梅雨入りして雨らしい雨も降らない空梅雨のなか、この時期には珍しい日本列島に近づく台風の影響で一変して雨空になった6月11日、仕事の都合で日暮里方面に行ったついでに足を伸ばして「堀切菖蒲園」に行ってみました。
当然存在は充分知っていましたし何度も散策しようと思っていた場所ですが、どうもタイミングが悪く毎年行くことが出来ませんんでした。
今年は菖蒲の開花が早いようで、このままではまた今年も見逃してしまうという危機感(大げさな)から昼休みを利用して訪れたのです。

堀切菖蒲園

降り立ったのは京成本線「堀切菖蒲園」駅で、ホームはすでに祭りの雰囲気で一杯です。
堀切菖蒲園駅
駅前にも寄付者の一覧とか、提灯の数々などで大層賑わっています。この時期を逃すなといわんばかりの盛り上がりといえそうです。
堀切菖蒲園駅前 堀切菖蒲園駅前
駅前から住宅街の路地を進むと右手に「しょうぶ七福神」が現れます。
しょうぶ七福神
かなり重量感のある七福神で、1ヶ所でお参りができるとってもコンビニエンスな七福神なのです。
ここは元々「毛無池」と呼ばれた池があり、大正15年に埋立てられ堀切天祖神社の境外摂社として毛無池弁天社が祀られたのだそうです。その後平成6年に弁財天以外の六福神を合わせて祀られたのです。
この後にあるのが天祖神社の祖霊社です。
祖霊社 祖霊社
また、これは帰りに知ったのですが、祖霊社の裏手には十二支神が祀られています。
十二支神
信仰の対象と言うよりも、これだけ揃うとまさにアートの感覚となってきます。まさに古いものと新しいものが融合する歴史ある街、堀切といったところです。

住宅街の路地を進むと途中から更に小路となり、両側にあじさいが咲いた「アジサイ通り」を進みます。
アジサイ通り アジサイ通り
若干早いのですが、それでも綺麗なあじさいを見ながらというのも実に風情のあるもので、特にこの日は多少雨も降ってきたことからより情緒を感じるアジサイ通りとなりました。
そして「堀切菖蒲園」に到着です。
堀切菖蒲園
素朴なアーチが華美ではなく、落ち着いた堀切に良く合っています。
堀切菖蒲園
アーチを潜り抜けると菖蒲園が先に見え、左手に管理棟、そして右手には休憩所があります。
管理事務所 休憩所
この休憩所には古い写真が掲出されていて、菖蒲園の歴史が伺えます。
堀切園古写真

この堀切界隈に花菖蒲が伝来したのには2説あります。
1つは室町時代の頃だそうで、堀切村の地頭・久保寺胤夫が家臣の宮田将監に命じて、奥州郡山の安積沼ら花菖蒲を取り寄せて栽培させたのが始まりで、もう一つには江戸時代、堀切村の百姓・小高伊左衛門が趣味で各地の花菖蒲を収集し、本所の旗本万年録三郎から「十二単衣」を、花菖蒲の愛好家松平左金吾(菖翁)から「羽衣」「立田川」などの品種を受け自庭に植えたのが始めといわれています。
そして堀切で最初に開園したのは江戸末期の小高園・武蔵園だったそうです。江戸時代、当時の堀切は「江戸百景」に数えられ、名所案内や紀行文、鈴木春信・歌川広重の浮世絵に登場する位だったそうですから、相当著名な観光地だったといえそうです。

当時の人気振りを浮世絵から振り返ってみます。
『堀切菖蒲花盛図』三代歌川豊国 『堀切菖蒲花盛図』三代歌川豊国
安政6(1859)年
『堀切名花江戸の花菖蒲』歌川国芳 『堀切名花江戸の花菖蒲』歌川国芳
嘉永5(1852)年
『浮世絵 名所木母寺 堀切花菖蒲』歌川国英 『浮世絵 名所木母寺 堀切花菖蒲』歌川国英
嘉永6(1853)年
『名所江戸百景 堀切の花菖蒲』初代歌川広重 『名所江戸百景 堀切の花菖蒲』初代歌川広重
安政4(1857)年
『東京名所 三十六花撰 二十 東京堀切花菖蒲』二代広重 『東京名所 三十六花撰 二十 東京堀切花菖蒲』二代広重
慶応2(1866)年
『東京花名所 ほり切の里花菖蒲』三代広重 『東京花名所 ほり切の里花菖蒲』三代広重
明治12(1879)年
江戸時代においては人気の観光地としてある意味ニュースとして取り上げられたという側面もあるようです。

こうして江戸末期に花開いた堀切の菖蒲は明治には堀切園・観花園・四つ木の吉野園などの菖蒲園が開園しているのです。
このように隆盛した菖蒲園の全盛期は明治中期から大正期だったそうですが、次第に衰退し始め戦前まではなんとか武蔵園、観花園、小高園、堀切園等があったのですが、閉園、廃園などにより、その菖蒲園は埋められ、ほとんどが宅地に替り、家が建ち並んでいるのです。
現在の堀切菖蒲園は、堀切園が「堀切菖蒲園」と改称し、昭和34年5月東京都に買収され、翌35年6月1日から東京都堀切菖蒲園として公開され、その後の昭和50年4月に葛飾区に移管され現在に至っているのです。
当時の各園の写真が掲出されています。
菖蒲園古写真 菖蒲園古写真
因みに6月13日の毎日新聞朝刊にこのような見出しが躍っています。

「ハナショウブ:葛飾と青梅で見ごろ 葛飾・四ツ木中、吉野園復活目指す」
明治・大正時代にハナショウブの名園としてにぎわいを見せた「吉野園」の跡地にある葛飾区立四ツ木中(葛飾区四つ木4、天羽均校長)で、同園の復活を目指して校内で栽培しているハナショウブ約100株が見ごろを迎えた。
区によると、吉野園は1887(明治20)年に開園され、3万3000平方メートルの敷地の半分以上でハナショウブを栽培。欧米に輸出した時期もあるなど、堀切菖蒲園(同区堀切2)などとともに東京の名所の一つに数えられていたという。その後、戦時下の食糧確保や社会風潮の変化もあってか、吉野園は1940(昭和15)年ごろに閉鎖。戦後、跡地に同中学校が建てられた。
卒業生でもある天羽校長(56)が一昨年7月、地元有志の協力、指導を得て堀切菖蒲園からショウブ約100株を譲り受け、生徒が世話を続けていたところ、昨年6月には約30株が開花。見ごろの過ぎた6月下旬~7月に生徒が株分け作業を行い、今年は約100株が開花した。
天羽校長は「毎年2年生が株分けをし、3年生が写生会を行っている。今後も継続して、見事な吉野園を復活させたい」と話している。

歴史ある菖蒲の街が少しでも復活するのはうれしいことですね。そしてその歴史を忘れていないことが実に素敵なことです。

ひとあたり菖蒲園の歴史を垣間見てからは、実際に園内の菖蒲を鑑賞します。
見ごろの時期とあって実に美しい光景を見ることができます。
堀切菖蒲園庭園 堀切菖蒲園庭園
全国に菖蒲園は沢山あるのですが、この堀切菖蒲園の特徴は前述した歴史と品種の多さではないでしょうか。
菖蒲のある光景 菖蒲のある光景 菖蒲のある光景
凡そ200種6000株の菖蒲があり、このように品種ごとの名前がわかるように栽培されているのです。
品種一覧 品種一覧
5,000種類もあるといわれる花菖蒲ですが、大別すると概ね「江戸系」「伊勢系」「肥後系」の3系統に分類できるそうです。どうでも良いことですが、このあたりはサラブレットの系統が3系統あるのと似ていますね。

◆江戸系◆
江戸系は、江戸初期から堀切を中心に改良された品種群で、特に旗本松平定朝(菖翁)が60年間に300種近い品種を作り出し「花菖培養禄」を残し、花菖蒲栽培の歴史は菖翁以前と以降で区切られると言われているほどの本流系統で、いわゆる日本の栽培品種の基礎となったのです。
花の特徴はしっかりとした花弁を持ち一輪で楽しむよりは群生させて全体の色合いを楽しむところにあるそうです。
「綾瀬川」 「綾瀬川」「辰野」 「辰野」

◆肥後系◆
肥後熊本藩主細川斉護が、藩士を菖翁のところに弟子入りさせ門外不出を条件に譲り受けたものだそうで、「満月会」という組織により現在まで栽培・改良が続けられているのです。
長く門外不出という会則を厳守してきたのだそうですが、大正時代にこれを売り出した会員がいて、瞬く間に中心的な存在となったと言われています。まあ、背に腹は替えられないと言うところでしょうか。
この肥後の花菖蒲は“肥後六花”の一つで、肥後椿、肥後芍薬(しゃくやく)、肥後花菖蒲、肥後朝顔、肥後菊、肥後山茶花(さざんか)を言うそうです。
「千鳥」 「千鳥」「火の国」 「火の国」

◆伊勢系◆
伊勢松阪の紀州藩士吉井定五郎により独自に品種改良されたという品種群です。
昭和27(1952)年に「イセショウブ」の名称で三重県指定天然記念物となり、全国に知られるようになったようです。
因みにこちらは“伊勢三品”と呼ばれ、菖蒲、菊、撫子を言うのだそうです。
「四海波」 「四海波」「初霞」 「初霞」

以上の三大系統以外にも「長井古種」や「欧米系」があります。
◆長井古種◆
山形県長井市で栽培されてきた品種群で、昭和37(1962)年、来訪した中央の園芸家によって三系統いずれにも属さない品種群が確認され、長井古種と命名されたことから知られるようになったものです。
江戸後期からの品種改良の影響を受けていない、いわゆる菖翁以前のもので少なくとも江戸中期以前の原種に近いものと評価されているのです。
「日月」 「日月」
なお、これとは別に堀切菖蒲園には“原種”と言われる品種も栽培されていました。
「野花菖蒲青森産」 「野花菖蒲青森産」

◆欧米系◆
明治時代に日本から観賞用に輸出され品種改良されたものです。
「スティップルド・リップルス」 「スティップルド・リップルス」

このように品種の見本市のような菖蒲園ですから、こういった見方もできるのが面白いところです。
もうしばらく園内を散策します。
園内の光景 園内の光景 園内の光景
園内の中央には葛飾区指定名勝の案内板が掲出されていて、今まで見てきた歴史や品種の説明がされていますが、最後の部分に『園内では「十二単衣」「酔美人」「霓裳羽衣」など稀少な品種も多くみられます。』と記載されています。
案内板 案内板
名称から察するに江戸時代から伝わる品種と考えられ、最後にこの三種を園内で探してみました。

『十二単衣』
十二単衣
本所の旗本万年録三郎の傑作で、どちらかといえば素朴な形状と濃い紫色が古くからの品種を偲ばせてくれそうです。
園内で栽培されているものは何故か花が切り取られていて、見当たらなかったのですが、スタッフにお聞きしたら休憩所の前に植えられていました。
十二単衣

『酔美人』
酔美人
松平左金吾(菖翁)の作で、紫と白のコントラストが印象的な品種です。菊やサクラソウにも同名の花がありますので、粋な名称なのでネーミングをモチーフとし易いのでしょう。

『霓裳羽衣』
霓裳羽衣
霓裳羽衣とは、天人や仙女などの着る衣、あるいは唐の玄宗が、夢の中で見た天上の月宮殿での天人の舞楽にならって作ったと伝えられる楽曲のことで、何れにせよ雅なイメージを感じさせます。
園内にはこの品種は見当たらなく、十二単衣同様スタッフの方に伺ったら、管理事務所の前に一株だけありました。残念ながらまだ開花されていなかったので、花を見ることはできませんでしたが、実際に開花した写真を掲載しておきます。
霓裳羽衣 《(C)野庭(のば)の四季》
蕾は結構藍色に近いのですが、開花するとやはり紫色になるようですね。
こちらも松平左金吾(菖翁)の作で、この品種はあまり丈夫ではなく繁殖力も劣り、葉にウィルス性の病班がでるのが欠点だそうです。そういった意味で希少種となっているのでしょう。

花菖蒲では歴史のある堀切だからこそ、また違った楽しみ方もあるようです。
菖蒲祭りは25日まで続いているようですが、今年は開花が早いのでピークも終わっているようです。
帰りがけに気が付いた駅構内の写生画コンテスト作品の展示に、妙に癒されながら堀切うぃ後にしました。
写生画コンテスト作品
葛飾区にはもう一つ菖蒲で有名な水元公園があり、この先に“寅さん”で有名な柴又もあるので、次は葛飾区散策を楽しんでみたいものです。

2013.06.15記
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