歴史を尋ねる散策記。歴史の必然、偶然を楽しんでいます!!!!
向山地区は上尾市の中央に位置するのですが、南側が凹んだ境界ゆえにすぐ隣がさいたま市北区に隣接しています。
タイトルにある“陣屋”とは江戸時代の幕藩体制における大名領(藩)の藩庁が置かれた屋敷、あるいは徳川幕府直轄領の代官の住居及び役所が置かれた建物のことです。
上尾市にはこの向山地区の他に 【西尾氏陣屋址】 で訪れた、かつての原市藩主・西尾氏の陣屋が文字通り原市陣屋地区にありました。
また、上尾市ではありませんが隣接の伊奈町には武蔵小室藩主・伊奈氏の陣屋があり、ここには当時の陣屋跡が埼玉県史跡として指定されているのです。
「ぐるっとくん」を「南中学校入口」で下車し、百メートルほど東上して、向山地区の入り口となる鴨川の橋を見る。橋名は「ゆるぎばし」とあるが、漢字では「揺木橋」と刻まれている。明治初年の記録では「緩木橋」とあり、「長二間・幅九尺・石造」とあるので、現在の橋と比べると大変小さな橋である。当時の橋は、現在の橋より約百メートル上流に架けられていたが、「川越道」という主要街道のためか「土橋」ではなく「石造」であることが注目される(『武蔵国都村誌』)。
スタートはその「揺木橋」です。
当時は長さ約3,6m、幅約2,7mですから、現在と比べれば半分以下の小さな橋だったわけです。
こちらの上流100m先に掛けられていたのですが、それでも当時としては立派な橋だったのです。
下流の左側がさいたま市北区となります。
ちょうどこの揺木橋が市境となるのです。
元のバス停の位置に戻り、西方へ七十メートルも歩くと信号のある交差点となる。右折して家並みの中を歩くと、左手に「向山不動堂」が見えてくる。参拝して、指定文化財の彫刻を拝観する。堂舎の向拝などにはめ込まれた彫刻なので、外からも十分見ることができる。信号から百メートルも歩くと三差路となり、道路の左袂には「あきは道」と刻まれた庚申塔がある。この辺りの明治初年の地図を見ると人家が軒を連ねていて、小さいながらも「街村」を形成している。当時は「川越道」に面したにぎわいの地であったことが、この地図からも推定される(『迅速測図』)。
その交差点がここ“大谷本郷”の交差点です。
右折して左側にとひときわ大きな木が見えるのが【向山不動堂】です。
文化財でもある彫刻は見事ですが、やはり残された一面に興味が惹かれますね。
不動堂の先の三差路に庚申塔があります。
はっきりとは見えませんが、これがおそらく“あきば道”と書かれたものでしょう。
“迅速測図”で調べると確かに向山周辺一帯には集落があるのが見てとれます。
《(C)歴史的農業環境閲覧システム》
上尾宿から川越にいたる街道沿いの繁栄が理解できますね。
庚申塔のある地点を左折してこ二百メートルも歩くと、前方に「地蔵堂」が見えてくる。入り口には「地蔵大菩薩」二基の立像があり、参詣する人たちを迎えてくれる。「向山村念仏講中」の人々が、寛政九(一七九七)年に建立したものである。同所には中世の板碑も遺されており、文永四(一二六七)年という古い年号も見られる(『上尾市史第九巻』)。
庚申塔を左折して直進した交差点の角が「地蔵堂」です。
こちらが入口にある「地蔵大菩薩」の立像で、さすがに寛政年間建立とあって年代を感じさせます。
境内を入ったすぐ右手にその板碑を見ることができますが、文永の年号は判読できませんでした。
そして境内奥にあるのが地蔵堂です。
碑文によればかつての地蔵堂は地域住民の憩いの場として、更に寄り合い所として親しまれたそうですが、建物の老朽化により現在の堂宇に縮小されて昭和46年に再建されたのだそうです。
その後、区画整理などで縮小拡大を図り、平成5年に共同墓地として生まれ変わったのだそうです。
地蔵堂の北側の道路を東ヘ百三十メートルほど歩き左折すると、三百メートルほど先の正面に鳥居が見えてくる。これが「向山神明社」で、この神社の境内地付近に古くは柴田氏の陣屋が置かれたといわれる。現在境内地の周辺は住宅地となり、陣屋の面影を伝えるものは何もないが、柴田氏が三代にわたり周辺三千石の地を治めた陣屋の所在地である。柴田康長が寛永元(一六二四)年に三千石の地を与えられ、以後康久・康利と受け継がれ、元禄十ニ(ー六九八)年、康利の時代に丹波国(京都府)へ転封になっている。柴田氏の支配は七十年余であるが、この間に向山村に陣屋が置かれたといわれる(『寛政重修諸家譜』)。神明社は陣屋取り払い後に創建されたものであるが、境内地には末社の八雲社・三峯社もあり、比較的広い境内地で住宅地の中に静寂空間を形成している。
(元埼玉県立博物館長・黒須茂)
地蔵堂の北側の道路を進み左折した道路の先に樹木が見えるところが「向山神明社」ですが、さすがに鳥居は見えません。
神明社の鳥居前で周辺を見渡すと、確かに新興住宅地で名残は何もないことが見てとれます。
早速鳥居をくぐって境内に入ります。
神明社の広い境内の左手に“庚申塔”があります。
これは「向山の宝暦三年銘庚申塔」と呼ばれるもので、上尾市の登録文化財となっています。特に女性が中心となって建立された庚申塔は上尾市では柏座の1基あるだけで、大変珍しいものだそうです。
いたってシンプルな拝殿と本殿です。
そして何よりも特徴的なのが、説明文にもあるように多くの境内社があることです。
一部の境内社には文化2(1805)年の記述も見られます。
陣屋の跡地ということもあり、集落の中心だったことから多くの信仰がうまれ、ここに集約したということでしょう。
かつての川越道沿いで賑わった向山の集落は、現在では閑静な住宅街となっているのです。
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