旧芝川周辺の散策の後は、いよいよ現在の川口市の中心である川口駅へ向かいます。
国道122号線と産業道路の交差点、本町ロータリーに戻りここからは産業道路を北西に進んでいきます。

産業道路編

全国各地に産業道路は存在します。いわゆる町の発展のために根幹を成す道路は必要なわけで、特に工業地域を通る道路や工業団地と拠点を結ぶ目的を持って作られた道路に名付けられます。
ここ川口の産業道路も然りで、正式には埼玉県道35号川口上尾線といい、川口市からさいたま市を縦断して上尾市に至る県道なのです。つまり国道122号線と国道17号線のショートカットロードなのですね。
どうでも良いことながら、川口市に生まれ、旧浦和市(現・さいたま市)を経由して、現在上尾市に在住している私の人生は“産業道路”って言うわけでしょうか。。。

本町通り

本町ロータリーから産業道路を進むのですが、実は厳密に言うと産業道路(県道35号)は川口陸橋下交差点を起点としていて、この本町ロータリーからJR川口駅までは埼玉県道89号川口停車場線というのだそうです。
実にややこしいのですが、現在この通りは広義では「産業道路」、狭義では「川口本町大通」と呼ばれているのです。
先ほどの川口宿ミニパークを過ぎると左手に可愛らしいイラストの施された交番があります。
マンモス交番
この交番、当時としては一般的な交番と比べ大きな交番だったことから、たしか「マンモス交番」って呼んでいた記憶があるのですが。。。
そして交番の前にある一角が「本町緑地」です。
本町緑地 本町緑地
ここは映画でジュンの弟タカユキたちが走り回った場所で、かなり当時の雰囲気を残しています。
映画「本町緑地」 映画「本町緑地」 《YouTubeより》
また、後の蕎麦屋も当時のままのようです。
本町緑地後の店舗 本町緑地後の店舗
私の記憶が間違っていなければ、この緑地の右側に「オークラボウル」というボーリング場があった記憶があります。
本町緑地横の映画館跡地
中学生の頃ですから、昭和40年代にボーリングブームがあり、早朝だと1ゲーム100円という安さだったことから、何度か行った記憶があります。その後は確か映画館に代わり、オールナイト興行のピンク映画を上映していましたね。 まあ、当然ながら学生の頃は何度通ったかわからないほど、毎週のようにオールナイトに行ってました。
ただし、映画を良く見ると右側に映画の看板のようなものが見えますので、はじめは映画館で、その後ボーリング場、そしてピンク映画と変ったのかもしれませんね。
今となっては実に懐かしい光景です。

その先に進んだ交差点の角もロケ地で、ジュンの母トミが出産した北条病院です。
映画「北条医院」 《YouTubeより》
現在はマンションとなっていますが、この本町大通を渡っていったのです。
現在の交差点
更にそのトミが入ろうとした今川焼きのお店がありますが、こちらも丁度本町緑地の道路を隔てた先に現在でも残されています。
映画「今川焼き店」《YouTubeより》
当時、映画で有名になったので売れすぎて材料の餡が入らないため、今川焼きの販売を諦めて現在の和菓子屋になったのだそうです。
現在の今川焼き店 現在の今川焼き店
いつの時代もパブリシティ効果は大きなものです。

先ほどの病院跡を左に進むと最初の川口神社に戻るのですが、ここは産業道路を進みます。
右手に立派な寺院があります。「成田山」ですが、正式には“川口不動尊(成田山川口分院)”というそうです。
川口不動尊
ここはロケ地ではありませんが、その昔、記憶が正しければ父親に連れられて、この成田山の境内、参道で街頭テレビを見た記憶のあるところです。
当然、昭和30年代の中頃でしょうか、自宅にテレビがなかった頃見たもので大変な人だかりだったのを記憶しているのですが。この記憶は果たして正しいでしょうか、責任は負えませんが…。
そんなご記憶をお持ちの方は、いらっしゃらないでしょうかね。

川口不動尊の道を隔てた先に大きなマンションがありますが、ここにはかつて「川口市民病院」があったはずです。
元市民病院跡地
ここもロケ地ではありませんが、個人的に父の亡くなった病院でしたので、非常に印象が残っている病院でした。
半円形の建物が当時は美しかったのを覚えています。
当時の市民病院 《「山口君の世界」より》
現在は川口市立医療センターとして移転しているそうですが、ここもまた懐かしい一画でした。

川口駅前

“川口本町大通”のアーケードをくぐればそこはJR川口駅東口前ロータリーとなります。
川口本町通り 川口駅東口ロータリー 川口駅東口ロータリー
かつての川口駅東口といえばこんな感じでした。
かつての川口駅東口ロータリー かつての川口駅東口ロータリー 《「山口君の世界」》
当然、映画のロケ地としても同じような光景が見られます。
《YouTubeより》
現在の東口改札口は2階のデッキになっており、駅の銘板は前述したとおり“善光号”と“鋳物”のコラボです。
2階の改札口
しいて当時の1階に改札口のあった雰囲気を残しているのはこちらかもしれません。
1階の改札口
私の知っている範囲では、現在の駅舎は3代目となると思います。しかしながら2代目と3代目は駅舎は同じで、改修により入口が1階から2階に移動しただけではないかと思われます。
ついでながら1階の改札口近くにある現在の地下駐輪場こそ大きく変った一つでしょう。
地下駐輪場
かつては川口としては先進的な地下街として賑わい、随分と利用した記憶がありますから。
当時の地下商店街 《「山口君の世界」より》
また現在では東西をつなぐ通路はペデストリアンデッキになっていますが、かつてはこちらの地下通路でしたね。
地下の東西通路
記憶ではこの通路は改札口の内側にあり、中央付近のこの塗りつぶされた壁が駅のプラットホームに出る階段だったような記憶があります。
地下の東西通路 地下の東西通路
さらにこの天井は明り取りだったような気がしますが、いづれにしても現在ではあまり人通りも無いようで、すでに遺構といってもよいくらいでしょう。

改めて改札口から見ると東口の変貌はすごいものです。
現在の東口パノラマ写真
少なくとも私が在住していた1984(昭和59)年までは現在見える建造物は皆無でしたから、急激に発展したのが見て取れますね。
かつての東口のパノラマ写真と見比べれば一目瞭然です。
当時の東口パノラマ写真 《「山口君の世界」より》
映画のロケ地としては、当時のランドマークである「川口鋳物会館」が見えます。確かかつては“川口産業会館”という名称だったと思いますが、いづれにしても旧芝川で見た鋳物組合の所有していたものです。
映画「東口光景」 映画「川口鋳物会館」 《YouTubeより》
現在は「かわぐちキャスティ」として再開発され、鋳物組合の所有ビルであることは前述したとおりです。
当時の川口鋳物会館跡
またその「川口鋳物会館」の隣にあるのが老舗「甘太郎」です。
太郎焼 《YouTubeより》
現在もかわぐちキャスティ内に現存していています。
太郎焼
とにかくもの心ついた時には存在していましたから少なくとも50年以上だろうと想像していましたが、調べて見ると1953(昭和28)年創業だそうなので、ちょうど還暦、60年の歴史を持っているのです。
これは「太郎焼」と言うのだそうですが、私の時代には“甘太郎”が通り名でした。甘太郎、或いは太郎焼といっても、要するに今川焼きのことで、ブランド名と考えればよいでしょう。
ここだけは川口を離れてからも何度か購入していますが、改めて味見をして見ます。
今は甘さの強弱が選べるのですが、この甘太郎を甘さ控えめで食べる意味は無いので、迷わず甘い奴を注文です。
甘太郎
“甘い奴”なのですが、昔の記憶からは結構甘さ控えめのような気がします。まあ、昔は確かに甘ければ甘いほど美味しかった時代ですからね。
それと随分変ったのはパッケージです。
甘太郎の焼印は川口市の市章をあしらった昔からのものですが、パッケージはこんなオシャレな箱に入っています。
太郎焼パッケージ
たしか甘太郎は経木で包まれて、その上から紫色の包装紙で包まれ、紐で結ばれていた記憶があります。そして紫色の包装紙には会社名である“喜多の家”と印刷されていた記憶があるのですが。。。
いづれにしても「多々良せんべい」と並ぶ川口の老舗で、川口を語るときには外せない食文化ともいえるでしょう。

川口街中

ここからは川口駅前の街中を散策しますが、先ずはロケーションの確認です。
川口駅東口の前は県道35号線、通称産業道路が左右に走っています。
川口市を走る主たる国道は、国道122号線でかつての日光御成道沿いに沿っているのです。したがってこの国道から離れた場所にあるJR川口駅はいかに当時は川口の中心地ではなかった、ということが歴然とするロケーションなのです。
そして東口駅前と対峙するそごう川口店を基点に東側(右手)には産業道路を含めて3本の道が放射状に走っています。
産業道路(川口本町通り)を真ん中にして左にあるのが市道「幹線 第23号線」、通称“六間道路”で、右にあるのが市道「幹線 第8号線」です。
六間通りと本町通り 本町通りと市道「幹線 第8号線」

実際にデッキを下りて地上を歩いてみます。
右手の8号線はかつては一方通行の道路で、丁度、道の左側にあるオレンジの建物辺りに「ひまわり模型」があり、男の子のたまり場とも言うべき店舗があったのです。
市道「幹線 第8号線」
何度通ったかわからないほど行った店ですので、思い出深い通りです。 この通り沿いの右手にある大きなビルが「キュポ・ラ」でショッピングセンターだそうです。
確か幹線第8号線と産業道路の角には当時としては割りと大きな書店があり、その隣に知り合いの洋服店があったはずです。そんな思い出を木っ端微塵に砕いた力強い人がこちらです。
キュポラと銅像
「働く喜び」だそうで、鋳物を注入しているところでしょうかね。
そして産業道路を隔てた“六間道路”という愛称のある通りは、それなりに賑わっていたことから付けられるケースが多く、ここも映画のロケ地となっていたのです。
ここではジュンがアルバイトをしたパチンコ屋「新京新」と、様子を見に来た担任とジュンの隣人の立ち話の光景が描き出されています。
映画「新京新」 映画「立ち話の光景」 《YouTubeより》
現在ではこの辺りでしょうか。雰囲気が似ているって言うだけですが、当時の繁華街であったことは紛れもない事実ですね。
ロケ地跡 ロケ地跡
私の子供の頃は、この少し先に「東急スポーツ」というスポーツ用品店がありましたので、そこに良く行ってましたね。
現在は更に綺麗になって当時の面影を探すのも難しい限りです。

六間道路から「かわぐちキャスティ」の裏を通って更に川口駅前の商店街に入ります。
右手に妙に綺麗なモールがありますが、ここは「グリーンプラザ公園」というのだそうです。
グリーンプラザ公園
私の記憶に有る川口では、あるまじき行為とも言える綺麗な街並みって、開いた口がふさがらないとはこのことでしょう。
カラー舗装、植栽、街路灯、そしてオマケにマンホールまでがトータルにデザインされたかのようなオシャレな空間なんです。 鋳物と植木の川口の二大産業をコンセプトとした街づくりなのだそうです。
その象徴がこちらの「ドン・キホーテ像」のようで、何故にかは知りませんが注目されることは間違いないでしょう。
ドン・キホーテ像
まさに時代の流れと言うのは恐ろしいもので、50年ともなると何もかもが変ってしまう年月なんでしょうね。

思いおこせば50年前の小学生の頃、この辺りには「栄マーケット」があったはずです。
栄マーケット 《「山口君の世界」より》
“栄マーケット”といえば聞こえはよいですが、私達はみな「ヤミ市」と呼んでいました。
勿論、戦後直ぐの「闇市」とは10年以上の時代の格差がありますから、内容は違うでしょうが、その名残でそう呼んでいたのでしょう。 しかし、実際の店舗は小さな店舗が軒を連ねた長屋状態で、まさにウナギの寝床のようなマーケットでした。 もう、カオスといっても良いようなありとあらゆる店があり、私がよく行ったのはやはりプラモデルや玩具でした。レーシングカーのタイヤだけを買いに行った記憶もあり、怪しげながら何故か魅かれる「ヤミ市」は途轍もなく魅力的なマーケットでした。
映画でもそのあたりの光景を描いています。
映画「鶴亀食堂と栄マーケット」 《YouTubeより》
舞台はジュンの母親トミの働く“鶴亀食堂”を描いていますが、路地の左側に塀のように続いている建物が当時の「ヤミ市」だったのではないでしょうか。
これを現在に当てはめるとここでしょうか。
現在のロケ地
このシーンを恐らく反対側から見た光景がこちらでしょう。
映画「「鶴亀食堂と栄マーケット」 《YouTubeより》
このシーンを現在に置き換えるとこんな感じで、突き当たりにある「サカエ美容室」は「グリーンプラザ公園」の突き当たりに現在でも残っているのです。
現在のロケ地 サカエ美容室
したがって鶴亀食堂はこのあたりだったと思われるのです。
映画「鶴亀食堂」 現在の鶴亀食堂跡
そして「ヤミ市」はちょうど「グリーンプラザ公園」にあったといえそうですね。まさにドン・キホーテ像がその跡地と言う事になりそうです。
現在、この「サカエ美容室」のある商店街は“樹モール”と呼ばれているようですが、恐らくかつての川口銀座商店街だったところと思われます。
樹モール
やはり建物の密集する町並みが一番変貌し易いのですが、名残を留めながらも美しい環境に変った栄町に驚きを隠せませんでした。

SL青葉通り

街中から再び川口駅前に戻り、ここからは産業道路を北上します。
産業道路沿いには屋上に何とも立派過ぎるライオン像が鎮座しています。
東口のライオン像 川口ビール園跡のライオン像
決して三越のライオン像ではなく、私の記憶に間違いなければ、かつてあった「川口ビール園」のモニュメントです。
このビル自体がサッポロビール直営のレストランだったはずです。
なんと言ってもこの辺りは「サッポロビール埼玉工場」跡地が近くで、私が川口を離れてから「川口ビール園」が出来たと記憶しています。
川口宿編でみた「吹き井戸」を目当てに進出してきた“ユニオンビール”の工場がこの先に建てられ、その後、大日本麦酒、そしてサッポロ、アサヒに別れ、「サッポロビール」の工場となったわけです。
ここはこの「川口ビール園」跡の産業道路の裏側の道路を進みます。
裏道
途中、地下道が左右に下を走っていますが、私の在住していた頃はこの地下道はなく、駅の東西を行き来すのは陸橋しかありませんでしたから、随分と便利になったものです。
地下車道
しばらく進むと綺麗に整備された道路に変ります。 銘板にあるように「SL青葉通り」という道です。
SL青葉通り
何故に“SL”なのかと言えば、かつてこの道は川口駅からサッポロビール工場を結ぶ専用線があり、当時SLが走っていたことから付けられたようです。
ユニオンビールがこの地に工場を建設したのが大正期ですから、昭和の初め頃だったのでしょうか。
昭和22年の航空写真では既に道路となってました。
昭和22年のサッポロビール工場 昭和22年のサッポロビール工場 《「goo地図」より》
赤い線の部分がSL青葉通りです。
さてこのSL青葉通りは、道路沿いにガードレール代わりのSLの車輪のモニュメントと、街頭の台座がD51の形状をしているユニークなモニュメントです。
SL青葉通り SL青葉通り
いづれも鋳物ですので、川口の特色を現したなかなか素敵な道路といえそうですが、何となく地味なのは周りに何もないからでしょうかね。

そしてこの道を真直ぐ進み、陸橋下をくぐるとサッポロビール工場跡地の広大な敷地を目の当たりにすることになります。
サッポロビール工場跡地 サッポロビール工場跡地
現在は、アリオ川口という複合ショッピングセンターとリボンシティレジデンスという住宅街に再開発されています。
再開発の記念に、工場内にあった“仕込み釜”のモニュメントと、川口らしい“サッポロビール記念マンホール”が残されていました。
“仕込み釜”のモニュメント サッポロビール記念マンホール
そして唯一といってよい残存する遺構(といってよいかどうか…)が、JR線の横にあるSL青葉通り以降に造られた専用引込み線です。
専用引込み線
ご覧のように高架になっていて、当時、原料や製品を運んでいる様子が目に浮かぶようです。
現在は当然使用されていないようなので、いづれは撤去されることになるのでしょう。


かぜ様より貴重なご意見をいただきました。
かつての高架は、現在線路のメンテナンス用の気動車が止まり、夜活動する停車地となっているそうです。
まだ使用されているというのも嬉しいですね。
貴重な情報大変ありがとうございました。今後とも宜しくお願い致します。

2014年11月23日追記


住むにはとてもよい町になってきている川口ですが、徐々に面白みの無い街に変りつつあると思うのは、私の穿った見方でしょうかね。
本町ロータリーから始まった産業道路散策はこれで終了です。
次回は川口陸橋を渡って川口駅の西口を散策します。

2013.08.29記
(川口駅西口編につづく)

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コメント

  1. pansy | -

    おはようございます。

    今や数年で町並みも変わる時代ですが、大都会の川口にあって半世紀以上経て尚、キューポラ時代のお店が残されているんですね。

    還暦を迎えた(甘)太郎焼、美味しそう、甘いものはとことん甘いほうが絶対美味しいですよね、薄荷脳70さんの選択は大正解だと思います(笑)
    でも流石に川口名物なんですね、市章烙印入りとは凄いです!

    それにしてもD51・SLや巨大ライオン像など、川口カラーを打ち出したモニュメントは名所に匹敵しますね。
    楽しいレポートありがとうございました。


    ( 09:23 )

  2. 薄荷脳70 | -

    pansyさん、ありがとうございます。

    街や食べ物は常に進化していて、それはそれで非常に良いことなんですが、何かホッとする空間が欲しいですよね。それがモニュメントであったり、昔ながらの味であったりと。
    もともと特色のない街でしたから、現在のほうが街としては面白いのかもしれないですね、色々な時代、施設が混在していていますから^^

    ( 05:16 )

  3. かぜ | -

    古い記事にコメントすいません。
    最後に出ている高架ですが、たまに線路整備用の車両が停まっていることがあるので、使われてはいるようです。
    昼間はここに停めておいて、夜になると線路のメンテをする、みたいな感じで。

    栄マーケットも記憶の奥底にある程度の年齢なんで、懐かしいですね。
    昔の駅は東西の行き来をするのにも駅の中を通るので、入場券を買ってた記憶があります。
    入場券を買いたくない場合は踏み切り(いまは地下道になってる)か、錦町公園のそばにあったボロい跨線橋を通ってました。

    よい記事をありがとうございます。

    ( 11:10 )

  4. 薄荷脳70 | -

    かぜ さん、ありがとうございます。

    かぜさん、ありがとうございます。
    全く使われていないわけではなく、有効活用されているということですか。情報ありがとうございます。
    わたしも入場券の記憶は残っていて、地下道を通っていた記憶があります。
    実に懐かしい想い出です。
    貴重な情報ありがとうございました。

    ( 17:21 )

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