埼玉新都市交通伊奈線(ニューシャトル)丸山駅前に一つの案内板があります。
案内板
史跡・伊奈氏屋敷跡の説明で、かつてこの地は伊奈氏支配の地であったことを物語っています。 地番は北足立郡伊奈町で、隣接市は上尾、桶川、蓮田市となります。 この町名は案内板にもあった江戸時代初期の関東郡代で利根川東遷事業を行った伊奈忠次を輩出した伊奈氏の屋敷があったことにちなんでいます。 と、言うことで、今回は隣接町と言うこともあり、ルートは駅前にある「ふるさと歩道案内図」を基にノンビリとポタリングしてみました。
ふるさと歩道案内図

代官屋敷跡コース

代官屋敷跡コースは、丸山駅を起点とし主に代官屋敷とそれに関連する歴史を散策するルートです。
本来は「無線山・代官屋敷跡コース」ですが、ここでは丸山駅の東側の“代官屋敷跡”を中心に散策します。

伊奈氏屋敷跡

スタートは丸山駅です。
丸山駅
見慣れた光景で特になんと言うことも無いのですが、伊奈レンタサイクル<忠次号>は以前から良いアイディアですね。
丸山駅レンタサイクル
サイクリングの街を標榜する我が上尾市にもあるのでしょうかねえ。
東北・上越新幹線の高架下を進むと、左手にニューシャトルの車輌基地がります。
ニューシャトル車輌基地

旅・歴メモ ニューシャトルは通称で、正式には「埼玉新都市交通伊奈線」といいタイヤで走る新交通システムの鉄道です。
大宮駅から内宿駅までの12.7kmの短い鉄道ですがさいたま市、上尾市、伊奈町の2市1町を通る路線で、途中「鉄道博物館」駅があるといえば見知った方も多いでしょう。
1983年に部分開通し、1990(平成2)年に全線開通した比較的新しい鉄道です。

車輌基地を先に進むと高架下は沼に被われます。
原市沼 原市沼
こういった光景も珍しいかもしれませんが、この沼を原市沼といい、この原市沼の南方向に文字通りの「沼南駅」があるのです。
道はここで行き止まりですので、ここからはUターンします。
ニューシャトル
ちょうど、シャトルが通過しているのが見えますね。

高架下を戻った右手にあるのが「伊奈氏屋敷跡(入口)裏門跡」です。
伊奈氏屋敷跡(入口)裏門跡
とは言っても、だだっ広い空き地が残されているだけですが、実際は案内板にあるように障子堀などの遺構があるのですが、調査後保存の為に埋めもどされたようです。
遺構(空撮写真) 遺構(空撮写真)

旅・歴メモ< 関東郡代・伊奈忠次が1590(天正18)年、ここに陣屋を構えて幕府直轄領約30万石を管轄する拠点としたところで、1629(寛永6)年に三代忠治が川口市赤山に陣屋を移すまでの間、この地が地方支配の中心となった場所なのです。
屋敷跡の大きさは東西350m、南北750mという広大なもので、ここがその屋敷の裏門に当たると考えられているところです。

この裏門跡の周辺もこのように鬱蒼としているのですが、このような立て看板が立てられていました。
遺構 立て看板 立て看板
どんな経緯があるのかは知りませんが、行政側と住民(地権者)側が対立していることは間違いないようです。
まあ、それぞれの考え方があるのでしょうから、第三者はおとなしく見るだけですね。
遺構と宅地
裏門跡から東へ進むと案内板と石碑があります。
伊奈氏居館跡碑
このあたりは二の丸があったところのようです。
傍らの碑は「伊奈氏居館跡碑」とあり、少なくとも戦前以前のものでしょう。
この案内板にも注意書きがありますので、よほど争いが酷いものなのかもしれません。
何れにせよ、ここまで書かれていると奥に進もうとする気はおきないでしょうね。
二の丸跡 二の丸跡

カーブミラーにある標識の「表門跡」に進みます。
案内標識
ここにも案内板があり、お決まりの注意書きもキチンとあります。
案内板の航空写真での位置関係によれば、この辺りが表門跡ということでしょうか。
遺構空撮 表門跡周辺
ちょうど、この案内板近くに流れている川が原市沼川で、以前来たときにはここに橋があったのですが、震災でしばらくは通行止めとなり、その後仮の橋が掛けられているようです。
原市沼川 原市沼川
このように伊奈氏屋敷跡は関東支配の中心地として広大な敷地を誇っていたようです。

願成寺・法光寺

代官屋敷跡から少しばかり東に進むと「願成寺」があります。
願成寺
住宅地の一画に参道入口があり、参道を進むと白亜の壁とコントラストを成す山門がなかなか印象的です。
願成寺

旅・歴メモ 願成寺は1505(永正2)年に当時の小室藩(鴻巣領)に阿弥陀堂を建てたのが創建と言われており、その後、1594(文禄3)年、伊奈忠次が現在地に移し、寺号を願成寺ときめ鴻巣市の勝願寺末寺としたのです。
伊奈忠次との関わりの深い寺院なのです。

山門を入ると本堂が改築中のようで工事用の塀で囲われています。
願成寺境内
したがってお参りはこちらの仮設の堂宇をお参りするようです。
太子堂
本尊は阿弥陀如来ですが、こちらに祀られているのは聖徳太子像ですので太子堂かもしれません。
聖徳太子像
そして何よりも伊奈氏との関わりを残しているのが町の指定文化財ともなっている「伊奈熊蔵忠勝の墓」です。
伊奈熊蔵忠勝の墓

旅・歴メモ 伊奈家は伊奈忠基が松平広忠・徳川家康父子に仕え三河国小島城を居城としたのがはじまりで、その次男・忠次が徳川家康に仕え、家康の関東入国とともに代官頭(関東郡代の前身)となるのです。
その後譜代大名として武蔵小室藩の初代藩主となり、忠次没後、忠次の長男・忠政が小室藩並びに関東郡代を継ぎました。
そして伊奈忠政の死去により、忠政長男の忠勝が跡を継いだのですが9歳で早世したため、武蔵小室藩は無嗣改易、つまり没収となったのです。
しかし忠次の功績を重く見た幕府は忠勝の弟の忠隆に1186石の所領が与え、明治維新まで旗本として存続し、一方の関東郡代も忠次の次男である忠治が川口市に【赤山陣屋】を移し世襲し、1792年の伊奈忠尊まで続いたのです。
そしてこの忠勝がこの願成寺に葬られたのです。
因みに鴻巣市の【勝願寺】には、忠次・忠治の墓所があります。

まさに伊奈氏との関わりが深いことが理解できる寺院でした。

願成寺から北上すると「法光寺」があります。
法光寺
道沿いにある寺号標を曲がってしばらく進むと左手に境内を見ることができます。
法光寺
こちらも立派な山門が鎮座していて、その正面に本堂があります。
法光寺

旅・歴メモ 791(延暦10)年にあの“坂上田村麻呂”により創建されたという由緒ある古刹です。
面白いのはこの寺の宗派で、元は天台宗に属し泉福寺(桶川市)の末寺だったのですが、1563(永禄6)年に徳星寺(上尾市)と所属宗派を交換して真言宗となったのだそうです。
宗派変えと言うのは結構聞く話ですが、交換というのは初めて知りました。
どのような理由、経緯があって交換するものなのでしょうか。

古刹だけあって文化財も豊富で鎌倉時代の名工・運慶二十八歳の作といわれる御本尊阿弥陀如来像・仏像画・十三仏板石塔婆があります。
十三仏板石塔婆
本堂も新しくなり緑濃い綺麗な境内で、埼玉県のふるさと散策コースとなっているそうですから、昨今のパワースポットとでも言うのかもしれません。

森と田園コース

ここからは市街地を離れて伊奈町の郊外を走ります。
田園風景
元々伊奈町は梨やぶどうなどを栽培する農村だったのですが、町の中央を走る埼玉新都市交通伊奈線(ニューシャトル)をはじめとした交通路の整備、教育施設の誘致を発端に宅地造成が急速に進んでいるのです。

八幡堰

法光寺から更に北西に向って走ると風景は一気に田園風景となります。
左に見える高架線が“東北新幹線”で、スタート時の丸山駅までは東北・上越新幹線は並行し、丸山駅から先で二股に分かれ、北東の蓮田市方面に東北新幹線が、北西の桶川市方面に上越新幹線が走っていくのです。
田園と高架線
その東北新幹線の高架近くにあるのが「八幡堰跡」です。
八幡堰跡

旅・歴メモ 八幡堰は灌漑の目的で綾瀬川に設けられた堰で、水量の少ない川や底の低い川の水を堰き止めて、水面を上昇させるための施設です。
記念碑文によれば、元々このあたりは見沼代用水から灌漑用水を利用していたのですが、充分な量が確保できないため文政年間(江戸時代1818~1830)に水量の補充分として堰が造られ、後に石や煉瓦などで補強されたのだそうです。
昭和初期まで完全なものが残っていたのですが、昭和7年の綾瀬川上流の改修で消滅したのです。

これらが堰の名残でしょうか。
八幡堰跡 八幡堰跡 八幡堰跡
江戸時代の名残はありませんが、思いを馳せることはできそうです。

建正寺・氷川神社

東北新幹線高架をくぐって西方向へ向かい、ここからは社寺めぐりです。
住宅街の奥にある寺院で、かつての参道入口であったであろう路地の角にはこんなものが置かれていました。
建正寺参道 建正寺参道
このあたりはかつては田園だったのでしょうが、宅地化によりこのような光景となったのでしょう。
山門は1854(嘉永7)年の建立で、寺院自体が江戸時代の息吹を残している古刹なのです。
建正寺山門 建正寺山門
山門を抜けた正面が本堂です。
建正寺本堂

旅・歴メモ 建正寺は寿永年間(1182~1184年)の平安時代に現在の丸山辺りに創建され、慶長年間(1596~1615年)伊奈忠次が丸山に築城するため、この地に移ったのです。
本堂堂宇は1786(天明6)年に再建され、その後昭和59年に大改修が行われたものです。
また、薬師堂は1844(天保15)年の建立で、昭和62年に改修され堂内の薬師如来の鉄仏像は町指定の文化財となっています。

こちらは薬師堂です。
建正寺薬師堂
伽藍は見た感じは比較的古さを感じませんが、平安時代からの古刹のある伊奈町は侮れないこところでしょう。

「建正寺」から歩いても数分のところにあるのが「氷川神社」です。
一の鳥居の先はタイムトンネルのように長い参道です。
氷川神社参道
タイムトンネルを抜けた先に1対の狛犬が鎮座している境内と社殿です。
氷川神社境内氷川神社社殿

旅・歴メモ 勧請されたのは1248(宝治2)年で鎌倉時代です。
当時は素戔嗚尊の男体宮と稲田姫命の女体宮の2社あったのだそうですが、いつの間にやら合祀されていたのです。
その後、南北朝時代に再建され、江戸時代には小室郷八か村の総鎮守となりました。
当時、伊奈家の家臣であった大河内家は男子に恵まれず、この氷川神社に参詣したところ男子を授かったと伝わっており、このような故事から夫婦円満、子授祈願の鎮守として信仰されているのです。
また、江戸時代において時の老中で忍・川越城主の松平伊豆守信綱に庇護されたことから、境内にある天神社は“知恵伊豆”と称されていた松平信綱にちなんで「伊豆天神」と呼ばれているのです。
この後、明治6年村社、明治40年には旧小室村内の39社が合祀され、昭和19年に郷社となり現在に至っているのです。
絵に描いたようなエリートコースで出世してきたサラリーマンのようです。

その風格が社叢と遇いまった境内でしょうかね。
氷川神社社叢
そのシンボルが文化財でもあるこのスギでしょう。
氷川神社「スギ」
そしてこちらがひっそりとしていますが「伊豆天神」です。
伊豆天神 伊豆天神 伊豆天神
総鎮守らしく「力石」が残っているのは、庶民に親しまれた名残でしょう。
力石

清光寺・小貝戸貝塚

氷川神社から途中「伊奈町役場」を横目で見て再び北上すると「清光寺」があります。
伊奈町役場
こちらも住宅街の一画にあるのですが、やはり参道はかなり長いです。
清光寺参道
しかも参道口にはこのような庚申塔があるので、かつては交通の要所だったのでしょう。
庚申塔
こちらも長い参道を進むと正面に朱色が鮮やかな本堂を見ることができます。
小室観音

旅・歴メモ 新編武蔵風土記稿及び古記録等によると、創立は応仁(1467~1469)年以後慶長(1596~1645)年以前といわれ、天台宗岩槻慈恩寺末寺となるのですが、その後の途中経過は不明です。
明治維新当時は相当の規模の本堂を有し、付属建物等も数多く存在したのですが諸事情(無檀家等)のため本堂等を取り壊し、隣接境内地にある観音堂を本堂に充て現在に至っています。なお、観音堂は聖徳太子の作と伝えられる聖観音像を主尊とし、1702(元禄15)年には足立板東33ケ所観音霊場第5番寺となります。
1778(安永7)年建立の六間四方の堂宇を1911(明治44)年に茅葺屋根を瓦葺に改め、その後昭和46年の改修後現在の堂となったのです。

現在では通称「小室観音」と呼ばれて広く親しまれているようです。
小室観音
境内には幾つかの石像・石塔などがありますが、これは1701(元禄14)年作の伊奈町で一番大きい地蔵で250cmあるそうです。
地蔵
氷川神社同様、寺叢と共にその由緒を誇っているかのようで、由緒ある空気が漂っているようです。
社叢

この小室観音の裏手にあるのが「小貝戸貝塚」の碑ある貝塚跡です。
小貝戸貝塚
埼玉県指定の史跡となっています。

旅歴メモ この小貝戸貝塚は縄文時代前期(約7000年前)のもので、ヤマトシジミを主として、アサリ、ハマグリ、ハイガイなどがあり、大正13年に指定史跡となったのです。

記念碑自体も文化財であるかのような風格です。
そしてここには清光寺の本坊があり、傍らには不動堂があります。
清光寺本坊 不動堂
現在では観音堂、本坊、不動堂が点在しているように見えるのですが、実際には結構広い境内を持っていることになるのです。
この周辺は丸山周辺よりも更に古い歴史をもったエリアと考えても良いのでしょう。

2013.09.21記
(後編につづく)

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コメント

  1. 上尾の〇山 | LkZag.iM

    屋敷あとまでは!!

    おはようございます!
    伊奈の屋敷跡まで歩いて行ったことが有りますね。
    去年は朝のウオーキングでなく歩き回っていました。
    下から5・6マイ目の 福王山 と 小室観音 の文字並び方が異なっているのが面白いですね。
    いつも詳しくて驚いております。ありがとうございます!!

    ( 07:47 [Edit] )

  2. 薄荷脳70 | -

    上尾の〇山さん、ありがとうございます。

    流石に上尾の〇山さん、やはり伊奈屋敷跡周辺辺りまではいらっしゃっていましたか^^
    かなりの距離になりますよね、私には到底できません。まあ、今ならチャリで行くでしょうがw
    山号額は小室観音の本堂を観音堂に変えたために、急遽取り付けたのでしょうね、きっと。
    その辺りの由来が見えるようです。
    これからのよろしくお願いいたします。

    ( 03:51 )

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