歴史を尋ねる散策記。歴史の必然、偶然を楽しんでいます!!!!
17:25
ゴールデンウィークも終盤の5月5日の子供の日、天気も良いので出かけようかと思い立ったのですが、一体どこに出かけようかと悩んでいたところ、前日あのテレ東でオンエアしていた旅番組で、青梅にあるつつじの名所を紹介していました。
ちょうど見ごろで、更に過日圏央道が桶川・北本ICまで延伸していることもあって、一度圏央道を鶴ヶ島ICまでではなく長距離で使用してみたかったことから急遽青梅に出かけることにしたのです。
澄み渡ったちょっと汗ばむような上天気のなか、5月5日AM9:00に自宅を出発しました。
GWでありながら終盤とあってそれほど高速も混んでいないようです。
桶川・北本ICから順調に高速を進み、青梅ICで高速を降りて目的地である青梅の「塩船観音」に到着したのはなんとAM10:00で、まさにドアトゥドア1時間という早さでした。
しかしながらメディアの力を侮ってはいけないようで、既に塩船観音の駐車場は満杯で、近辺の臨時駐車場を利用して何とか車の始末は終えられたのでした。
初めて訪れた青梅はどのような景色を眺めさせてくれるのでしょうか。
【青梅市観光案内】http://www.omekanko.gr.jp/
臨時駐車場から5分ほど歩くと「別格本山 国宝 塩船観音」と刻まれた迫力の寺号標が立っています。
いきなり国宝と言われると敷居が高そうですが、すでにつつじも見られ、実にお祭り気分の雰囲気がそこかしこに漂っています。
そしてその先には茅葺屋根の山門が控えており、つつじが無くとも充分堪能できそうな佇まいを見せてくれています。
よく見れば山門は八脚門に阿吽の金剛力士像が安置されているので、仁王門ということになるのでしょう。
この山門は重要文化財で、金剛力士像は東京都指定の有形文化財なのだそうです。
特に山門は室町時代の建立とのことで、その歴史の重さも感じられると言うものです。
山門を抜けるとすぐ先に大きなお堂が見えます。
多くの人が参拝しているのでかなりの行列状態ですが、このお堂は「阿弥陀堂」です。
こちらも室町時代建立の重要文化財で、祀られている阿弥陀三尊は市指定文化財です。
元々は山門同様茅葺の屋根だったそうですが、昭和36年の解体修理時に国の指導により銅板葺に変更となったのだそうです。
火災や老朽化等を考えれば仕方ないでしょうが、茅葺だと更に趣が違っていたでしょうね。
阿弥陀堂を参拝して先に進むとここで入山料300円を支払います。
4月中旬から5月中旬までのつつじ祭りの際だけ入山料が必要となるようです。
入山料を支払って先に進むと大きな杉の木が連なっています。
こちらは東京都の指定天然記念物「塩船観音の大スギ」だそうです。
観音堂へ登る道の両側にあるので「観音の夫婦杉」とも呼ばれ、境内の樹叢のシンボルともなっているのです。
「高尾山の飯盛スギ」「奥多摩の氷川三本スギ」と並ぶ都内では有数の天然記念物の巨木なのです。
スギは真っ直ぐ高く聳え立つことから、ご神木とされるケースが多く大切にされることから、巨木になるものが多いのですね。
また、「過ぎてよし」の語呂合わせからスギとヨシの小枝を戸口につるす風習などがあり、古くからなじみの樹木なのです。
杉並木を抜けると茅葺屋根の小振りなお堂があります。
こちらは「薬師堂」です。
青梅市指定の有形文化財の薬師堂は、貞観年間(859~876)に天台宗の安然が比叡山から七社権現を勧請して、先の阿弥陀堂、この薬師堂、そして十二僧坊を建立したのだそうです。
この薬師堂自体の建築年代は不明のようですが、桃山時代の建物だと推定されているそうです。
因みに祀られている薬師如来も市指定の文化財です。
このような修験僧も実に建物の趣とマッチした非常に興味深い光景です。
ここから石段を上がったところが「本堂」です。
こちらは堂々たる大きさの建物で茅葺が見事な景観を作り上げています。この茅葺屋根は茅と杉皮を交ぜた奥多摩の虎葺きと呼ばれるものだそうで、やはり室町時代建立の重要文化財です。
塩船観音の正式名称は「大悲山観音寺」で真言宗醍醐派の別格本山です。別格本山とは仏教の各宗派における大本山(または本山)に準じた待遇を受ける特別な位置付けの寺院のことです。
因みに真言宗醍醐派の総本山は京都市の醍醐寺で、高野山真言宗の総本山は和歌山県の金剛峯寺となるのです。
開創は大化年間(約1300年前)、若狭国の八百比丘尼がこの地を訪れ一寸八分の紫金の観音像を安置したのが始めと言われ、その後、天平年間(約1200年前)に僧行基が堂宇を再興し、この地を“塩船”と名付けたのです。
“塩船”とは周囲の地形が小丘に囲まれ舟の形に似ていて、衆生を救う「弘誓の舟」になぞられて付けられたようです。
《(C)塩船観音オフィシャルサイトより》
その後は前述した安然の再興となるのです。
本尊の千手観音は鎌倉時代の造立で東京都の有形文化財となっており、その本尊千手観音の眷属である二十八部衆もまた有形文化財となっており、実に文化財としても見るべきものが多く残っている塩船観音と言えるのです。
主たる堂宇を参拝してからは、いよいよ主目的である“つつじ”の参観です。
先に境内は船のような形と記述しましたが、確かにこのように縦長に境内域は延びていて、中央の堂宇を囲うようにつつじが咲き乱れているのです。
こちらは右手側から半周することになります。
そして一番奥に到達すると、そこにあるのが「塩船平和観音立像」です。
特に驚くべき大きさではありませんが、やはり塩船観音寺のシンボルとして、その美しい姿を現しているようです。
そしてこの観音立像からみた光景がこちらです。
“息を呑む”光景とはこう言った光景を言うのでしょうかね。
とにかく美しい風景ですが、その要因の一つには何といってもそのつつじの多彩な色にあるように思えます。
一般的にイメージするつつじの色はピンク、赤、白といったところですが、ここにはオレンジや紫色といったものがあることからその美しさを強調しているのではないでしょうか。
つつじも当然ながら、ここからは御岳山などの奥多摩の山々や、青梅の市街を見渡すことができるのも嬉しいところです。
そして境内の左手からの眺めです。
こちらからの眺めもまた素晴らしい眺めです。
最後に中央にある堂宇に降りますが、この堂宇は「護摩堂」で日々祈願する道場として、昭和の時代に建立されたものだそうです。
護摩堂から見上げた観音立像もまた、つつじに囲まれた光景もまた味わい深いものです。
いつまでも見ていたい気持ちに駆られますが、ここは後ろ髪ひかれながら観音寺を後にしました。
塩船観音を後にして、青梅の市街地に向います。
青梅市のJR青梅駅の南側周辺一体は、「おうめまるごと博物館 “昭和と映画看板の街”」というコンセプトの基に町興しが行われているのです。
そしてそのコアであるのが都道28号線沿いで、この通りは通称「赤塚不二夫シネマチックロード」と呼ばれており、映画看板と博物館が立ち並んでいるのです。
道沿いに案内看板が立てられていますが、そこには「映画看板師 久保板観銀幕街道」というタイトルが付けられています。
久保板観氏は16歳で地元青梅の映画館などの映画看板師となり、泥絵具にニカワを混ぜて映画の看板を描く技法を持つ国内で唯一の看板師です。
映画全盛の昭和30年代には、何と1日1枚のペースで描いていたそうですから、いかに映画の人気があったのかがうかがえます。
午後からは、このシネマチックロードを散策します。
公共駐車場があまり無いので私営の駐車場に車を止めておくのですが、駐車場の受付けに「昭和を楽しむ三館めぐり」という割引券をいただいたので、この三館を巡って見ることにします。
そして駐車場には早くも映画の看板を見ることができるます。
「君の名は」はみていませんが、「夕陽のガンマン」はウェスタンものは好きで、リバイバル上映で見たことがありますが、“マカロニウェスタン”と呼ばれアメリカ版よりも随分と濃いウェスタンでしたね。
駐車場の前のお店には「明日に向って撃て」の看板が目を引きます。
この映画もリバイバル上映で見ましたが、アカデミー賞受賞作品ですから面白くないわけはありませんが、それよりもバカラックの主題歌「雨にぬれても」が実にいいシーンで流れていて、後にレコード(古っ!)を買いに行った記憶があります。
さてこの賑やかなお店には、看板の上の更なる看板「ベニーグットマンストーリー」の看板に“マイナー堂”と書かれているのが見て取れます。
こちらはいわゆるCD、DVDショップで、特に売りは演歌やカラオケファンの方たちの為に在庫が2000本もあるそうです。毎年2月の青梅マラソンでは松村和子の「帰ってこいよ」を店頭で流して応援しているそうですから、青梅マラソンを走られた方はご存知なのかもしれませんね。
因みにこのシネマチックロードは青梅マラソンのコースなのですね。
更に道路わきには「グレン・ミラー物語」の看板です。
TVでは何回か見ましたが、JAZZ映画では先の“ベニー・グッドマン”と「五つの銅貨」の“レッド・ニコルズ”とともに三大ジャズマン映画と勝手に思っています。
のっけから懐かしさにふけりながら、まずは1館目の「昭和レトロ商品博物館」に入場します。
この博物館は平成11年にオープンしたそうで、昭和B級文化研究家の串間氏という方が蒐集した資料をもとに展示されたものなのです。
“ギブミーチョコレート”から始まった戦後から立ち上がり、日本民族はその勤勉さで高度経済成長を目指すまでに扱ぎつけ、昭和30年代から破竹の勢いで成長していったのです。
その昭和の歴史を商品の視点で見られるのが、この博物館のポイントで、昭和20~40年代に誕生した人たちには、随分と懐かしいモノが見られるのです。
早速入館すると先ず目に付くのは、町興しのコンセプトでもある“映画看板”の数々です。
入口にもあったように、ここは「板観記念館」とあるように久保板観氏の記念館でもあるからです。
こちらは更に時代が遡った映画ですので観てはいませんが、輝かしきキネマの時代を彷彿とさせてくれるものです。
正面には本当に懐かしいタバコの数々が展示されています。
硝子瓶に入った“ゴールデンバット”は、私の時代では一般的なタバコ屋にはない時代でしたが、良く山中湖周辺で販売されており、まとめ買いをした覚えがありますが、確か記憶では30年以上前セブンスターが150~60円のころ、40円位だったような記憶がありますので何ともリーズナブルなタバコだったということです。
30年吸い続けて、突如タバコをやめてすでに6年がたちますが、思い出として、また歴史として結構喫煙者にはある意味懐かしいもので、時代とともに思い出の歌があるように、タバコもまた思い出とともに存在していたわけですね。
因みにハンドルネームの“薄荷脳”はメントールの事で、当時、メントールタバコを愛用していたことから付けたのも今や懐かしい思い出となりました。その因縁のメントール煙草の最初が「Mr,Slim」だったのです。
今はもうないのでしょうね。
ショーケースには懐かしい漫画の数々や、ビデオカメラの前身である8ミリカメラが展示されています。
恐らく昭和30年代生まれが「貸し本屋」を知っているギリギリ最後の世代でしょう。また、動く姿が撮れる8ミリは垂涎の的でしたが、そうおいそれと買える代物ではなったですね。勿論、私の家にはありませんでした。。。
そしてその奥が懐かしの“駄菓子屋”です。
子供の頃、小学校の前に「うさぎや」と「かめや」という駄菓子屋が道を挟んで2軒あり、必ず学校の帰りにはどちらかに屯していましたね。
1回5~10円で子供のおやつとしては充分買えましたから、子供にとってはまさに天国でしたが、現在の衛生面から言えば、当時の駄菓子は“毒”ばかりということになるのでしょうね。それでもとにかく甘ければ良いという時代でしたから、それはそれで当時としては有なのです。
ここで1点注目しておきましょう、“ドロップ”です。
有名な話ですが、このサクマドロップには2つの会社があるのです。
元々は1908(明治41)年、佐久間惣次郎商店(後の佐久間製菓株式會社)が「サクマ式ドロップス」を販売したのが始まりでしたが、大戦により砂糖の供給がとまり廃業となったのです。
戦後になって戦前の会社の番頭の立場にあった人が池袋で会社を興し、やはり戦前社長を務めた人の三男が恵比寿で会社を興したのです。当然この2社は裁判で争い、その結果、池袋の会社は「サクマ式ドロップス」の商標を使うことが認められ、恵比寿の会社は「サクマ製菓株式会社」を名乗ることが認められ結局はこうなったのです。
サクマ式ドロップス(Sakuma's Drops)
池袋の「佐久間製菓株式会社」から発売され、容器には赤色の缶などが使われており、マークには菱形にヨットの絵が描かれている。
サクマドロップス(Sakuma Drops)
恵比寿の「サクマ製菓株式会社」(後に目黒区へ移転)から発売されて、容器には緑色の缶などが使われており、マークには王冠とヨットの絵、「サクマ製菓」「しぶや」の文字が描かれている。
という、2種類が存在することになったのです。
因みにこのドロップス、当時としては駄菓子屋に置くような安さではないので、普通のお菓子屋にしか置いてなかったような記憶があるのですが、どうでしょうかね。
フロアの中央には大型物の展示がされています。
昭和33年から現在にいたるベストセラーで、蕎麦屋の・・・、といえばこの「スーパーカブ」をおいて右に出るものはいないでしょう。
世界最多量産の二輪車で、同時に世界最多量産の輸送用機器なのだそうです。
日本が誇る世界のHONDAってところでしょう。
そしてチャリンコの荷台にのった紙芝居屋です。
拍子木が打たれるとウジャウジャと子供達が集まって来たものです。何かを買わなければ“タダ見”と決していじめではなく蔑まれます。子供社会のルールですから。。。
なめ抜き、かた抜きなどなど色々ありますが、やはり一番美味しそうだったのが、洗面器に入っていた“水あめ”でしょう。小遣いが多いときにはアンズなどをいれてちょっとセレブな気分で紙芝居を見たものです。
とにかくTVがすっかり定着するまでは、子供達の最高のメディアであったと思います。
目を上に転じると、壁沿いには映画看板が掲出されています。
その中でも「キューポラのある街」は私が生まれ育った埼玉県川口市を舞台とした作品で、何と言っても吉永小百合の魅力を知らしめた名作です。残念ながら公開当時は小学校低学年でしたからリアルには見られませんでした。
後に撮影場所を廻ったことがありましたが、それも古きよき思い出です。
壁伝いにはコーナーごとに展示品があります。
こちらは「記憶の中の昭和展」とあり、特に昭和の中期に流行ったものたちを一堂に集めています。
ペコちゃんにボンカレー、コカ・コーラにアンクルトリス、アトムにウルトラマン、ビートルズにマリリン・モンロー、そしてモデルガンにメンコなどなど、一度は目に触れた、食べた、経験したといったものばかりですね。
文具や日用品もあります。
象が踏んでも壊れない筆箱。。。 そして中学で坊主頭の癖に妙に色気づいて付け始めた化粧品。。。 更に子供のころつい舐めてしまうフルーツ味の歯磨きとか。。。
懐かしいの連発です。
更にコカ・コーラグッズにジュリー、そしてゲームなどが所狭しと展示されています。
「バンカース」の保険金満期$500をおぼえていらっしゃる方は、相当やりこんだ方ですね。
そしてこちらは「今でも売っているロングセラー商品」というコーナーです。
先のサクマ式ドロップを初めとして、結構沢山あるものなんですね。
そして最後のコーナーはやはり映画看板の数々です。
広さ的にはそれ程広くは無いのですが、とにかく昭和がギュッと凝縮されており、昭和の賑やかな雰囲気が伝わってきそうな博物館でした。
これでお終いかと思いきや、2階が企画展示室となっていて、階段脇には「雪女の部屋」と書かれています。
早速2階に上がると、早速“雪女”のお出迎えです。
何故に“雪女”かと説明を見れば、この一説が全ての始まりだったようです。
これは小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の書いた「怪談」の序文なのですが、ここに記載されている“武蔵の国、西多摩郡、調布村”とはまさしく現在の青梅のことだからなのです。序文
・・・・・・「雪おんな」という奇妙な物語は、武蔵の国、西多摩郡、調布村のある百姓が、その土地に伝わる古い言い伝えとして私に語ってくれたもの。この話が日本の書物に既に書き表されているかどうか解らないが、私の心に呼び戻される、あの異常な信仰は日本のほとんどの場所に、いろいろな珍しいかたちとして、きっと存在しているに違いない・・・・・・(「怪談」序文より)
昭和レトロ商品博物館の隣には「赤塚不二夫会館」があります。
赤塚不二夫といえば多くの方が知っている漫画家で、過日惜しくも亡くなられたのは残念なことです。
その記念館とも言うべき会館が何故青梅にあるかが、まず気になりますね。
これは先の商店街の町興しの際に「元気だった昭和という時代のシンボルに」と誘致し、若い頃看板の仕事に携わった赤塚氏が賛同し、古い蔵を改装して2003(平成15)年にオープンしたものなのです。
早速入館します。
最初の展示室には数多くある赤塚ギャグのうちでも、最高のギャグであろう「シェー!!」から始まります。
まあ、単に国内だけに留まらずゴジラやビートルズにも「シェー!!」をさせたということで、最高のギャグといったまでで深い意味はありません。
そしてここには“おそ松くん”と“ひみつのアッコちゃん”の50年史が描かれています。
まさに“おそ松くん”はリアルタイムな時代で、毎週少年サンデーは欠かさず見ていた子供でした。“ひみつのアッコちゃん”は「リボン」掲載でしたから読んだことはありませんが、アニメのエンディング曲の“すきすきソング”は秀逸でしたね。
その先は昭和の路地を模した通路が、フォトギャラリーとなっています。
やはり注目は、“トキワ荘”時代なのでしょうが、ここで見逃せないのがパフォーマンスフォトで、赤塚氏自体が赤塚ギャグであるという真骨頂が散りばめられていました。
途中にはキャラクターたちが総動員です。
特にタモリとの写真は今や貴重な写真といえるでしょうね。
そして会館の見所はやはり多く展示された原画の数々ですが、ここは撮影禁止ですので遠目からのショットだけです。
中央にはおそ松君、アッコちゃん50周年と、金のイヤミ像がシンボリックに展示されています。
ここから2階に移ると、やはりこれ抜きでは語れない「トキワ荘」で、トキワ荘の部屋を再現した展示も興味深い所です。
一応、トキワ荘時代の新漫画党のメンバーを確認しておきます。昭和31年7月の写真です。
前列左から、つのだじろう、寺田ヒロオ、藤子・F・不二雄、中列左より森安なおや、石ノ森章太郎、藤子不二雄A、赤塚不二夫、鈴木伸一です。
今更説明をする必要もない綺羅星ですが、その中の森安なおやは、貸本屋向けの書き下ろし単行本を数多く手がけていたのですが、借金の踏み倒しなどで新漫画党を除名になった漫画家です。
また、鈴木伸一はアニメーション作家で、写真を良く見ると気が付くかもしれませんが、藤子不二雄の漫画のキャラクター“小池さん”のモデルとなった人物で、本人もラーメン好きなのだそうです。
そしてその後は掲載された数々の漫画雑誌やキャラクターグッズ、そしてフォトギャラリーと貴重なものが沢山見られた展示でした。
最後はグッズ売り場で、多くの赤塚キャラクターのグッズが販売されています。
この会館がオープンした時には既に赤塚氏は病気療養中だったことから、結局ここには足を踏み入れることはできなかったそうですが、天国でもシェー!!をしながら喜んでいるのでしょう。。
赤塚不二夫会館からは最後の「昭和幻燈館」に移ります。
通りを隔てた斜向にあるのですが、通り沿いには興味深いモニュメントがあります。
1つは電話ボックスです。
何となく“ハウルの城”を髣髴とさせるような趣のあるモニュメントです。しっかりここにも映画看板は付けられていますが、全くタイトル名すら聞いたことの無い映画です。
住宅地の奥にはソフィア・ローレン主演の「河の女」の看板です。
電話ボックスの先には昭和の田舎にあったような“バス停”がありますが、“バス停”の上に「バス停留所」の看板とは洒落たものです。
実際にはバスは停まらないのでしょうね。
バス停の先にあるのが「昭和幻燈館」です。
幻燈とは“幻灯機”のことで、スライドを映し出すスライド映写機の古典的名称です。
映画の街をシンボライズした資料館といったところでしょう。
この資料館は現在も営業している雑貨屋の店舗の半分を資料館とした施設なのです。
常設展示としては以下の3テーマがあります。
1つは街全体のコンセプトとなっている久保板観の映画看板の展示です。
あの有名なメロディを思い出させる「禁じられた遊び」などがあります。
2つ目は造形作家“山本高樹”のジオラマです。
やはりかつてのキネマの街を再現したかのような古き良き青梅の姿が蘇っているのです。
3つ目は人形作家“大滝博子”の創作人形の数々です。
“家族”をテーマとした人形で、いわゆる核家族と言われる前の時代の家族を表現しているようです。
一人一人の表情が実に豊かですね。
今日は企画展という意味になるのでしょうか、夢二の世界を創作したアラーキーの写真も展示されていました。
まさに幻燈に相応しいレトロ昭和の断片を垣間見た気がします。
お店には懐かしいブロマイドなども販売されていて、とっても昭和なお店でした。
最後に青梅の名物であるコクのある餡で美味しい「へそまんじゅう」をお土産に青梅を後にしました。
文字通り観梅で有名な青梅ですが、違った魅力のある青梅の一端を堪能し、また訪れてみたい魅力を持った街でした。
すばらしい~~!!
昭和のレトロ~~!!
大昔の映画の看板~~素敵ですよね。
父が映画好きだったので、家にたくさん古いビデオがあり(今の御家庭にはビデオなんてないのでしょうね~)
たいていのものは、みましたよ~~。
キムノバクとか美人でしたよね~~。”愛情物語”とか”血と砂”とか・・・??
今は500円DVDで古い作品がうってますが、和訳がじゃっかん以前のものとちがいますよね。
すばらし~~ここ・・・是非行きたいです(^o^)
それと・・・以前ご紹介くださった小江戸ビール・・・今、人気ですね!!
すごく楽しい記事をありがとうございます。
良いですねぇーーー!!
青梅昭和レトロ・・
話には聞いていましたが、やはり良いですね!! 行きたくて、コウフンして来ました!!
楽しいレポ、ありがとうございまぁーす!!
四季歩 | ipmCGEIo
なるほど、違う青梅ですね
青梅まで車で30分くらいで行くので、
よく訪れていますが、私はバカの一つ覚えみたいに、
梅の公園、吉川英二記念館、沢の井、玉堂記念館など
ばかりに行ってます。
違う青梅の魅力を沢山教えていただきました。
青梅の街を車で通るとき、街にかざってある映画の看板を
全部撮ってやろうか、と思ったきり忘れていました(笑)
これはやらねば。
いい刺激をありがとうございました。
りん子さん、ありがとうございます
高校生の頃がピークで私も映画大好きでしたね。
毎週1本は必ず見ていました。ロードシヨーでも三本立ても。
特に西部劇とミュージカルはお気に入りでした。
そんな映画少年だった頃を思い出させてくれる街で、もっと丹念に廻ればもっと多くの看板を見つけられたのだと思います。
機会があれば、ぜひ行ってみてください。(りん子さんなら無理してでも行きそうだなあw)
ありがとうございました。
vさん 、ありがとうございます。
レトロ好きにはい一興かもしれませんね。
特に中途半端で無いところが良いのでしょうね。
是非。機会があれば訪ねてみてください^^
四季歩さん、ありがとうございます。
実のところ何年も前から観梅に行く予定でしたが、今年も行きそびれただけですので、やはり観梅~吉川英二のルートは一度訪れてみたいところですので、来年は梅のほうに行きたいと思っています。
そう考えると、結構青梅って魅力のある街ってことになるんでしょうね、梅、つつじ、マラソン、レトロ、とかで。侮れませんね^^
このブログは、個人の趣味で運営しているものです。
埼玉県上尾市在住で、埼玉県を中心に散策してみつけた歴史を楽しんでいます。
お時間のある方はごゆっくりお読みいただければ幸いです。お時間のない方は、・・・適当に掻い摘んでください^^
コメント等は大歓迎ですので、お気軽にお書き込みください。
お立ち寄りいただきありがとうございました。
制作・著作 : 薄荷脳70