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横須賀ストーリーPart2は、Part1の翌日の10月13日(日)に行ったポタリング散策です。
タイトルにあるとおり、10,000m、所謂10kmのサイクリングロードが横須賀の海岸線沿いに整備されています。自転車専用のCRではありませんが、海沿いを走るコースとして風光明媚で爽快なサイクリングが楽しめるコースなのです。
正式には「うみかぜの路 海と緑の10,000メートルプロムナード」と呼び、1.歴史とショッピングの道、2.緑とスポーツの道、3.海辺の散歩道、4.海と遊ぶ道の4つに分かれています。
海無し県からやって来た者にとっては、文字通り光り輝く眩しいくらいの素敵な散歩道なのです。

歴史とショッピングの道 -前編-

最初のコースは“歴史とショッピングの道”で、JR横須賀駅から三笠公園までのプロムナードです。
横須賀市のメインストリートと言っても過言ではない通りです。

JR横須賀駅

三連休と言いながらも日曜日の早朝だけあって駅前はまだ閑散としています。

小さいながらも白を貴重とした清楚な駅舎

小さいながらも白を貴重とした清楚な駅舎

JR横須賀駅ロゴマークが海軍との関わりを物語っています

ロゴマークが海軍との関わりを物語っています

この横須賀駅は1889(明治22)年6月に、大船~横須賀間の横須賀線開通に伴い開業し、終戦までは全国的に極めて重要な駅だったそうです。
それは鉄道唱歌で「汽車より逗子を眺めつつ/はや横須賀に着きにけり/見よやドックに集りし/わが軍艦の壮大を」と唄われたように、現在のアメリカ海軍基地内に明治17年設けられた横須賀鎮守府などの諸施設のある重要な海軍基地だったからなのです。
当初、陸軍は砲台等を構えた観音崎を終着駅としたかったようですが、予算的な問題でこの駅が横須賀線の終着駅となったのだそうですが、いずれにしても横須賀線と横須賀駅は海軍、陸軍の軍部にとって重要な駅だったと言うことなのです。
因みに横須賀~久里浜間はやはり軍の要求によって昭和19年4月に開通したのです。

海軍カレーのゆるキャラ「スカレー」のお出迎え

ゆるキャラ「スカレー」

平坦な駅構内が見受けられます

平坦な駅構内が見受けられます

現在の駅舎は1940(昭和15)年に改築された駅舎ですが、改築前の姿を比較的継承し、日本では数少ない階段の無い駅として有名で、1997(平成9)年には“階段が一つも無い平坦な人に優しい駅”として関東の駅百選に認定されたのだそうです。

ヴェルニー記念館

横須賀駅のすぐ目の前が「ヴェルニー公園」で、その先が横須賀本港です。

ヴェルニー記念館 ヴェルニー記念館

ヴェルニー記念館

公園入口付近に「ヴェルニー記念館」があります。
ヴェルニーは明治時代、ここ横須賀で所謂“お雇い外国人”として造船などに功績を残したフランス人なのです。

そのヴェルニーを記念して建てられたこの記念館は、彼の故国フランスのブルターニュ地方の住宅の特徴を取り入れた建物を模して造られました。

案内板のブルターニュ地方の住宅

案内板のブルターニュ地方の住宅

その特徴とはドーマーウィンドー(屋根窓)、屋根に突き出た煙突、急勾配の屋根と石造りの外壁で、その特徴を生かした記念館自体もフランスの文化を知る上で貴重なものなのです。

旅歴メモ -レオンス・ヴェルニー-
レオンス・ヴェルニー

レオンス・ヴェルニー

ヴェルニーは、1837年12月2日にフランス中央山岳地帯のアルデシュ県オブナで生まれ、23歳で造船大学を卒業後、海軍造船官としてブレスト工廠で船舶の修理などを担当しました。
フランスが自国の東洋貿易を守るため、上海(中国)で砲艦を建造することになった時、ヴェルニーは、その責任者に抜てきされ2年間その任務に就きました。
その後、当時の駐日公使ロッシュから「日本に造船所を建設することになったので、ぜひ」という依頼が届き、彼は一時フランスに帰国して、資材や作業に従事する人たちの準備を整え、慶応2(1866)年6月に来日、横須賀に着任したのです。
以来、帰国するまでの10年半、激動の日本にあって造船業に励み、明治9(1876)年ようやく日本人の手で造船事業ができるようになった時、彼は帰国したのです。

記念館のドーマーウィンドーから見える軍港

記念館のドーマーウィンドーから見える軍港

このヴェルニーの功績を讃え、ヴェルニー記念館が作られたのですが、この記念館のメイン展示は“スチームハンマー”で、“スチームハンマー”とは蒸気の圧力で鍛造(叩いて金属を鍛える方法)するための工作機械で、ヴェルニー記念館に保存されているものはプレス容量が0.5トンと3トンの2台あるのです。

0.5トンスチームハンマー

0.5トンスチームハンマー

3トンスチームハンマー

3トンスチームハンマー

このスチームハンマーはオランダから輸入され旧横須賀製鉄所で使用されていたもので、0.5トンは1971(昭和46)年、3トンは1996(平成8)年まで稼動されていました。
第二次世界大戦後、旧横須賀製鉄所が米軍横須賀基地となったためスチームハンマーも米軍に接収されたのですが、1971(昭和46)年に返還され、現在は貴重な文化遺産として重要文化財に指定されているのです。
なお、当時の旧横須賀製鉄所及び港湾施設(ドック)は現在も現存し、米海軍の船舶修理施設として使用されているのです。
スチームハンマースケールモデル

スチームハンマースケールモデル

記念館ではスケールモデルのスチームハンマーで実際に稼動するところを見られるようになっているほか、様々な資料が展示されています。

ヴェルニー公園

記念館を出て公園を散策しますが、公園の前に広がる港湾風景が絶景です。

港湾風景パノラマ写真

港湾風景パノラマ写真

大まかに言えば中央から右側が米海軍基地で、左側が海上自衛隊基地と考えてよいでしょう。
米海軍イージス艦「ジョン・S・マッケイン」

米海軍イージス艦「ジョン・S・マッケイン」

南極観測船「しらせ」

南極観測船「しらせ」

右手に見える“56”と記載された艦艇は米海軍の「ジョン・S・マッケイン」のイージス艦で、左手に停泊しているオレンジとホワイトのツートンカラーの美しい船体の艦船は南極観測船「しらせ」です。
「ジョン・S・マッケイン」は満艦飾がされていますが、独立記念日やクリスマスでも無いのに不思議ですね。
海上自衛隊艦船

海上自衛隊艦船

南極観測船の先では海上自衛隊の艦船がタグボートによって方向転換している様子も見られます。
イージス艦や南極観測船がこのような間近に見られるのは、横須賀ならではの大きな魅力ですね。

ヴェルニー公園

ヴェルニー公園

この公園は1946(昭和21)年に市民公園として開園し、臨海公園として多くの市民に親しまれてきたのですが、公園の対岸にフランス人技師ヴェルニーが建設に貢献した横須賀製鉄所跡地が望めることなどから2000(平成12)年にヴェルニー公園と改称したものだそうです。
臨海公園からヴェルニー公園となって、ちょっとオシャレっぽくなった感じです。

旅歴メモ -横須賀製鉄所- 幕末になって江戸の近海に外国船がしばしば現れるようになると海防が叫ばれるようになりました。特に黒船来航以降、軍艦や船舶の購入や建造・修理のために浦賀に造船所が開かれましたが、より海軍の拡張のためには更なるインフラが必要になったのです。
そのための新しい製鉄所(造船所)建設のため、幕府の勘定奉行小栗上野介忠順と目付栗本瀬兵衛(鋤雲)らは、フランス公使レオン・ロッシュとともに、幕府の重臣たちを説きふせ、この事業の実現を図ったのです。
建設地は、当時、湾の形に変化があって要害の地であり、風波の心配もなく湾内も広くて深い、また、景色も優れ、フランスのツーロン港に似ているなどの理由から三浦郡横須賀村に確定したのです。
明治初期の横須賀製鉄所(造船所)全景

明治初期の横須賀製鉄所(造船所)全景

敷地は約246,000㎡で、当初の計画では4年間で製鉄所1ヶ所、艦船の修理所2ヶ所、造船所3ヶ所、武器庫および宿舎などを建設し、予算は総額240万ドルというビッグプロジェクトだったのです。
1865(慶応元)年に建設が始まり、明治維新によって造船所(製鉄所)の一切は明治政府に引き継がれドックや船台などが次々と完成していったのです。
その後、横須賀製鉄所は、横須賀造船所、海軍造船所、横須賀海軍工廠と名称を変え発展を続け、数々の軍艦を建造した施設と造船技術はとても優秀なものでしたが、1945(昭和20)年以降は米海軍の基地となり、今日に至っています。

園内は、庭園としての憩いと安らぎの場と、史跡としての興味深い側面を提供してくれます。
憩いと安らぎの場としてはなんと言ってもフランスの品種を中心とした130種・約2000株のバラが彩りを添えていることです。

そろそろ秋バラの季節です そろそろ秋バラの季節です そろそろ秋バラの季節です

そろそろ秋バラの季節です


この日は海風と共にバラの香りも芳しい日でした。
そしてまた港を一望するボードウォークやフランス式花壇と噴水、更に洋風四阿などもあり、のんびり時を過ごすのには絶好のロケーションのようです。

ボードウォークのバラと街灯

ボードウォークのバラと街灯

噴水から見えるバラと軍港

噴水から見えるバラと軍港

オシャレな四阿

オシャレな四阿


もう一方の史跡としての側面の一つがこちらです。

帽子を被った衛兵詰所

帽子を被った衛兵詰所

旧・日本海軍横須賀港逸見門の衛兵詰所だそうです。
右側が「逸見上陸場」左側は「軍港逸見門」と表示されていて、明治末期から大正初期に建造されたもののようです。高さは約4mで、屋根は銅葺き、本体は八角形の鉄筋コンクリートで、外壁にタイルが張られている凝ったものです。
ホームズの帽子を被ったような形状が何となく微笑ましいですね。

二つ目はいわずと知れたこちらの銅像です。

ヴェルニーと小栗の胸像

ヴェルニーと小栗の胸像

開港碑

開港碑

横須賀の功労者としての位置付けは、毎年「ヴェルニー・小栗祭」が開催されている様子からも伺えます。

旅歴メモ -小栗上野介忠順-
小栗上野介忠順

小栗上野介忠順

小栗家は代々徳川家に仕えた旗本で、忠順は小栗家12代目の当主として優れた才能と人格を兼ね備えていたそうです。
1860(安政7)年、日米修好通商条約批准書交換のため幕府が遣米使節団を派遣した際、目付(監察役)として抜てきされ、使節団の一員として渡米しました。この際、彼は日本人で始めて地球を一周し帰国したのです。
その後も外国奉行、勘定奉行、軍艦奉行など幕府の要職を歴任し、数々の業績を残してきましたが、新政府軍と最後まで戦うべきと主戦論を強く主張したため、すべての役職を罷免され、領地であった権田村(現在の群馬県高崎市倉渕町)に隠居しました。
倉渕村から寄贈された烏川水沼川原の記念石

倉渕村から寄贈された烏川水沼川原の記念石

そして慶応4(1868)年、忠順は何の取調べをされることもなく、新政府軍によって権田村の烏川水沼川原で斬首されたのです。小栗上野介忠順の墓(群馬県指定文化財)は仮住まいをしていた倉渕村の東善寺にあり、忠順が斬殺された烏川のほとりには「偉人小栗上野介、罪なくして此所に斬らる」と彫った碑がひっそりと建っているそうです。

海軍の街、横須賀に相応しい様々な日本海軍縁の碑です。

「ロシア海防戦艦沖島」碑

「ロシア海防戦艦沖島」碑

日本海軍の象徴「軍艦長門」碑

海軍の象徴「軍艦長門」碑

横からみると艦橋になっている「国威顕彰」碑

超弩級軍艦「軍艦山城」碑
艦型「国威顕彰」碑

海軍終息から五十周年記念「海軍の碑」

海軍終息から五十周年記念「海軍の碑」


正岡子規の文学碑

正岡子規の文学碑

最後は正岡子規の文学碑で、「横須賀や只帆檣の冬木立」と書かれています。
1888(明治21)年8月、子規は夏季休暇を利用して、友人と汽船で浦賀に着き、横須賀・鎌倉で過ごしました。碑の句は、横須賀港内に連なる帆檣“はんしょう(帆柱のこと)”の印象を詠んだものだそうで、当時の横須賀の様子を良く表している句なのです。

製鉄所から日本海軍、そして米海軍基地と変遷している横須賀の歴史そのものといっても良い、ヴェルニー公園と横須賀本港なのです。

YOKOSUKA軍港めぐり

いこいの広場 軍港めぐり

多目的広場と軍港めぐり

ヴェルニー公園の南端には「いこいの広場」という多目的広場があり、その先に「YOKOSUKA軍港めぐり」の発着場があります。
文字通りアメリカ海軍の艦船や海上自衛隊の艦船を間近で観ることができる日本でも唯一のクルージングツアーで、今回は前日の12日に乗船した様子です。

軍港めぐり発着所 軍港めぐり発着所

軍港めぐり発着所

発着所では既に前のクルーズ船が戻ってきています。
1階のキャビンと2階のデッキがあります

1階のキャビンと2階のデッキがあります

今回は初めてなので風が強かったのですが、あえてデッキに乗り出港です。
軍港めぐりルート

軍港めぐりルート《(C)パンフレットより》

この軍港めぐりは、文字通りアメリカ海軍施設と海上自衛隊施設を巡るコースで、かなり人気の高いクルージングなのです。

米海軍イージス艦「ジョン・S・マッケイン」

米海軍イージス艦「ジョン・S・マッケイン」

早速、アメリカ海軍基地に係留されている艦船の数々を眺めます。
イージス艦が日本で知られるようになったのは、湾岸戦争の頃でしょうか。その後、福井晴敏の小説や映画化された「亡国のイージス」によってより知名度が上がりましたね。
イージス艦の証である八角形のレーダー

イージス艦の証である八角形のレーダー

イージス艦の特徴はなんと言ってもその“イージスシステム”と呼ばれる戦闘システムで、そのシンボル的な存在が八角形のレーダーなのです。
したがって艦橋に八角形の亀の甲みたいなものがついていれば、基本的にイージス艦といえるのでしょうね。
朝見た米海軍イージス艦「ジョン・S・マッケイン」もより身近に見え迫力満点です。

とにかく謎ばかりの潜水艦

とにかく謎ばかりの潜水艦

そしてその先の右手に見えるのが・・・、せ、潜水艦です!
その役割のとおり秘密裏の航海が多いわけですから、名前などもあるのかどうかも判りませんが、とにかく本物のサブマリンです。

改修中の「フィッツジェラルド」

改修中の「フィッツジェラルド」

潜水艦の先にはやはりイージス艦が停泊していますが、特に改修中の姿を見られるのは珍しいとか。。。と、クルーズ船から説明がありました。
イージス艦三兄弟

左から 「シャイロー」「ステザム」「フィッツジェラルド」

その奥にはイージス艦三兄弟のそろい踏みです。最もイージス艦はもっとあるようですが。

軍港めぐりのハイライト

軍港めぐりのハイライト

そして今回のメインがこのクレーン・・・、ではなく。。。
このクレーンは、横須賀配備の空母「ジョージ・ワシントン」専用のクレーンで、本来ならここにジョージ・ワシントンが停泊しているはずなのですが、残念なことに2013年9月13日に任務のために出港してしまったそうです。
勿論、行き先などは極秘事項ですから不明ですが、案内に寄れば12月頃には帰港するのではないかということです。
空母「ジョージ・ワシントン」

空母「ジョージ・ワシントン」
《(C)Hatena フォトライフ》

本来ならこのような雄姿が見られるはずだったのですが・・・ ちょっぴり残念でした。

一旦米海軍基地を離れて横須賀湾のある“追浜”に向うと。大きな妙な船体を見ることができます。

横須賀湾と鮮やかな「RUBY ACE」号

横須賀湾と鮮やかな「RUBY ACE」号

ここは日産自動車追浜物流のあるところで、ここから車輌を船積みしており、この大きな船体は自動車輸出用の船だったのですね。
流石に横浜は日産の本拠地だけあって、岸には沢山のクルマが留め置かれています。
どう見てもラブホでしょ!

どう見てもラブホでしょ!

その隣にはゴージャスな建物があり、まるで海上の宮殿、、、とも言えそうなリサイクルプラザ「アイクル」という横須賀市のリサイクル施設なのだそうです。
まあ、お洒落と言えばオシャレですが。。。

ここから先は海上自衛隊のある長浦港となります。

掃海母艦「うらが」

掃海母艦「うらが」

早速見えてきたのが、浦賀水道をその由来とした掃海母艦「うらが」です。掃海母艦とは機雷の除去を行う掃海艇に対して燃料や物資の補給を行う艦船で、アフガニスタン、パキスタン、ベトナム、ペルシャ湾などに派遣されたそうです。

港の中央にポッカリ浮かんだ潜水艦は海上自衛隊のサブマリンです。

これもまた謎の潜水艦!? これもまた謎の潜水艦!?

これもまた謎の潜水艦!?

桟橋に係留されているのではなく、4つのブイにつなげられているのは、この艦は廃艦となったため解体までの間ここに係留されているのだそうです。
潜水艦は他の艦艇に比べて海の中を航行するので気圧の影響を受けやすく船体がボロボロになってしまうことから、海上自衛隊では潜水艦の寿命は20年と義務付けているからなのです。
ここまで近くでは滅多に見られない非常に貴重な光景なのだという説明でした。

世界でも珍しい掃海艇

世界でも珍しい掃海艇

この2艇は磁気機雷に感応しないよう世界でも珍しい木造で建造された掃海艇「やえやつ」「つしま」です。
更に木造船としては世界最大の1000トン以上と言う大きさで、このクラスの木造船を保有しているのは現在ではアメリカと日本の2国だけのようです。
しかしながら現在は職人の高齢化などで木造建造も難しくなり、FRP製に替わっているそうです。

クルーズは狭い海域を進みます。

新井掘割水路

新井掘割水路

ここは新井掘割水路と呼ばれるところで、もとは箱崎半島の最も括れたところで、現在はここを水路として長浦港と横須賀本港との航行に使うショートカットになっているのです。
日米管理下の燃料庫地帯の両国の国旗

日米管理下の燃料庫地帯の両国の国旗

現在は小島となっている半島の先は、燃料庫地帯として米軍施設基地となっていますが、日米の管理下にあるようです。

旅歴メモ -新井掘割水路- 1854(安政元)年、公郷村名主永嶋庄兵衛は、幕末の海上交通が増えたのにともない半島先端にある暗礁が危険なため、多額の費用をかけ半島前方部に掘割を377m掘削し水運の便をはかり、これにより武蔵国野島浦(現在の横浜市金沢区)から横須賀村への航路が作られたのです。
このときの土石は江戸品川に運ばれ、台場築造に使われたと言われています。(旧掘割)
その後、1885(明治18)年に長浦に海軍の水雷営などが置かれてから横須賀港との交通が頻繁になり不便となったため、翌年の明治19年新たな掘割工事を行い、明治22年に完成開通したのです。
これにより旧掘割は埋め立てられたのです。

水路を抜けると横須賀本港で、ここにも多くの海上自衛隊の艦船が係留されており、クルーズの最後を飾るのが砕氷船「しらせ」です。

横須賀本港の海上自衛隊艦船

横須賀本港の海上自衛隊艦船

美しい姿の砕氷船「しらせ」

美しい姿の砕氷船「しらせ」

今日朝にも見ましたが、実際に帰国した際はドロドロに汚れて、現在の姿は見る影も無いそうです。
更に帰国しても、全国を巡回しているので意外と横須賀で見ることは珍しい部類なのだそうです。
今回は意外と貴重なショットをみることができたようです。

ヴェルニー公園

ヴェルニー公園

待ちわびる乗船客

待ちわびる乗船客

ヴェルニー公園前を通過して、軍港めぐりもこれで終了で、次の乗客が待つ発着場に到着となります。
中辛でコクがある、意外と美味なイージス艦カレー 中辛でコクがある、意外と美味なイージス艦カレー

中辛でコクがある、意外と美味なイージス艦カレー

因みにこのクルーズを説明するスタッフが実に上手で、現在の横須賀名物は「海軍カレー」ではなく「海上自衛隊カレー」だというので、つい土産に購入してしまいました。
3種類アソート(C)軍港めぐりHP

3種類アソート(C)軍港めぐりHP

「護衛艦きりしまカレー」「護衛艦ひゅうがカレー」「砕氷艦しらせカレー」の3種類があり、実際にその艦で食べられているカレーなのだそうです。
一度ご賞味あれ。。。

ここからは国道16号線を進みます。

2013.10.24記(次章につづく)

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