歴史を尋ねる散策記。歴史の必然、偶然を楽しんでいます!!!!
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平成25年2月8日から3月8日までの丁度1ヶ月間、湯島天神では第56回湯島天神梅まつりが開催されていました。
4年前に埼玉県越生の越生梅林で購入した我が家の「酔心梅」も八部咲きで、そろそろ春の訪れも近いなあ、と思いつつ寒さで鼻炎に悩まされている昨今でした。
さて、この湯島天神ですが、個人的には浅からぬ因縁がありまして、思いおこせばほぼ40年前のことです。
当時私は高校生で、大学受験を控えた受験生真っ盛りということもあり、小学校からの親しい友人3人とともに合格祈願を込めて高校3年の冬、大晦日に4人で初詣兼合格祈願に湯島天神を参詣したのです。
勿論、友人同士で行くのですからそれ程の緊迫感もなく、どちらかと言えば遊び半分といった気分です。その現れが参拝後に焼肉屋でたらふく焼肉を食べたことからも伺えるのですが。。。
そして運命のJR御徒町駅です。
帰りは4人で授与された破魔矢をもって、気分もよろしくJR御徒町駅で帰りの電車を待っていたホームで突如それは起こったのです。
な、なんと、こともあろうに私の破魔矢についていた絵馬がホームに落ちてしまったではないですか。「いやあ、縁起悪!」とか、「マジ、マジか~(笑)」とか、「ドンマイ」等など、慰めとも中傷ともつかない言葉の数々。。。
と、言いながらもまあ、笑い話と言うことでその場はおさまったのですが、蓋を開けてみれば、な、何と私だけ不合格で浪人、ほか3人は現役合格という何とも辛い結果となってしまったのです。
ありがちな記憶違いかとも思うのですが、現在でも珠に4人で飲むとこの話しが必ず出ますから夢や幻ではなかったようです。
湯島の道真さんは恐らく「努力が足らない」「油断大敵」といった戒めのつもりだったのでしょうが、自分の努力不足は棚に上げて、「ここは御利益がない!」とばかりに責任転嫁をしたことは私の性格上、言うまでもないことです(汗)
その後、翌年の受験では亀戸天神に参詣して何とか合格したことから、その後、二人の娘の合格祈願を初めとして、受験祈願には亀戸天神に参詣し事なきを得たことから、以来湯島天神を訪れることはなかったのです。
昨年は観梅に亀戸天神を訪れましたが、まあ、そろそろ封印も解こうか、ということから、実に40年ぶりに訪れる湯島天神ということになったのです。
この梅まつり、第56回とあるようにほぼ私と同年代の歴史を持ているのですが、先の理由からあえて行かなかったものを、何故急に行くことにしたのかというと、愛読させていただいている四季歩さんのブログ【四季歩のつれづれ】で、この湯島天神の「ガス灯」を知ったからです。
その「ガス灯」は点灯するガス灯としては都内唯一のものという、まさに文明開化の象徴が残っていることに魅かれたのです。
どうせ仕事の途中でちょっと寄れる場所にあることから、平日のお昼時に訪れたのです。
東京メトロ千代田線の湯島駅を下車して5分ほどで湯島天神に到着しますが、その間駅前からは「白梅商店街」が続いていて、こんなそそるパン屋さんもあって、じっくり散策したい気持ちになる商店街でした。
商店街の角を曲がって突き当たったところが、湯島天神の急な石段である「男坂」です。かなり苦労するという石段ではありませんが、それなりに急ではあります。
男坂を上がった右手に緩やかな石段があります。こちらが「女坂」です。
得てして男坂と女坂が揃いであるところは多いのですが、スペースの関係で女坂が無いのはわかるのですが、女坂があれば男坂を作る必要があるのでしょうかと、常々素朴な疑問があり、男でも女でもゆっくり昇れればそれでいいのではないかと思うのですが、「てやんでえ~、べらぼうめ!」と気の短い江戸っ子には気に食わないのでしょうかね。
まあ、埼玉都民ですから江戸っ子の気持ちがわかってたまるか!、といった気持ちではあるのですが(汗)。
男坂を上がった先に鳥居があります。
ここから女坂を通してみた風景が、江戸時代の安藤広重の「湯島天神坂上眺望」に描かれているのです。
江戸時代はここから上野の不忍池が見えたのですが、現在はこのようにビルで阻まれているのは仕方ないでしょう。
それでも何となく名残が有りそうで無さそうで、実にイライラする場所です。
そしてその女坂の右手が梅園となっています。
まだ、満開ではありませんが、ほのかに甘い香りが癒されます。
ここで甘い香りを楽しみながら、女坂を上り下りするのも一興かもしれません。
鳥居をくぐった直ぐ左手にお目当ての「ガス灯」があります。
梅まつり期間中は露店が一杯でていますので、ガス灯もわかりにくいのですが、まさに文明開化の復元なのです。
案内板によれば、もともとこの境内には5基のガス灯があったのですが、1965(昭和40)年までにすべて撤去されたのだそうです。
しかしながら“湯島の白梅”という唄の歌詞に「青い瓦斯(ガス)燈」が登場するほど有名なガス灯だったことから、東京ガスの協力によりこのガス灯が新たに設置されたもので、都内唯一の点灯する屋外のガス灯となったようです。
そう聞いて調べてみると、全国には結構たくさんのガス灯が残っていて、更に東京にも他に幾つも残っているのです。
日本ガス協会のサイトの【ガス燈のある街】では東京都の千代田区・和田倉噴水公園、三菱一号館 一号館広場、港区・日本ガス協会ビルディング、品川区・御殿山ヒルズ、 「ねむの木の庭」公園 の5ヶ所にあるようです。
《品川区・御殿山ヒルズ(C)日本ガス協会》
因みに埼玉県にはさいたま市・さいたま市役所と飯能市・能仁寺にあるのですが、以前「浦和のうなぎまつり」でさいたま市役所を訪れた際に偶然にもこのガス灯が写っていました。
それはさておき、この案内板が設置された頃は都内唯一だったと言うことになるのですが、全国のガス灯を訪ね歩くというのも面白そうな企画になりそうですね。
余談ながら、この歌詞の元となった新派『婦系図』(原作・泉鏡花)は、尾崎紅葉の『金色夜叉』、徳富蘆花の『不如帰』とともに明治の三大メロドロマといわれているようですが、実際のところ『婦系図』のテーマは社会派ドラマであって、決してメロドラマではない事をはじめて知りました。
兎にも角にも目的の一つである「ガス灯」を見たので、これから観梅となります。
鳥居を抜けた参道の右手に立派な社殿があります。
と言うことは、男坂から上がってきた石段と、そこから続く参道は表参道ではないと言うことです。
観梅の前に参拝を済ませますが、この湯島天神は458年創建と伝えられていることから相当な歴史をもった古社なのですが、菅原道真を勧請して合祀したのが南北朝時代の1355(正平10)年なので、これをもって創建としている説もあるようです。
湯島天神を有名にしたのは江戸の享保期の三富の1つであった富くじ興行によるもので、明治時代は先の『婦系図』とそれによる観梅、そして現在では受験の神様として親しまれているのです。
受験シーズンもピークを過ぎたようですが、この絵馬の数々を見れば如何に多くの受験生が訪れていたかが伺えるのです。
まあ、かつて私も不本意ながら(まだ、根に持っている・・・)神頼みの一人だったのですが。。。
この立派な社殿は老朽化のため1995(平成7)年に再建されたものなので、新しく綺麗なのです。
当時、参拝したころの様子は全く覚えていません。大晦日の夜中、ごった返す中のことでしたから。。。
この立派な社殿ですが、注目はこの紋です。
神社にも当然神社固有の紋があり“神紋”というもので、一般的には、その神社に縁のある植物や縁起物、または公家や武家の家紋が使われています。その中でも有名なのが菅原道真=梅ということから使用されている天満宮グループの梅紋なのです。
ここ湯島天神の社紋も梅の紋で「加賀梅鉢」紋を神紋として採用しています。
名前からも推測されるとおり、加賀百万石の前田利家を祖とする前田家が菅原道真の末裔だと言う(根拠は全く無い)ことから作られた紋なのです。
ただし、天満宮グループの梅紋も各社によって違います。
例えば太宰府天満宮は「梅花」紋、京都北野天満宮は「星梅鉢」紋といった具合で、同じ梅でも各社違った紋を採用しているのです。
特にこの梅の紋は人気があり、現在でもそのバリエーションは100種類以上あるそうですから、近くの天神さんを訪れた際には神紋に注目されてみてはいかがでしょうかねえ。
拝殿の右手にはその大宰府から贈られた本物の梅鉢が飾られています。
「奉納 太宰府天満宮『梅の使節』」と記載された豪奢な梅です。
流石に本社の威光は強いものがあるようです。
社殿を反時計周りに移動すると、右手にはお守りの授与所があり、社殿の右側にはこれもまた奉納された紅白の梅が飾られています。
これもまた風情のある可憐な盆栽です。
本殿も立派ですが、その周りの絵馬も梅も見事です。
婦系図でも“湯島の白梅”とある通り、ここ湯島天神の境内には白梅が多いのですが、所々にある紅梅が綺麗なアクセントとなっています。
突き当たりにある石段が「夫婦坂」という裏参道です。
ここには重厚な山門が設置されていますね。
本殿の左手には梅祭りのためのステージが設置されています。
様々なイベントが行われているようですが、ちょうどこの日にはキングレコードの原田悠里のキャンペーンが行われていました。
流石にこういった場所は演歌のキャンペーンにはもってこいの場所のようです。
その前には綺麗な折り紙が展示されています。
この近くに「おりがみ会館」があることから、展示されているようです。
日本の文化ですから、機会があれば一度訪れてみたいところですね。
やはり梅まつり期間はウキウキさせられるような、煌びやかな空気に包まれています。
ここからが最後の観梅です。
境内の中央にある梅園を中心に約300本の梅の木が植栽されていて、その80%が白梅なのです。
境内点描です。
白梅の数々。。。
女坂を上から眺めるとこのように綺麗に見えます。
アクセントの紅梅も良いですね。
こんな紅梅も天神社らしいアングルなのかも。
梅園は日本庭園になっています。
様々な碑もたくさん奉納されており、これらの説明はオフィシャルサイトに掲載されています。
こちらの梅は「ウメ“思いのまま”」という梅の木で、別名“輪違い”といい、枝の中で、白・絞り・紅と咲き分ける品種なのだそうです。
写真ではわかりにくいですが。。。
こうした風情も賑やかで良いものです。
そして、やはり天神さんには無くてはならない撫で牛です。
梅園の周りにもたくさんの絵馬とともにこのような枝垂れ梅も風流です。
絵馬と言えば合格祈願ですが、境内の露店にも合格祈願にあやかった露店があります。
「合格大福」に「合格甘酒」
また、極めつけは「合格箸」です。
合格=五角、つまり五角形のスベリ止め箸だそうで、創業明治12年の歴史とともに洒落も効いていて一押しグッズです。
この露店の並んでいる参道が表参道で、その先にある鳥居が正式な表鳥居です。
この鳥居は銅製の鳥居で、寛文7(1667)年のもで、現在は都の指定文化財です。
あまり綺麗には写せませんでしたが、甘い香りと、露店の香ばしいかおりが相まって、湯島天神の梅まつりは今年も終了となります。
こういった機会もあまりありませんので、会社の帰りがけに夜の観梅と洒落込んで見ました。
梅まつり期間中は梅園もライトアップされているのです。
夜の部もまた境内点描です。
男坂に女坂、ライトアップされた梅林もまた綺麗なものです。
もう一つの坂である夫婦坂はライトアップと雪洞でまた違った風情です。
社殿は全て閉じられていますが、参拝に来る方はまだ多いようです。
なかなか神秘的な雰囲気です。
昼間見た「ウメ“思いのまま”」や枝垂れ梅もまた落ち着いた風情の中にたたずんでいます。
昼間と違い参拝者も少ないので、落ち着いて観梅ができます。
昼間と同じアングルながら違った表情はこちらでも見られます。
更に昼間の女坂の上からのアングルです。
中々見事な情景に時のたつのも忘れそうです。
そして最後はやはり「ガス灯」で締めくくります。
やはり夜のガス灯のほうが趣がありますね。
湯島天神から帰りはJR上野駅に戻りましたが、途中の不忍池と弁財天も幻想的で素敵な夜景でした。
江戸と明治と昭和の歴史を残している湯島天神で、観梅以外の見所はまだまだ沢山あるので、次の機会にまた訪れてみたいですが、やはり合格祈願の場合は亀戸にしておきましょう(汗)
湯島天満宮
いつもながらすごい情報量ですね~。
湯島は行った事がないので興味深々で拝見しました。
受験のときの絵馬の話は考えさせられますね。
やはり予言(?)されていたのでしょうかね?
それにしても奉納されている絵馬の数に圧倒されますね!
時代は変わっても神頼みは変わらないのですね~。
こんばんは!
夢や幻でありたい気持ち、分かるような気がします・・・。
私も高校受験の際に、湯島天神に合格祈願に行きました。
お陰さまで志望校に合格しました(笑)。
当時を思い出しながら歩いてみたいですね~。
それにしても復元とはいえ、実際に点灯するガス灯があるとは驚きです!
確かに、このガス灯目当てに行くだけでも価値はありそうですね~。
梅の花もとても綺麗です!
鴨ミールさん、ありがとうございます。
今となっては楽しい思い出ですね。
受験を心配するのは、当事者のときより親になってからのほうが大きかったですね。
もう今後はないでしょう。
その分散策を楽しめたのは何よりでした^^
マヤリモ さん、ありがとうございます。
まあ、結局のところ一所懸命勉強した方は、きちんと合格するって事ですね。
それも、これもひっくるめて良い思い出ということです。
色々なところに落としたものを今になって拾って歩くのもまた楽しいものだと、改めて思いました^^
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埼玉県上尾市在住で、埼玉県を中心に散策してみつけた歴史を楽しんでいます。
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