは反対の方角に進みます。

栃本関跡

国道140号線は、先ほどの中津川大橋を渡ると大峰トンネルに入ります。この大峰トンネルは全長2200mある長いトンネルで、これもダム建設に伴って造られたトンネルで1997年に完成した比較的新しいトンネルです。
このトンネルを抜けて少し進むと、滝沢ダムのループ橋へいたる国道140号線が2又に分かれた一方の140号線と合流し、この先は国道140号線・彩甲斐街道の一本道となり、その先は埼玉県と山梨県の県境を抜ける6,625mの雁坂トンネルとなるのです。一度通行してみたいものです。
国道140号線を合流後、まもなく右折というよりはUターンに近いイメージで秩父往還を走ります。今度は秩父湖のある二瀬ダムに戻る感じです。
かなり細い道路で基本的には片側1車線しかないような道ですが、一応それでも140号線です。それでも結構集落があるのは、やはり歴史ある秩父往還だったからでしょう。

細い道を暫く進むと左側に大滝歴史民俗資料館で知った「栃本関跡」があります。とても路駐ができるスペースはないので、少し先のT字路の角が少し広いので無理矢理停めてしまいました。
栃本関跡 実にひっそりとしたところに「栃本関跡」があり、紅葉が見事なほど見ごろを迎えているようです。

国指定史跡 栃本関跡 昭和45年11月12日指定
江戸幕府は、関東への「入り鉄砲」と関東からの「出女」を取締るため主要な街道に関所を設けた。
栃本関は、中山道と甲州街道の間道である秩父往還の通行人を取調べるため設けられたもので、その位置は信州路と甲州路の分岐点になっている。
そのはじまりは、戦国時代、甲斐の武田氏が秩父に進出したとき関所を置いて山中氏を任じたと伝えるが、徳川氏の関東入国以後は天領となり関東郡代伊奈忠次が慶長19年(1614)大村氏を藩士に任じたという。以後、大村氏は幕末まで藩士の職を代々つとめた。
しかし、藩士一名のみでは警備が手薄であったため、寛永20年(1643)、秩父側の旧大滝村麻生と甲州側の三富村川浦とに加番所を付 設して、警固を厳重にした。したがってその後、栃本関を通行の者で秩父側から行く者は、まず麻生加番所で手形を示し印鑑を受けて栃本関に差し出すことに定められた。
関所の役宅は、文政元年(1818)と文政6年(1823)の二度にわたって焼失し、現在の主屋は幕末に建てられたもので、その後二階を建て増しするなど改造されたが、玄関や上段の間、および外部の木柵などには、関所のおもかげをよくとどめている。
平成10年11月 埼玉県教育委員会・秩父市教育委員会
(現地案内板説明文より)

内容は資料館で知りえたこととそれ程変わるところは無いようです。
当初は武田氏の物資輸送のための軍事道路として開発された秩父往還の関所だったのですが、江戸時代に入り一般道となってから
この栃本関は東海道の箱根、中仙道の横川の両関所の中間にあり、当然江戸から甲州・信州への交通の要所にあるため厳重な警固となったようです。
現在はこの近くに住んでいる方の所有物ではあるのだそうですが、国指定になったため住んでいられなくなり引越しをされたそうです。したがってこの関所跡の建物の鍵はその所有者の方が持っているそうですが、一々開けるためには連絡をしなければならないので面倒なため開けていないそうです。一般の方が管理されているのですから確かに大変ですよね。
栃本関跡 栃本関跡 この外縁の辺りがなんとも関所の面影が残っている感じです。

それにしても紅葉と歴史的建造物のマッチングがなかなか良い風情です。

二瀬ダム

「栃本関跡」前の秩父往還を進んでやがて秩父湖沿いの国道140号線と合流します。
合流後少しすると妙な信号で停車させられます。
駒ヶ滝トンネル 初めて見るこのような補助信号のついた信号機です。「トンネル信号に付き待ち時間が長くなっています」と注意書きがあるので、待ち時間用の補助信号機です。

まあ、確かに長い待ち時間でおおよそ5分くらいではないでしょうかね。
駒ヶ滝トンネル 所謂工事用の信号と同じ原理で、トンネル内が片側一車線しかないため交互通行のための信号ということです。

このトンネルは駒ヶ滝トンネルといい、トンネル内が片側一車線である上、途中T字路になっているとい名物トンネルのようです。
駒ヶ滝トンネル 地図上ではこのような位置関係のトンネルです。

信号が青に変わったので進み本来の国道は左にカーブするのですが、このまままっすぐ進むと二瀬ダムの管理事務所となります。
二瀬ダム・ダムカード こちらの二瀬ダムではいの一番にダムカードをゲットです。

通算5枚目で、秩父4ダムロマンでは3枚目でリーチとなりました。あとは「合角ダム」を残すのみですが、「合角ダム」のある吉田地域方面は10月に訪れていて次に行く予定は来年の5月です。それまでお預けということになりますね。
まあ、楽しみは後まで残した方が良いタイプなので・・・。

ダムカードをチラと見ると、なんと着工が1954年で完成が1961年という50年も経過している歴史あるダムのようです。ダムにあったパンフレットにもグッドなコピーが書かれています。「昭和レトロ 国産インフラ技術のルーツに出会う」と。
ということでダムの概略です。

荒川源流を見守り続ける二瀬ダム
荒川と二瀬ダム
荒川は、水源を埼玉県、山梨県、長野県の境である甲武信ヶ岳(EL2,475m)に発し、奥秩父の深い谷を流下して秩父盆地を北流し、長瀞を経て寄居付近から関東平野をほぼ南に流れて東京湾に注ぐ河川です。
荒川の流域は東京都、埼玉県にまたがり、河川延長173km、流域面積2,940k平方メートル、人口約930万人が暮らしており、首都圏にとって利水(水供給)上欠かせないばかりでなく、大洪水を引き起こせば甚大な被害を及ぼすことから、治水(洪水防御)上からも極めて重要な河川と言えます。
二瀬ダムは荒川の水源から約23km、河口から約150kmに位置しています。
埼玉県内最初の多目的ダム 二瀬ダムは、荒川水系本川上流の埼玉県秩父市大滝地先に洪水調整、かんがい、発電を目的とした埼玉県内最初の多目的ダムとして、昭和25年に策定された「荒川総合開発計画」の中心事業として昭和36年12月に完成しました。
二瀬ダムは、高さ95m、天端幅288.5mのアーチ式コンクリートダムで、長年にわたり、荒川流域の安全・安心の確保を図るために、その重要な役割を果たしています。
(「二瀬ダム」パンフレットより)

規模や能力などは、比較的新しいダムには叶わないものの、当時の先端技術が現在のダム建設への血となり肉となっているといったところでしょう。 最近【いわき散策記 vol.12】で訪れた福島県いわき市では経済産業省の近代化産業遺産群33をもとにいわき市内にある遺産群をめぐる「いわきヘリテージ・ツーリズム」などが行なわれていますが、現実的に中部電源の大井ダムなどは、近畿の経済や中部のモノづくりを支えた中部山岳地域の電源開発の歩みを物語る近代化産業遺産群の一つとして挙げられています。
確かに大井ダム自体1924年に完成した86年の歴史を持つダムですから、遺産群としては十分貴重な建造物でしょうが、いずれこの二瀬ダムも荒ぶる川、荒川水系最初の多目的ダムとして認定される時が来るのかも知れません。
パンフレットには昭和レトロの所以たるところが記されています。

二瀬ダムに今も息づく「昭和の技術」
昭和36年に完成した二瀬ダムには、あの「戦艦大和」を建造した呉海軍工廠の流れを汲む呉造船所の技術が今も活きています。巨大なコンジットゲート、船のハッチのような扉、機械式の計器類など当時の製造品が持つ重厚なたたずまいに満ちています。また、ダム内の通路の壁や天井には、合板の型枠にはない木目や釘の跡がくっきり残されています。
(「二瀬ダム」パンフレットより)

戦後の昭和20年、旧呉海軍工廠跡に播磨造船所が呉船渠を開設し、昭和27年アメリカの海運会社であるナショナル・バルクキャリア(NBC)が同じく旧呉海軍工廠跡に呉造船部開設します。船渠はドックのことです。
そして昭和29年、播磨造船所から呉造船所が分離独立し、昭和37年にはNBCから呉造船部の営業譲渡を受けたのです。
遡って昭和35年に播磨造船所を合併した石川島重工業は石川島播磨重工業となり、昭和43年に呉造船所はこの石川島播磨重工業に合併させられたのでした。
二瀬ダムは昭和36年完成ですから、この当時は播磨造船所が工事を請け負ったということでしょうか。
オフィシャルサイトにこれらの写真が残されていますが、見学会で是非本物を見たいものです。

ここから二瀬ダムを散策します。
二瀬ダム 二瀬ダム アーチ型の堤体がなんとも言えず綺麗です。

二瀬ダム天端 そして天端が一般の道路となっており、先ほどの駒ヶ滝トンネルからこの天端を通過して三峰神社に向かう道となっているようです。

滝沢ダムを通過する国道140号線ができる前は、彩甲斐街道はこちらがメインのため観光シーズンともなるとこのトンネル付近が大渋滞だったそうです。
二瀬ダムと秩父湖 さすがに天端を歩くのはちょっと怖いため、秩父湖はホンの気持ち程度の写真です。この秩父湖はこのダムができた時に秩父宮妃が命名されたそうです。 それでも水の青さが非常に綺麗に映えています。

紅葉はそれほど見られませんが、それでも十分楽しめます。
下流側には散策道があるようで、じっくり楽しめるようすですが、大分時間も経過したことから早めに引き上げることとなりました。 もう少しじっくり秩父湖の周辺も散策したかったのですが、次の機会としておきましょう。
先ほどの駒ヶ滝トンネルを通り、二瀬ダムの天端を通過して最後の三峯神社に向かいます。
二瀬ダムと秩父湖 天端を抜けた先から見た二瀬ダムと秩父湖、そして紅葉とのコントラストが実に見事でした。

関連記事
スポンサーサイト


コメント

    コメントの投稿

    (コメントの編集・削除時に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)


    トラックバック

    Trackback URL
    Trackbacks